十月四日 蛇ヶ峰
列車から窓の外を眺めていると、山肌に突然水の柱が立った。解き放たれた魔物のごとく、地面から凄まじい勢いで水が噴き出しているのだ。それを見た窓側の乗客が、いっせいに窓を閉め始めた。間もなく車内にも窓を閉めるよう促す放送が入った。水柱は強酸性の間欠泉らしく、水しぶきが皮膚にかかった場合、ただれてしまうそうだ。
間欠泉の水柱の側には虹がかかっていたが、私が見たことのある虹とはどこか違う気がした。偏光によるぼんやりした輝きではなく、もっと物質的でたしかな煌めきとでも言ったらいいだろうか。
「危ない」と強く制止する自分がいる一方で、その煌めきの正体を知りたいと思う自分もいた。
蛇ヶ峰駅に着いた旨の放送が流れたが、乗客は聞き飽きた無駄な挨拶に苛立っているような顔で、身一つ動かさなかった。
「間もなく発車いたします」と放送がかかり、私は衝動的に蛇ヶ峰で降りた。どの道、今日もどこかで途中下車して宿を探さなければならない。それなら、ここに留まってみたい、と思ったのだ。
降りがけに「すぐに扉を閉めとくれよ」と老婆から強い口調で注意された。
私は列車から降りて扉を閉めると、帆布の折り畳み鞄を広げて一枚の布にし、肌が露出しないよう身体に巻きつけて歩いた。
それでも、宿に着いてから身体を見てみると、外に出ていたわずかな部分に無数の細かなただれができていた。本当に強い酸なのだ。
宿の女将さんにやけど薬がないか聞くと、そんなもの塗らなくても温泉に入ればすぐに治ると笑われた。
なんでも、ここの温泉はあの間欠泉を薄めたもので、肌をつるつるにしてくれる効能があるという。
ちょっと被っただけでただれてしまうあの液体に、薄めたとはいえ全身浸かるのは抵抗があった。しかし、女将さんはこう言った。
「一番嫌な姿でほんのちょっとだけ触れるから大きな傷になるんです。こういうのはね、まず歩み寄りが大事。害になるもの、ならないものを思いっきり混ぜる。そうしたら、今度は骨の髄までどっぷり浸かる。これがうまく付き合うコツ。人間関係だって同じよ」
たしかに温泉はとても気持ちよく、ただれもいつのまにかきれいに消えてなくなっていた。
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