十月十七日 藻美
タケルおじさんに会ったのは十年ぶりぐらいだったと思う。父の死後もよく穂乃方の家に様子を見に来てくれていたが、いつの間にか疎遠になっていた(どうせ母のせいだ)。
会って初めの言葉が「お母さんが捜してたよ」でげんなりした。タケルおじさんのところに母が突入したときのことは
「いやあ、大変だったよ」
としか言わなかったが、相当めんどうだったに違いない。
タケルおじさんは相変わらず神話に出てくる神様みたいで、あまり変わってないな、と思ったけれど、やっぱり前より皺が深くなったかもしれない。
タケルおじさんは乾燥した菱杏の粉末と蜂蜜を紅茶にたっぷり入れた杏茶を出してくれた。菱杏の香りに散らばった床の木屑の香りが混じると、タケルおじさんの家の臭いになる。無邪気にこの家に遊びに来ていた日のことがよみがえった。
「家出はいつまで続けるのか」とタケルおじさんに聞かれた。タケルおじさんにまでそう言われて、私は感情が昂ってしまった。
今までの不安、旅先で掛けられた言葉、虚勢、そういうものが全部ぼろぼろ落ちた。
涙が落ち着くと、タケルおじさんは
「あまり楽しそうに見えなかったから」
と言った。目をそらしていたことを言い当てられた気がした。
タケルおじさんには聞きたいことがたくさんあった。美術品を売る仕事は私にできるかどうかとか、蛇ヶ峰の親子を見て不安になった、家族の在り方だとか。
仕事は、父が有名画家であることが有利にはたらくだろう、というのがタケルおじさんの意見だった。美術の価値に絶対はない。だからこそ、知識や感性以上のものが役に立つこともある、と(タケルおじさんはそういうの嫌いなんだろうけど)。美術商として問題になるのは「美術品を手元に置きたくならないかどうか」ということらしい。たとえひとときでも美術品を手元に置くと、自分のものだと錯覚する。そして、人に売るのを止め、私財をなげうって本当に自分のものにしてしまう。そういう美術商の「売る」作品はろくなものじゃないそうだ。
でも、私は美術品を手元に置いておきたいと思ったことは一度もなかった。私は素直に喜んだのだが、タケルおじさんは「本当に?」と首を何度も傾げた。そんなにおかしなことなのだろうか。
家族の在り方については「聞く相手が違う」と笑われた。たしかに、作品こそが家族、と言っているタケルおじさんに聞く質問じゃなかった。でも、私の質問には答えてくれた。
「本当の愛は人を自由にする」
母のやり方は間違っていると、タケルおじさんも暗に言いたいということだろう。
帰りに「網布施の友人に渡してほしい」と美術品のお使いを頼まれた。糸猫便に頼まなければならないほど壊れやすいものではないので、自分で渡すつもりだったが、外に出るとなると身なりなどやらなければならないことがたくさんあって煩わしい。私が行ってくれるならありがたい、ということだった。人を彫った彫刻は、タケルおじさんの作品では珍しい。
万谷窪 越光
網布施xx-xxx-xxxx
(あとから書き込んだと思われる違う色の筆跡)
違う、違う、違う
私が間違ってたんだ
私がおかしかったんだ
私が全部台無しにしてしまった
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