十一月八日 納土
昨日はすぐに千沼に向かったから気がつかなかったけれど、納土という町はずいぶんおかしな町だ。いまだに燃料は黄土だし、土産物屋にはポッカピッカが手をつないでいるシャツが売られていた。平日だから、ということもあるのだろうが、観光地と思えないほど音がしない。時間が止まってるみたいだ。
仕入れられるようなものも見つからず、宿へ戻ろうとしたとき、ようやく音が聞こえた。水道の工事の音だった。休憩中の作業員に持っていたレモネードを振る舞ってあげると、話をしてくれた。この前買った振る舞い用の軽量カップは思いのほか役に立っている。
作業員の言葉によると、千沼が観光地になるに伴って栄えた納土は「当時を維持する努力をしている」のだそうだ。時は前に進むもので、本当に「維持」してしまったら時代から遅れていってしまうのに。
ただ、これが作業員の話を聞いていると、私の思考も正しいのかわからなくなってくる。作業員は水道に使われている無数の自然地下穴を、いまだに大蚯蚓が作ったものだと信じていた。
「現に巣穴があるんだから、信じるしかないだろ」と言うので「じゃあ、地震は大鯰が起こすと思ってますか?」と聞くと「海底火山の影響だとでも言いたいのかい? でも、科学者だって、その様子を実際見たわけじゃないでしょ?」と返してくる。
「教科書に書いてあることが本当とも限らないでしょ。歴史はずっと前に起こったはずのことなのに毎年変わってる」
もしも、私が不変だと思っている過去も実は日々変わっているものだとしたら? 一見、時代に置いていかれるだけの「ある時点の維持」にも意味があるのでは?
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