八月二十三日 奥澄
交通の便がかなり悪くなってきた。今日は奥澄まで辿り着いたところで手詰まりになった。糸猫便の店員に聞いた「御言葉」を降ろすことができる者が暮らす旗崖行きのバスはもう最終便が出た後だった。たしか、奥澄に着いたのは正午を回ったばかりの頃だったはずだ。仮に旗崖行きのバスに乗れたとして、帰りはどうしたらいいのだろう? 明日、バスに乗る前に一度百容堂に電信をかけて聞いたほうがいいかもしれない。
奥澄の川沿いを歩いていたとき、河狸の群れを見た。
私は図鑑のなかでしか見たことのなかった生き物だ。水かきと幅のある大きな尻尾でみんな器用に泳いでいた。
時々、河狸は立ち上がり、水を掛け合ったりもしていた。そういう様子は子供が川遊びしているようにも見えた。
河狸の一匹が私に気が付くと「おーい」と人間の子供のような声で鳴いた。
あまりにも人そっくりの声で気持ち悪かった。
そして「鬼が来たぞー!」とはっきり人の言葉で喋った。
その声を聞いて、そういえば河狸は人の言葉を真似する動物だったことを思い出した。
その後がまた不可解だった。
「五階まで行けばよか」「いや、三階。三階で夕立降らせ」「だめだ、菫が間に合わん。散れぇ」
こう言ったように私には聞こえた。こんな会話をしていた人間が、いたのだろうか。
その後、間もなく夕立が降った。
私が急いで町のほうに向かう途中で、菫色の傘をさして歩く少女とすれ違った。
私が「こんにちは」と声をかけると「ごめんなさい、帰れないの」と返された。
今日は野宿はやめて、個人経営の小さな旅館に泊まることにした。
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