十一月九日 納土

納土で得るものはなさそうなので、駅へと戻ろうとした。その道すがら地図には描かれていない道が一本あるのに気がついた。車一台ぐらい余裕で通れそうな幅で、地図に描かないのは不自然に感じた。何があるのかと行ってみようとすると「そっちに行っても何もない」と通りすがりの男に止められた。しかし、その道の先の小高い丘から大きな屋敷の屋根が覗いているのが既に見えていた。男を適当にやり過ごして、私は地図にない道へと進んだ。




右に左に蛇行する丘を登っていくと、屋敷の屋上に大きな人影のようなものがあるのに気がついた。それは人影ではなく、巨大な金属製の像だった。この国が東西に分かれて戦をしていた時代の戦士の姿をしている。すっかり腐食した腕の部分は赤銅色に焼けた肌のようだった。おそらく、こうした腐食による色の変化を想定して作られているのだろう。精巧に作り込まれていて、私は初め、人だと信じて疑わなかった。そして、それが「人」ではなく「作品」だとわかったとき、私はこの傑作になにがなんでも会わなければ、と思った。




辿り着いたお屋敷のカーテンはどれも幽霊のようにうなだれていて、人が暮らしている気配は微塵も感じられなかった。それでも私は呼び鈴を鳴らした。「作品」があるのは屋上だ。誰もいなければいないで、屋根まで上って会いにいけばいい。


しかし、扉から家主は現れた。全身を黒い一枚布で覆い、人という人を寄せ付けない雰囲気で。わずかに見せる隙間からも白いぎらぎらした目が私をねめつける。家主は名を絹帆と言った。扉が開かれたとき、絹帆は全身でそれを支えながら、私が誰であるかも聞かず「早く入ってくれ」と木枯らしみたいな声で言った。絹帆は外気に触れると障る身体だった。そして、その影は有毒だった。絹帆の影が床を歩き回るたび、それに捕まった命がのたうちまわりながら息絶えた。


「あなたも用が済んだら早く帰ったほうがいい。原則、人には会わないようにしているんだ、我が一族は」


自分の影の範囲がわかるよう、頭の上に立灯籠を照らしながら絹帆は言った。絹帆がかかっているのは遺伝性の不治の病だ。


「必ず遺伝するとわかっているのに子供をつくってきた先祖代々が信じられない。私はひとりここで生を終えようと思っている」


絹帆はそう飄々とした口調で言ってのける。自分がいてもいなくても誰も困らないだろうとでも言いたげに。




私は、絹帆の病気は数年前に治療法が確立されたことを教えた。絹帆は驚いていた。が、その驚き方が妙だった。


「その治療法を発見した人は、私の家族だろうか」


わからないけれど、薬の開発にはたくさんの人が関わっているからなかにはいるかもしれない、と答えると、そこで絹帆は再び驚いた。


「ありえない。私の一族はそんなに多くない。その人たちはどうして私を助けようと思ったのだ? 私はずっとここにいたのに。私を知る者など、配達屋ぐらいなのに」


絹帆はおそらく、自分と親しくなければ自分を救いたいと思う人などいるわけがない、と思っていたのだろう。絹帆自身のことを知らなくても、病気のことを知っている人が助けてくれることもあると言うと、絹帆は神妙な顔をしていた。




屋上の像を見せてもらうことを、絹帆は快諾してくれた。それには、絹帆の事情もあった。あの屋上の像には百年に一度だけ作動する仕掛けが隠されている、と伝えられていた。しかし、短命で入れ替わりの早い絹帆の家族は像がいつ頃作成されたものか把握していなかった。絹帆はその「仕掛け」を見られる日を楽しみに生きていた。それは何年後のことなのか……。腐食の具合から作品ができてどれくらい経っているか推定することは可能かもしれない。私は製作年の鑑定も兼ねて、屋上の像を見ることになった。




像はこちらの想像通り経年変化を計算してつくられているもので、製作者の高い技術力が伺えた。しかも、作品として一旦完済させてから腐食させるための傷などを加工しており、いったいどれだけの情熱があればこんな作品を生み出せるのかと、舌を巻いた。


像は腐食の進行、使用している塗料や道具から推測するに、少なくとも三百年以上前に作られていると思われた。これでは百年に一度の「仕掛け」はとっくに終わっていたことになる。がっかりするだろうと思いながらそれを絹帆に伝えると、絹帆は黒い布の下から僅かに覗く目を一等星のように輝かせながら言った。


「そういうことだったのか……我が先祖よ! 百年も待たなくても……『その日』はとっくに来ていたのだな!?」




私には、彼女の言葉の真意は掴みかねた。


けれど、そのとき黒い布の下で彼女は笑っていたように感じたし、その笑顔そっくりの顔で像も笑ったように見えた。



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