三月十五日 祭曜
今日は庭の桜が満開だった。
その淡い光のなかで、杜郷さんの顔は青ざめて、何もない宙をじっと見つめていた。
私は、とても嫌な予感がして、すぐに病院に行きましょう、と言った。でも、杜郷さんは血の気のない顔で笑うだけだった。
杜郷さんが庭に出たいというので、車いすを部屋の外に出すと「ちょっと待って」とあかずの間の前で止まった。杜郷さんは震える手でドアの隙間にかんざしを差し込むと留め金を外し、自分の手で車いすを衣装箪笥の前まで押していった。そして、中からブルーのドレスを取り出してこう言った。
「あの子がが家に居た頃、よく着ていたドレスなの。あなたが着て」
庭の桜を二人で眺めているうちに、杜郷さんの表情から苦し気な憂いは消え、私は心底ほっとしていた。杜郷さんの目には、まだ枝だらけの薔薇棚は満開に見えていたようで「きれいね、いいわね」と薔薇の苗を褒め倒しては、その場でしばらく感慨にふけっていた。
私は、杜郷さんの元気な様子に、嫌な予感など思い違いであったような錯覚にとらわれていたのだろう。どれも同じ枝にしか見えないその品評会になかば飽きながら、私は車いすを押していた。
はた、と、随分長い間、車いすの車輪が軋む音しかしていないことに気が付いた。
私が、慌てて車いすの横に回ると、もう手遅れだった。
杜郷さんは、安らかな顔をして、でも顔色は真っ白のまま、息を引き取っていた。
最期の杜郷さんにとって、私はちゃんと娘さんに見えていただろうか。
養子にはなれないけれど、杜郷さんのことは大好きだったと伝えればよかった。
自己満足だろうか。
私が杜郷さんの養子になっていたら、私も杜郷さんも幸せになれたのではないだろうか。
私はどこに行くつもりだったんだろう?
いろんなことを犠牲にして
どこに行くつもりだったんだろう?
ごめんなさい、と声を掛けても、なにも言葉の返ってこない杜郷さんを見て、涙が止まらなくなった。
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