第2話

   

   問題の作品

 2012年12月21日に人類は滅亡する!~人類は「わたしたちと似た様に」なった

○目次

§旧約聖書「天地創造」に関する違和感

§「大空の上方の水」とは彗星の氷核群

§原初地球上に大陸は一つしかなかった

§太陽よりも植物を先に創ったという謎

§天地創造に記述されなかった「細菌」

§神=宇宙人、この等式の整合感

§「禁断の実」でインプットされた自滅

§遺伝子操作、近親相姦、クローン製作

§当初の女性は生理的異常であった

§宇宙人が人類に与えた知識

§アダムとイヴ、一〇万年の人口冬眠

§人類滅亡用の武器その一、「彗星」

§人類滅亡用の武器その二、「細菌」

§人類滅亡用の武器その三、「核」

§宇宙人の子供もいた

§巨大遺跡、オーパーツは宇宙人の子供の遊びの産物

§核戦争の記述は宇宙人の記憶

§人類は「わたしたちと似た様に」なった

§宇宙人は地球に子孫を創ろうとした

§人類滅亡は2012年12月21日!


§旧約聖書「天地創造」に関する違和感

 いきなり旧約聖書などという、生理的に受け付けないような話で恐縮する。

 眠くなるかもしれないが、ご容赦を。(睡眠薬代わりに、枕元にいかがでしょうか?)

 お断りして置きますが、巻頭で旧約聖書を取り上げたからといって、私は神や宗教を信じるような敬虔な人間ではなく、「聖書を勉強して清く正しく生きましょう」と活動している誠実な人達の仲間でもなく、また霊魂で宇宙と交信するなどというすごい能力を持っている人達の仲間でもありません。

 平凡な普通の人間で、聖書を事実として客観的に分析しようとしただけです。


日本では、キリスト教の信者さんと聖書に関わるような生業の人以外は、深く読む事もないだろうし、触った事もないという人が多いのではないだろうか。

従って、皆さんは、「何でのっけから旧約聖書なんじゃ」と顔をしかめられるかも知れない。

私はたまたま小学生の頃、毎週木曜日だけだったが、田舎の漁師町には珍しい外人の牧師さんがやって来て、木曜教会というのを開いていて、参加するときれいなカードをくれたので、それが欲しさに、他に遊ぶ事も無い時に時々行っていたから、聖書に対する違和感はなかった。

さて、五年ほど前、身体を壊して療養中だった私は、「ニュートン」という科学雑誌の特集を読んでいて、ふと気が付いた事があった。

生物の進化の分岐で、哺乳類から鳥類が進化したという処である。

後でもう少し詳しく述べるが、聖書の「天地創造」では「鳥さんが先だぞ?」と思い、暇に任せて、自宅にあった旧約聖書を読んでみた。

すると、その部分だけでなく、「へえ、これ違うんじゃねえの?」「あれ、おかしいなあ?」「こんな事ってある?」と首を傾げる記述が、結構出て来たのだ。

そこで先ず、旧約聖書「天地創造」に関する私なりの違和感を列挙してみる。

七日間で、神が天地創造を行なったというのは、聖書に興味のない人でも、漠然とはご存知だろうが、詳しい説明を付けながら進めて行こう。

私は、これを書くにあたって、聖書は(旧約、新約どちらも)絶対正しい、そしてダーウィンの(友人であるアルフレッド ウォレスという人が先に論文を完成してダーウィンに手紙を送り、驚いたダーウィンが一緒に研究発表をしたそうだが、取り敢えず、私達はダーウィンの方が馴染み深いので)進化論もほぼ正しいという、二つの論拠に基いているからなので、しばらくの間、我慢して読んで頂きたい。


初めに神は天と地を創造された。

さて、地は形が無く、荒漠としていて、闇が水の深みの表にあった。

そして、神の活動する力が水の表を行きめぐっていた。

それから神は言われた。

「光が生じるように」。

すると光があるようになった。

そののち神は光を良いとご覧になった。

そして神は光と闇との区分を設けられた。

そして神は光を《昼》と呼ぶことにし、闇の方を《夜》と呼ばれた。

こうして夕となり、朝となった。

一日目である。


一文目は「天地創造」の総括文だろう。

さて天地が創造される前に神が存在したのか?

そして神は何の目的で天地を創造したのだろうか?

さらにその天地とは宇宙全体なのか、太陽系なのか、それとも地球だけなのか?


「ビッグバン」という言葉は既にポピュラーになっていて、ほとんどの人がその言葉と意味はご存知だと思うので詳しくは述べないが、およそ137億年前(もっと古いとか、もっと新しいとか、諸説がある。本書の中でも様々な数字が沢山出て来るが、推定の数字に関しては、その数字を唱えた人が、勿論私も、確かめた訳でも観測して実証した訳でもないので、悪しからず)に空間も時間も、全く何もなかった処で大爆発があったという。

何もない処で、爆発が起こると言うのも変な話だが、何もなかった処に、気の遠くなるほどの時間、恐らく何十億年、何百億年という時間を経て、塵が次第に集まって来て(どうしてかは解りませんが)くっつき始めて押し合いへし合い(どうしてかは解りませんが)、ものすごい高密度と高温になって、ついには爆発したのだそうだ。

現在の宇宙が構成される程無尽蔵の塵が集まって来たという事は、ビッグバンが起こるべき超広大な空間が存在したからであって、ビッグバンが起こって現在の宇宙が出来たとされているから、現在の宇宙の外側に我々人類が知る事の出来ない空間があるという事ではないか?

そしてほぼ光速に近いスピードでどんどん膨張し、今の巨大な宇宙が出来た、現在でも同じスピードで膨張し続けている、というのが定説だが、そのビッグバンより以前から神は、我々人類が現在知り得る宇宙の外側に存在しているのか?

この宇宙の外側らしき処で何をしているのか?

この「天地創造」が太陽系に限ってのものであると、失礼を承知で過小評価したとして、46億年前(50億年前という説もあるが、先程述べたように、はっきり証明されたわけではないので、私も人の書いた本を引用しているだけです)から存在したのか?

我々人類の時間で四六億年、あるいは宇宙全体の137億年という気の遠くなる程の時空は、神にとってどれ程のスケールなのだろうか?

神の手の掌程の範囲で、神が鼻息を洩らすか瞬きする程度か?

現在我々人類が知る限りの宇宙には何千億の銀河が存在し、その一つの銀河に何千億もの星が存在しているが、それらを形成している物質はそもそも何処にあったのだろうか?  

何処から生まれて来るのだろうか?

現在も尚、宇宙の何処かで膨大な量の物質が創造されているのだろうか?

「誰か」が創造しているのだろうか?

ビッグバンの時、現在の果てしない時空に存在する宇宙を構成しているだけの膨大な量の物質が既にあったとは思えないからだ。

また137億年という時間が経過しているが、この宇宙の外側にやはり膨大な数の宇宙が存在し、膨大な時間が経過しているのだろうか?

そして神がその全てを創造し、支配しているのだろうか?


子供の頃、太陽系を一個の原子構造として考えた事がある。

太陽系が原子で、太陽が陽子、惑星が電子で、銀河系が一片の細胞、一宇宙が一個の器官。

我々の存在する銀河系は、外側から見たら、実はゴキブリだったりして。

新陳代謝を繰り返して古い細胞(天体、銀河系)が消滅し、新しい細胞(新星、新銀河)が誕生し、ブラックホールは例えばガン細胞であり、膨張は成長であり、そうすると我々の知るこの宇宙は何時かその成長が停まり、生物が老いて死ぬように、衰弱に向かって消滅、収縮を開始し、何時か運動を完全に停止する時が来るのだろうか?

時折、科学写真誌などで、星雲や銀河が誕生したり、銀河同士が衝突したり、爆発して消滅したりするシーンを見たりするが、そこにもし私が存在していたら、どんな光景を目撃するのだろうか?

例えば我々の体内に於いても、星や星雲、銀河が生まれたり消滅したり、また衝突して新たな星雲、銀河が誕生したりする時に膨大なエネルギーを発生する宇宙の縮図の様に、古い細胞が消滅したり新しい細胞が誕生したりする際、超極微量のエネルギーが放出されたり吸収されたりするのではないかと考えられている。

残念ながら我々はその超極微量なエネルギーを測る計測器を持たないが、もし計測が可能になったとしたら、それもエネルギーの方程式に当てはまるのかも知れない。

そして、我々の肉体の細胞の分子の何処かを構成している原子のどれかの電子の表面で、私が鼻息を洩らし、瞬きするより短い時間の中で、人間もどきが笑ったり泣いたり、子育てしたり、仕事をさぼったり、セックスしたりしているのだろうか?

取り敢えず不可知の存在ではある。


二文目、「地」とは何を指しているのか?

二日目で天を創るのだから、未だこの段階では「天」「地」は分離してない事になる。

従って一日目の記述の「地」とは「天」=空、大気圏に対する地球の陸地の事ではあるまい。

恐らくそれは、冷えて明確な形が出来る前の混沌とした状態の地球、または太陽系全体の塊を指しているのではないか?

そう判断すると神が宇宙、または太陽系や地球を創ったのではなく、宇宙どころか地球さえも混沌とした状態ではあったが既に存在していて、途中から神が介入した事にはならないか?

二文目の「地は形がなく」「水の深みの表に」という一節はそんなニュアンスである。

地球上に陸地を創るのは三日目だから「地」とは地球、または太陽系の事だろうが、「地

の深みの表」とは地球、太陽系が未だ固まっていない状態を指しているのではないか?

すると三文目の「神の活動する力が水の表を行きめぐっていた」という記述は「水の深み」の内部、つまり「地」の内部は未だ「荒漠として」燃えたぎっていて、どうなるか解らないので、あるいは未だ手に負える状態ではないので、神がもう少し様子を見ていた、というイメージをぬぐえない。

好意的な解釈では、とても手に負える状態ではない処へ、神の力を以って少しずつ介入して行った、とするべきか。

従って四文目の、「光が生じるように」という発言、「光があるようになった」という記述から受けるニュアンスも、最初から太陽の光があったのではなく、太陽系が形成する前か、未だ核融合を開始する前の状態だった太陽を操作して核融合を開始させた、という解釈が、無理がないと思われる。

だが我々の知る限りで、「地」(地球)から見て「光」とは、狭い範囲では太陽、宇宙的規模で言えば恒星に当たる。

また「光」とは空間=「大空」を必要とするはずだが、二日目に「大空」を創るのなら、この光は何処に何を生じさせたのか?

四日目に太陽と月を作る記述がある。

つまり一日目の「光」は太陽の存在ではないのではないか?

例えば、真っ暗な宇宙空間に浮かぶ太陽系の原初の塊に操作を加え、天地創造の作業をする、即ち太陽系、または地球を創造する為に神が「おーい、照明を当ててくれ」と言い、「誰か」がサーチライトを当てた、か?

五文目、「良いとご覧になった」という記述も、照射したサーチライトの光の調節具合を見て、「ま、そんなもんで良いのとちゃうか」と納得した様なニュアンスである。

六、七文目、「昼」「夜」の表現は、太陽の存在と地球の自転を前提としているはずだが、「大空」は二日目に、太陽と月は四日目に神が創るのであって、未だこの時点で出来てはいない。

「光」、「昼」「夜」という概念は空間、つまり「大空」抜きには考えられない。

これは地球に於ける「昼」「夜」ではなく、神にとっての「昼」「夜」の事ではないか?つまり光を生じさせて作業する「昼」と、光を消して休んだ「夜」である。


次いで神は言われた。

「水の間に大空が生じ、水と水の間に区分ができるように」。

そうして神は大空を造り、大空の下に来る水と大空の上方に来る水とを区分してゆかれた。

そしてそのようになった。

そして神は大空を《天》と呼ぶことにされた。

こうして夕となり、朝となった。

二日目である。


一文目、「水の間に大空が生じ、水と水の間に区分ができるように」、二文目「大空の上方に来る水」とはどういう事か?

「上方に来る水」とは、我々の知る限りでは雨水、水蒸気など以外にない。

しかし地表の「下に来る水」が蒸発して「上方に来る水」となり、冷却して再び「下に来る水」となるという自然の法則を神は当然知っているはずだが、それを表現するのなら  「区分する」のではなく、それなりにもっと適切な表現があるのではないか?

現在の地表の海、湖、川の水と空の雨、水蒸気は循環する同一の水であり、便宜上別の呼び方をするが「区分」した事も、その必要もないのだ。

また「水の間に大空を生じ」という事は、「上方に来る水」とは「大空」の上、即ち大気圏外、または宇宙の外にあるのか?

三文目、「神は大空を造り」の表現は、一日目の「光があるようになった」と比較すると、自然に「大空」が出来たのではなく、神が創った事になる。

つまり一日目の「光」は、神自身が創造したのではないが、「大空」は神が創った。

即ち、原初の太陽系の塊を分離させ、太陽系の惑星とそれぞれの空間を形成させた、か。

それなのに四文目、「そのようになった」と表現されるのはどういう事なのか?

一日目に記述されている様に、「光」が存在し、地球も未だ「大空」(大気圏)も「地」(陸地)も「水」もない混沌の塊ではあったが存在した。

「光」は既にあったのだから「そのようになった」のだが、「大空」「地」「水」は神が創造した結果として、「そのようになった」事を表現しているのか。

その表現は原初地球の変遷から考えて、神が何らかの操作を加えた為に活動が急速に収まって冷却し、「地」「大空」「水」が発生した事を語ってはいないか?


次いで神は言われた。

「天の下の水は一つの場所に集められて乾いた陸地が現れるように」。

するとそのようになった。

そして神は乾いた陸地を《地》と呼ぶことにし、水の集まったところを《海》と呼ばれた。

さらに神はそれを良いとご覧になった。

次いで神は言われた。

「地は草を、種を結ぶ草木を、種が中にある果実をその種類にしたがって産する果実の木を、地の上に生え出させるように」

するとそのようになった。

そして地は草を、その種類にしたがって種を結ぶ草木と果実を産する木、その種類にしたがって種が中にあるものを出すようになった。

それから神はそれを良いとご覧になった。

こうして夕となり、朝となった。

三日目である。


一文目は創世記当初、海が一つしかなかったという事だろう。

憶えていらっしゃる方も多いでしょうが、ウェゲナーの大陸移動説の根源となり、現在では地球物理学上、地質学上でも解明され、また生物学上でも動植物の生息分布の研究により、その存在と時間的変遷が次第に明らかにされて始めて来たパンゲア大陸。

またこの表現からすると、この時点では湖も内海もなかったという事か。

二文目、再び「そのようになった」。

四文目、神はまた、「まあ、こんなもんで良いんとちゃうか」と満足した。

五文目、これは難解である。

太陽は出来ているが、一日目の「光」があるだけで「地の上を照らす」光は四日目に出来る。

つまり地球大気が太陽の光を通していない状態なのだ。

その段階で植物を生じさせたのか?

六文目、また「そのようになった」。

八文目、出来具合を見て「結構上手く行ったやないか、めでたいぜ」とおっしゃった。  


 次いで神は言われた。

「天の大空に光体が生じて昼と夜を区分するように。

それらはしるしとなり、季節のため、また日と年のためのものとなる。

そしてそれらは天の大空にあって光体となり、地の上を照らすことになる」。

するとそのようになった。

そして神は二つの大きな光体を、すなわち大きい方の光体は昼を支配させるため、小さい方の光体は夜を支配させるために造ってゆかれ、また星をも同じようにされた。

こうして神はそれらを天の大空に置いて地の上を照らさせ、昼と夜を支配させ、光と闇を区分された。

それから神はそれを良いとご覧になった。

こうして夕となり、朝となった。

四日目である。


四日目の記述は理解し易い。

しかし前後の記述が不自然である。

二文目、確かに太陽、月、星々は人類が日、月、年の推移を知る為の存在となり、原始の農耕文明を築き上げる促進剤にはなった。

だが二日目に「大空」と「水」があり、三日目に「果実を産する」植物を「地の上に生え出させ」て、四日目に「光体」が生じたのか? 

これは我々の知る地球の成立とは異なるが、敢えてそうしたのか? 

「昼」「夜」についても、一日目に「光」を「昼」とし、「闇」を「夜」としたはずだ。 

何故、もう一度ここで繰り返すのか? 

一日目のは「光」、四日目のは「光体」と単語が違うが、三文目の記述の「大きい方の光体」が太陽であり、「小さい方の光体」が月であるのは間違いないだろう。

「光体」は光を発する物体を表し、「光」は漠然と光っている現象、あるいは物体を表すと解釈すれば、一日目の「光」はやはり太陽ではないのではないか? 

神の利用した光の照射によって太陽と月が未だ地球を照らしていない時に植物を創造した事になる。

地球生命の原初となった植物、「ラン藻類」でさえ、光を得て光合成をし、繁殖した。

「ラン藻類」以前に原初の海で発生して進化した原始バクテリアを、我々は通常植物とはしないし、まして三日目に神が創った植物は種を持ち、果実を実らせ、地上に生える植物であり、「ラン藻類」よりはるかに進化した形態である。

その後太陽と月の光が地球を照らす事になったとは。逆ではないか?


次いで神は言われた。

「水は生きた魂の群れを群がり出させ、飛ぶ生き物が地の上を、天の大空の表を飛ぶように」。

そうして神は大きな海の巨獣と動き回るあらゆる生きた魂、すなわち水がその種類にしたがって群がり出させるもの、また翼のあるあらゆる飛ぶ生き物をその種類にしたがって創造してゆかれた。

そして神はそれを良いとご覧になった。

そこで神はそれらを祝福して言われた。

「子を生んで多くなり、もろもろの海の水に満ちよ。そして、飛ぶ生き物は地に多くなれ」。

こうして夕となり、朝となった。

五日目である。


三日目に神は植物が「生え出させるように」言い、ここでも「生きた魂を」「水がその種類に従って群がり出させ」ているのだが、飛ぶ生き物は神が「その種類に従って創造した」とされている。

この表現の違いは何処から来るのか?

魚類は自然発生したが鳥類は神が手を加えて創ったのだろうか?

この五日目でもまた逆転の記述がある。

これこそ私が、旧約聖書を細かく点検し、本書を書く契機になった疑問である。


多数の学者、研究者の永年にわたる発掘と調査研究により、進化論が不完全な部分を持ちながら、系統立てて証明されて来ているが、それに従うと約三億五千万年前のデヴォン紀に両生類誕生、三億年前の石炭紀に昆虫類と爬虫類誕生、約二億年前の三畳紀に恐竜と哺乳類誕生、そして約一億五千万年前のジュラ紀にやっと鳥類が誕生した事になっている。

両生類は聖書の記述通り「水がその種類に従って群がり出させるもの」であるから良いとして、昆虫は飛ぶ生き物であるが、その羽根を我々は一般的に「翼」とは呼ばない。

「翼のあるあらゆる飛ぶ生き物」とは、どう考えても鳥類であろう。

爬虫類や恐竜、哺乳類を六日目で創造する。

旧約聖書の記述が全くの真実であるとすると、現在の進化論を覆す存在、恐竜が誕生する1億年も前の石炭紀、鳥類が誕生したとされるジュラ紀の、実は1億5000年前に、昆虫類、爬 虫類とほぼ同時期に「翼のある」生物、即ち鳥類の祖先が誕生したという事か。

進化を動物の体型で考えると、ほぼ流線形の魚類がそれに近い爬虫類に進化し、そしてとてもそう思えない哺乳類に進化して、再び流線形の鳥類に進化した分岐は、哺乳類が横道に逸れた様にみえる。

優性遺伝の法則で考えると、優れた機能を排除した進化は原則的に多数派にはならない。

全ての生物にとって、流線型が優性だとは限らないが、一部の生物にとって、例えば海を泳ぐ、空を飛ぶ、つまり魚や鳥にとってはほとんどが優性であるはずだ。

従って、魚類から爬虫類、哺乳類へ進化した形態とは別の分岐で、旧約聖書の記載順で、魚類から直接鳥類へ、あるいは魚類から爬虫類を経て鳥類へ進化した形態があっても不思議ではなかろう。

3億年以前となると、未だ大陸が一つで分裂していない頃の事だ。

繰り返すが、旧約聖書は厳然として存在する『真実』であり、ダーウィンの進化論も実証されつつある『真実』である。

また発掘考古学も、現在も進行中の後付けの事実の積み重ねでしかない。

従って、未だ発見されていない鳥類の祖先の化石が、地球上の何処か、例えばシベリアやアラスカの氷河の下の、3億5000万年から四億年前の地層に眠っていて、発掘されるのを待ち望んでいるかも知れない。

そうと考えるとわくわくして肌が鳥になったりしませんか?


三文目、神は水が群れ出させた魚類と、自分で創造した鳥類に対して「良いとご覧になり」、四日目、「祝福して」「子を生んで満ちよ」「地に多くなれ」と言われた。

では地上に現れ、一時的に繁栄した後絶滅してしまった何千億の植物種、動物種、人類種は、神に祝福されなかったのだろうか?


次いで神は言われた。

「地は生きる魂をその種類にしたがい、家畜と動く生き物と地の野獣をその種類にしたがって出すように」。

するとそのようになった。

そして神は、地の野獣をその種類にしたがい、家畜をその種類にしたがい、地面のあらゆる動く生き物をその種類にしたがって造ってゆかれた。

そして神はそれを良いとご覧になった。

次いで神は言われた。

「わたしたちの像に、わたしたちと似た様に人を造り、彼らに海の魚と天の飛ぶ生き物と家畜と全地と地の上を動くあらゆる動く生き物を服従させよう」。

そうして神は人をご自分の像に創造してゆき、神の像にこれを創造された。

男性と女性にこれを創造された。

さらに、神は彼らを祝福し、神は彼らに言われた。

「子を生んで多くなり、地に満ちて、それを従わせよ。

そして、海の魚と天の飛ぶ生き物と地の上を動くあらゆる生き物を服従させよ」。

次いで神は言われた。

「さあ、わたしは、全地の表にあって種を結ぶすべての草木と、種を結ぶ木の実のあるあらゆる木をあなた方に与えた。

あなた方のためにそれが食物となるように。

そして地のあらゆる野獣と、天のあらゆる飛ぶ生き物と、地の上を動き、その内に魂としての命を持つすべてのものに、あらゆる緑の草木を食物として与えた」。

そしてそのようになった。

そののち神は自分の造った全てのものをご覧になったが、見よ、それは非常に良かった。

こうして夕となり、朝となった。

六日目である。


一文目、「動物」も「地から出た」のか?

植物、そして五日目の魚類は当然の事として理解出来るが、生物が魚類から進化して地上でも呼吸して生きられる様になり、地上の生物が生まれたという事を表現するのであれば、「地から出た」のではなく「海から出た」、あるいは「地に出た」であろう。

 さて四文目、「わたしたちと似た様に人を造り、かれらに」。

「わたしたち」!何と複数形である。神が複数存在した。

さらに五文目、「神は人をご自分の像に創造して」。

そして何と神は我々と同じ形をしていた!

ところで神の天地創造を傍で観察して記述したのは誰だろうか?


六文目、「男性と女性に」。

創造主である神にも性別があった?

七文目、「あらゆる生き物を服従させよ」とある。

しかし「人間に服従」しないどころか、人間をエサにする「動物」や「生物」が地上に無数にいる。

また例えば八文目を厳密に解釈すると、地上に最も多種多数存在し、人類の最大の敵である「その内にも魂としての命を持つ」生き物ではない、細菌、微生物は含まれない。

十文目、今度は「見よ、それは非常に良かった」と、今までよりはその出来具合の良さを誇っている様な記述である。

つまり創造物が全て神の思い通りに造られ、神の意志通りに動き出した事を意味する。

本当にそうなのか?失敗はなかったのか?


こうして天と地およびその全軍は完成した。

そして七日目までに神はその行われた業を完了し、次いで七日目に行われた全ての業を休まれた。

それから神は七日目を祝福してそれを神聖にされた。

その日に、造るために神が創造を行ったそのすべての業を休んでおられるのである。

これは天と地が創造されたとき、エホバ神が地と天を造られた日におけるその歴史である。


一文目、天地イコール自然、そしてそこに存在する生物の全てを総称して、「全軍」と呼ぶのはどういうニュアンスだろうか?

我々が子供の頃、戦争ごっこ(古いですね?)をするのに陣地や武器、兵隊となる仲間が整った時、同じ感覚を持たなかったか?

二文目、「業を休まれた」という表現も、万能の神から来るイメージにそぐわない。

三文目、休んだ日が神聖で祝福されるのか?

四文目、「造るために神が創造を行った」とは何を意味する表現なのか?

何を「造るために」、神は「天と地、およびその全軍」の「創造を行った」のだろうか?

そして「休んでおられる」。

天地創造の神の行為のうち、唯一の現在(進行)形である。

つまり現在は旧約聖書で記述されるところの「七日目」なのか?

五文目、「天と地が創造された」の一節は、「自然に」天地が出来たと解釈する様に「神」と記述し、続く「エホバ神」が「地と天を造られた」と、故意に対比させた記述にしてあるのではないか?

「神」と「エホバ神」が同一であるなら、何故最初から「エホバ神」と記述しなかったのか?


眠くなるような旧約聖書の解説は、取り敢えずここまでです。

ここから先は、眠らないで下さい。


§「大空の上方の水」とは彗星の氷核群

こうして旧約聖書「創世記」を分解してみると、神が自ら創造した様な記述が開始されるのは四日目からであるが、それも光体が生じて昼夜を区分する様になった後、昼を支配される為に太陽を、夜を支配させる為に月を創ったとなる。

それまでの神は「~~なるように言われ」て、そして「そのようになった」のを確認しただけであり、直接手を下した記述にはなっていない。

「~~なるように言われ、そしてそのようになった、それを良いとご覧になった」とある。 

我々も、実生活に於いて、こんな表現方法を使う時が二通りある。

一つは、~~なる事が確実に予想出来て、それをいかにももっともらしく予言し、事実その通りになった時に自慢する場合である。

「もうすぐ~~になるで。見ててみ。どうや。言うた通りになったやろ。ああ、良かった」。

もう一つは、例えば学校の先生が生徒に、あるいは会社の上司が部下に、「~~やっとけ」と指示、命令し、後でちゃんと出来ているのを確認して「出来たやないか、よし、ようやった」と褒める。

そんなニュアンスに聴こえないだろうか?

それにしても神の力の偉大さを知らしめ、「おれが天地を造ったんや、おれは万能なんや、おれを敬って言う事を守って生きて行かな、どないなるか判ってるやろな」と人類に精神的なプレッシャーを掛ける為に書かれたはずの、旧約聖書の巻頭、「天地創造」という最も重要な部分で、何故「(自然に?)そのようになった」と何度も、不用意な記述を繰り返すのだろうか?

また、恐れ多い例えだが、私が彼だとしよう。

地球の表面がやっと鎮まり掛けて来て、もうすぐ陸と海に分かれようとする状態になっているのを我が幼い息子に見せ、「良く見てろよ、もうすぐお父さんが陸と海を分けて見せるから。良いか、陸と海に分かれろ。ほら、出来ただろ」と自慢して見せるのだ。

息子は「お父さんってすごいなあ。何でも出来ちゃうんだ」と私を尊敬の眼差しで見上げる。

これで父親の権威が保たれ、後一週間位は、息子は私の言う事を何でも聴くのである。

一日目の光についても同様である。

「もうすぐ光が当たるようになるぞ。見てろよ。一、二、三、ほら、明るくなっただろ」。 

何故、そうしなかったのか?

故意にそういう記述にしておいたのか?

天地創造など人類が見ていた訳ではない。

神が「全部おれが創ったんや、宇宙も太陽も地球も、水も空気も陸地も植物も動物も、お前ら人間も全部や」とのたまわったとしたら、我々は「へへーっ、さようでございますか、おみそれ致しました」とへり下るしかないはずだし、その方が一層神の偉大さを知らしめるはずだ。

神がものすごく謙虚で誠実で、うそをつくのが嫌いだったからかも知れない。

私が例えば観た事のある映画の結末を子供に予告して自慢する様に、神が地球の成り立ちを何処かで観察したか自分で体験したかして、既に知っていて、天地創造を単純に説明しただけであっても、我々人間どもは「ははっ、人類が宇宙の塵でもなかった何十億年も大昔から、宇宙にいらっしゃったんですか?そうですか、すごいですね」と神を崇めたに違いないのだ。


一日目、混沌とした状態の太陽系の塊が出来、あるいは存在している処に神がやって来て、「光」、即ち、ライトで宇宙の闇を照らして、太陽系の創造に着手した。

或いは神がライトで照らし、太陽系の創成の経緯を、最初から何処かでずっと見守っていた。

二日目、(神の操作によって?)太陽から惑星が分離して太陽系が形成され、地球上にも「大空」(空間)が形成された。

しかし地球自体が未だ混沌としていて、太陽の「光」は地上には届いていない状態であった。


ここで一つ問題提起したい。

原初地球が冷却して固まって行く過程、高温の炭酸ガス、メタンガス、硫化水素などで構成される大気が徐々に発生して冷却し、その溶液(「水」)が発生した。

地球誕生の当初の大気は、現在の大気と異なり、酸素はほとんどなかった。

酸素が現在の含有量になったのは、地球温暖化の問題が騒がれるようになって初めて現実問題として理解され始めているが、植物が光合成を行ったお陰である。

その間にも、周辺に漂う小惑星や隕石などが地球に衝突して爆発を起こし、また地球自体

何度も部分的に爆発し、そのかけらが噴き飛ばされ、宇宙空間に弾き出されて行った。

二日目の「大空の上方に来る水」の正体とは、「大空の下に来る水」、即ち地球に存在する水と「区分された」、明確に異なる「水」の事で、それは度重なる爆発によって宇宙空間に弾き出されて冷やされ、彗星の氷核となった金属とガスの混合水溶液の事ではないか?

旧約聖書の巻頭、神の力を知らしめる重要な「天地創造」に於いて、改まって「区分」し、その存在に特別な意味を持たせる必要のある「上方に来る水」とは、まさか雨水や水蒸気の事ではあるまい。

雨水や水蒸気は大空に含まれる水であって、「大空の上方に来る水」ではない。

人類文明において、海水や湖沼や川の水と、雨水や水蒸気とを区分する必要など、かつて一度もあった試しはないのだ。

雨水や水蒸気と、海や湖沼、河川の水を明確に「区分」して表現するのに、「水の間に大空が生じ」、「水と水の間に区分ができる」とは随分大げさな記述ではないか。

我々が一般的に、地球を中心として考えた場合、「大空」とは大気圏であり、その「大空の上方」というと、もう宇宙空間でしかない。

敢えて「区分」しなければならなかった「大空の上方に来る水」とは、神が天地創造の際にその存在価値を与え、勿論我々に知らしめたかった程重要な存在だったはずだ。

実際に「天地創造」の記述に於ける「大空」とは、太陽や月を含む太陽系の空間である。

それなら「大空の上方」を太陽系の外側と解釈する方が、合理的ではないか。

太陽系における地球のポジションと天地創造の表現から考えた場合、意図を含まされて「大空の上方に」存在する水とは、彗星の氷核になるガス水溶液しかないのだ。


彗星の巣は太陽系の惑星圏のさらに外側にある。

太陽系は、惑星である水星、金星、地球、火星、木星、土星、海王星と、最近、他の惑星と比べて小さ過ぎるからという事で、不幸にも準惑星として格下げされた冥王星、さらに冥王星よりも巨大なエリスという星が発見され、そしてこれも比較的新しく発見されたマケマケ、ハウメア、及び火星と木星の中間に存在する星屑の群れ、惑星の周りを回転している衛星等、そしてさらにその惑星群の外側に「カイパーベルト」と「オールトの雲」と名付けられた氷塊群等で構成されている。

「カイパーベルト」という氷塊群は、太陽から、30~100天文単位(太陽から地球までの距離、即ち約1億5000万キロメートルが一天文単位)離れた、海王星の軌道を超えた辺りに存在し、短期彗星、つまり比較的周期の短い彗星はこのカイパーベルトの氷塊が飛んで来ると考えられている。

さらにその外側、3万天文単位から1光年もの距離に、10兆個以上の氷塊群が存在し、「オールトの雲」と呼ばれ、この一帯が周期の長い長期彗星の源と考えられている。

そんな処まで太陽の引力が及んでいるのもすごいし、何十億光年先の銀河の事を考える前に、太陽系のスケールの大きさを考えるだけでも、気が遠くなりそうだが、何故そんな位置に彗星の集団があるのか、今でも謎とされている。

また、その彗星が時折何かの拍子に群れを離れ、太陽の引力に導かれてすっ飛んで来て、地球に接近して美しい姿を見せたり、人類に衝突の恐怖を与えたりするのだが、どういう原因で「カイパーベルト」や「オールトの雲」の群れを離れて太陽の引力に把えられるのか、また、それだけ強烈な太陽の引力に引かれて、太陽の傍まで周回するのに、何故完全に太陽に吸収されてしまわないのか、それも不思議と言えば不思議である。

もしかしたら、太陽の引力に拘束されてそこに存在しているのではなく、それらが勝手にそこに密集しているのかも知れない。

そうだとしたら、やはり神が創った事になるはずだ。


実際、発掘研究により、古生代オルドビス紀末期からシルル紀初期、古生代デヴォン紀末期から石炭紀初期、古生代ペルム紀末期から中生代三畳紀初期、中生代三畳紀末期から中生代ジュラ紀初期、中生代白亜紀末期から新生代第三紀の五度、地球上の生物の大量絶滅が起こった事が判っており、その原因の最も有力な説が、天体衝突説なのだ。

その衝突した場所の一つであるとされているのが、西大西洋のフロリダ、プエルトリコ、バミューダを結ぶ三角地域であり、「謎のバミューダトライアングル」と呼ばれる。

この海域では無数の船舶や航空機が原因も解らないまま行方不明になったり、乗員だけが跡形もなく行方不明になったりする事件が起こっているが、それらの不可解な事件や現象は、かつてこの天体衝突で発生した強烈な磁気異常が残存しているせいだとする科学者も多い。

後述するが、中央アジアから西アジア、南東ヨーロッパ、北西アフリカにかけての地域、また南アメリカ北部中央に、砂漠の砂のガラス化現象がみられるが、これも隕石の衝突による爆発で、瞬間的な高熱が発生して起こったのではないかと言われている。

これらの地域の近隣で、いわゆる四大文明、即ち中国、インド、メソポタミア、エジプトの、人類の原初文明が発生し、そしてバミューダトライアングルの近くのユカタン半島では謎のマヤ文明が発生しているのは、あながち無関係ではないと私は考えています。

この隕石飛来に関してはハリウッド映画「アルマケドン」「ディープ インパクト」などで題材にされ、何度観ても恐怖が蘇るし、衝突によって地球がどれだけ壊滅的な被害を受けるかが表現された。

因みに原初地球の海は塩酸、炭酸、亜硫酸の水溶液であり、地殻は金属を多分に含んでおり、彗星の核を構成しているのもほぼ同様の構成で、炭酸、メタン、鉄、ニッケル、アルミニウムなどの化合物の水溶液の凍ったものである。

地球誕生以来、彗星の接近、衝突に伴う異常気象や地殻変動、或いは世界中に散らばる洪水伝説として、彗星が地球の物理的構造や生物学的連鎖の変遷にどれ程重要な役割を果たしたか。

つまり、神が自ら創造した地球上の生物や人類を滅ぼす、でなければ数量を調節する、または脅威を与える武器として、彗星を用意しておいたのだ。

このテーマに関しては後述する。


§原初地球上に大陸は一つしかなかった

三日目、水を一つの海に集めて、つまり陸地も一つにまとめた。 神はその原初においては一つの海と一つの陸地しか創らなかった。

南極大陸も含めてだ。

これは先述した様にウェゲナーの大陸移動説を誘因したパンゲア大陸の事だろう。

「海」の記述はあっても「湖」の記述がないのは創世記の段階では、「湖」「内海」は存在していなかったという事か。

「湖」は火山の噴火活動や隆起陥没などの造山運動、地殻変動、彗星や小惑星、隕石などの衝突によって出来た孔に雨水が澱って出来たものだと言われるが、それは天地創造の段階では未だ地殻も固まってはおらず、窪みや谷である陥没部分も、山や山脈などの隆起部分もなかった事の証明でもある。

また川の流れる谷間、渓谷は氷河の移動や水の流れの侵食で出来たという説が一般的であるから、やはり天地創造の段階で地球の表面はほぼフラットだった、というのが正解か。

そして海が一つで真っ平らな陸地が一つに近い状態が、大陸が分裂し始める約二億年前までずっと続いたのだ。

実際、約1億5000万年前のジュラ紀辺りから分裂が始まった事が発掘や地殻変動、大陸移動に関する調査研究で判っている。

それまでずっと一体だった陸地が、何故1億5000万年前から分裂し始めたのかも、不思議だと言えば不思議だ。


地球のメカニズムがいかに驚異的なスケールであるかを如実に現している話だが、標高数千メートルのヒマラヤ山脈を形成している沢山の山の中腹から、三葉虫やアンモナイトの化石が多数発見されている(つまり、かつては海の底だった)し、かのエベレスト山(標8848メートル)のほぼ頂上付近でも、「オレンジ ベルト」(オレンジ色をしています)と名付けられた断層から、同様の化石が発見されている。


私が住んでいる滋賀県と言えば琵琶湖が代名詞だが、琵琶湖は実は、300万年前は、現在の和歌山県の北西部辺りにあって、淀川に沿って移動して北上して現在の位置にあり、現在も一年に数センチづつ移動しているそうだ。

すると後300万年位経ったら、日本海に突き抜けてなくなってしまうかも知れない。

そうなると滋賀県はトレードマークがなくなってしまうかも?

ハワイも、今は高い飛行機代を払って、一〇数時間掛けて行くが、このまま地殻変動が続けば100万年後には伊豆半島辺りにくっ付くのだそうだ。

ハワイに車や電車で行けるようになりますので、楽チンですね。

そうなると、パスポートは要らなくなるし、ハワイが日本の領土になる?やった!

でも我々には関係ない話ですね。

因みに、月も年に数センチずつ地球から遠ざかっているそうだ。

何時か地球の引力が届かなくなって、どこかに噴き飛んでしまうかも知れない。

そうなったら、地球の運動のバランスが崩れて、地球自体もどうにかなってしまいますね?


現在の人類以前の人類のような存在が、太古の地球上に華々しい文明を築いた。

それがアトランティス大陸文明であり、ムー大陸文明だった。

彼らの文明は何故か神の怒りを受け、一夜にして大陸ごと没してしまった、という説があり、それを研究した人達の書物も数え切れない程出版されている。

それは確かにロマンチックであり、私も若かりし頃は信じていた。

しかしこの天地創造の三日目の記述を信じれば信じる程、そして地球の地殻変動のほとんどを説明出来るというプレートテクニクス理論を以って、その存在は怪しくなる。


プレートテクニクス理論というのを簡単に説明しよう。

地球は判り易く説明すると、卵のようなもので、最も内側に内核、外核があり、その外側にどろどろのマントルというのがあって、そして表面を地殻が覆っている。

地殻は陸地で60キロメートル、海底で5キロメートル程の厚みだそうで、地殻が、地球上全体で十数枚のプレートに別れていて、そのプレートが年に数ミリメートル程(だからその上に住んでいる我々は気付かない)づつ移動し、離れ合ったり、くっつき合ったりしているのだ。

これが進むと、プレートが歪んで来て、湾曲の限界を超えると弾けて地震となる。

因みに日本は、ユーラシアプレート、太平洋プレート、フィリピンプレート、北アメリカプレートの、四枚のプレートに囲まれており、その四枚がそれぞれ、別の動きをしていて、押し合ったり引っ張り合ったりしているので、だから地震が多いのだそうだ。

ウェゲナーの大陸移動説とこのプレートテクニクス理論によって、現在の大陸の推移が数億年前から説明出来るから、小さい陸地や半島のかけらはともかく、とんでもない文明が発展するような大陸は、存在する余地はなかったのだ。

最初にアトランティス文明の存在を唱え、半生をその探索に費やした、かのプラトンはその著述で、アトランティス大陸はアジア大陸よりも大きかったとしているが、アジア大陸、イコールパンゲア大陸以外の大陸がすっぽり収まるような海はかつて一度も存在した事がないのだ。

但しアトランティス文明、ムー文明が花開いた場所を敢えて、かつて地球上に存在して今は没してしまった大陸と限定しなければ、つまり地球上の大陸に固執しなければ問題はないのだ。

「その物語を創った人達」、あるいは「そんな天災地変を経験した人達」が住んでいた天体、という設定であれば、充分可能で、否定出来るものではないだろう。

近年世界中の海底で遺跡が発掘され、そのたびにアトランティスだ、ムーだと大騒ぎになる。

それは確かに四大文明以外の文明かも知れない。

地球上の原初文明が四大文明だけだったとする方が、私は不自然だと思う。

例えばシベリアやアラスカの永久凍土の下に同時期に花開いた文明の遺跡が眠っているかも知れないのだ。

しかし、それらの海中遺跡の写真などを良く見るとどうも、遺跡の形がほとんど損なわれずにそのまま残っている様だ。

それを考えると、途方もない大洪水や、激しい地震、火山の噴火などによって一晩で海中に没した、という天変地異の大変動とはマッチしない様に思えてしまう。

むしろ通常の地盤沈下で何百年か何千年かを経て都市が海底に沈み、その為に民族が都市を見捨てて逃げた。

または民族が何か他の原因で滅亡したか逃げたかした後、海底にゆっくりと沈んだというイメージの方が強いのだ。


現在も温暖化によって、局地の氷塊や高地の万年氷河が融解して海水面が上昇し、数十年後には、南太平洋地域の島々が海没するという衝撃的な計算が発表された。

インドネシアなどは、領土の三分の二が消失してしまうそうだ。

私は極度の冷え性なので、老後は南の島に小さな土地を買ってログハウスを建て、毎日お魚さんと遊んで暮らそうという夢を抱いていたのだが、不可能になりそうだ。

どうしてくれるんだ!


今年は例年以上に雪が多い。

私の住んでいる滋賀県でも、例年は一冬に二、三度しか雪が降らないのに、今年は一二月から二月半ばまでで、もう一〇回以上降っている。

先日新聞紙上で発表されたが、スカンジナビア半島の北東側、北極海の南に、バレンツ海という海があって、温暖化のせいで高気圧が発生し易くなったそうだが、そこに高気圧が発生すると、その北緯70度~80度辺りの大気がジェット気流に乗って日本にやって来て大雪をもたらせる事が解ったそうだ。

これから日本は、毎年豪雪被害が起こるようになるかも知れない。

皆で頑張って地球温暖化を阻止しましょう。


§太陽よりも植物を先に創ったという謎

さて三日目の後半部分も不可思議である。

不自然ではないか。

記述の植物はラン藻類よりはるかに進化した形態の、種を持ち、果実を実らせる植物である。

一日目から神の使う光は存在していた。

四日目に出来る「大きい方の光体」が太陽で、「小さい方の光体」が月であるだろうから、三日目には未だ太陽の光はないはずである。

四日目に地球を照らす太陽を創造する以前に植物を創造したという神は、何を考えたのか?

我々が知る限りの、地球と生物の成り立ちは理論的研究と、発掘調査による実践的証明に基いて、太陽と地球がほぼ同時に出来、陸地と海が出来、海の中で原始生命が誕生し、光合成を行う様になり、進化と淘汰を繰り返し、植物、動物、人間と進化して誕生したのが分かっているが、天地創造の記述がその順になっていたとして、我々は納得こそしても神の栄光と尊厳を曇らせるものではないはずだ。

しかし聖書に間違いの記述があるはずがない。

では何故植物が先だったのか?


これを解くかぎは二文目の「それはしるしとなり、季節のため、また日と年のためのものとなる」という文章ではないだろうか。

海が一つになった、つまりパンゲア大陸が完成したのは約二〇億年前とされているが、その頃でさえ地球は未だあちこちで、小惑星や彗星の襲撃を受け、衝突による爆発を繰り返す不安定な状態であり、地殻内部の温度も高くて未だ固まってなく、噴火活動が頻繁に起こり、ぐらぐら、ふらふらしていた。

その為に地球の自転、公転の周期も不規則で、回転も安定していなかったのではないか。

しかし、約46億年前に太陽系、地球が誕生して、わずか3億年後の43億年前に、ラン藻類の原初となる生物が誕生している!

衝突する無数の小惑星、激動する大気、沸騰する海水、日々頻発する地震、夥しい溶岩を噴き出す地表。

どんなに劣悪な環境で生物が誕生したのか、想像するだけでその生命力というか、生と言うか、種の繁栄に対する貪欲さに感心する。

いや、そんな劣悪な環境だったからこそ、生命が誕生したのかも知れない。

それらは最近注目されているグリーンランドで数多く発見されているようだ。


世界の最北端の国、グリーンランド。

昔、オランダがグリーンランドを自国の領土とし、国民を移住させ、開拓しようとした際、余りに酷い環境を隠す為にグリーンランドというロマンチックな名前にしたそうだ。

グリーンランドは古代地球史を考察する為の化石の宝庫だそうだ。

当時の生命の化石だけではない。

数多くの生命の化石は、四〇億年以前の堆積岩の地層から発見されている。

堆積岩が出来た、という事は海の底であった事を意味する。

そして、現在明確になって来た進化論の発端になる原始植物であるラン藻類が生まれた。

これはストロマトライトという岩石で、ギリシャ語で「石のベッド」という意味だそうだが、今でもオーストラリア西海岸の一部で多く見られるという。

このストロマトライトと言う岩石は緑色をしていて、つまりラン藻類が付着した岩であって、世界中でその化石が発見されているので、世界中の海に生息していたとされる。

そしてストロマトライトこそが、生物史上初めて光合成と言う驚異の生存機能を身に付けた生物である。

つまりそれが35億年前に誕生し、海中に於いて光合成を活発に開始しながら繁殖し始め、大気中に酸素を増やし、二酸化炭素を減らし始めた。

それに伴って大気温も地球自体の地殻内部の温度も永い年月を掛けてゆっくりと低下し、地殻変動と激しい噴火活動も収まって来た。

空気中の二酸化炭素や、その他のガスも減り、大気もきれいになって来て、太陽や月が地球上からはっきりと観察出来るようになった。

そして植物が地上を覆い尽くし始めた二〇億年前に、やっと地球の内部の方まで冷却して固まり、地球の自転公転が安定し始めたのではないか。

また、地球に磁場が発生した、すなわち北極と南極が出来、地球自体が巨大な磁石となったのが20億年前だと考えられているが、互いに因果関係があるはずだ。

つまり、地球の自転公転が安定したお陰で、地球上から太陽と月が観測出来るようになり、また一日の時間、一年の日数が規則的になり、確実に計算出来る様になったのだ。

そうした事実を「季節のため、また日と年のためのものとなるように、太陽と月を生じさせた」と表現したのではないか。

「支配させるために」とは、地球が物理的に、次第に安定して来たから、昼と夜が一定の周期をもって巡る様になったのであり、それを「支配」という言葉で表現したのだ。

不安定な状態のままであるなら「支配」など出来るはずがない。

これが太陽や月が出来る前の三日目に植物を生じさせたという、逆の記述の真相だろう。

だから「星をもおなじように」なのだ。

他の恒星、銀河系は恐らく、神が天地創造で太陽系と同時に創ったのではなく、はるか以前から「大空」で輝いていたはずだからだ。


  §天地創造に記述されなかった「細菌」

五日目に魚類と鳥類、六日目に野獣と家畜と「地を動く生き物」、恐らく昆虫を創った。

そして、人間、男性と女性を創った。

ここでもう一点問題提起したい。

「生きた魂」という表現である。

「生きた魂」とは、「心」、即ち「頭脳」を持った生物を意味しないか?

微生物には心も頭脳も存在しない。

微生物は遺伝子に内包された生命維持と種の存続の為の生命活動を行っているだけである。


全ての生物の進化の源泉であり、それなくしてあらゆる生物も存在し得なかった程重要な存在であり、現在の地球上の生物体系において種類、個体数に於いて圧倒的に最多である微生物。

これ程優れた文明を築き上げた人類も、その永い歴史の中で、その時々に於いて細菌や微生物の生命力、繁殖力に対して全く無力である事を思い知らされ、現代でさえも幾つかの新種の細菌に対して対処方法を持たず、世界各地で膨大な被害を被っている。

地球上最多種最多数の生物で、全ての生物の源であり、全ての動植物をして、その生命を維持させて繁殖を促したり、逆に絶滅させたりする程圧倒的な存在を誇り、強力な生命力と繁殖力を備えた微生物が、創世記において言及されてないと感じるのは神経質過ぎるだろうか?

微生物に関して神は天地創造に於いて、自分が創ったとは記述していないのだ。


繰り返すが、神が「おれが地球上の生物をぜーんぶ造ったんや、どや、すげーやろ」と言ったとして、誰が否定するだろう?

太陽を創り、月を創り、地球を創り、種のある草木も果実を実らせる木も、魚も鳥も、家畜も獣も昆虫も、男性も女性さえも創った神が、「あらゆる生き物」とは記述せずに、「あらゆる生きる魂」と記述しているのだ。

そして男性と女性を創り、「海の魚と天の飛ぶ生き物」と「地の上を動くあらゆる生き物」を人間に服従させる事にした、この一連の記述に微生物が含まれると解釈出来るだろうか?

「地の上を動く生物」から「微生物」というイメージは浮かばないのではないか。


それにしても、この直後の創世記第二章第四節、「これは、天と地が創造されたとき、エホバ神が地と天を造られた日における歴史である」という文章の不可解さはどうだ。

「天と地が創造された」(受動形)という記述と「地と天を造られた」(敬語)という記述の違いを厳密に解釈し、さらには「天と地」、「地と天」と言い換えた表現を細かく考え直すとやはり、天地創造者である「神」と、途中から介入して来たのであろう「エホバ神」が異なっている事を意識的に表現しているのだろうか?

「エホバ神」が、地上のあらゆる生物を創ったのではあるが、光、水、大空、陸地、海、太陽、月は自然に出来た、あるいは「エホバ神」が介在する以前に既に出来ていた、か。  

もう一つの解釈で言えば、「エホバ神」とは別の神が創ったか。

それを「エホバ神」または「神」の力の偉大さを知らしめる為に、また「神」「エホバ神」が創ったと表現すれば、人類が理解し易いと判断して、記述者が擬人化表現を用いたのではないかという説を唱える専門家も多いが、恐らくその通りだろう。

つまり、「天と地」は自然に出来た、あるいはエホバ神とは違う神が既に創っていて、生物に関しては、エホバ神がそこに介在して変化を加えた、真にその事を知らしめる為に、「地と天」と意識的に表現を変えて、「おれがやったんやでぇ」と表したのではないか?

旧約聖書第三章第二十四節以降、アダムとイヴがエデンの園を追放されて後の記述に於いて「エホバ神」は出て来ず、「エホバ」、「神」、「まことの神」の三通りの記述だけになっている。

「神」「まことの神」というのもおかしな表現だが、それがその証明ではないか。

「神」と「まことの神」との違いは解らないが、敢えて違う表現をしているのなら、違う存在なのではないだろうか。

どちらかが天地創造の「神」で、どちらかが「エホバ神」であり、「エホバ神」とは宗教上で表現される全知全能の、時空を超越して普遍に介在する万能の神ではなく、具体的な形を持った、例えば私、たとえばあなたのような存在であったことを現してはいないだろうか。


聖書に関してはこれからも何度か引用するが、旧約聖書の天地創造に関する私の拙い推察はここまでである。

地球上に幾つか存在する、他の民族の宗教の天地創造を、実際に詳しく読んだ事がないので解らないが、いろいろな文献を読むと比較的よく似たストーリーであるようだ。

そうでなくても、少なくとも《THE BOOK》と称せられる程世界中の人達に信仰され、親しまれている旧約聖書に関しての、私自身の違和感には、二つのキー ワードがある。

それは「彗星」「微生物」である。


§神=宇宙人、この等式の整合感

さて私は宇宙人の存在を肯定し、信じる者の一人である。

137億年前に出来た、無限に拡がる果てしない宇宙空間には、約3000億個の銀河があり、それぞれの銀河に数千億個の星があるそうだ。

その宇宙空間に於いて、誕生して未だ50億年に満たない宇宙の片隅にある天の川銀河系の中の、また片隅にある太陽系の第三惑星である地球だけに生命が発生し、進化し、知的生物が誕生し、文明を築き上げたと考える方が、確率論的に考えてもおかしくはないか。

そしてその人類文明の源となった、ありとあらゆる世界中の宗教、神話、土着信仰に近い伝説に於いて、宇宙の始まりから生物の起源と進化、人類の発生、それぞれの民族の文明の発生と発展に「神」が関与している、と綴られている。

旧約聖書「創世記」の記述に代表される宗教書、神話、伝説などの冒頭に描かれている「天地創造」と、宇宙人の存在を同時に信じる私にとって、「神」は真に宇宙人である。

少なくとも我々の知り得る限りの生身の存在の仕業ではない事は明白である。


天地創造の記述は我々が子供の頃にした砂遊びの様ではないか。

砂で山を造って「これが太陽でこれが地球で」、溝を掘って「ここが大空で」、「ここが海でここが陸地で」という具合に造って行くのと似ている。

しかしこれは当然、その全体が見えてなければならない。

つまり天地創造における神のシチュエーションは、太陽系の全体が肉眼で見降ろせるか、ディスプレイなどに投影して観察出来るか、でなければならない。

あるいは神が自ら創造したのではなく、自然発生的に太陽系や地球が出来、生物が人類まで進化したのを、それを「次はこうなるんや、その次はこうなるんやで」と単に解説しただけであったとしても、神が宇宙から太陽系の成り立ち、生物の進化の流れを知っていなければ、「天地創造」は記述出来ないはずなのだ(当たり前ですよね)。

前述した様に、宇宙、生物、人類が自然に出来たのを説明するのに、聖書の性格上、あたかも神が創った様に表現する方が宗教的な意味合いが深まり、あるいは理解し易いので、擬人化して、後世の人が記述したという説もある。

何故、「神」と表現するのではなく、「おれら宇宙人や。○○星雲の△△系の××って言う惑星から来たんや。太陽系も地球上の生物もみんなおれらが創ったんや。お前らよりもっとすっげえ文明を持ってるんやでぇ」と言わないのか、不思議だが。

しかし後世の人が記述したと言っても、地球を中心に宇宙が動いているだの、地球が平面で海の果てに大きな滝があるだの、大きな象が地球を支えているだのと真剣に議論された時代からさらに、はるか遡った時代に、その原型が書かれた旧約聖書である。

その記述した人自身が、宇宙の成り立ちや生物の進化の順を何故知っていたのか、という疑問には答えられないのだ。


そもそも創世記の記述者は誰なのか?

一般的なコンセンサスでは、作者がモーゼであるとされるが、古文書や伝説を基にモーゼが編纂したという説もある。

モーゼという人は、かつて大ヒットしたチャールトン ヘストン主演の「十戒」を観た人ならご存知だろうが、紀元前三世紀頃に実在した人で、エジプトに幽閉されていたイスラエルの民衆を率いてエルサレムを目指して脱出し(「脱エジプト記」)、地中海の海水を「エイヤッ」と気合を入れただけで分断し、皆で歩いて渡り、四〇年も放浪した後、約束の地カナンに到着、シナイ山に登って、イスラエル人の民衆の前で、イスラエル人に「十戒」を守らせる約束を神と交わし、安住の地を確保したというすごい人です。

モーゼが創作したにしろ、編纂したにしろ、天文学、地質学、生物学などに関する現代人に近い、いや、現代人以上の科学知識無しに書けない事は間違いないのだ。

いや、すごい人なので、そんな知識はあったのだろう。

なにしろ、気合を入れただけで地中海の海水を分断して、皆を連れて歩いて渡ったのだから。

 だが私は、モーゼが旧約聖書を創作したと言う説は、恐らく間違いだろうと考える。

何故なら、モーゼは既に人間だったからだ。

恐らく、神に「おれが~~したんや、ちゃんと書いときや」と教えられた事を忠実に書いた。

またはモーゼが古文書や伝説を編纂したのなら、原本を書いた(こいつが問題だ)のは誰だ?

すると、旧約聖書「創世記」の天地創造六日目の記述に於ける、「神」の「私たち」という複数表現が意味を持って浮上する。

つまり、モーゼは「私たち」ではないのだから。


創世記の天地創造に於ける記述は全て「神」、単数であるが、しかし、「神」からの発言になると「私たち」、即ち複数表現になる。

こうした表現をする場合が我々の日常でもある。

例えば私が男と女の絵を描くとしよう。

絵を描くのは私一人である。

そして私の妻を傍に置いて私が(下手くそだが)男と女の絵を描き、その行動を全て観察させ、記述させたとする。

その場合、記述者である妻にしてみれば、私は一人、即ち単数だから、「夫が絵を描かれた。夫はそれを良いとご覧になった」となり(勿論私の妻は夫の私に対してこんな大仰な敬語は遣わないが)、男と女の絵を描く私にしてみれば、妻が傍にいるのであるから「私たちの像に似せて絵を描いた」という言葉になるはずなのだ。

神が唯一無二で、単数の絶対神であるか複数であるかなどの模索はまた後述するとして、少なくとも天地創造に於いては、明らかに神の所業を傍で観察してそれを記述した存在があった。

それは当然、神の仲間であったはずだ。

そして、だから「私たちの像に似せて」、「神の像にこれを創造された。男性と女性にこれを創造された」のだ。

そしてその記述から、その記述者は当然のように女性ではなかったのか。


ところで「これを」という表現は何だろうか?

私には、無から「これ(人)を」創造したのではなく、予め存在した「これを」、手を加えて「創造」、即ち「これ」とは全く別の物である「人」を創造したという具合に読み取れるのだが、考え過ぎだろうか。

実際、何もない処で、何もない状態で、「人」を創造する事は出来ないだろう。

いずれにしても、こうして考えると、やはり神、及びこの創世記を書いた存在は、随分「我々とは違う」存在ではないか。

神とは我々人類とは「異質の人類」であり、それも現代の地球上の文明をはるかに超越した文明と科学力を持った存在に他ならない。

しかし全く異質ではないはずである。

それは「私たちの像に似せて」「男性と女性を造った」との記述から判断出来るし、地球上の様々な場所から発見される、膨大な量の宇宙人の姿の描写やオーパーツ(別項)などから推察出来るのは、多少の差異は感じられるが、このまま我々人類が滅亡せずに順調に発展したとして、数世紀後のテクノロジーを取得した場合、決して不可能な存在ではないはずなのである。

有人宇宙飛行も成し遂げ、各国間で協力して宇宙ステーションを稼働させ、民間も宇宙旅行事業に着手し始めた。

クローンが創れるようになり、一片の細胞から複雑な臓器が再生出来るようになり、既存のゲノム(全遺伝情報)を操作して全く新たな細胞を産み出すのも可能になって来た。

私達人類の子孫が、他の天体の旧約聖書、創世記の主人公になるのも、そんなに遠い未来ではないようにも思え始めた。


ではこの宇宙人はどんな生物で、何処の天体に生まれ、どんな文明を築いてきたのか、何故広大な宇宙の隅っこにある銀河系の、また隅っこの太陽系の第三惑星に眼を付け、どんな方法でやって来たのかという、決定的な事実は突き止められない。

しかし旧約聖書の創世記から読み取れるのは、神が太陽を創り、地球を創り、陸と海を分け、植物、動物、人類を創ったと「記述した」、という事実である。

あるいは創造しなかったとしても、そうした天体の生成の在り方、生物の進化の過程を、我々人類の知り得ない時代でも既に知っていた存在だった、という事実である。

我々は知らない物を創る事は出来ない。

多少の予想に基づく変形は可能だろうが、全く想像も出来ない物を創造出来ないのである。

突然変異で、「新たなる物」が生まれる事はあっても、だ。

そしてそれを描写表現する事も。

つまり神は少なくとも数十億年以前、この天の川銀河の様な銀河系、太陽系の様な星系、地球の様な惑星の成り立ち、地球上で生命活動をする植物や動物、人類等に類似した生物、そしてその進化の過程を知っていたのだ。

地球に似た環境の他の惑星に存在していたか、または太陽系と同様の星系の誕生から人類の発生までの過程を何処かで見たか、体験したかして記憶していたからこそ、創世記に於いて天地創造の七日間を表現出来たのだ。


§「禁断の実」でインプットされた自滅

すみません。旧約聖書に戻ります。

創世記のアダムとイヴが禁断の木の実を食べる、聖書を見た事のない人でも知る有名な場面。

第二章第九節「エホバ神は、見て好ましく、食物として良いあらゆる木を地面から生えさせ、園の真ん中に命の木を、そして善悪の知識の木を生えさせた」、そして「あなたはそれから食べてはならない。いや、それに触れてもならない。あなた方が死ぬ事のないためだ」と禁じたはずの木の実を、蛇に誘惑させて食べさせ、食べた二人を今度は、第三章第二二節「さあ、人は善悪を知る点でわたしたちのひとりのようになった。今、彼が手を出してまさに命の木からも実を取って食べ、定めのない時まで生きる事のないように」と二人に告げる。

この神の行動と発言は不自然ではないか。

そんなに難しい文章ではないし、良く知られている場面なので、読んでニュアンスを理解して欲しい。

エデンの園に様々な食物の木を生えさせ、特に真ん中の目立つ所に「触っても食べても死ぬで」と言いながら、これみよがしに、恐らくは一目見ただけで採って食べたくなる程美味しそうな実のなる「命の木」と「善悪の知識の木」を植えて置き、ご丁寧に蛇に誘惑させて二人が食べる様に仕向けた。

そして「わたしたちのひとりのようになった」、つまり同類、同種になったと伝え、では共に生きるかというと、「定めのない時まで生きる事のないように」と告げて、アダムとイヴをエデンの園から追放している。

この不可思議な言動に、神の意図がないはずがない。

「命の木の実」と「善悪の知識の木」の実を食べさせ、二人は、神と同じ存在になった。

これは遺伝子操作と脳手術を暗示してはいないか。

禁じておきながら食べる様に仕向け、禁を破って食べた二人に「善悪を知る点でわたしたちのひとりのようになった」、即ち知能は私達と同じになったが、「定めのない時まで生きる事のないように」、つまりお前達は(私達と違って)無限には生きられ(させ)ないと告げたのだ。

神の命は無限であるという事であろうか?

太陽系の形成以前から生きているのなら確かに無限であろう。

神は真に「定めのない時まで生きている」存在だったのだ。

アダムとイヴの二人が自らの意志で木の実を食べた。

つまり、それをアダムとイヴが望んだ様に記述しているのは、神が遺伝子操作、脳手術をして二人を自分達と同類に改造させた事への、後ろめたさを暗示してはいないか?

前述した様に、この神の改造なくしては、現代の我々はなかったであろうし、これはこれで我々人類にとっては正解なのだろう。

しかし神は人体改造、遺伝子操作、脳手術、近親相姦が、人類に及ぼす弊害、または、その危険性を含んでいる事を知っていて躊躇した、あるいはうしろめたさを感じたのではないか。


ところで旧約聖書で、他の宗教の原典、神話、伝説にも多少出て来るが、「神」、または「神々」と、「神の子」、そして「人」、「人の子」という表現がある。

先述したように、「まことの神の子」と、「神の子」「人の子」を対比させると解り易いが、神、または神々が宇宙人の男女であるとしたら、「まことの神の子」は宇宙人同士の間に生まれた子供であり、「神の子」とは宇宙人の子供か、宇宙人の男性が人類の女性とセックスして産ませた子供、または宇宙人の女性が人類の男性とセックスして妊娠し、出産した子供の事だろう。

「人の子」はそのまま、人類の男女間に生まれた子供だ。

即ち宇宙人の直系子孫、宇宙人と人類のハーフの子孫、人類の直系子孫と三種類がいた。 

現に旧約聖書の天地創造に続く部分にその様な記述が無数にあり、そのせいかどうか神の子達が特殊な能力を、恐らくは遺伝によってか、あるいは肉体か頭脳の改良によってか、授けられて備えていた事を証明する記述も沢山出て来る。

しかし、そうして人口が増え、世界中の各地に拡散し、文明を築き上げて行く過程で、神の意志にそぐわない方向に向かう人類を摘み取って滅ぼして行った。


さて、人間の女性の胎内で受精卵が成長して行く過程があるが、あれこそ真に生物の進化の過程そのものではないか。

36億年の生命の進化の過程が、女性の小さな子宮内に於けるわずか十ヶ月間に、見事なまでに凝縮されている。

それこそ進化論、即ち、我々人類が原核細胞から始まり、(植物への進化の過程はないが)様々な過程を経て人間に進化した証しである。

女性の胎内での胎児の成長を見る限り、人類はほぼ進化論通りに進化したのだ。

私が進化論を信じるのは、この女性の胎内での胎児の成長が存在するからだ。

しかし途中、ある過程において、神が意志を持って介入して来るのである。


創世記第四章一節、アダムと交わって妊娠したイヴが男の子を産んだ後言った。

「わたしはエホバの助けでひとりの男子を生み出した」。

この男の子がアダムとイヴの長男のカインである。

アダムとイヴは神が創造したのだから、カインは歴史上初めて人間がセックスし、女性が妊娠出産した人類史上の第一子となる。

私はこのイヴの、「エホバの助けで」というフレーズが気に入らない。

感謝の意で「神のお陰で」という表現は、我々の世界でも良く聞く言葉であり、矛盾はない。

しかしアダムと共にエデンの楽園から殺伐とした荒野に追放されたイヴが、さらに第三章第一六節で、「あなたは産みの苦しみをもって子を産む」と女性の妊娠と出産の際の苦痛を強要されたイヴが、「エホバの助けで」と感謝したりするだろうか?

神の啓示によってイヴの「愛すべき支配者」とされ、「慕い求めるべき相手」とされ、恐らく出産の際に傍でうろたえながらも苦しむイヴを励まし、懸命に世話したはずのアダムをさしおいて、ある。

事実は、イヴが出産を助けられたと誤解する様な形での母体、または新生児に対する神の手術、つまり突然変異を起こさせる遺伝子操作か、改造手術が行われたのではないか?

まさか神が産婆さんをした訳ではあるまい。

宇宙人、神が存在しなかった、介入しなかったとしたら現在の我々は存在しただろうか?

答えは無論ノーである。

しかし何故神は、人類が火も道具も言葉も知らない時代に介入して、後ろめたさを感じながらも敢えて遺伝子操作と脳手術、近親相姦によって突然変異を起こさせ、危険を伴った急激な進化を余儀なくさせたのか?

自分の子供に自分の経験から得た知識を与えようとしても、子供は勿論即座には理解しない。

肉体的、知能的優位性を子供に備えさせようとしても限界がある。

それを敢えて会得させる為に、肉体や頭脳に変化を与える手術を受けさせるか、訳の分からない薬を飲ませるか?

少なくとも私はしない。


神は明らかに何らかの意図を持って、何処からかやって来て太陽系を創り、地球を創り、あるいは最初から存在した地球上で、植物を創り、動物を創り、人類を創った。

こうした経過に思いを馳せる時、私は必ず、小学生の夏休みの宿題でやった、アリの観察日記を思い出してしまうのである。

全てが自然発生的だったとして、宇宙が発生して太陽系が出来て地球が生まれ、陸と海に分かれ、大気が覆い、光が射し、植物が生まれて繁殖し、動物が生まれて繁殖し、猿人が進化して人類が生まれ、気の遠くなる程の時空を経て現在に至るのであるが、その過程において神が介在しなかったとしたら、我々人類の今日あるべき形態と運命は全く異なった形になっていただろうし、その我々に「お前達は~~なって進化して来たのだ」と教えるだけでも彼らの権威は保たれる。

神は自分が意図を持って介在したからこそ、自ら全てを創ったと主張するのだ。

しかし、それからはるか後世の現代人でさえ、彼ら程の力を持ち得なかった。

それは彼らの意図にそぐわなかったのか?

人類が進化しても、彼らにとってその存在は自分の退化した姿である事には違いないのだ。

自分の子孫として創造した人類が退化して行く姿は、彼らの目にどの様に映るのか?

我々は、人類は今日の様な文明を築き上げた、それを把えて進化したと思い込んでいる。

しかし人類は「退化」した。

つまり創世記の当時は「非常に良かった」ものが、時の流れの中でその彼らから受け継いだ能力を次第に失って行ってしまったのである。

その時神は自分の意図に適う者、意志に従う者のみを残して全て滅亡させた。

その事実も世界中の宗教書、歴史書、伝説の中にしたためられている。

それは洪水や「神の火」によって、神が直接手を下した場合もあったし、進化を促す遺伝子操作や脳手術の過程で予め、後に戦い合い、殺し合って自滅する本能をインプットして置いた。

つまり、例えば命が有限である事に対する不安、死に対する痛み、恐怖、自己満足的な正義感、善悪などの倫理観。

それらが結果として自己生存本能、自己主張、差別的民族性、差別的宗教を産み出し、排他的な人間性を植え付けた。

これこそが真に「命の木」と「善悪の知識の木」の、禁断の果実の正体なのである。


彼らは何故、気の遠くなる程広い宇宙の中で何千億もある星雲、銀河の中の一つの、この銀河系の、何千億もある恒星の内の、ほとんど片隅の太陽系の、一惑星に過ぎない地球の生物に着目したのか?

我々の宇宙の他の天体でも、他の宇宙でも同様の実験をしているのか?たまたまか?

我々が何処か山か海に遊びに行って、または通りすがりに、誰も見ていないからといって、花を摘んで帰って庭に植えたり、魚を獲って帰って水槽で飼ったりする様な事なのか?

 この事に関しての解答は得られないが、いずれにしても、宇宙人が神として我々人類の上に存在しているのは間違いないのだ。

その意志、意図は数十億年経った現在まで、我々人類には未だ知らされないままに。


§遺伝子操作、近親相姦、クローン製作

神が「わたしたちに似せて」「男性と女性を」創った。

という事は彼らの肉体が地球の成分構造や気候、環境などに適合可能だった事を示している。

現在発掘による発見で、猿人の起源は約四〇〇万年前、現代人の起源は二〇万年前とするのが、一般的な定説である。

今後の新発見により、もっと遡る事になるかも知れないが。

神は400万年~20万年前まで地球上に生存していた猿人を材料にして、遺伝子操作によって突然変異を促し、創造したのだ。

「神の像にこれを創った」という記述の中の「これ」とは猿人の事で、猿人を改造して人類を創造したという事ではないか?

創世記では土からアダムを創り、アダムの肋骨からイヴを創ったとされている。

現代では子供もだませない程稚拙な記述こそ、神が人間を遺伝子操作、手術改造した事のうしろめたさの現れではないか。

男は女より肋骨が一本少ないのは、アダムの肋骨からイヴを創ったからだと言われているが、これは正しいのかも知れない。

イヴはつまり、アダムの肋骨から創られたクローンである?(次の項)

「肋骨」というのは比喩的な表現で、例えばアダムの何処かの細胞を使ってイヴを創ったか。

私は否定する根拠を持たないが、少なくとも、もう一方でまことしやかに言われるように、「神は土(無機質)から人間を創った」事はあり得ないと思う。


さて神に創造された男性と女性はアダムとイヴであるが、その後神が続々と人間を創ったのではなく、アダムとイヴを頂点としてその子孫達も近親相姦を繰り返し、さらに恐らく遺伝子操作、脳手術によって突然変異を促して猿人ではなく限りなく人類、つまり自分達に似て来た男性や女性を交わらせて子供を設け、または自分達が生殖行為に加わる、あるいは既に現在の人類が行っているような医学的な受胎手術を行う事で一層濃い血を導入し、現代人類に「進化」させて行ったのである。

この事が第六章第一節に表される。

「まことの神の子」が人類の女性が美しくなった事に気付き、気に入った人類の女達を全てめとって、セックスして子供を産ませたという記述である。


歴史上、人類の頂点の女性、つまりアダムを除く全ての人類の発生の源になるのがイヴなのである。

以前、カリフォルニア大学の研究チームが発表したデータが、世間を驚かせた。

私は「やっぱり、そうか」と小躍りしたが、聖書を信じている人達は、「そんなの、当たり前やんか」と思われたに違いない。

彼らは、五大陸の異なる人種のミトコンドリアDNAを分析して、現存する全ての人類が約14万年~29万年前、北アフリカ(現在のエチオピア辺り)に存在した一人の女性に端を発していると発表し、その存在を「ミトコンドリア イヴ」と名付けた。

人類の科学が進歩し、新たな発見が為される度に、寓話、伝説に近かった聖書が、実は史実、真実である、という事が証明されて行くようだ。


ところで、旧約聖書の初めの方の登場人物は、非常に長命で、800歳、900歳がざらである。

例えば、代表格のアダム。

創世記第五章第三~五節の記述、「アダムは百三十年のあいだ生き、そののち自分に似た子の父となり、その名をセツと呼んだ。そして、セツの父となった後のアダムの日数は八百年になった。その間に彼は息子や娘たちの父となった。それでアダムの生きた日数は九三十年となり、こうして彼は死んだ」。

この表現はアダム以降でも、その子孫でも暫く繰り返される。

この表現はクローンの存在を示していないか?

アダムは130年生きて死んだ。

これでも現代人と比べてはるかに長命だから、遺伝子操作の効果は充分であるし、彼らの生体細胞を何らかの形でアダムに影響を及ぼすように抽入したのであれば、彼らはやはり相当長命だったのだ。

さらに死ぬ前か死んだ後のアダムから、アダム自身のクローンと、別に一体のクローン、即ち「自分(アダム)に似た子」を創り、それをセツと名付けた。そしてアダムのクローンはそれから800年もの期間存在し、その間アダムは大勢の子供を設けた。

または神がアダムから男女のクローンを造った(イヴは既に死んでいた?→次の項)。

そして使用再生が不可能になるまでの930年で役目を終えた、という解釈は無謀だろうか。

私は逆に、アダムが普通に930年も生きたとする考え方の方が無謀だと思うのだが。

いずれにしても、とにかく長生きしたのだ。

そしてその記述以降、時代が下るに従って、少しずつ人類が短命になって来るのが、延々と旧約聖書で述べられる。

それは恐らくクローンを創らなくなったからであろうと思う。

当初はもっと長命になるはずの計算だったが、意外に人類が短命種であった事に対してクローンを創り続けた。

しかし結局長命種に創り変える事が出来ない事を思い知り、クローンを創り続ける事が無駄だという事が解り、クローンを創る事を中止したのだ。


旧約聖書の記述年齢が真実であれば、子孫の寿命が短くなるのは劣性遺伝の結果か、でなければ遺伝子操作による突然変異、または近親相姦の弊害であろうが、少なくとも彼ら、神の寿命は「定めのない時まで生きる」存在であるから、間違いなくそれ以上であっただろう。

あるいは彼ら自身が、勿論既にクローンを持っていたであろうから、「定めのない時まで生きる」存在なのだ。

これに関しては、エホバの発言で興味深いものがある。

第六章第三節、「わたしの霊が人に対していつまでも定めなく働くことはない。彼はやはり肉であるからだ。したがってその日数は百二十年となる」。

エホバは人間と違って「肉ではない」のだそうです。

では何なんだろう?


そして彼らの子孫の一部を選択し、驚異的な科学技術、肉体的能力を持たせ、それを使わせる事により自分達の超越した「神たる」力を知らしめ、人類に畏敬の念を抱かせた。 

その、優れた科学力を操る我々現代人でさえ理解し難い彼らの行いに関する記述は、聖書だけでなく世界中の文献や伝説に残っている。

また、世界各地に存在する有名、無名の遺跡、遺物などに、かつての「彼ら」の存在が、意識的にか、無意識的にか顕わされている。


§当初の女性は生理的異常であった

さてイヴについてだが、カインとアベルを産んだ後、彼女の記述が一切無いのはどうした事だろう?

第四章第一節、「さてアダムはその妻イヴと交わりを持ち、彼女は妊娠した」とあるだけだ。

人類史上に於いて、最も重要な役割を果たしたイヴが、死んだとも記述されていない。

イヴだけではない。

それ以降の旧約聖書上、女性に関する記述があるのは、第一一章第二九節でアブラハムの妻サラが登場するまでの、気の遠くなる程の時代の中で、以下のわずか五ケ所である。


第四章第一七節、「後にカインはその妻(誰?※筆者注)と交わりを持ち、彼女は妊娠してエノクを産んだ」。

第四章第一九節、「第一の者の名はアダといい、第二の者の名はチラといった。やがてアダはヤバルを産んだ。(※筆者略)チラの方もトバル・カインを産んだ。(※筆者略)そしてトバル・カインの姉妹はナアマといった。そこでレメクは自分の妻アダとチラのためにこの言葉をまとめた」。

第四章第二五節、「それからアダムは再び妻(イヴ?ならイヴと記述するはずではないか?※筆者注)と交わりを持ち、それによって彼女は男の子を産み、その名をセツと呼んだ。彼女の言うところでは『カインがアベルを殺したので、神はその変わりに別の胤を立ててくださった』からであった」。

第六章第一節、「さて、人が地の表に増え始め、彼らに娘たちが生まれると、そのときまことの神の子らは人の娘たちを見、その器量の良い事に気づくようになった。そして彼らは自分たちのために妻を、すべて自分の選ぶところの者をめとっていった。(※筆者略)その時代、またその後にも、ネフィリムが地にいた。それはまことの神の子らが人の娘たちと関係を持ちつづけ、その娘たちが彼らに子を産んだころで、それらは昔の力ある者たち、名のある人々であった」。

そして五カ所目が、一旦「ノアの大洪水」で滅ぼされた人類の、源初の母であるイヴと現代人を結ぶ唯一の梯である、ノアの妻と三人の息子の妻達の記述であるが、彼女達もやはり、ノアと共に方舟に「入った」、「出た」と記述されるのみで、第九章第一節、神は言い付けを守って洪水を逃れた「ノアとその息子たちを祝福して」いるが、四人の妻達は一緒に「祝福」されるどころか、その記述もその後の記述も一切ないのだ。


イヴからサラまでは、旧約聖書に記載された系譜図で血脈を全て辿っただけでも、アダムとイヴにとって、アブラハムとサラは二〇代目の子孫であり、それぞれが生きた年数を数えると1万年以上(!)が経過しているし、ノアから数えても一〇代目で最低3600年以上(!)経過している。(暇にまかせて、全部電卓で合計しました)

この間に存在したはずの数百万人もの「妻」や「娘」達は、旧約聖書史上で何の主だった役割も果たさず、生まれて生きて、死んで行ったのであろうか。

「妻をめとった」「妻と交わり」「娘たちの父となった」など、女性の存在をほのめかす記述が何度も出て来るのにも拘わらず、女性に関する記述が全く無いのである。

男性については、具体的な名前を挙げて、「~~が~~年生きて」、「妻をめとり、子を産んだ」、「息子や娘たちの父となった」などという記述が延々と続くのに、出産したはずの妻や生まれた娘に関する記述が一切無いのはどう解釈すれば良いのか。

神が男尊女卑で、女性に関して無関心で、記述を省略したと考えるのは失礼過ぎるか。

では何故女性の記述が無いのか?


これは創世記当初の女性が全て、生理的に異常で短命だった事を意味してはいないか?

神が施した遺伝子操作、脳手術、近親相姦の弊害で何らかの異常を来たしていた為に、女性が早熟短命だったか、クローンが創れなかった事を表しているのではないか。

あるいはクローンは創れたが、失敗ばかりだったか?

「まことの神の子」達の眼を魅く程の美貌と素晴らしい肉体を(多分)備え、セックスして妊娠、出産出来る程にはなったが、男性に比べるとはるかに短命だった。

あるいは理由は不明だが、当時の女性に対して染色体を操作するのが困難であったか、無意味だと判断した。

従って止むを得ず、男性の染色体を操作して女性を創り続けた。

クローンも男性のものしか創れなかった。

短命と言っても、恐らく現在の人類の寿命程度であったはずだが、400~500歳程度には生存していた男性に比較すれば、短過ぎるだろう。

人類の女性の創造に関しては、原因は何故か分からないが当初は失敗続きであったのだ。


「アブラハムの妻はサラと言った。ナホルの妻はミルカと言ってハラン(アブラハム、ナホルと兄弟※筆者注)の娘であった」(これも近親相姦である)という記述以降は女性の言動が頻繁に出て来る様になるが、この頃から女性の創造が上手く行き始め、正常な女性が誕生して成長し、男性と同じくらい生きるようになり始めたのではないか。

あるいは男性が、女性と同じ程度の短命になって行ったか。


§宇宙人が人類に与えた知識

さて人類がその原初で身に付け、現代文明の急激な開花の原動力となった三種の神器、

即ち道具(武器)、火、言葉(文字)は神から教え与えられたものなのだろうか?

 先ず道具(武器)について考えてみよう。

当時の人類の生活は、例えば野に生えた草を千切って食べ、林や森の木に実った木の実

や果実を摘んで食べ、川や海の魚を捕まえ、貝を拾って食べていたのだと思う。

偶然見つけたか、死んだ獣や負傷した獣、動きの遅い獣を捕まえて食べていたかも知れない。

山に入った時、落石事故に遭って仲間を失った事もあったのではないか?

逃げる動物を追い過ぎて岩に激突して負傷し、動けなくなった仲間もいただろう。

逆に、がけ崩れの落石の下敷きになって死んだり、負傷したりして動けない動物を担いで帰ったりした事もあったのではないか?

そして「おい、これ、イケるんとちゃうか」とひらめき、大勢の仲間で狩りをしようとして、追い込んだ動物に石を投げつけてみた。

簡単に当たれば苦労はしない。

神が人間に努力という言葉を教えたかどうかは知らないが、何度もやっているうちに当たり出した。

「おお、これやで」。人類史に於ける野球の始まりだった。

後は普通に考えられる程度の、我々人間の子供程度の学習能力があれば良い。

小さい石より大きい石の方が、ゆっくり投げるよ速く投げる方が、威力がある事も知った。 

水面を泳ぐ大きな魚も同様にして獲る事が出来た。

持ち帰った動物や魚を石で潰し裂いて、皆で分けて食べる。

木の実の殻、貝の殻も石で割れる。

石の鋭い部分や尖った部分の方が肉や皮を裂き易い事も解り、石を削って鋭利にする。

そして石を当てて一度で倒せない獣を二度三度攻撃する為に、石を投げるのではなく持ったままでいられる工夫をする。

例えば、持ち易い様に取っ手を付ける、投げてすぐにたぐり寄せられる様に木のつるで括る、遠くまで届く様に長い柄を付けるなどの改良型の武器が考案される。

石にも硬い物と比較的柔らかい物がある事を知り、その硬さに応じて加工する様になる。

さらに仲間で協力して大きな板を持って野獣を囲い込み(自己を護る役割、つまり楯にもなった)、逃げ道を塞ぎながら追い込んで仕留めたり、魚も水が無いと逃げられない事を知って、石や板で川をせき止める、海の波打ち際を石や板で囲って徐々に狭めて行く、などの狩猟方法と道具を考案する。

女達は、手の届かない所に実った木の実や果実を、石を投げたり木の枝でたたいたりして、落として採る方法を見出す。

採って来た野草や木の実、果実などを種類に応じて、または、仲間の数に応じて分けて置く為に、大きな木の葉に載せたり、地面に置いて木切れで区分したりした。

木が堅い石で削れたり、たたいて割れる事を知り、何時か板状にして箱を発明する。

こうして何千年、何万年もの時間を要しはしたが、「あたかも神に教わった様に」身に付ける事が出来た。


以上の解釈で人類は道具、武器を発明出来なかっただろうか?

神に教わらなくても道具や武器は人類が考案、発明、工夫、改良出来たのではないか?

現に200万年前の旧人類によって、既に石器の使用されていたのが認められている。

これは現在の人類以前、つまり神が創世記においてアダムとイヴの新人類が創造した20万年前からでも、はるか昔の事である。


では火についてはどうだろうか?

山火事の自然発生は、現代でも起こる。


話は少し横道に逸れる。

約10万年の氷期と約1万年の温暖期のサイクルについて前述したが、太陽自体の活動とは無関係であるようだし、二酸化炭素を大量に空気中に放出する人類の存在もなかった過去の氷河期は、むしろ地球そのもの、例えば地球上の気候に原因しているとは考えられないだろうか。

永い期間の太陽の熱で次第に氷期が終わって温暖期が始まり、永い温暖期で地球の表面自体が乾燥して自然火災が起こり易くなるだろう。

現在のように、最新技術を用いた消火活動を人類が行う(それでも火災が拡大するケースも少なくない)自然火災と異なり、消化活動を担う存在は当然ないから、海、川などの防火壁に達するかどうかして密林や草原を焼き尽くすまで、火災は収まらない。

そこで現在の、人工的に排出される量とは比較にならない程の二酸化炭素ガスや、あるいは大量の鉱物も燃焼してガス化するであろうし、場合によっては地表の高熱に拠って地下で眠っていたガスの固体が融解して噴出したりして、大気を汚染させる可能性だってあるだろう。

そうして太陽熱が遮断されたり、大気の温度が上昇して局地や高山の氷河が溶解して地球上の海水の温度を一気に下げたりして、氷期に還る。

そんな循環を繰り返していたのではないだろうか。

という一説を投げ掛けておく。

今回の温暖期が終了して氷期に戻るのは、勿論人類の文明の所以であろうが。


遠い昔、人類は山火事を目の当たりにして恐れおののき、驚いて逃げ惑い、逃げ遅れて死んだ仲間もいたのではないか。

火事の収まった後に、恐る恐る山の中に入ってみると、焼けた木の実もあっただろう。

そして逃げ遅れた動物の焼死体もあった。

「何ともったいないこっちゃ」と思ったかどうか、勇気のある一人が食べてみた。

「何?これ?めっちゃうまいやんか」。

かくして人類は焼肉の味を覚えた。

「家でも焼肉パーティーしよやないか」。

そしてその辺りで燃えくすぶっている木片を持ち帰る。

しかし燃える部分が無くなり、消えてしまう。

その失敗を何度も繰り返して、燃えている炎や木片に木片を足せば燃え移る事を発見し、大きい木片よりも細い木の枝や皮、小さい木片の方が、火が点き易い事も知る。

さらに、道具を創る為に木を石で削ったり、木と木を摩擦させた時、熱くなって焦げ、火が起こる事を発見する。

寒い時に火の傍にいると暖かい。

夜でも明るくて作業が出来るし、野獣も恐れて襲って来ない。

食べ物を焼いて食べると美味しいし、不思議な事に病気になる事も少ない。

こうして彼らは太陽と共に寝起きしていた一日の生活が長くなり、また生活範囲さえ、さらに寒い地域にまで拡大して行った。


この推論に無理があるだろうか?

私は、少なくとも道具と火については人類が自然発生的に発見して身に付け、工夫改良を重ねて行ったものではないかと思えるのだ。

火の使用に付いても、100万年前から旧人類が使っていた事が発掘で証明されているし、旧約聖書にも、道具と火について、作り方や使い方を教えたとする記述は一切ない。

ところが天地創造の直後、アダムとイヴの時代にいきなり、金、ブデリウム樹脂(?化学辞典に載っていない)、しまめのうなどが記述されるし、アダムにエデンの園を耕させ、農業を教えている。

農業に地面を掘り返し、耕す為の道具が必要なのは言うまでもないし、聖書の初めに金などの記述があるという事は、それらが当時決して珍しい物ではなかった事を表している。

金は地球上では、その辺に幾らでも転がっている物ではない(これについては「ボゴダのジェット機」でも触れる)。

真に「道具を使って採掘」する物質であり、もち論原石から抽出して加工利用する際に、高熱処理の為の「火」さえ必要なのである。

つまり神が創造したアダムとイヴの時代、既に「道具」と「火」は存在し、利用されていた。


では、言葉はどうか。

旧約聖書、創世記の記述。神は自分が創ったあらゆる物を、「人がそれぞれどのように呼んでも、それが全ての名になった」。つまり言葉を与えている。

この記述から人類が神から言葉と農業を与えられた事は間違いないし、旧約聖書だけでなく、世界中の伝説、宗教でもほぼ近い内容である。


道具と火を操って生き延びていた人類は、神から言葉と農業を教わって以降、不自然な程急速に、種まき、育成、収穫の時期を知る為に、時間の概念を知り、あるいは神から教わり、天体の動きと季節の変化を掌握し、能率的な共同作業を図る為により大型の集団生活を営み、言葉による約束事、法律を作り、一気に近代都市国家を形成する。


この項の最後に、少しだけ残る疑問を述べて置きたい。

神は何故、言葉、即ち知識を与えただけで、自分達の有する技術、道具そのものを与えなかったのだろう。

その方が、はるかに速く、人類は「わたしたちと似た様に」なったはずなのだ。

そうすれば人類は当然今頃、宇宙の果てまで飛んで行って、何処かの地球に似た惑星に移住しているかも知れない。

やはり、神は人類を、自分達とは一線を画し、「定めのない時まで生きる事のないように」したのだろうか。

人類が自分達と同じようにならなかった場合に滅亡させる、という前提があったのだろうか。


§アダムとイヴ、一〇万年の人工冬眠

ところで、前述した様に、ミトコンドリアDNAの分析によって、アダムとイヴは約20万年前に存在したという結果が出ているが、生物学上では現人類に当たるホモサピエンスは10万年前に出現したとされる。

ここに10万年という大きな誤差がある。

さらにアダムが教えられたはずの農業が人類史上において開始されたのは、遺跡の発掘や歴史書の研究によって、世界中でほぼ同時期、つまり約1万2000年程前からであるというのが定説になっている。

これは氷河期の氷期が終わり、現在に続く間氷期が始まった時期ともほぼ一致するのだ。


現在は200万年続いている氷河期の真っ最中であり、10万年の氷期と1万~2万年の間氷期が繰り返されているのだそうだ。

とすると、先ずアダムとイヴは20万年前、つまり今回から数えて前々回の間氷期に創られ、ホモサピエンスが誕生したのは10万年前だから前回の間氷期に当たり、農業が世界中に展開されたのは1万年前で、とすると今回の間氷期から、という事になる。


創世記第二章第七節、神が人を創り、第二章第一五節、「人をエデンの園に住ませ、それを耕させ、またその世話をさせた」。

つまりアダムに農業を教えた。

第二章第一九節、「人にあらゆる物に名前を付けさせた」。即ち言葉を教えた。

第二章第二二節、女を創った。

何の先入観もなしに解釈すれば、この第二章第七節から第二二節までの記述は、旧約聖書巻頭に出て来る創世記六日目の説明なのだろうが、アダムとイヴが存在したのは約20万年前であり、そして二人が先ず農業と言葉を教わったのである。

神に言葉と農業を教えられたアダムとイヴが存在したのは20万年前、ホモサピエンスの出現が10万年前、農業が発生したのが約1万年前だとすると、この二つの氷期と合致する10万年と9万年の空白は何か?

これは旧約聖書に於いて、第三章の終わりと第四章の初めに、10万年が経過した事を意味してはいないか?

第三章第二四節、「こうして神は人(アダムとイブ※筆者注)を追い出し、エデンの園の東にケルブたちと、みずから回転し続ける剣の燃える刃とを配置して命の木への道を守らせた」。

続く第四章第一節、「さて、アダムはその妻イヴと交わりを持ち彼女は妊娠した」とある。


「ケルブ」とは旧約聖書に何度か出て来るが、その表現からして明らかに精巧な飛行用のロボット(!)だ。

エゼキエル書一〇章二一節、「四つの顔と四つの翼を持ち、その翼の下には人の手のようなものがある」。

サムエル記下二二章一一節、「彼はケルブに乗って飛び」、詩篇九九編一節、「主はケルビムの上に座せられる」。

こんな表現をされるケルブ、またはケルビムはまさか神の仲間ではあるまい。

因みに、デジモンにもケルビモンというのが登場するそうだし、機動戦士ガンダムにもケルディムガンダムというのがあるらしい。

「みずから回転し続ける剣の燃える刃」とは、エデンの園の農耕地を氷期から守り、命の木と知識の木を守る為の、太陽光発電か風力か水力で動くプロペラであり、灌漑用のモーターや温室に電力を送るプロペラだっただろう。

現在でも、あちらこちらに風力発電の巨大なプロペラが立っているのを見掛けるようになったが、そんなイメージではないか?

またエデンの園が神の地球上での基地であり、命の木と知識の木が、肉体と精神に特殊な影響を与える医薬品や機械の供給設備だとしたら、レーダーか電波探知器などではなかったか。

それを「ケルブ」、ロボットに管理させた。


そして農業と言葉を教わったにも拘わらず、農業を発展させ得なかった、あるいはすぐに訪れた間氷期の終末の為に農業を維持出来なかったアダムとイヴはエデンの園を追放された。

つまり間氷期が終わった後、10万年の氷期の間人工冬眠させられたのではないか?

我々の身近にも冬眠する動物がいる。

我々人類よりはるかに超越した科学力を有し、宇宙の何処かから果てしない時空を超えて地球までやって来て、自ら神と称する彼らが冬眠のメカニズムを知らないはずがない。

そして再び間氷期が訪れ、アダムとイヴが人工冬眠から覚醒して(させられて)、「交わりを持ち(第四章第一節)」、カイン、そして第二子アベルを設けた。

これがホモサピエンス、現代人類が約10万年前に発生したとされる真相ではないか?


この章のテーマである人口冬眠は、私の想像であり、その根拠は持ち合わせていない。

現代文明に於いて、人類は自らのクローンを製作出来るようになったが、この人口冬眠については、研究が進んでいるのかどうなのか、話題を見聞きした事がない。

あるいは研究をしている人がいるのかどうかも、見聞きした事がないテーマだ。

どなたか、研究していらっしゃる方、おいでになりませんか?

いずれにしても、冬眠を慣わしとしている動物の生理的メカニズムを研究解明すれば、我々人類も、人口冬眠が可能な時代に至るのではないだろうか?


旧約聖書上ではカインが農耕の祖、アベルが牧畜の祖とされている。

弟のアベルが、エホバに可愛がられ、教えを受けながら家畜をどんどん増やしていくのに対し、エホバは自分には何も教えてくれず、田畑は枯れていくばかりであった。(えこひいき?)

そして弟のアベルを妬み、殺したカインは、エホバによってエデンを追放されてから、東方の土地に落ち着き、子孫を増やした、とある。


閑話休題。

ご存じない方の為に、大きなお世話だが、カインとアベルは共に男性、兄弟である。

子孫を増やしたというが、子孫を増やす為には、当たり前だが、女性の存在が必須で、女性が子供を産まなければならない。

カインの子を産んだのは誰?カインの子供の子供を産んだのは?母親のイヴか?

イヴのクローンか?または神、即ち宇宙人の女性?

それ以外の女性の存在は当時にはない。

カインの娘達がカインか、カインの息子達とセックスして、妊娠し孫が生まれた?


前々回の間氷期に創造された(20万年くらい前)アダムとイヴが、前回の間氷期に人口冬眠から目覚めてカインとアベルを産んだ(10万年くらい前)がカインはアベルを殺した為にエデンの園を追放され、東方の地で子孫を増やしたが、増えた人類は堕落の一途を辿り、神の失望を招き、有名なノアの洪水に至る(1万年くらい前)。

という解釈で説明が出来ますね?


そして、第六章第五節から第六節にかけて。

エホバが「人の悪が地にあふれ、その心の考えのすべての傾向が終始ただ悪に向かうのをご覧になった。(筆者略)地に人を造ったことで悔やみ、その心に痛みを覚えられた。(筆者略)自分の創造した人を地の表からぬぐい去ろう。」

そして敬虔深く誠実に暮らしていたノアの家族以外の全ての生物を洪水で滅亡させた。


世界中でほとんど同時期に起こった洪水伝説が記憶、または記録されているという事は、この洪水は全地球的な規模だったのだ。

これは世界中の地層の発掘分析から、約11000~12000年前頃だと推定される。

恐らく、氷期が終わって間氷期が訪れた為に起こる、急激な温暖化現象による世界的な異常気象によって、大洪水が発生するのを神が予知し、それを利用したのであろう。

洪水後に訪れた間氷期のお陰でノアの子孫が世界中に拡散し、農業を発展させながら急速に近代都市国家を築いて行き、現代に至る。


旧約聖書の第九章第二十節、「ノアは農夫として暮らし、ぶどう園を設けるようになった」。

第十章第五節、「諸国の島々の民が各々その国語にしたがい、種族にしたがい、国民ごとにそれぞれの土地に広がった」。

第十章第一二節、「そしてニネベとカハラとの間のレセンの建設に取り掛かった。これが大きな都市である」という展開である。


この記述でこの時代に地殻変動を続けていた結果、大陸が一つでなくなっていたのが解る。

また世界中に散在して行った民族が国家を建設し、都市を建設し、各国語を持ち、種族が別れて行った事も解る。


20万年前アダムとイヴが創造され、禁断の木の実を食べた後追放(人工冬眠処置)されて10万年の氷期。

間氷期に目覚めてカイン、アベルを設け、カイン以降、子孫を増やしたが再び訪れた氷期で農業を発展させられず、堕落の一途を辿った9万年。

ノアの大洪水後の間氷期、農業が栄え、都市国家が各地に建設されて現代までの1万年。

この20万年こそが六日間の作業を終えて神が休息している(現在進行形)、即ち現代を含む「七日目」なのだ。

そして、ノアの洪水という歴史上の大惨事を起こしておいて、創世記の記述では、「神は七日目を祝福してそれを神聖にされた」とし、自ら創造した地球上の生物の一部を除いて滅亡させ、その間「休んでいる」のである。


神は自分が創造した人類が、自分の意図にそぐわなくなったからと判断して、自分の意図に忠実だったノアの一家と、あらゆる種類の生物の雌雄を何匹ずつかのみを残してちゃらにし、もう一度やり直そうとして現代に至っているのだ。


§人類滅亡用の武器その一「彗星」

私は子供の頃、図画が苦手だった。

最初は丁寧に描き始めるのだが、次第に書きたい物のイメージが実際に描いている絵とずれ、消しては描いているうちに紙が汚くなって、とうとう自分の書いている物が嫌になり、ぐちゃぐちゃに書き潰したり、破って捨てたりして、自己嫌悪に陥ってしまっていた。

神が自分で創造した人類を滅ぼす。

もう一〇年以上前になるか、大ブームとなり、また昨年新型がブームを起こした「たまごっち」を思い出さないか?

あるいは、最近「子供が可愛くないから」とか、「言う事を聞かないから」とかの理由で、平気で自分が生んで育てている子供を殺す親が増えているが、イメージが重ならないか?

神の「善悪の知識」の「善」とはそんなものなのか?

我々が宗教や哲学、道徳などから身に付けるべき「神の教え」たる「善」のイメージとは全く異なるではないか。

旧約聖書だけでなく、世界中の古代の神話や古い伝承に、洪水伝説と、それ以外に「神の火」の伝説がある。

例えば「大空から神の火が降って人々が死に絶えた」、「神の操る猛火が天から降って人々が滅ぼされた」、「大量の火の矢が降って、人々を焼き尽くした」などの記述が残っている。

それも世界中の「洪水伝説」や「神の火伝説」が、ほぼ同時代に起こったと推測される。


洪水については、先述したように、氷期が終わって現在の間氷期に移行する一万年前位に起こっている事が、地質学上でも、発掘考古学上でも、認識されている。

急激な温暖化によって氷河が溶けて海水面が一気に上昇した、あるいは気象異常による長期間の豪雨で大洪水になり、都市が海中、または水中に没した。

猛火伝説も、異常気象に伴う地磁気異常でもたらされた、地殻変動による火山活動での噴火だとされている。

または巨大な彗星か、大量の流星群が地球に襲来し、大気の摩擦熱で燃え尽きなかったかけらが地上に降り注いだ、という意見もある。

そしてアトランティス大陸、ムー大陸の輝かしい文明もそのせいで海中に没したと考える人も多い。

現代は、工業の発達、自動車の急増による大気汚染とオゾン層の破壊、都市の発達による樹木林の急激な減少による、二酸化炭素の急増など人為的な地球温暖化は真剣に論じられているのに、気象学者も考古学者も、間氷期が終わり、氷期が何時始まってもおかしくない時期に来ている事を主張しないのが不思議ではある。


しかしここでも、世界中でやっと農業が開始され、都市が建設され始めた時代以前、言われている様な、現代にも勝る程の文明が地球上に栄えていた、という説の矛盾が証明されるのだ。

一晩で海中に没したせいで民族は逃げる事も出来なかったとされるが、いくら氷期が終わって地球上の氷が一気に溶けたといっても、民族の全てが死に絶える規模ではなかったはずだ。

また都市を飲み込む程の海面上昇に至るまでに数年は必要だったはずだし、地殻変動による火山活動だとしても、現代に勝る文明を保持していたなら、地球上の磁気異常、地殻変動を観測して、もうすぐ地殻変動、大地震や火山の大噴火が起こるという可能性は予測し、それなりに対処出来たはずだ。

現代の人類でもそれ位の「神技」は誇っているし、地震の予測も完全に出来る様になるまで、それ程年月を要しないだろう。

それとも、ハリウッド映画「デイ アフター トゥモロー」での氷期の到来のように、一瞬のうちに事態が進行するのだろうか?

それでも温暖な地域にいた人達はほとんど影響はなかった。

ただ私は、人間が(神の善悪の判断に於いて)悪の方向に走ったのを見た神が、「もう、こいつらあかんわ」と思った時に、人類を地上の生物も含めて全て絶滅させる程の大洪水になったり、火山が噴火したりと、そんなに都合良く自然発生するとは思えないのだ。


人間が神の意図にそぐわなくなり、「一度ちゃらにしてやり直したい」と思った時に、神の取った手段は「気象コントロール」がある。

現代文明の延長線上で、後二〇~三〇年もすると、我々人類も気象をコントロール出来るだけの技術を身に付けられるだろう。

強烈な台風が発生して日本を直撃して大被害を被らせそうな時に、人工的な高気圧を作ってぶつけ、弱めたり進路を変えさせたり、昔から雨乞いの風習(私は「神」が何かをして雨を降らせたの観ていた太古の人類が姿形、形式だけを真似たものだと考えている)が残っているように、高気圧が続き過ぎて旱魃になった時、人口的に低気圧を作って、雨を降らせるとか。

 出来ませんか?何時か出来ますよね?科学者の皆さん。

そして、それが出来るようになれば、当然その逆、台風をもっと強烈にしたり、旱魃をもっと酷くしたりも出来るはずだ。


それ以外で全世界同時、または一部地域に、一度に豪雨を降らせて洪水をもたらし、あるいは地殻変動を起こし、噴火を発生させたりする程の異常現象をもたらす方法がある。

それが天地創造の二日目に出て来る「大空の上方の水」、即ち「彗星」の存在である。

太陽系の端っこの吹きだまりの空間に浮かんでいる、膨大な数の星のかけらの一つにわずかな軌道と速度を与える。

それは彗星となって太陽の引力に捕らえられ、地球方向にすっ飛んで来るだろう。

そして地球に接近した時にまた少し制御を加え、人工衛星の様に地球上を周回させる。

結果、彗星の尾が太陽光線を遮り、異常気象による大洪水をもたらせる事が充分可能だろう。

あるいは大気圏に突入した彗星の凍った有毒ガスが溶け、劇薬として降り注いだ。

それが「洪水伝説」、「神の火の伝説」になったのではないか?


我々が何かの原因で、この日本という国を捨てなければならない事態に襲われたとする。

私は自分の常識的な判断から、どんな災難が襲って来ようと、彼らの全員が自分達の祖先から脈々と築き上げた文明を、生活と都市を、簡単に捨てて逃げたとは思えないのだ。

若い人達は別にして、「十分人生を堪能した、もう何時死んでも良い」と、口癖の様に言っている私の年老いた父母の様な高齢者が、八〇年以上住み慣れた土地や家を捨て、先祖の墓を捨てて見知らぬ土地に行って一からやり直そうとするだろうか?

今でさえ、「もう何時死んでも良い」(と言いながら一〇数年経っているが)とか、「今の家を出たくない」、「知らない土地に行くのは嫌だ」と言っている私の母が、全く見も知らぬ新たな土地に行って、新しい家を建て、畑を耕し、もう一度人生をやり直す気力を持つだろうか?

例え逃げなければ死ぬと言われても、「どうせもうすぐ死ぬのだから」と諦め、最後の一瞬を座して待つだけに違いないのだ。

台風が来る、隣が火事だというレベルの避難ではない。

車も電車も飛行機もない時代に、である。

大洪水で都市が壊滅する、地震で日本が沈没する、核戦争が起こるなど、何処に逃げても同じと判断した場合、逃げないのではないか?


一つのケースとして、過去の栄華を誇った都市文明を捨てて逃げ出し、違う土地で新たな都市文明を築いた民族は「彗星」を使用された。

それも都市国家を直接破壊するのではなく、彼等の都市をそのまま遺せる様に、その脅威だけを遺すのだ。

例えば小型の彗星を引っ張って滅ぼすべき文明都市の近くに落下させ、大爆発を起こした。

その民族の一部が彗星の衝突、「神の火」が降って来るのを知って逃げ出し、天罰だと悟り、神の恐ろしさを知った。

そして他の地で新たな文明を築いた彼らは、神を恐れ、自分達が神の怒りに触れたかつての文明、かつての都市の末えいである事に関して一切口を閉ざし、記録も残さなかった。


先述したように、磁気異常が多発し、海底に巨大なクレーターが存在して、彗星か小惑星の衝突の跡ではないかと言われている、カリブ海の南西部、サルガッソー海のバミューダトライアングル、岩石や砂が異常な高熱を浴びて起こるガラス化現象の痕跡が頻繁に見られるサハラ砂漠、東南ヨーロッパ、西アジア、インドなどの各地、そして異常な数値の放射能が検出され、彗星の墜落爆発説が有力な、つい最近(と言っても一〇〇年も前だが)起こったばかりのツングース(これについて、詳細は後述)。

これらは全て共通して、その地域周辺に輝かしい文明が存在し、その爆発の規模の大きさからして、その民族に、「もし自分達の住んでいる都市に落下したとしたら」と、人類に衝撃的な脅威を与えるのに充分だったはずなのだ。


そうした判断の源になりそうな例を挙げておこう。

超古代のインド文明は約五〇〇〇年前のハラッパー文明に始まるが、問題なのは四五〇〇年前に発祥したとされるモヘンジョ・ダロ文明である。

この都市遺跡は市街地と城塞が区分され、市街地は碁盤の眼のように分割され、そのブロック毎に住居があったようで、上下水道さえも完備されていたが、一〇〇年近い発掘努力に拘らず、家財道具や生活用品がほとんど発見されていないようだ。

そして驚いた事に、その都市の規模から三〇〇〇〇人近くの人口があったと推定されるのに、発見された骸骨はわずか数十体、それも埋葬されたものはなく、まるで全てが死の直前まで普通に生活していたかのように住居跡で発見されたそうだ。


もう一点、トルコのカッパドキア遺跡。

カッパドキアは首都アンカラ近郊のアナトリア平原の事で、まるで地中から噴き出した溶岩が瞬間的に冷え固まったような奇石群があり、古代キリスト教の聖地で、古代ローマ帝国に迫害された古代キリスト教徒が隠れ住んだとされる。(何かいわくがありそうだと思いません?)

このカッパドキアの遺跡は、驚いた事に地下都市であり、何と地下八階から一六階建てで、一五〇〇〇人も住んでいたとされる。

古代文明の地下都市だと言って、アリが穴掘って巣を造るような物を想像しないで下さい。

この地下都市には大教会、井戸や共同炊事場、汚水処理設備、換気設備まで存在し、それも地面に穴を掘っただけでなく、遠方から石材を運んで地下に組み立てたものだそうだ。

エジプトのピラミッドの建設にも比類する膨大な労力と技術力である。

トルコにはこうした地下都市遺跡が三〇以上も存在している。

トルコだけではない。

後述するが、こうした巨石都市は、旧ソ連のウクライナ、南米のエクアドル、ペルーのサクサイワマンなど、世界中に点在する。


現代は、五〇階建ての高層ビルや四、五階建ての地下街を数年で建設するが、そんな高度な建設機械も技術も持たなかった古代人が、何故地下に途方もない労力と時間を掛けて、都市を建設しなければならなかったのか。(最初から存在していて、それを人類が利用しただけ?後述)

それは恐らく「神の火」で、近くに文明を築いた他の民族が滅ぼされたのを目撃した、あるいは自分達の文明の一部を直接破壊され、その脅威を目の当たりにしたそれぞれの民族が、自分達の王国が「神の火」に滅ぼされる事のないよう、地下に潜って都市を建設し、精一杯抵抗した物であったかも知れない?(何故?マークなのかは、後の項で判ります)


太陽系や地球を創造した、又は太陽系や地球の成立を最初から観ていた神にとっての、宇宙的スケールで考えるとすれば、「ノアの洪水」事件は、例えば私がこうしてパソコンで作ったり消したりして、文章を作成しているケースに当てはめれば、わずか一ページ程度の消去であり、「ツングースの大爆発」(後述)や世界各地に残る滅亡伝説はわずか一行程の消去である。


旧約聖書第七章から第八章にかけては、ノアの大洪水の記述であるが、大洪水後にノアとその家族が方舟から出て、エホバに祭壇を設けて肉や魚、野菜などを焼いて捧げると、第八章第二一節、「エホバは安らぎの香りをかぎはじめられ」、ノアに対して、二度と大洪水で地や人を滅ぼすことはしない、と何度も繰り返し、「契約する」という言葉を用いて約束する。

これが第九章第一七節まで延々と続くのだ。

私の様な俗人は、ここまで何度もくどくど「約束する」、「契約する」と繰り返されると、「ほんまかいな?裏に何かあるんとちゃうか?」と疑って掛かってしまう。

例えば、「洪水では二度と滅ぼさへん」が、「他の方法もあるんやでえ」とか、「お前らを滅ぼすのは大洪水だけとちゃうで」とか。


旧約聖書の天地創造において、我々人類にとってはどうでも良い様な事なのに、「大空の上方の水」を「地の表の水」と敢えて「区分」して、彗星を創って密かに用意して置いたのは、神自ら創造した人類が神の意図に逆らって暴走した時に使う、いわゆる「消去機能」、「消しゴム」としての役割を果たす為だったのではないか?


§人類滅亡用の武器その二「細菌」

さて、天地創造に暗示される違和感のもう一点、「微生物」「細菌」がある。

神が植物と動物を造ったとする、天地創造の記述、「生きる魂」の中に微生物が含まれていないのは何故だろうか?

そこまで細かい話をしなくても、と思われるかも知れないが、先述のように、「大空の上方の水」が雨水や水蒸気で、海や湖、川の水と「区分」したと解釈する方が、余程細かいと言えば細かい話ではないか。

微生物について、神は「おれは造ってねえぞ、おら知らねえ」と言っているのだ。


地球上のあらゆる生物の生存能力と存在数量をはるかに凌ぎ、未発見の新種も恐らくは数多くあり、人類の薬物攻撃にさらされる度に驚異的な生命力の強化を図っている細菌。

現代に於いては、核兵器に継ぐ新世代の大量虐殺戦略兵器として、世界中の先進国、いや核を開発出来ない後進国こそが、夢中で開発中の「細菌兵器」「生化学兵器」の恐ろしさを、ほとんど体験した事のない我々は未だ知らない。

しかし「サリン」ばらまき事件が、我々を恐怖のどん底に突き落としたのは未だ記憶に新しいし、毒ガスが第二次世界大戦において、「枯れ葉剤」がベトナム戦争において既に使用されているし、日本軍も第二次世界大戦中、中国で生化学兵器を研究中だったようだ。

さらには現代に於いて、サリンなど比較にならない程の殺傷力を持った化学薬品や、伝染病の病原菌を利用した兵器が極秘に研究され、使用可能な武器として完成された物もあると聞く。 

アメリカの「9.11」同時テロ事件から米英連合軍によるアフガニスタン空爆に続く一連の流れの中で、自由主義社会国家の大半が、頻発する自爆テロ以外に、「炭そ菌」などの脅威に晒され、日本では加えてBSE「狂牛病」、豚のO157、鳥インフルエンザの話題が沸騰して、風説被害、株価下落など、経済にさえ影響を及ぼし、「エイズ」の恐怖、またアフリカ産の「エボラ出血熱」等、未知のウィルス性の恐ろしい病気が発生している。

もっと日常的なレベルでは、インフルエンザも年々強力になったり新種が生まれたり、従来の治療薬が効かない薬剤耐性型の結核菌が誕生し、結核に罹った患者の致死率を一気にあげているとも聞く。


現在の科学は宇宙の探索などに向かう望遠鏡の世界と、量子や細胞、微生物、細菌の研究へ向かう顕微鏡の世界の、二つの大きな流れがあるが、近未来戦争では核よりも生化学兵器、細菌兵器が使用される可能性が高い。

核戦争になると人類全てが滅亡するだけなので、今後の戦争は兵士が素手の殴り合いで決着を付けるという、笑えるような笑えない冗談もある(その為、どこかの国では本気で、精神的、肉体的に、超能力を秘めていそうな子供達を集めて国家として研究、育成しているらしい)が、核保有国が幾つかの連合軍を結成し、世界大戦に突入して核を使用したとしたら結果は、地球崩壊、人類全滅である。

従って現在の核保有国は、核、あるいはミサイル迎撃防御システムを保有している事を誇示して相手をけん制し、それが多少の抑止力として働いている。

核が使用出来ない今日の様な環境で敵国を攻撃しようと考えた場合、簡単な答として、「サリン」「VXガス」の様な強力な毒ガスのミサイルを相手国に撃ち込むか。

ミサイルを撃ち込むと、すぐに報復攻撃を受けるので、感染力と致死能力に優れた新種の殺人的細菌を持ち込んでばらまくか、大量の感染者、または動物を敵対国に送り込めば良い。


かつて、一〇〇〇〇年程前から始まった間氷期と共に世界中に拡散し始めた人類は、農業と言葉を得て、異常な程急速に近代都市国家を構築して行った。

そして例えばマヤ、モヘンジョ・ダロ、カッパドキア、シャンバラなど、今は滅亡したこれら古代文明がかつて地球上に花開き、栄華を誇っていた。

その中には、「洪水伝説」「神の火伝説」ではなく、その衰退や滅亡の原因も、また自分達の都市を捨てて何処に行ったのかさえも解らず、全てが不明な程かき消すように消失した文明、民族も多くある。

彼らの遺した大いなる都市文明の形骸は、数千度の高熱に襲われたり、強烈な破壊の跡が見られるケースも多少はあるが、何故か、そのほとんどが全体的に見て風化してこそいても、ほとんど破壊の痕跡が見られないのが通例である。


もう一つのケースとして、神が「細菌」を使用した。

神が感染力の非常に優れた「細菌」「バクテリア」の類いで、例えば炭素系化合物の全てを、衣服(化学繊維ではなかった)さえも分解して、土と空気と水に帰してしまう様な細菌をばらまいたとしたら。

その民族は食事の最中であれ、眠っている時であれ、気付く間もなく全員が死に絶え、家畜や獣、昆虫、衣類、木製家具さえも形を残さず消失してしまっただろう。

化学的な化合物以外は永い時間を掛けて水と炭素に分解してしまうが、それを一気に促進してしまう何かを神が使ったのではないか。

ここでふと思い当たるのが旧約聖書、創世記の天地創造、「神は地面の土より人を創った」などという子供だましの記述である。

これはこの様な人類滅亡工作で、全ての生物を土塵に帰してしまう伏線だったのではないか。

彼らは何処かに逃げる暇も与えられずに、神によって全員滅ぼされたのだ。

有機物全てに反応して分解してしまう細菌をその都市にばらまきさえすれば、都市の形を遺したまま、生物だけを死骸も遺さずに滅亡させられるはずなのだ。誰も気付かないうちに。


慈悲深い神は、滅亡させた多数の民族に、第二のノアを、何故創らなかったのか?

洪水の後、ノアとその息子達に「二度と人類を滅ぼさない」と契約したからか?

その民族は執行猶予もない程、神の意図する方向から外れてしまっていたのか?

ノアの時代には未だ農業も集団化されてなく、人類の都市や文明が未だシステム化されていなかったから個別にノア家族を救えた。

そしてだからこそ、未来の人類が神の示す方向を誤らない様に戒めとしてノアを遺した。

しかし時代が進み、世界中に様々な民族が都市を築き、生活がシステム化され、人間が都市システムに一個の部品として機能する時代になって来ると、人間個々の問題ではなくなり、システム全体を破壊しなければならなくなる。

その場合、個別に選択して生き残らせるべき子孫のかじ取りを創る事が出来ない。

あるいは地球上の多数の他の民族は、神にとって正常な都市システムを充分稼働させており、どうしようもなくなった民族の一つ位を全て消去しても問題あるまいと判断して、都市の形のみを遺して滅亡させる事を考えた。

未来の子孫が、あるいは他の民族が、滅亡した種族の文明の形骸化した遺跡を見た時、神の怒りに触れて滅亡させられた名残りだと考え、神の脅威を改めて心に抱く様に。

実際にも神の思惑通り、我々はその様に判断しているではないか。

彗星を地球に衝突させて大爆発を起こしたか、または有機物全てに反応して元素に還元してしまう、バクテリアの様な細菌を使ったのだ。


地球を創造し、生物を進化させ、人類を改造した実験、開発に対して結果が予定通りにならず(どんな予定なのか知らないが)、失敗した時に中止、またはやり直しをする為の消去の手段として、神は天地創造において「彗星」と「細菌」を用意して置き、実際にそれを使ったのだ。


§人類滅亡用の武器その三「核」

近年に於いて、古文書の研究や遺跡発掘などの科学的な分析によって、太古の地球上において核戦争があったという意見は、既にマイナーでなくなって来てはいる。

彼らは現代人類以上の文明と科学力を有し、核兵器さえ使用して戦争をし、滅ぼし合った、その痕跡は世界中に残っている、という説である。

私もその世界中の古代遺跡については、(お金がないので現地へ実際に見に行った事はないが)それを扱った本を何十冊も読んだし、写真も沢山見た。

だが、核兵器を使って戦争をする程の文明と科学力を誇る人類がいたと仮定して、そう思おうとすればする程、逆に、そんな彼らの築いた都市が、いくら巨大でかつ精巧であるとはいえ、石の建造物である事が、私にはどうしても納得出来ない。

途方もない巨大な石を切り出して運び、かみそりの刃を入れる透き間もない程緻密に積み上げる技術、さらには方位、角度、距離などに先進的な天文学的知識や数値を組み込んだりした、その驚異的な謎についての私なりの見解は後述するとして、私には、核エネルギーの利用と、石の建物で構築された都市との間にどうしても隔たりを感じてしまうのだ。

核兵器を標準装備したミサイルを大量に保有し、核エネルギーを発電などに利用する技術を持つ現代に於いて、核攻撃に備えて、天然石を積み上げただけの建物を造るだろうか?

地下シェルターに於いてもしかりである。

もしそれなりの文明が発展して栄えていたとするなら、地下とは言え、高熱に強く、高圧耐力に優れた超合金か、金属よりも強力な合成繊維で造るのではないか。

それも、先述したように、地中奥深く、だ。

王の住まいでかつ要塞であり、逆に相手の絶好の攻撃目標となる宮殿でさえ、その権勢を誇るべく巨大ではあったものの、何故石を積み上げただけなのか?

何故地上なのか?

そして核ミサイルで戦争する前に、航空機は造らないのか。

それに係わるレーダー、高度計、速度計などの計器類、エンジン、燃料タンク、ボディ、格納庫、そうしたものが伴うはずだし、飛ぶ前に走るのではないか。

自動車、船、自転車は?テレビ、ラジオ、電話、パソコンは?

核兵器を保有する文明とは、当然そうした金属、繊維などはもち論の事、あらゆる科学全般の技術革新、発展進化の結晶として存在するのではないか。

そして核ミサイルを保有する程の文明が利用する航空機とは、古代エジプトの遺跡から発掘された一キロも飛ばない様な、木製のグライダーではあるまい。(現人類の飛行機文明の基礎となったライト兄弟の、遥か昔の話だから、それだけでもすごいと想うが)

当然現代の様にジェットエンジンかロケットエンジンを備え、ガソリンなどではなく、水素か核燃料をエネルギーとし、地球の隅まで、いや、多くの民族の言い伝えで、「選ばれた人は神の元に行ける」とある事から、神の存在する母船、または母星までさえ、飛んで行ける飛行性能を有したものだったはずだ。

「パレンケの石棺」のふたに描かれたロケットや「ボゴダの水陸両用シャトル」の様に。


 古代の人類が空を飛ぶ存在を知っていた、あるいは一部の人類は実際に飛んでいた?という事は、世界中から発見される様々なオーパーツ(Out Of Place Artifacts=「場違いな加工品」。その場所、その時代にあり得ない物)で知る事が出来る。

空を飛ぶ存在に関するオーパーツを何点か紹介しよう。

「ボゴダの水陸両用シャトル」については、関連のある後の項で述べる。


先ず、「パレンケの石棺」。

メキシコのユカタン半島で、二~八世紀、侵略して来たスペイン軍に滅ぼされるまで栄華を誇った謎のマヤ文明。

彼らは生活の質素さからは想像出来ない程の金を保有し、定規もコンパスも、文字さえ持たなかったのにカレンダーを使用し、金星のカレンダーさえ持ち、また現在の文明を超える天文学の知識を持っていた(大変重要なので後述します)とされる。

マヤ文明はピラミッドを創らないとされていたが、1948年、密林の中で「パレンケの神殿」(ピラミッドだそうだ。エジプトのピラミッドを想像しないで、インターネットで検索してみて下さい。私にはマヤ文明のピラミッドと神殿の違いが判りません)が発見され、その後の発掘で様々な事実が解って来た。

その「パレンケの神殿」の中の一室に石棺が置かれてあったのだが、その中に王と推測されるミイラが葬られていた。

問題なのは、そのミイラではなく(ミイラさんには失礼だが)、その石棺のふたに彫られていたレリーフである。

マヤ人(?で上半身は裸、顔が中南米民族の特色を持っている。但し腕や手首に装飾品を纏っているので、上流社会の存在だと思われる)が、何度繰り返して見ても、逆さに見ても斜めから見ても、現在の宇宙ロケットかジェット機の操縦室としか判断出来ないような内部にいて、操縦桿を握っているとしか解釈出来ない様子が描かれていたのだ。


次は「トプカピの地図(ピリ レイスの古代地図)」。

コロンブスがアメリカ大陸を発見した二〇年後の1513年、トルコ海軍提督ピリ レイスが編集したと言われ、トルコのイスタンブールにあるトプカピ宮殿で発見されたので、この名前が付いた。

1513年に、2000年前、(つまり紀元前500年頃)に作られた二〇枚の古地図を継ぎ足して編集したという、何の変哲もない稚拙な地図のように見えるこの地図。

専門家が詳しく調べたら、南北アメリカ大陸の東側、アフリカ大陸の中央部から西部、ヨーロッパ大陸の南部、そして驚く事に南極大陸の一部まで、ほぼ正確に描かれていたのだそうだ。

この時代、アメリカ大陸は勿論未だ発見されてはおらず、南極大陸の海岸線が正確に知られるようになったのは、二〇世紀に入ってからである。

そしてもっと驚く事に、何とその地図はメルカトル法に当てはめてみると、アフリカ北東部のある地域の上空数万メートルから見降ろして撮影した実写真とほぼ合致すると、発表された。

私が個人の独断で発表した訳ではない。

権威のある世界地理学会という偉い学者さん達の集まりが認めて、発表したのだ。

アフリカ北東部というと、思い浮かぶのはエジプトのピラミッドですね。

それより、約20万年前に存在したという人類の母、ミトコンドリア イヴはエチオピアで、アフリカ北東部です。(関連性がなさそうで、ありそうで、わくわくしません?)

さらに、これに類似した、人類未踏の地域の地図は世界中で何枚も発見されている。


次は日本の「遮光器土偶」。

学校の教科書で見た事がある人も多いでしょうが、東北地方から相当数出土していて、当時の地層から出土する他の土偶とは全く異質で、ドラエモンのような体型をしている。

眼の部分が、水中眼鏡を掛けているようになっているので、「遮光器」(サングラス)と名付けられたようだが、歴史学者達は、盛り上がった乳房、豊かな(?)肉体を強調して、豊穣の女神をシンボライズした物だと主張する。

あれを女神だと言うのは、女神に対してちょっと失礼ではないか、と私は思う。

まるで昔使われていた、海中で作業をする人に、船上から管で空気を送った旧式の潜水服か、かつて月面に人類が初めて到達した頃の宇宙服を着ているようだ。


中央アジアのフェルガナ地方で発見された「パイロットの岩絵」。

首に様々なコードや接続端子をぶら下げた宇宙服のような物をまとった人物が岩に描かれているが、この顔が半分崩れ、その崩れた部分が燃えているかのように炎に包まれているのだ。

そして、あからさまに、その人物の背後に、宇宙飛行船のような物体が炎に包まれている様子が描かれている。

無知な原始人が想像で書いたと主張する学者がいるそうだから、笑ってしまいませんか?

宇宙飛行中に宇宙船が事故に遭い、地球に避難して来た宇宙人を見た原始人が岩絵にした?

その他、世界中で発見される数々のロケットの絵や、宇宙服を着ているとしか思えないような人物の絵など、空を飛ぶ事を想像もしなかった人類が何故世界中でいとも当然のように、描き遺したのか。

これらはインターネットで検索すれば、写真や詳細を見る事が出来るので、是非見て下さい。

忘れてはならない。

現在は当たり前のように、一日数万機の飛行機が世界中の空を飛び、宇宙へさえも飛び出す事が出来るようになったが、人類が空を飛べるようになったのは、わずか100年前なのだ。

古代の原住民が、そんな物を想像でさえ描けるはずがない。

やはり、そんなロケットが空を飛ぶのを、あるいは地上に降り立つのを、そしてその中から宇宙服をまとった誰かが降りて来たのを写実的に描写したに違いない。


神、宇宙人から空を飛ぶ事を教えられたとすれば、地球上に他の民族が異なる文明国家を建設しているのも解ったはずだ。

人間が神から与えられた本能として、共存するか戦って滅亡させるか、判断する。

実際、古代に於ける国家間の貿易交流の歴史も遺っているし、もち論民族間、国家間の戦争の歴史も遺っている。

その戦いの武器が核兵器であったのか?

事実は、飛行機どころか、金属製の戦車も戦艦もなくて、馬や牛を操り、木製の船に乗り、せいぜい粗末な銅製の刀と槍と弓矢で戦ったのではなかったのか。

壮大な戦いの歴史である「三国志」でも、飛行機など出て来ない。

核攻撃によって破損した超合金の都市の遺跡が発見されたなら、私はすぐに見解を改める。

ジャングルの密林の中や一万年以上前の地層から、地球人類のものであり、核攻撃用の航空機やロケットの残骸、製造工場跡でも出たとしたら、もう論を待たずにそれが全てである。


カリフォルニアの五〇万年前の地層から発見された点火プラグ、ネバダの数万年前の地層から出土したネジ跡付きの金属片、金の鎖、イギリス、ラザフォードの6000万年前の地層に埋もれていた金の糸等断片的な発見は幾つかある。(インターネットで検索してみて下さい)

その、文字通り断片的なオーパーツを取り上げて、数十万年前、数百万年前に現代以上に高度な人類文明が存在したと結論付けるのはいかがなものか?

むしろかつて地球を訪れた宇宙人の落し物、忘れ物(わざと?)した方が、個人的に納得する。

繰り返すが、点火プラグと一緒にジェット飛行機かスポーツカーでも発見されたり、ネジ付きの金属片の傍で、50万人収容の全天候型のドームスタジアムが発掘されたり、金の鎖と一緒に、その時代の人類のファッションを収録したDVDのディスクでも埋まっていたのであれば、考えをすぐにでも改める。


私の推論は、旧約聖書の記述は全て真実であり、20万年前に創造され、神から農業と言葉を教わった人類が二度の氷期を耐え、1万年前程からやっと都市を築き始めて、神から与えられた思考力を発揮し、発明発見を積み重ねて現代文明に至ったという所に、その根拠がある。

これらはいずれも、様々な分野で科学的にある程度証明されており、全くの空想の産物ではないからである。

もち論、神が宇宙人であるという私の考えも実証された訳ではなく、空想の域を出ない。

しかし私は聖書を信じると同時に、進化論も信じている。

何故なら先述したが、現実の女性の胎内に於ける、受精卵から新生児までの成長の過程が進化論に沿っているという事実をどう説明するのか。

進化論を否定するのであれば、女性の胎内における生命の発生と成長、誕生そのものを否定する事になるではないか。

そしてミトコンドリア イブの存在も。

何度も先述した様に、その進化の過程において宇宙人の介入があったとしても、である。

進化論と旧約聖書、考古学上の発掘、発見、遺伝子による研究を組み合わせると、どうしても地球上に於ける、現代人類以前の、高度な人類文明の存在を疑問視せざるを得ないのだ。

地球上に存在する全てのオーパーツが、宇宙人の痕跡であるとした方が、合理的なのである。

そして、古代人が有していた天文学的な知識や数学的、物理学的能力も全て神、宇宙人の教えによるものなのだ。

でなければ聖書の存在さえも否定する事になってしまう。


一つの可能性を考えてみる。

宇宙には3000億の銀河系、星雲×3000億の恒星系、があり、それぞれの恒星には地球型惑星が数限りなくある。

我々人類がこのまま滅亡せずに発展したとして、22~3世紀には、家族全員がマイ ロケットで週末の宇宙旅行を楽しんだり、狭い地球に住み飽きて、あるいは住めなくなって同じ銀河系か他の銀河系の天体に移住し、その移住先の、地球の環境に良く似た惑星で、もう一度地球上で起こった(計画され、実行された)生物の進化を試し、進めながら人類の末えいを創ろうとする可能性を考えてみる。

そしてもう一つの可能性を考えてみる。

進化論に基いた分子時計法による進化時期の判定で、3800万年前に分岐した類人猿からテナガザルが分岐したのは約1100万年前、オランウータンが900万年前に分岐、400万年前に猿人と、ゴリラ、チンパンジーが分岐したと言われるが、その分子生物学、さらに現代人のDNAミトコンドリアを辿って行くと、20万年前の一人の女性に突き当たるとした遺伝子工学、農業が約1万年前から世界中で一斉に発展を始めたとした発掘考古学、そしてそれ自体が人類、いや地球の歴史であると自ら主張する聖書。

それらによって実証される人類の存在よりはるか太古の時代、我々が知り得る限りの生命の進化から外れた、人類以外の人類が存在し、現代文明にも勝る文明を築いていたという可能性。

どちらの可能性が高いだろうか。

繰り返すが、私としては進化論と旧約聖書と現代科学を信じて、前者を支持するのだ。


古代に於いて、人類は核兵器など持ち得なかった。

「核」は、神の、「彗星」「細菌」と並ぶ三つ目の、人類に対する「消去手段」だった。

創世記の天地創造で「太陽を創ったのはわしや」と言った神が(宇宙や太陽系の成り立ちを知っていただけかも知れないが)、「核」を自在に操る技術を持ち得た我々人類を「わたしたちに似た様に」創造した神が、その太陽の核融合のメカニズムを知らないはずはないし、我々以下であるはずがない。

世界中の民族に伝わる「洪水伝説」、「神の火伝説」などの古えの伝承や古文書、そして世界各地の古代遺跡付近に残る核爆発の痕跡、隆盛と繁栄の頂点でいきなり消失した民族と都市の廃墟などは、神が「彗星」と「細菌」と「核」とを用いて、神の意志に背いた、神の計画から外れた民族を滅亡させた証拠であり、そして恐らく、後世の人類が「核兵器」や「細菌兵器」を開発して使用したり、クローンを製作したり、「宇宙旅行」を現実化出来る科学力を持ち得る程進化した時に、やっと理解し得た神の正体と力、「解ったか?わしらの正体は宇宙人や、わしらの力はこんなんやで、どや、驚いたやろ」という伏線であり、「わしらの言う事きかへんかったらどないなるか、解ってるやろな?」という警告なのである。


§宇宙人の子供もいた

少し違う角度から彼ら、神、宇宙人の話をしよう。

世界中のあらゆる宗教、伝説と遺跡、人類の進化に不釣り合いな程の科学的知識は「宇宙人」達がかつて地球に存在した痕跡であると信じるのだが、「宇宙人の子供」達の痕跡はないのか?

創世記で、彼らは「わたしたち」と言い、「男と女の像に」と言った。

地球に来た宇宙人は複数で、男女がいたのだ。

そして改めて繰り返すが、創世記第六章第一~二節、「さて人が地の表に増え始め、彼らに娘たちが生まれると、そのときまことの神の子らは人の娘を見、その器量の良いことに気付くようになった。そして彼らは自分たちのために妻を、すべて自分の選ぶところの者をめとっていった」とある。

ここに記述される「まことの神の子ら」とは、「神の子」「人の子」「人の娘」等と対比して記述されている事実から、宇宙人直系の子供達であるのは間違いなかろう。

母星から連れて来たか、地球に来てから生まれたかは別にして、宇宙人の子供達も確かに旧約聖書、創世記の時代、つまり直近でも一〇万年前の地球上にはいたのだ。

上記の創世記第六章の記述を少し変化させると、「人の息子を見、その器量の良い(イケメンである)ことに気付くようになった。そして彼女らは自分たちのために夫を・・・」との解釈も成り立つはずである。(最近で言うところの、いわゆる逆ナンですね)


そう考えてその状況をイメージしてみると宇宙人の地球訪問は、現在の我々人類が最先端で行っている、知識と訓練を積んで鍛え抜かれて選ばれた数名の宇宙飛行士が、ある意味では決死の片道切符の覚悟で、探査や実験を目的に宇宙空間に飛び出す様なものではなく、男女(恐らくは夫婦)と彼らの子供達という構成の集団の、まるで家族旅行であった様に思われるのだ。

単純な理屈で、神の言う「わたしたち」が宇宙人であれば、「神の子ら」はもち論宇宙人家族の子供達であろう。

例えば海外に土地を買って、そこに家族で移住し、開墾して生活するように、惑星移住計画で、人類が近未来に於いて他の惑星に移住して開墾し、そこで生活する様に。

そして地球に来訪した彼らが複数家族の集団であった場合で、彼らの母星に於いても、それぞれの国家や民族が異なっていたとしたら、地球上の各地で異なった人種に分岐し、異なった言語や文化、文明を持った民族が発生して発展し、現在に至った事の説明も簡単につく。


将来、我々人類が他の惑星に行って創世記と同じような開発行為をしようとして、その惑星の大陸を幾つかに分割して担当するとしたら、日本人は原住民に日本の言語や文化を教え、アメリカ人はアメリカの、ロシア人はロシアの、ブラジル人はブラジルのそれを教えるはずだし、また自分達と原住民の間に設けた子供、あるいは人工的な妊娠や遺伝子操作によって創った「人間」は、優性遺伝か劣性遺伝かは別にして、それぞれの人種の特徴を持つはずなのだ。

ノアの大洪水の後、旧約聖書第十章第五節、「諸国の島々の民が、各々その国語にしたがい、種族にしたがい、国民ごとにそれぞれの土地に広がった」とある。

この記述の中に出て来る「その」とは、「神の」という意味ではないか。

ノアの大洪水までは、全員共同で開発研究していた種族の異なる宇宙人達が、その後協議して大陸を分割統治し、自分達独自の王国を創造する為に、自分達の血を用いて人類を増やし、自分の母星、母国での言語や宗教、文化を教え込んだのではないか。


さて皆さん、驚いて下さい。

1968年、アメリカのユタ州で発見された、五億年前の「三葉虫を踏み潰した靴跡」の化石。

これこそ宇宙人が太古の地球を訪れた証明である。

五億年前に三葉虫を踏み潰したという事は、旧約聖書の天地創造の記述で「五日目」の時代になるはずである。

彼らが海底にいた三葉虫を実際に踏み潰したのではなく、三葉虫が死んで化石になり、その海底が地殻活動によって隆起して地上に現れ、その上を宇宙人が歩いたのかも知れないが、何れにしてもやはり彼らは「定めのない時を生きる」存在なのだ。

長さ26センチ、幅9センチの靴跡。

因みに私の靴のサイズは25×9である。

そして翌年、その靴跡の傍で発見された素足(!)の足型。

長さ15ンチ、幅6センチ(!)。

もっと驚いたでしょう?

これの指が四本か、六本か、だったとしたら、もう宇宙人の存在論争は終わりだっただろう。

我々人間で考えると、宇宙人の大人が私程だとして(もし宇宙人が巨人であったなら、26×9の靴跡も成長途上の子供であったかも知れないが)、3~4歳児の足である。

微笑ましい光景が目に浮かぶではないか。

地球に到着した宇宙人の両親が子供を抱いて宇宙船から降り、大地を踏みしめて歩いた。

子供が「ぼく(わたし)も歩く」とだだをこねて降ろしてもらい、裸足で地面を踏みしめる。

我々の日常生活でも良く目にする光景だろう。

彼らが自分達の子供を裸足で歩かせた、という事は、宇宙人達が地球の地質や気候を調査したうえで、彼らの母星とほぼ同じ状態であり、自分達の人体にとって危険ではないと判断したに他ならない。

そして彼らはさらに、「わたしたちの像に」、「わたしたちと似た様に人を造り」、「男性と女性を造る」事が、この惑星上で可能である、と判断したのだ。

地球に来た宇宙人の家族には子供がいた。

それも、旧約聖書の記述にある様な、彼らの息子(娘)が器量が良い人の娘(息子)を見て、気に入ったら手当たり次第に妻(夫)にめとって(彼らに婚姻の制度があったかどうかは知りませんが)、セックスし、子供を産ませる、あるいは産むほど大人に近い若者達だけではなく、足のサイズが15×6センチ程の現人類に当てはめれば、3~4歳の幼児もいたのだ。

そして当然その中間の年齢の子供、我々で言う小学生、中学生位の子供もいたに違いない。


§巨大遺跡、オーパーツは宇宙人の子供の遊びの産物

私の息子が四歳の時、迷路造りに凝った事があって、暇さえあれば紙をねだって一日中迷路を描き続けていた。

最初は稚拙であったが、次第に我々大人でも間違える程のものになった。

半年もしないある日、私が遊んでやろうと「迷路ごっこ」しようかと誘ったら、「もう飽きたから止めた」と言った。

5歳になってパソコンのおもちゃのようなものを買い与えたら、最初は簡単なゲームばかりで遊んでいたが、それをマスターして退屈になると、ディスプレイに様々な図形を描く、CADの子供だましの様なシステムに夢中になっていた。

これも知らないうちに、飽きてしまったのか、見向きもしなくなった。


宇宙人が地球を開拓に来たとして、彼らの宇宙船はもち論、地球上で移動に使用する飛行物体や移動物体は完全なコンピューターコントロールで動き、万全な安全の確保、危険の予知回避を自動的に行う様なシステムを持っていたはずだし、彼らは開墾用、建設用の様々な工作機械なども持って来たに違いない。

そのシステムは、我々人類で言う小学生程度の子供の知識、能力で扱える程簡素化されていただろうし、もち論子供が扱っても危険でない程の安全性を有していた。

あるいは彼らの子供は既に人類の大人並みの知識、能力を身に付けていたかも知れない。

子供達は、我々の自転車よりはるかに簡単で安全な自分専用の小型飛行船を乗り回していた。

我々のパソコンや車も、ハードは理解出来なくてもソフトを覚えれば簡単に動かせる。

パソコンもソフトが一層簡素化され、後一〇年もしないうちに、額にしわを寄せてガイドブック片手ににらめっこしたり、めまいのする様なパソコン教室に通わなくても、ガイダンスに従えば簡単に使用出来る様になるだろう。


ここでパソコンメーカーに一言。

ワード、エクセル、メール、インターネット、ダウンロード、アップロードなどのカタカナを使わないで、「作文」、「表計算」、「手紙」、「通信」、「取ってくる」、「あげる」などの日本語を使ったソフトを作りませんか?

そうしたら、人口比の高い高齢者のパソコン購入率が一気に増えると思いますが。

また一世紀もしたら、カーナビで予め目的地をインプットしてさえ置けば、酒を呑んで酔っ払って眠っていてもスピードを自動的にコントロールし、電磁波を発信して障害物を避けて方向転換し、自ら道路を選択して、目が覚めたら目的地に着いている機能を持った車が主流になるだろう。(酒好きな私の希望的観測か?)


親達の目を盗んでか許可を得たかは知らないが、子供達がそれを遊びに使ったとする。

地面に溝を掘る掘削機械のコントロールコンソールで一定の図形を設計し、その図形を何万倍かに拡大するようにセットする。

そして掘削機械を作動させたとしたら、1000キロメートルの長さの一直線の溝や半径50キロメートルの真円、微妙な幾何学曲線、複雑な図形や模様の溝も難無く掘れたに違いない。

完成させた後、自分達のマイ飛行船で高度数千メートルまで上昇して、互いの作品をけなし合ったりした。

こうして「ナスカの地上絵」は、宇宙人の子供達の、地球の表面をキャンバスにした大いなる落書きとして出来た。


「ナスカの地上絵」は、オーパーツの中でも飛び抜けてポピュラーになって来たので、解説は省略するが、これもインターネットで検索すれば、山ほど見る事が出来る。(最近では、ナスカ以外にも世界中のあちらこちらで似たような巨大な地上絵が発見されている)

この「ナスカの地上絵」も、その広大なキャンパスと描写スケールの大きさ、不可思議な図形と、製作の無意味さと無目的さ故に、何に対しても意味付けしたがる後世の我々人類を混乱に陥れた。

子供達が遊びで描く絵は通常意味も目的も持たないし、また現実的でも写実的ではない。

私の二人の子供はかつて、先述したおもちゃに内蔵されている動物の絵を描くパターンを自己流に変形して、眼を顔の外に飛び出させ、口は耳元まで裂けさせ、犬の顔にうさぎの耳を付けたりして描いて、笑い転げて楽しんでいた。

その姿を思い出すにつけ、私の子供達にそれなりの道具とチャンスを与えていたら、「ナスカの地上絵」くらいの創作はやってのけただろうと思うのである。

また想い起こせば、子供の頃、砂浜の上にお城や飛行機の絵を足を使って書いたりしていたが、一旦上手く書けたら、次の日はもっと大きな物を書いたりしていたものだった。

「ナスカの地上絵」には意味も目的もなかったのだ。

ただ発見した後世の我々人類が、その宇宙人の子供達の「芸術作品」に何らかの意味付けをしようと苦心しただけの事なのだ。


もっと有名なエジプトのピラミッドやスフィンクスについても、同様に考えてみようと思う。

ピラミッドはエジプト文明の初期、ファラオの墓として一日何十万人の奴隷が駆り出されて何十年も掛けて創られた。

そしてファラオの権勢の大きさをピラミッドの巨大さが示し、スフィンクスは、ファラオの墓であるピラミッドを護る為に創られた。

私達は学校でそう習ったし、現在でもエジプト学者達は、そう主張して譲らない。

しかしその後の研究により、ピラミッドはエジプト文明の発生よりはるかに古く、現在から10000~12000年以上前に創られ、そして「ピラミッドの守護神として創られた」と言われるスフィンクスはさらに遡り、地表に近い部分に水の浸食の跡が発見された事で、この地方が未だ砂漠でもなく、草木が生い茂り、川が流れていた時代に創られたという事実が発表された。

この話になると、エジプトの考古学者や歴史学者達は隠れるように逃げてしまうそうだ。

5000年前だろうが10000年前だろうが、「定めのない時を生きる」彼らにすれば、土曜の遊びの続きを日曜にする様なものだっただろう。


コンピューターによって、完全にオートメーション化された四種類の工作機械が必要になる。

掘削機械、研磨機械、運搬機械、そして組立機械である。

人類の子供達も一緒に遊ぶ時、遊び道具を互いに分担して持ち寄る事を忘れない。

先ずメインコンピューターで設計し、それをコンピューターで立体的なジグゾーパズルの様に細分化する。

その細分化した設計図全体を掘削機械のコンピューターに入力し、何千倍かに拡大する様にセットし、岩場から岩石を掘削する。

切り出した巨大な岩石を研磨するのには、レーザーや超音波カッター(人類も既に使用していますね)を使った。

運搬と組立てにしても、「負のエネルギー」や「反重力」といった、架空理論上の概念を持ち出すまでもなく、人類の科学力をはるかに凌ぐ技術を誇る彼らの機械が、10000~20000トンの重量を苦にしたとは思えない。

あるいは一般的なコンセンサスを得ていた様な、一日当たり何十万人の奴隷を駆り出して何十年掛かって、などという、気が遠くなる程の人力を計算するまでもなかったのだ。

エジプトの古文書に、ピラミッドの製作に関して人的能力に換算した具体的な製作記録が遺っている様だが、それは後世の古代エジプト人が、ギザの三大ミラミッドをどうしても自分達が作った事にしたかったのか、彼らの存在以前に存在していたピラミッドを計測して、「例えば」、「自分達が自力でピラミッドを実際に製作したとしたらどれ程の力が必要であったか」という仮定の計算をしてみて、その記述を遺しただけではないだろうか?

ピラミッドを造る作業をしている処を描いた写実的な絵画も、「例えば」、「自分達がピラミッドを創ったとしたら、こうやって創ったのだろう」という空想ではなかったか?

あるいは、実際にその計算を基に自分達もピラミッドを創り、完成させてみた。

そしてその規模で、三大ピラミッドに関しても仮定の計算をしてみたり、絵を描いたりしてみたのではないのか?

事実、10000年以上前の建造物と言われるギザの三大ピラミッドに対し、それ以外の、後期に(エジプト文明が発祥して以降、明らかにエジプト民族の手で)作られたピラミッドも幾つかあって、写真も一目瞭然だが、前者に対して同じ技術で作られたと思えない程稚拙な物だ。


どれぐらい驚異的な技術で作られたかと言うと(私も簡単に言いますが、大変な技術です!)。

「クフ王の墓」と称される大ピラミッドは、底辺の水平面の、絶対水平に対する誤差は10000年も経てなお、1000分の1程度だそうだ。

また10000平方メートル以上の広さの底面を持ちながら、一辺の長さが、西側が230.36メートル、北側が230.25メートル、東側が230.39メートル、南側が230.46メートルで、長さの誤差はわずかに100分の1で、それらの四辺が100分の1度以下の誤差で直角を成している。

まして削って真っ平らにした地表の上にではなく、丘あり窪みありの地面の上に何百トンもの巨石を何十万個も、140メートルもの高さに積み重ねてだ。

方位の正確さも、四面が100分の5度以下の誤差でそれぞれ東西南北を向いているのだ。

現代技術の最先端の専門家も、同様の物が創造出来るかと問うと、不可能だと言う。

これが古代のエジプト人の力で出来たはずがない、と私は考える。

さらに言えば、何千年もの間巨大な地震も地殻変動もなく安定している地盤を、ピラミッド建設の為に確保したという地質測量の知識も持ち得なかったはずだ。


後述するが、レバノンのバールベックやペルーのサクサイワマンなどの超巨石都市、イギリスに代表されるストーンヘンジ、イースター島のモアイ像などに代表される巨石文明、そして、かの、明らかに有名な歴史書としての「三国志」に登場する「万里の長城」のその一部の巨大遺跡、世界中に点在する不可思議な巨石群も同様ではなかったか?

巨石都市や巨大な神殿は、宇宙人の子供達の、地球を舞台にした自分達の創作物であったり、彼らがゲームに使う城塞や目印や遊び道具であったりしたのだ。

彼らの戦争ごっこには当然、我々が子供の頃そうした様に、彼ら、あるいは彼らの祖先が経験した国家、都市、文明、戦争、戦争の舞台などがその記憶に内包されていて、それがそのまま遊びとして意識的、無意識的に拘わらず表現されたとしても、何ら不思議な事ではないのだ。

話をややこしくしたのは、後世の我々の文明が、予め存在していた意味のない彼らの遊びの痕跡を「発見」して意味付けしようとし、自分達の文明の始点として、権威の象徴として、また目的物として使用したからなのだ。


ピラミッド以外にも、ストーンヘンジなどの代表される巨石建造物のほとんどが、例えば方角が夏至や冬至の日の出を指していたり、正確に東西南北を指していたり、あるいは、ギザの三大ピラミッドの土台から頂上までの長さが365(ご存知一年間の日数)×63メートル(地球の半径の1000万分の1!)であるとかするようだし、高さと底辺の周囲の長さの比率が、円の半径と円周の比率と同じだとか、約12500年前のエジプトの星空をコンピューターで再現したら(!こんな事が出来るほど人類は神、「わたしたち」に似て来ました)、三大ピラミッドの配置が、ナイル川が天の川銀河であるとすると、オリオン座の三つの星に対応していたとか、円周率に関連した数値が用いられているとか、うんぬんかんぬん。


また「歳差運動」というのがある。

地球が自転しているのは誰もが知っているが、回転軸のぶれがあるのは余り知られていない。

このぶれが25920年で一周して元の位置に戻るのだが、これを歳差運動と呼ぶ。

このぶれの大きさを12分割して2160年、つまり2160年毎に黄道一二宮と対応させていて、現在は魚座の時代になる。

星占いを信じる貴方、あるいは星占いでお金を稼いでいる貴方、この話ご存知でしたか?

ピラミッドの建設にはこの「歳差運動」も計算されているそうだ。


このような、方角に天文学的な一致を見たり、距離や長さ、高さに、物理学的、天文学的、数学的定数が含まれているのも説明出来る。

子供達は遊びに於いてさえ、位置や方角、距離、角度、長さ、大きさなどの決定をするのに、自分達の学習した記憶の中にある数値を思い浮かべて、それを実際に使う、というのは、我々人類の世界でも良くある事だ。

ただ、そうした単なる「宇宙人の子供達の遊び」を、我々の理解を超える不可思議で驚異的な遺跡にしてしまったのが、その偉大なる遊びの跡を発見して、人類文明として受け継ごうとした当時の人類だったのだ。

宇宙人が母星に引き上げた、つまり神々がいなくなった後、人類はどうしたか?

人類が、そうした「遊び場」の跡を引き継ぎ、利用しようと、自分達の力で真似て作ろうとして、その不可能さを知り、作業を放棄してしまった形跡を「後から造ってしまった」からだ。

未完成のピラミッドを何とか完成させたが使い方が解らず、結局王家の墓にも出来なかった。

イースター島のモアイ像も、既に出来ていた物を真似て作ろうと、掘削現場で何体かを作って運ぼうとしたが、その重さに悲観して放り投げてしまった。

その、作業を放棄してしまった痕跡と残骸が遺っているから、話がややこしくなる。

バールベックやサクサイワマンの巨石都市を拡大しようと考えて、掘削現場で試してみたが、結局無理だと分かって中止したので、採掘現場だけが遺った。

その痕跡を発見した現代人は当然、古代の人々が最初から全てを創った、そして一部の巨大遺跡は何らかの事情や原因で作業を中断してしまった、と解釈するだろう。

私が、それらの建造物を人類ではなく、彼ら、宇宙人の子供達が、「遊びで」創ったと推論する根拠がある。

それは、人類が創ったのなら、何故あれ程巨大である必要があったのかという点である。

勿論彼ら宇宙人の子供達が創り、人類文明が発祥した後、「元々存在した」建造物を、人類が真似て創った物は、巨大であっても不思議ではない。

しかし人類が、自分達が使用する為に創った物が、何故あのように巨大なのか、と言う疑問には応えられない。

彼らが巨大だったかどうかについて、肯定する根拠はないが、人類が創ったという事について、否定する材料があるだけなのだが。


さて、その他のオーパーツの個人的見解に入ります。

まず、「後述」「後述」とずっと引っ張っていた、ボゴタの「黄金ジェット機」について。

1969年、コロンビアで第一号が発見され、それ以来コロンビア各地で十数個発見され、作成年代は約3000年前、「プレインカ文明の時代」と呼ばれる。

最初はただの魚や鳥を象った民族工芸品として扱われていたこの遺物が、単なるジェット機でさえもなく、急速な昇降と高速飛行の可能な水陸両用(!)シャトルの模型だった、というNASAの専門的な研究の結果を知り、私も心踊る思いである。

古代地球の大気圏外の宇宙空間に、宇宙人の巨大な宇宙ステーションが浮かび、その母船から無数の水陸両用シャトルが地上に飛来し、様々な探査や研究開発を行う。

真に、わくわくするようなSF映画の世界である。

しかし、私は、ボゴタの「黄金ジェット機」が、現代文明でも理論上やSF映画の世界でしか存在し得ない、そんなだいそれた物である事を知れば知る程、そしてその実物を見れば見る程、その稚拙さが逆に不自然であり、どうしても子供の粘土細工をイメージしてしまう。

魚や鳥をデフォルメされた当時の民族装飾品で、プレインカ文明の創始者、権力者達が、後世に遺そうとしたとの説が多いが、最先端の現代科学でやっと解明出来たような飛行物体が彼らの民族装飾品であったはずがないし、恐らく神から伝えられたであろうそんな高度な科学技術を、まして貴重な黄金で表現しようとした時、それをデフォルメしたりするであろうか?

後世の人類に何らかの製作意図を遺す為であれば、石板か皮革での精密な設計図を遺した方が、より具体的で簡単であるという観点から正解だったのではないか?

何時も飛行物体で空を飛んでいた神という高貴な存在を表現する為に、貴重な黄金を使用したのだ、と主張する研究者もいるが、それ程貴重な黄金を使用するのであれば、そして神の高貴な存在を示したいのであれば、デフォルメした飛行物体などではなく、高貴な存在自体、あるいは崇拝する神の像、それも写実的な像や物体を造るのではないだろうか?

現に人類の宗教に於けるほとんどが、崇拝する対象は全て写実的に表現しているではないか。

さらに言えば、神が使用していた飛行物体である「ボゴタのジェット機」が黄金であって、「パレンケの遺跡」から出土した高貴な存在を収めた石棺は何故石なのか?

神殿やピラミッドを建設し、死体を棺に納めて安置するという事は、高貴な存在に対する畏敬の表現でも最たるものではないか。

石棺に収められた人物(?)は高貴な存在ではなかったのか?

それならば棺は黄金でなくてはならないはずだ。

ツタンカーメンが良い例だ。

それが我々人類文明に於ける高貴な存在に対する常識的な対処方法だろう。

私はむしろ、「ボゴタのジェット機」は古代インカの人々が創ったのではないと考える。

旧約聖書の創世記の解釈で金に関する記述に触れたが、それでも解る様に、母星に於いて黄金が珍しくも貴重でもなく、またその様に感じない宇宙人の子供達が、自分達のおもちゃやアクセサリーを作る為に、あるいは単なる粘土細工の様な物として、ありふれた金を使って造った、そしてそれを遺して彼らが母星に帰った後、神の遺物としてインカの人々が発見して貴重な宝物とした、と解釈した方が、無理がないと思うのだ。

映画“インディジョーンズ”にも出て来るホンジュラスで発見された水晶のドクロも、同様に考える。

「コスタリカの真球石群」も、現代人類の技術でさえ充分可能である。

身近なところでは、パチンコ球、各種のスポーツに使用するボール、工業用のベアリングのボールなどもほぼ完全に近い真球である。

一番巨大な物で直径2.6メートル、重さ20トンになるそうだが、我々の子供達でも何かを作ってそれが上手く出来たら、どんどん巨大な物を作るではないか。

そして何度も言う様だが、子供達が遊びで作った物に、使用目的や製作意図が無いのは当然だったのである。


前項でも紹介した、信じられない巨石都市にも触れておく。

世界中に巨石で構築された都市は多数存在し、今では世界遺産とされて観光地化しているが、「パールベック神殿」と「サクサイワマン砦」の二つは、そのスケール、あるいはその「不可思議な建設力」に於いて、ギザの三大ピラミッドと並ぶ、或いは凌ぐものではないだろうか。

まず「パールベックのジュピター神殿」。

レバノンのパールベックには巨石で作られた多数の神殿があるが、そのうちでも最も壮大で美しく、有名な存在である。

神々が空から地上へ降りて来る時に使用されたと伝えられているそうだ。ははは。

ローマ帝国全盛の頃、ローマ人によって建造されたらしいが、古代ローマに関する映画は沢山あって、私も結構観ているが、このジュピター神殿を建造した史実に関する映画は未だかつてないし、記録した文書もない。

こんな人類史上でも最大級の神殿を建造したのに、である。

つまり、古代ローマ人が作ったものではないのだ。

古代ローマ人が建造出来たはずがない根拠を述べよう。

写真などでは有名だが、高さ約20メートル程の石柱が6本の、我々の身近にある神社の鳥居さんのような建造物だ。

その神殿の床に使われている9つの石台が、1つ300トンもあるのだ。

これは現代文明でも、吊り上げるクレーンは存在するが、運ぶ事は到底不可能だそうだ。 

反対側にも6つ、やはり1つ300トンだそうだ。

そしてその上に「トリリソン」という3つの石が乗っているが、1つの大きさが19.5×4.4×3.7メートル、推定重量が750~800トン!もあるのだ。

もう現代人類の技術さえ超越している。

それだけで驚いてはいけない。いや、驚いて下さい。

そのパールベックの郊外に神殿を構築する石を切り出した跡があるのだが、その傍に、切り出して、運ぶ途中で止めた(?つまり、少しは運んだのだ)と思われるような巨石が一部砂に埋もれて、放り出されている。

寸法は4.5メートル×4.3メートル×21.4メートル、重量は約2000トン(!)と推定される。


もっと強烈なのがある。

ペルーと言えばインカ帝国。

その遺跡、天空都市「マチュピチュ」と並んで有名なのが城塞都市「サクサイワマン」だ。

最高360トンもの巨石を三段に積み上げたのもすごいが、数十トンから最高360トン(!)ほどの巨石が何万個(!)も、100キロメートル(!)も離れた山の中腹で採掘されて(!)谷底まで降ろされ(!)、川を渡って(!)標高3800メートルの高地まで運び揚げられ(!)、最高一二角形の石まで、カミソリの刃も入らないほど隙間なく(!)組み立てられて(!)要塞が構築されているのだが、その巨石の断面は高熱を浴びた時にしか起こり得ない現象、結晶構造と鉱物の成分比率が変化(!)しているのだそうだ。

メディアは、この途方もない技術を「すごいですねぇ!」と紹介するだけで、具体的な数字を挙げて解説しないのは何故だろうか?

!マークを大サービスで、一〇個も付けてしまいましたが、私が読者に驚いて欲しいのは、これだけではない。

まともな研究者は、説明出来ないからか、取り上げないので余り有名ではないが、そのご近所にもっとすごい物がある。

驚異を通り越して笑ってしまいます。皆さんも笑って下さい。

それは推定20000トン(!!)もある超巨石だ。

それがサクサイワマンの城壁近くの山腹に放り出されて(!!)横たわっているのだ。

勿論述べたように石の採掘場ははるか彼方の谷底で隔てられた向かいの山の中腹だ(!!)。

そしてその巨石の内部がくり貫かれていて(!!)室内のようになっているそうだが、内部は階段があり、テーブルらしき物も座る椅子らしき物もくっついていて、放り出した(!!)時逆向きになったらしく、全てが下を向いてぶらさがっている(!!)のだ。

つまり、誰かさんが、この巨大岩石を、自宅(!!)として使おうと考え、採掘した後内部を加工してから運ぼうとしたのだが、訳あって途中で止めて放り出したようなのだ。

感嘆符の大サービスみたいになったが、この巨石だけは、その存在の不可思議さの余り、どの学者も調べようとはしないようだ。

私はこの巨石の存在を知って内心ほくそえみ、他の全てのオーパーツを差し置いて、お金と暇が出来たら、死ぬまでにこれだけは現地に行って見てみたいと願っている。

そして、もう一つ付け加えると、この二つの遺跡の近くには、相当の広い範囲に及ぶガラス化現象も見られるそうだ。


エーゲ海で発見されたコンピューター。

銅製であるのと、アナログ式であるのが、宇宙人のイメージと掛け離れるが、宇宙人が自分の子供達に、コンピューターの仕組みを教える為に、例えば教育用に、敢えてアナログ式で作ったシステムだと解釈すれば納得が行くはずだ。

世界中で発見される、太陽はもち論、月、水星、金星、火星、木星、土星のカレンダーや、それぞれの惑星の周期を計算した数値、それぞれの惑星の特徴や衛星の数までが伝承されているのも、彼らの子供用の教材か教科書、事典などが遺され、我々人類の祖先がそれを記述して伝承して来たものなのだ。

私の家にも、そんな大それた物ではないが子供用の百科事典がある。

私の子孫達が今世紀末頃に、宇宙の何処かの惑星の開拓団に参加して移住し、子供達が百科事典を現地に持参し、それを原住民の後世の科学の発展の為に、という目的で現地に遺したまま帰還したとしたら、その惑星の原住民達はその百科事典をどうするだろうか?

あるいは、小学生の時に買った百科事典も子供達が成人になって、もう要らないと言った時には、捨てて帰るだろうが、それをその惑星の原住民達はどうするだろうか?

フロッピーディスクか、CDロムの様な物に保存すれば良いじゃないかと思われるかも知れないが、コンピューターなど当然未だ持ち得ず、何時、どんなコンピューターを発明、発展させるかも判らない人類に対して、そんな保存形式を取っても無意味だっただろう。

それ以外で、イラクの乾電池、エジプトのグライダー、インドのアショカピラーの鉄柱(何故錆びないのかは不明だが)、世界中に散らばる水晶球やレンズなど、何の意図や目的で創られたのか不明のオーパーツの数々。

それらはかつて親と共に地球を訪れた宇宙人の子供達の暇潰しか、地球の現地学校の授業で作った工作かおもちゃとして、または遊び、ゲームに使用する道具、あるいはその結果として創っただけであり、彼らが遊び飽きて、母星に帰還する際放置した物であり、製作意図も遠大な利用目的もなかったのだ。


オーパーツは、実存する物体だけではない。

宇宙に関する知識を持っている伝説上の民族は多いが、彼らが科学技術の発展や経験上で身に付ける事が出来たはずがないのに、学者達はそれを話題にする事を拒んでいるそうだ。

多分、現在年表その他で確定させている人類の歴史が根底から崩れるからだろう。


代表的で良く知られているのはマヤ文明。

マヤ文明が、太陽暦を有していたと言うのは、謎ではあるがあり得ない事ではない。

途方もない年月を経て、経験上で太陽の運行を記録し、農耕の為に季節を配慮して太陽暦を作る事が出来たとしても、有り得ない事ではない。

しかし、彼らが有していた金星のカレンダーは別物だろうと思う。

彼らは望遠鏡も分度器も持たず、金星の周期を584日(現代の天文学の計測では583.9日)としていたのを、彼らの文明から想像する事は突飛過ぎる。

いや彼らの文明の程度を考察すれば、太陽暦でさえ、彼らは現代文明が割り出した365.2422日とほとんど誤差のない、365.2420日としていたのは、まさに驚異的である。

しかし、しかし、だ。何故マヤ文明は、地球のカレンダー以外に金星という星のカレンダーさえも持っていたのか?或いは何故、他の惑星のカレンダーは持っていなかったのか?


ここで、ふと想い出した事があるので、金星について触れて置きます。

 金星とは、勿論皆さんご存知のように、地球の、太陽側のお隣りさん、太陽系の惑星で内側から二番目に位置する惑星です。

 この星は少し変なのです。

 どう変か?というと、太陽系の全ての惑星は同じ方向に自転しているのに、金星は逆周りに自転しているのです。

 それと、もう一点変なのは、太陽に最も近く、太陽熱を浴びている水星の、太陽に当たっている表面温度が約180度位であるのに対して、水星よりも太陽から遠くにある金星の表面温度は400度近くあるそうで、また大気圧が90気圧という観測結果が出たそうです。

 この観測結果を踏まえて、金星は、太陽系惑星が形成されたのとは違う要因で形成された、という説を唱える人もいます。

 また大気は二酸化炭素がほとんどで、わずかに窒素が含まれていて、表面を二酸化硫黄の雲が覆い、硫酸の雨が降っているそうです。

 ついでに掘り下げてしまいますが、ボーデという学者が、太陽系の全ての惑星の太陽からの距離を数式で表す事が出来るという法則を1772年に発表しました。

 これを元に、他の学者が1781年に天王星が発見したそうです。

 太陽系の形成、太陽系の惑星の形成は、物理学的、数学的な存在なので、そうした数式で表されるのは、なるほど、なのです。

 そして、この数式で行くと、火星と水星の間にも惑星がないとおかしい、というので、多くの天文学者がこのエリアを天体望遠鏡で観測し始め、数百万の小さな星屑を発見し、アステロイド帯と命名しました。

 何故ちゃんとした惑星にならなかったか、というと、もう一つ隣の木星の質量が大き過ぎて、その引力の影響を受けて、ちゃんとした惑星にならなかった、というのが一般的な定説です。

 しかし一方で、かつてこのエリアにはちゃんとした惑星が存在したが、何かの原因で爆発し、それが粉々になって、宇宙空間に浮いている、という説を唱える人もいます。

 そして、その五番目の惑星にはかつて、地球のような高度な文明があったが、何かの原因で爆発した、その文明こそが、アトランティス文明、ムー文明だというのです。

 先述したように、それらの文明が地球以外の天体にあった、という意味で、私もちょっとこの説には心が傾きます。

 彼らが神、宇宙人で、だから、とんでもない、縁もゆかりもない遠くの天体からやって来たのではなく、二軒隣の惑星に逃げただけだ、というのも説得力があります。


 ただ、もう一点、このアステロイド帯には、セレスという小さな星が存在します。

 アステロイド帯の星屑は、真に星屑で、歪な形をしていますが、セレスは、他の太陽系の惑星や衛星と同様、きれいな球体をしています。

 という事は、セレスは太陽系の他の惑星や衛星と同じ時期に同じ過程で誕生したはずであって、大きな惑星が爆発して出来たとしたら、他の星屑と同じように、歪な形をしているはずですし、元々その辺りに存在していたとしたら、大きな惑星の爆発に巻き込まれていたはずです。

 不思議ですね。


 で、やっと話を戻しますが、その時に爆発した惑星の巨大な塊が太陽の引力で引っ張られて地球の傍を通り、今の位置に落ち着いて出来たのが金星である、という説を唱える人もいます。

 そして、金星が地球の傍を通る時に地球に燃えたぎった硫酸の雨を降らせた、それが世界中の民族の「神が天から火を降らせて人類を滅亡させた」伝説を産んだというものです。

 神、宇宙人が存在した惑星が爆発して金星を産んだという事から、「神が天から火を降らせた」という言い方にも当てはまる訳です。

 でも、ちょっと待って下さい、ですよね?

 金星の存在もボーデの法則の計算には含まれているわけで、太陽系が形成された時に、金星が存在すべき位置に惑星がなかった事になります。

そこへ、五番目の惑星の爆発の際に、巨大な一部が飛んで来てその位置に納まった、って、何か都合が良過ぎませんか?

でも、こじつけたらこじつけられない事もない話ではあります。

しかし私には、この五番目の惑星で文明を築き上げた人類、多分イメージからは、私の隣にいるかも知れないような存在が、神であるという考えには違和感があります。

私のイメージする神は、人類に姿形は似てはいてもはるかに巨大で、太陽系の存在をはるかに超越した時間に存在し、我々が知る限りの宇宙をはるかに超越した空間を操る存在なのです。

 ただ、マヤ人が、この変な星、金星のカレンダーを持っていた、恐らく神から教えられた、というのは何処かつながりがあるようには感じます。

 五番目の惑星にもかつて神、宇宙人が創造したアトランティス文明、ムー文明が存在し、それを彼らが滅亡させた?・・・


さてマヤ文明というと、何処か神がかり的なイメージ(神様のお助けがあった文明の匂い)があって、別に不思議ではないと思われる方も多いかも知れない。

もっと驚異的な民族がいる。

それも栄華を誇ったマヤ文明のように、過去の歴史上に存在した文明ではなく、文明らしい文明も保有していない現存する民族である。

南アフリカにドゴン族という、ほとんど絶滅しかかっていて、つい最近まで人喰い族だったそうで、彼らの集落が世界文化遺産に登録されたほど、現代でも裸族(最近では部屋の中で、全裸で暮らす人をそう呼ぶが、そうではなく本物の)に近い未開文明の民族がいる。

彼らはシリウスを知っていた!それもシリウスが二連星である事を。

シリウスAは非常に明るく、普通の視力があれば肉眼でも見えるので、誰でも知っていて、彼らのような未開民族が知っていても不思議ではない。

ところが彼らは、人類が一九世紀に入って発明した天体望遠鏡で初めて発見出来た程見えにくいシリウスBも知っていたのだ。

これは視力五以上の人もいると言われるアフリカの人をもってしても不可能だろう。

さらに、彼らはシリウスの存在を単純に知っていただけではない。

 シリウスBが楕円を描いてシリウスAの周りを50年周期で回っていて、地球上でもレアな重金属で出来ているという事さえ、彼らは知っていたのだ。

 それこそ、天体望遠鏡も分度器も持たない彼らが、何故50年周期だと知っていたのか。

 彼らはそれ以外に、地球が自転しながら太陽の周りを公転している、月が生物の住めない星だ、木星に四つの衛星がある、土星に輪がある、そんな伝承も持っているという。

 因みに彼らの祖先は宇宙からやって来たという伝承があるそうだ。


 もっと身近なところでは仏教がある。

 私達に馴染みのある宗教だが、馴染んでいるわりにはほとんどの人がその源泉を知らない。

 仏教では、世界(宇宙)を「須弥山」といい、虚空の中に「風輪」という円盤が浮かんでいて、その上に「水輪」という、直径が1203450由旬(1由旬は約7キロメートル)、高さが800000由旬の円盤が乗っていて、さらにその上に、同じ直径で高さが320000由旬の「金輪」が乗っているのだそうだ。

 こんな、インドどころか、地球・・・どころか、宇宙並みのスケールの世界を、釈迦は坐禅を組んでいた時に想像出来たのだろうか。


オーパーツには、三種類あると思われる。

一つの分類は今まで述べた子供の玩具、遊びの道具、舞台として、或いは子供の教育用の物。

そして二分類目は、オーパーツの中には確かに子供が作った物ではなく、明らかに使用目的も製作意図も窺える物もある。

世界中で多数発見されている人類未踏の地域の地図。

これらは宇宙人達が地球を開拓する為に研究、調査、観測目的で作製した物と推測出来る。

この代表が先述した「トプカピの地図」。

これは子供の仕業ではなく、大人の宇宙人が何らかの調査観測を目的として作った物が遺されたのだと考えられる。

三分類目のオーパーツは、カリフォルニアの点火プラグ、ネバダの金の鎖、イギリス、ラザフォードの金の糸、イングランドの釘、ザルツブルグのニッケル合金、中国、江蘇省のアルミニウム製ベルトバックルなど、彼らが母星に帰還した後の忘れ物、落とし物、あるいは自分達の存在を意図的に遺しておいたと想われる、遺品である。


こんな事ばかり述べていると、研究熱心なオーパーツの専門家の方は怒られるかも知れないし、嘲笑われるかも知れない。

巨大遺跡やオーパーツを、「誰が」「いつ」「何の為に」「どうやって」作ったのか?

見識者達はそれらに関して回答するが、しかしそれも、解説の語尾に必ず、「ではないか」、「と思われる」、「の可能性が高い」という言葉を必ず付ける。

誰が?

さすがに「職人さんが作った」とは言わないが、その時代の王、王の名前が判らなければその民族が作った、と言う。

当たり前過ぎませんか?

いつ?

これは科学的な分析をすれば解るから、正解は出ている。

何の為に?

ほとんどの異物に対して、王の権勢を誇る為だとか、宗教的な儀式に使う為だとか。

いわゆる、後付け、ですね?

では「どうやって」?

どの見識者も、どうやって作ったのか、に関しては触れないのだ。

それがその時代の人々の文明、科学技術では作り得ないものだと、判っているからだ。

それを説明したら、常識的な見識者としての社会的立場を失いかねないからだ。


小さな子供のいる家庭の日常生活に於いて、子供の遊びを観察し、考えて見たら良く分かる。

ノートや、広告の紙、場合によっては壁や、公園、砂浜の地面にする落書き、プラスティックや厚紙で出来た容器、紙や木材で出来た空き箱や棒、山や海に行った時に拾って来る石や木片等を使った訳の解らない工作物などは大抵の場合、我々大人の視点からみれば、「こんな物の何処が面白いのか?」、「何故こんな物が大切なのか?」、「これを何に使うのか?」と首を捻ってしまう物ばかりなのである。

家族で旅行に出掛けたとしよう。

その旅先で、私と妻が何かの仕事や所用をこなしていたり、または自然の景観の美しさや素晴らしさに一時を忘れている時、親類の冠婚葬祭で故郷に帰り、私と妻がその式次第に従っている時、私の子供達は親と同じように振る舞っているだろうか?

彼らは一時も身体を休める事なく、限界の限り駆け回り、親にとっては「何処が、何が、何故そんなに面白いのだろうか?」と思う様な、風変わりな新しい遊びや工夫を次々と思いついてはそれに興じているのである。


§核戦争の記述は宇宙人の記憶

さて古代インドの古文書である「マハーバーラタ」「ラーマヤナ」について。

二つとも、ヒンドゥー教の最も重要な聖典とされる神話叙事詩で、「マハーバーラタ」は聖書の四倍、「ラーマヤナ」で聖書と同じ位の長さであるという。(一度全編通して読んでみて下さい。私は嫌です)

それぞれヒンドゥー教の神話に始まり、古代インドの民族間戦争の始終を綴ったもので、その中に宗教的教えを盛り込んであるそうだ。

私はとても読む気にはならず、研究家の著書を読んだだけなのだが、驚くのはその中で使用される兵器の描写で、ある物はまるで原子爆弾その物であり、ある物はレーザー ビームのようであり、それ以外にも現代にもあり得ないような兵器が出て来るようだ。(ちゃんとした研究家が書いているのだから、間違いない)

私はそれが実際に起こった核戦争に関する記述であるという説を、内容に関しては、無条件で肯定する。

その他の世界中の古文書や伝説でみられる同様の記述についても、私は納得している。

しかし、それらが、現代人類以前の人類が核兵器を発明し、それを用いて太古の地球上で核戦争を起こした、その記録であるという説については、やはりどうしても反論したい。


誤解のないよう、再度述べるが、私は、現代人類こそが宇宙史上最高の英知を誇る文明を保有している生物であるなどという、うぬぼれた固定観念を持ってはいない。

でなければ、どうして宇宙人が我々人類を創ったなどと主張出来るだろうか?

ただ前述した様に、核兵器、核ミサイルの持つイメージが、古代の石で出来た城塞や都市とどうしてもマッチしないのだ。

想像力の貧困な私の頭の中には、古代の核兵器は「石の槍の先端に核爆弾を括り付けて、象の背中の上から力持ちの兵士が大きな弓矢で飛ばす兵器」としてしか、思い浮かばない。

かつての人類が太古に核兵器を保有していたと仮定しよう。

それは形態こそ多少の違いはあっても、現代の我々の文明と同様で、最先端の科学技術の頂点であるはずだ。

その裾野である様々な科学分野に於いて、それ以外の多方面の科学技術の発達が見られなければ不自然ではないのか?

そもそも実験室での核実験はどうやったのか?

百歩譲って計算上の理論は発見したとしよう。

いきなり核爆弾を完成させて、それを戦争に使って爆発させたのか?


中学生の時、化学部の部長だった私はこっそり、ビーカーに少量のニトログリセリンを造って校庭の片隅の、山を切り崩した崖下に置き、パチンコで小石をビーカーに当てて崖の一部分を噴っ飛ばしてやろうとしている処を教師に見つかり、大目玉を喰った事があるが、そんな遣り方で実験した訳ではあるまい。

小規模な実験を何度も繰り返した結果、実用化出来たのではないのか?

その実験室は、核反応炉は、まさか花崗岩で出来ていたのか?

実験者はまさか裸でいたのか?

核爆弾を発明し、それを用いて戦争をするのであれば、ロケットや爆撃機や核シェルターも用意するはずであるが、それも石で造ったのか?

地球上の幾つかの地点で核爆発らしい痕跡が続々と発見されている事に対して、それがかつて核爆発のあった証拠である事を、私も否定しない。

しかしそれをもって即座に、かつて地球上に現代人類とは違う太古の人類が輝かしい文明を築き、核兵器さえ開発し、それを用いて民族間で戦争したせいで彼らは全て滅びてしまった、という説に飛躍するのは余りにも乱暴ではないだろうか。

因みに、「ツングースの大爆発」は、核爆発の痕跡ではあるが、核戦争の痕跡ではない。

先述したが、「ツングースの大爆発」に触れておこう。


1908年、シベリアのツングースカ川上流地域の6000~8000メートル上空(!)で、推定の質量10万トン、推定の大きさが直径60~100メートルの物体の大爆発が起こった。

破壊力は10メガトン以上だと推測される。

この大爆発が謎とされているのは二点。

一点は、空中で爆発した事だ。

普通、爆発物と言うのは、何かのショック、つまり普通の飛行爆弾であれば地面に激突したり、瞬間的に非常な高温になったり(大気中を落下して摩擦熱で限界点を超えて爆発した?)、あるいは時限爆弾のように電流が流れたりして、ショックを受けなければ爆発しないのだ。

もう一点は、先述した程の大きさの物体が爆発したのに、爆発跡の調査を100年近くしても、爆発した物体そのもののかけらさえ出て来ないという事実だ。

物体が大爆発で粉々になったとは言っても、欠片くらいは出て来ても良さそうなものだ。

唯一、地球ではほとんど存在しないと言われている希少元素のイリジウムが相当量検出され、そして通常の数十倍の放射能(!)が検知されたそうである。

その爆発規模は驚異的なもので、半径30キロメートルに渡って森林が全滅し、1000キロメートル離れた家の窓ガラスが割れ(チェルノブイリ原子力発電所の爆発の数倍の距離!)、生じたキノコ雲(だそうだ!もうそれだけで核爆発じゃないか!)は数百キロメートル離れたところからでも見え、ヨーロッパでは数ヶ月間白夜の状態が続いたとされる。

爆発した物体自体の痕跡が全くない処から、私は余り正統派ではない一部の研究者が主張するように、この「ツングースの大爆発」は、飛来した彗星、または小惑星、或いは宇宙人の飛行物体の空中爆発?それも核爆発(つまり核燃料が内在していた?)であったと確信している。

検出されたイリジウムを除いては、太陽系が出来た際、地球とほぼ同じような生成物で出来た彗星が地球上で爆発して粉々になっても、イレギュラーな物は発見されるはずがないからだ。

ただ、地球の表面に激突した衝撃のショックで爆発したのではなく、空中で爆発したと言う事実は引っ掛かる。

つまり、時限爆弾、あるいは遠隔操作で爆発する核爆弾、先述した神が意図する「人類滅亡の武器、彗星」だと思うのだが、皆さんはどう思われますか?

同様に考えると、南西アジア、北アフリカに多く発見されている砂漠のガラス化現象も、やはり彗星の衝突の痕跡だったに違いない。


何度でも繰り返すが、核兵器を発明し、実用化していたのなら、それを敵地で爆発させる為に、高性能の飛行機なり、コンピューター制御のミサイルが必要だし、また、敵国にしても、相手国が核兵器を保有している事が解れば、レーダーを備えたり、対空ミサイルを装備したり、合金で出来た核シェルターを築いたりするはずだ。

さらに襲撃を受けても被爆しない為に、戦闘服は合金か特殊な化学繊維で出来ていたはずだ。

古代インド文明の遺跡から、そうした合金で出来た飛行機やミサイル、レーダー、コンピューター、実験室、核反応炉、戦闘服などが大量に発見された上での説であれば、私は言を待たないで肯定する。

しかし現時点では何もないのだ。


では「マハーバーラタ」、「ラーマヤナ」で記述される核戦争、その他、世界中に遺る核爆発、あるいは人類の文明をはるかに凌ぐ武器を用いた戦争を記述した、例えば「ヨハネの黙示録」などの古文書や歴史書、伝説は何なのだろうか?

それが全くの事実、または事実に基いたフィクションであった事は間違いないと思う。

しかし、私はやはり、「人類が」「地球上で」という部分を消去してしまうのだ。

核戦争は地球上の何処であったのか?

「マハーバーラタ」「ラーマヤナ」に出て来る地名や人名と、古代、または現在の地名とを関連付け、そこが核戦争の舞台になったと唱える研究者も多いが、私は逆もあり得ると思う。

つまり、「マハーバーラタ」「ラーマヤナ」は宇宙人の母星での戦争の歴史的事実、あるいは事実に基いたフィクションであり、その中に出て来た地名や人名をもじって、「マハーバーラタ」「ラーマヤナ」を宇宙人から引き継いだ古代人類が、後世になって自分達の築いた都市や住んだ地域に付けた、という解釈も成り立つはずだ。

我々の世界でも、「~~のゆかりの地」という地名や、「~~にあやかって付けた」地名、「~~に因んで名付けた」地名があるではないか。


シュリーマンがホーマーの「イリアス」を元に、トロイを発掘したのは有名な話である。

トロイ戦争は、神こそ出ては来るが、私達の友達のような神であり、我々現代人類文明の発展途上の古代でも、充分有り得た話であると思われる内容なのだ。

この古代インドの二つの叙事詩や「ヨハネの黙示録」に出て来る戦争の記述は、同じ古代の戦争でも、使用された武器などから判断して、そのスケールと内容が違い過ぎる。

もち論これを古代インド人やヨハネが、想像で作れるはずはないのは当然だが。


地球上の人類は20世紀に於いて初めて核兵器を持ち、戦争に使ったのだ。

核戦争に関する言い伝えは真に太古の地球上で人類が起こした史実、または言い伝えではなく、宇宙人の母星、世界での事実、または事実に近いフィクションではなかったのか?

また私が本文中で、地球上での存在を否定し続けたアトランティス文明、ムー文明も、宇宙人自身の、母星での、あるいは宇宙旅行中での体験の記憶ではないのか?

彼らが以前に何処かの星で地球同様の開発をし、人類を滅亡させた、そのうしろめたい記憶を、明確な記述ではなく、言い伝えの伝説にして、地球人類への戒めとしたのではないか。


かつてプラトンを夢中にさせ、彼の人生の後半の全てを注がせた、さらに現代でも多数の研究家やトレジャーハンター達が憧れ、探し求めるアトランティス文明、あるいはムー文明、それは地球上の話ではないのではないか。

プラトンが聴いたというアトランティスの伝説に出て来るオリハルコンという金属(?私はアショカピラーの鉄柱はこれではないかと、勝手に想像していますが)、大勢のアトランティス研究家が永年掛けて、最先端の現代科学の粋を集めてさえ、発見も発明も、またそれがどんな物質であったかも解明も出来ない物質、それは地球上に存在する物質ではないのではないか?

プラトンが描き遺したアトランティス王国の都市の想像図がある。

私には円形の巨大宇宙ステーションに見える。


§人類は「私たちと似た様に」なった

そもそも旧約聖書を代表とする宗教書、古文書、伝説の存在は何を意図したものだろうか?

宇宙人が、自らを「神」に置き換えて古代人に話して聞かせ、それを聞いた者が書き記して後世に遺した。

あるいは宇宙人が後世の人類に伝えさせる目的で話して聞かせ、書き遺させたには違いない。

しかし何故、人類が二十世紀末になってやっと得た現代文明によって、初めてその内容が理解出来る聖典なのか?

何故数千年以上も経たなければ、真実の内容が理解出来ない様な文章を遺したのだろうか?

聖書が読みつがれ、研究が続けられて、現代に至って初めて、「神」が架空の存在ではなく、実際に存在したと信じる人が次第に増えて来た。

つまり人類がこれだけの高度な文明を築き上げた時初めて、聖書に書かれている事が単なる宗教的な逸話ではなく、真実であると理解し得る内容になっている。

過去に於いて単なる宗教的経典として盲目的に信仰されていただけだった聖書が、現在に至ってやっと記述されている事が科学的に、盲目的にではなく合理的根拠に基づいて解明され、証明され始めたのだ。

オーパーツも何世紀か昔に発見されてたら、ただの訳の判らない物体でしかなかったはずだ。

現代の科学力をして調査し、初めて人類の科学力では作り得ない存在である事が解るのだ。


人類が発展し、現代の文明、科学力を持ち得て初めて宇宙人、神の存在を信じ始めている。

それは取りも直さず、宇宙人に創造された我々人類が、宇宙人にとって「私たちと似た様に」なるまで進歩したからに他ならないのではないか?

そしてその事こそが、彼らが最初から意図した事ではなかったのか?


ところで旧約聖書の文章全体には最新コンピューターでもなかなか解読出来ない様な、複雑で特殊な数値で表される暗号文が秘められていて、現在専門家が解読中だそうだ。

聖書はただでさえ難解な文章で構成されているのだが、神が人類に対して「この様に生きなはれや、わしの言う事きかんと滅亡させるで」という教えが書かれている、宇宙人が人類に対して交付した自己保存マニュアルである。

そこにさらに難解な暗号で、現代の科学力をもってしても未だ解明出来ない様に綴られた暗号の文章とは何について書かれたものだろうか?

「わしの言う事きいて生きる子は偉い子、きかん子は滅ぼすで」という教えであれば、文中でくどい程語られているはずだ。

そんな単純なものではなく、人類がその難解な暗号を解読出来る程の英知を身に付けた時、初めて知り得る秘密の啓示。

人類の発展途上では未だ伏せておきたかった、未明の啓示。

それは、恐らく人類にとってろくな内容の事ではあるまい。

どうやって生きようが、結局人類は、地球は滅亡するのだとか、人類が「天地を造り、生物を造り、人さえ造る」事が可能になり、宇宙人と「似た様になった」時が我々人類の滅亡への始まりである、なんていう啓示でない事を祈りたい。


§宇宙人は地球に子孫を造ろうとした

宇宙人はかつて地球を訪れ、人類を「遺伝子操作」と「脳手術」と、「近親相姦の奨励」によって突然変異を促し、進化させて文明を築かせた。

そして彼らの意志にそぐわない方向に進化し始めた民族を、天地創造の際に予め用意しておいた消去装置である「核」、「彗星」、「細菌」により、あるいはインプットして置いた「種の存続」に対する願望と「自己滅亡」に対する恐怖の本能によって、戦って殺し合い、滅亡させ合い、現代まで至らせた。

世界中のほとんどの民族に遺されるあらゆる「洪水伝説」、「神の火伝説」、「地殻変動伝説」は「彗星」を使ったのであり、地球上の多数の核爆発の痕跡は「核」で、そして都市の遺跡のみを残して幻の様にかき消え去り、痕跡も遺さなかった民族は「細菌」(または生化学兵器)で滅ぼしたのだ。


宇宙人は実は血脈を絶やしたくなかった。

自分達の子孫が欲しかったのではないだろうか?

「わたしたちの像に」、「わたしたちと似た様に」とはそういう意味だ。

そして可能な限り自分達の「血」を薄めない為に、「生めよ、増やせよ」と言って近親相姦を繰り返させ、自らも人類とセックスして子供を設け、遺伝子操作やクローンの製作を行った。

「生めよ。増やせよ」と言いながら、モーゼの「十戒」では「汝、姦淫するなかれ」と言ったりして、矛盾はあるし、民族、宗教によっては、一夫多妻もあれば一妻多夫もあるし(羨ましいかな?)、婚姻者が浮気したら死刑になるとか(日本でも江戸時代はそうだったらしい)、他民族や他の宗教の信者との性交を禁止している民族もあり、彼らの意図がいまいち解りませんが、創世記をずっと読み下って行くと、間引きと近親相姦のオンパレードである。

自分達の子孫が劣性遺伝(?)によって「悪」に変化して行く様になると、それを互いに殺させ、追放させ、場合によっては、自ら手を下し、民族ごと、都市ごと滅亡させた。

そうして出来上がった現代人類は彼らにとって、多少の不満こそあれ、立派な彼らの子孫、後継者ではないだろうか?

我々現代人は、我々を造った宇宙人にとっては規格適合製品なのではないか?

「核エネルギー」は既に多方面で利用されているし、「微生物」「細菌」を使用した兵器も、既に多数の国で保有されているだろうし、既に密かに使用されているかも知れない。

聖書の「エゼキエル書」に出て来る様な惑星探査船も既に実用化されているし、「ヨハネの黙示録」に出て来る様な、現代の科学技術を超越さえしている超近代戦争さえ、もうすぐ行える様になって来ている。

さらに遺伝子操作によって植物の新種はおろか、動物の変種さえ創り出す事が出来る様になり、ついに「わたしたちと似た様に」人間のクローンさえ創る事も理論的には可能になり、創造物の最高峰たる人間について、そのクローンの製作を許すのかどうかの熱い議論が世界中のマスコミ、医学者、宗教家、哲学者などの間で交わされている。

古代人がひたすらひれ伏すしかなかった神の、聖書に記述された驚異的な所業のほとんどが、現代に於いて続々と科学的に実現され、あるいはその可能性を立証され続けている。


後百年もしたら太陽系の辺境の「オールトの雲」まで出掛けて行って、辺りに浮かんでいる「彗星」にロケット推進装置を取り付けて他の恒星系に向けてぶっ飛ばし、リモコンで操縦して衝突させる事だって可能になるであろう。

例えば手ごろな大きさの「彗星」を引っ張って来て、太陽系全体に大きな影響のない程度の規模で、火星にぶつけてみるとどうなるだろう?

そのショックで火星内部の地殻活動が再度活発になり、現在より強力な磁気や引力、高熱を帯び始めないだろうか?

そして衝突した彗星の氷核が溶け、火星の局地の氷も溶け、炭酸ガス、メタンなどの多少の大気と海が出来ないだろうか?

そこへ生物進化の源になった微生物を大量に放り込む。

そうすると、火星はもしかして第二の地球になりはしないか?


神は未だ二〇万年前から続いている「七日目」で「休んでおられる」ままであるだろうが、神が楽しかった週末のレジャーを終えて本来業務に戻った「七日目の最期」、我々現代人類とその文明を見て、恐らく合格点を付けるだろう。

「核」、「細菌」、「彗星」を操り、「自分達に似せて」クローンさえ造れる程の科学文明を築いた現代人類は、彼らのお眼鏡に適っているはずなのである。

そして「七日目の最期」、それが「定めの時」、または「審判の日」なのであろうが、彼らが我々現代の人類を見て、失敗を悟って人類を消去するのか、自分達の立派な子孫として認定書でもくれて、自分達の母星か、何処かの「天国」なり「楽園」なりに連れて行ってくれるのか?


近未来の人類滅亡が懸念されているが、仏教の根本的な教えをご存知ですか?

知らない人の方が多いと思うのですが、「弥勒が56億7000万年後に天から降りて来て、地上を楽園にして人類を救済するから、どんな困難、苦労、不幸があっても、それを信じて、祈って待ちなさい」というものだ。

普通の国語辞典で「仏教」の項に載っています。

仏教も勿論正しいのだろうから、それを信じるとして、弥勒が救済すると約束しているという事は、56億7000万年後まで地球と人類が存在している、という事だ。

私は後数十年で宇宙の塵に戻るので関係はないが、何となくほっとしてしまう。

しかし弥勒がわざわざ地上を楽園にして、救済する、という事は、それ程人類が不幸になっているという事であり、そして弥勒がその事を知っている様な話ではないか。

そして人類は56億7000万年後の救済を信じて、その気の遠くなる時空を生きて行くのか。


しかし、一体何の目的で人類は、宇宙は、太陽系は創られたのだろうか?

宇宙が神の存在する以前から存在したのであれば、宇宙のその存在意義や存在価値を議論するのは無駄な詮索だろうが、神が宇宙さえも創ったのであれば何の目的で創ったのだろうか?

宇宙は物理的、化学的に一定の整合したメカニズムによって成り立っているはずなのに、人類科学では未だ解明出来ない、理解し得ない無数の不可思議な謎に充ち溢れている。

そして宇宙の膨大なスケールもやはり、人類が未だ実用化出来る理論による速度、距離で構成されてはいない。

と言う事は少なくとも、宇宙は現代の人類にとっては未だ、現在の人類の為に用意された存在では無いのだ。

例えば、笑い者になるような話だが、電磁波や光の速さ、或いは人類が使用する宇宙ロケットを、DVDの早送りのように、○倍速に出来るような技術の可能性はないのだろうか?

現実(ではないな、宇宙人の存在は未だ非現実的だ)、彼らは宇宙を移動するのにスペースシャトルを利用している訳ではあるまい。

光速の数倍、数十倍の速度を利用しているに違いないのだ。

あるいは光の速度を実現するより、逆に運行する空間を短縮するとか、圧縮するとか…。

以前何かの本(相対性理論の話かなんかだったかな?)で、空間に強烈な磁力を掛けて捻じ曲げ、現在存在している立地と目的地とを、セロテープを輪っかにしてくっつけるようにすると、一瞬で移動出来るって言う話を読んだ事がある。

そんな数万光年、数億光年先の空間を捻じ曲げるには、ものすごい磁力が必要だろうから、例えば、1000メートル先の空間を、紙を折り畳む様に足元に持って来て、次の1000メートル先の空間をまた足元に持って来て…、と言う具合にして行くと…。

 エスカレーターを想像してしまいますね?

でも、多分、あいつらは、そんな方法を発見して実用化しているのだと思う。

何てたって、人類だって100年前まで、空を飛ぶなんて夢の夢だったのだから。

もう少しだ。頑張ろう、人類!


それとも旧約聖書に記述されているように、彼らは時を超えて生きる存在なのだろうか?

相対性理論で、光速で移動する人間と、地球上に存在する人間とでは、存在する時間がとんでもなく違うそうだ。

地球上の我々の50~100年が、光速で宇宙を移動している彼らの数秒にあたっていても不思議ではないな。

日本にも「うらしまたろう」というおとぎ話がありますね?

アダムが930歳まで生きたという旧約聖書の記述は、彼が時折、神と一緒に宇宙を移動していた、或いはエデンの園が彼らの宇宙船であったとしたら、不可解な数字ではない。


それにしても神が宇宙全体と人類を創ったのだとしたら、人類にどんな因果関係を期待し、あるいは強要して創ったのか。

逆に「天地創造」以前に宇宙と太陽系が予め存在していたのなら、その宇宙の最果ての片隅の惑星にどんな存在意義、存在価値を期待して開発し、生物を創り、そして人類を創ったのか。

いずれは人類の知恵か神の教えかによって、全ての宇宙の謎が解明され、あるいは新たな理論や方式、物質などの発明発見によって、気の遠くなる程の距離と速度が解消され、人類が宇宙全体を掌握するかも知れない。


彼らは何処かで観ているに違いないのだ。

人類が彼らの仲間たり得るかどうかを。

「ノアの方舟」事件の時代の世界の在り様とは、現在のようではなかったのか? 

神はかつて複数で地球を訪れ、地球のあちらこちらに、自分達に似せて人類を創り、それぞれに自分達の教えを遺した。

これが人種と宗教の相違の発生である。

同時に遺伝子操作によって、正義、倫理、道徳、またそれらと相反する快楽、欲望、あるいは向上心(競争心)、同朋意識(排他意識)、あるいはあらゆる生物に対しても、生存本能、種の保存本能などを、内的因子として持たせた。

さらに外的因子として、人類文明が進化するに連れて破壊されて行くような地球環境、自然を創造した。

我々人類は歴史上ずっと、地球のあちらこちらで異なる人種、異なる国家、あるいは異なる宗教の元に互いに排他し合って争い、殺し合って来た。

そして特に近代に於いて何度も、人類全体が滅亡しそうな戦争や危機さえ引き起こしている。

自己の正義、道徳、倫理を振りかざして。

現在でも地球上での紛争や戦争をしている地域は100を超える。

神は天地創造で、人間に「子を生んで多くなり、地に満ちて」、「あらゆる生き物を服従させよ」と宣し、それを「祝福」した。

その結果はと言うと、食料危機をもたらす世界人口の爆発的増加を促し、互いに食料、あるいは工業原料を奪い合う為に、歴史上数限りない国家間の侵略戦争を引き起こした。 

そして現代に於いては、食料や工業原料の存在は、その先物取引で得したり損したりして、個人や民間企業だけでなく、国家経済まで左右するが、直近で、投機マネーによる原油の値上がり、バイオ燃料による農産物の値上がりは、既に国家単位ではなく、地球レベルでの問題になっている。


何故神は地球上に異なる人種を創り、異なる宗教を持たせ、異なる国家を創らせたのか?

そして何故生存本能と種の保存本能を植え付け、互いに争う様に仕向けたのか?

敢えて人類が最終戦争の道を辿る様に仕向け、その結果生き残った人種、国家を、彼らにとって最高の後継者として選択するつもりなのだろうか?

そう考えると、人類全てが民族、国家、宗教を超えて協調し、永遠の地球平和を唱え、平和の為の行動を起こすのは神の願う処ではないのかも知れない。

その最終戦争は起こるのか?

それは何時なのか?

神は何を望んでいるのか?

 創世記第二章第三節、「造るために神が創造を行った」。

何を「造るため」なのか、我々は未だ知る手掛かりを持たない。

真にのみぞ知る。


§2012年12月21日

昨今2012年12月21日に地球、または人類が滅亡するとあちこちで噂されていた。

その根拠は、というと、グローバル トロッターという人(?)の言葉を借りると、以下の通りである。(インターネットで検索したら最初に出て来ました)

マヤのカレンダーは5125年を一サイクルとして25625年、五サイクル続いて来たのだが、その5サイクル目が今年、2012年12月21日で終わり、それ以降、つまり6サイクル目がない、というものだ。

各サイクルの最後の25年間を“アポカリスプ”と言い、「ベールがはがれて真実(神の意志)が現れる時」というニュアンスだそうで、さらにそのうちの最後の20年間が“カトゥン”と言い(この言葉のニュアンスは書かれていない)、そのまたさらに最後の13年間を“ダークネスの時代”と言い、「この地球上に住む人類が“変化するかどうか”を選択する、最後のチャンス」というニュアンスなのだそうだ。

もう一人、フォトンベルトという人もブログに書いていたが、文字が小さ過ぎて、読むのを止めましたが、多分同じような内容だと思います。


グローバル トロッター氏は続けて、世界中の国々の動向を取り上げて、それらしき事を書いているが、国家間、民族間の争いなど、数千年前から繰り返されているし、経済の異変が地球全域的に起こったとして、またそれが第三次世界大戦につながったとしても、中立の立場をとって戦争に参加しない国もあるだろうから、全人類の滅亡に直結するとは考えにくい。

取り敢えず、「ベールがはがれて真実(神の意志)が現れる時」というここ25年間、それらしい兆候はないようだし、マヤの伝承者達の一部(?ほとんど?)は、「何も起こらない」「このカレンダーの事を知ってインタビューに来たマスコミの人達が誇大解釈して、さらにそれを誇大して騒ぎ立てているだけだ」と言っているそうだ。

さもありなん。


因みに私の娘は12月21日が誕生日で、4歳下の息子も12月21日が誕生日で、また二人とも出産予定日が12月8日だったので、という事は・・・だが、二人とも自分の誕生日に人類が滅亡するなんて言われると、面白くないだろうし、私も父親として、なんか気分が悪い。


そう言えば、フランスか何処か忘れたが、ヨーロッパの国のある田舎の村に、2012年12月21日に人類が滅亡するという事を信じる人達が集まって一緒に暮らしながら、最後の終焉を迎えようとしている、というのをテレビで観た事があります。

何も起こらなかったら、その後彼らはどうするのだろうか?

そのまま住み着くのか、自分の国の自分の家に帰るのだろうか?

大きなお世話ではあります。


だいたい、地球上の宗教、哲学、思想の全てに、人類滅亡というテーマがあって、人類は永遠に繁栄する、などと宣う人は、誰一人いない。

何故なんだろうな?

確かに人間は寿命が来て死ぬが、人類全体は本当に永遠に繁栄しないのだろうか?

恐らく、人類を創った彼らが、何かを企てているか、或いは人類に対する警告を暗示しておいたのかも知れない。

2012年12月21日に人類が滅亡するとして、それはどんな要因に拠るものなのだろうか?

幾つか、列挙してみる。


地軸が移動するポールシフトという説を唱える人もいる。

南極の永久氷河の下の地層で、温帯植物の化石が発見された。

さらにシベリアで発見されたマンモスの化石の口と胃袋の中に食べたばかりで消化されていない植物が発見された、つまりお食事中に一気に凍り付いた(これは映画「デー アフター トゥモロー」にも出て来ます)のを分析して、マンモスが生存していた時代、それまで公転の円に対して垂直だった地軸が、何かの衝撃的な天文的原因によって23.5度傾いたのではないか、という説である。

これは、地球史上3~5度起こったと言われている。

しかしポールシフト説を唱える学者も、それが起こる要因は解明出来ていない。


また地球の自転がいきなり止まるという人もいるようで、「コア」という映画があったが、地球の中心に在る地核が磁気異常を起こして停止しそうになる、という内容だった。


惑星直列という現象がある。

太陽系の惑星は勿論ばらばらの周期で公転しているし、公転軌道の角度もばらばらだが、一定の周期で、太陽に対して全ての惑星が一直線に並ぶ天文学的な現象で、実際には一直線ではなく90度の角度に全惑星が集まり、その遠心力が太陽に影響を及ぼす、というものだ。

1982年、実際に起こったが何も変動はなかった。

本当に一直線になったら、どうなるか判らないが、途方もない宇宙時間が必要(スーパー コンピューターしか計算出来ない)で、その前に人類は多分滅亡しているのではないだろうか。


太陽の黒点が11年周期で増減を繰り返していたが、ここに来て減少傾向が見られない、つまり太陽の活動が活発になって来ているという。

この黒点の増減が地球の気候などに大きな影響を与えているのはご存知の方も多いだろう。

さらに最近、地球の直径の10倍もの大きさの黒点の群れが観測されたという。

そのせいなのかな、年々地球温暖化とは別のペースで、夏は一層暑くなり、冬は一層寒くなって、春と秋が随分短くなったように感じる。

そして最近、スーパーフレアという現象が起こる可能性が取り沙汰され始めた。

これが起こると人類が滅亡する可能性は充分高くなる、というより、100%滅亡する。

太陽は核融合を無限に繰り返して膨大なエネルギーを発散しているのだが、核融合が瞬間的に膨大になると太陽の表面から宇宙に向かって、数万キロ(!)から数十万キロ(!)の高さに、一気に炎のように燃え上がり、その爆発力は水素爆弾1000万~1億個程の威力がある。

この炎をフレアと呼ぶのだが、黒点の発生と密接な関連があるとされている。

そしてこのフレアの10~10000倍の規模のものをスーパーフレアと呼ぶ。

今までの推論では、太陽の傍にガスで出来た惑星があると、巨大に伸びたフレアがそのガス惑星の大気に引火して、そのガス惑星を巻き込んで大規模な核爆発、スーパーフレアを起こすと言われていた。

ところが、最近、京大付属天文台が新説を発表した。

米国の探査衛星が、宇宙に存在する80000個以上の太陽に似た恒星のデータを解析したところ、傍にガス惑星のない148個の恒星でも、365回のスーパーフレアが見つかったというのだ。

実際、太陽系での最も太陽に近いガス惑星は木星であって、木星までスーパーフレアが及んで爆発する前に木星より内側にある惑星は、飲み込まれてしまう。

スーパーフレアが起こると、その核爆発の規模自体が地球さえも包み込んでしまう可能性もあるし、そうでなくても、数時間で2000シーボルト以上の放射線が降り注ぎ、オゾン層が壊滅して高エネルギー電粒子線が地球を襲い、さらに磁気異常を起こして、コントロール出来なくなった3,000個以上の人工衛星が地球上に落下して来るらしい。

黒点の減少が見られないという異常は、その兆候であるかも知れない。


温暖化ばかり叫ばれているが、何時地球に氷期が訪れてもおかしくない時期に来ている、と先述したようになるかも知れない。

温暖化が氷期をもたらすのは、映画“デイ アフター トゥモロー”でテーマになった。

しかし仮に氷期になったとしても、2年後に地球がどうにかなるような異変はなさそうだし、10万年続いた今回の氷期を乗り切り、高度な科学技術を得た人類が滅亡する可能性は低い。


私が本著で述べた、神、宇宙人が準備した人類滅亡の武器の一つである、彗星は?

映画「ディープ インパクト」「アルマゲドン」で、その恐怖は充分堪能出来る。

大規模な彗星が地球に衝突して、世界中で同時多発的に大地震が起こるという可能性は100%ないとは言えない。


映画ばかりで恐縮だが、もうちょっと古くに映画「インディペンデンス デイ」がある。

SF映画の観過ぎでしょうか?

神、宇宙人の大艦隊がいきなり現れて、地球上の全てを破壊する。

アトランティス文明、ムー文明が存在した惑星を神が滅ぼしたように、地球文明も滅ぼす?

面白い。

やれるものならやってみやがれ!

と生まれてから一度も殴り合いのケンカさえした事がない私が吠えても仕方がない。


では人類滅亡用の武器の細菌は?

強烈な感染力と殺人力を持ち、人類がその防御方法を知らない未知の細菌が、例えばアフリカのジャングルの奥地で目覚め、世界中に蔓延する可能性は充分にある。

その感染範囲を一気に拡大するのが飛行機だ。

現代では、一日何万機もの飛行機が世界中の空を飛んで、国々を結んでいて、何十万人もの人が世界中を飛び回っている。

仮にその細菌による病気の潜伏期間が数日程度であれば対応する事が可能だが、数ヶ月であれば、一人発症した時にはもう世界中のほとんどの人が感染している、という可能性がある。

いや、現在、日本から最も遠い国でさえ、二日もあれば行ける。

つまり、潜伏期間が三日もあれば、他の国で感染症が発生するという事だ。

また、強力な殺人能力を有する細菌の潜伏期間が数ヶ月というのは、余り想像出来ないかも知れないが、有り得ない存在ではない。

そうなると皮肉にも、外部とほとんど接触のない未開文明の民族は、滅亡から逃れられるかも知れない。

オリンピックのような世界中の国々の人が何十万人と集まるシチュエーションであれば、一層可能性は高くなるな。

過去には起こり得なかった感染の仕方が現代になって可能になる、と言うのも皮肉な話だ。


もし神、宇宙人の仕業であれば、彼らは文明を発展させ過ぎて、「わたしたちと似たように」なった人類を滅亡させようとしているのかも知れない。


あるいは、何処かの国、怖いので固有名詞は出しませんが、例えば中東のある国、または東アジアの某半島にある国の、狂信的な指導者辺りが、欧米の文化を滅亡させる為に、開発した細菌を意図的に世界中にばら蒔くかも知れない。

それは、原初に神が人類を発展させようとした際、民族を分け、言語、宗教の違いを設けた、そのせいだ。

或いは盲信的な狂気の宗教団体がそうするか?

サリン事件は、世界的な規模ではなかったが、事の発端はそういう事だ。


核も、原発の事故として起こる可能性があるが、世界中の人類が滅亡する程の広範囲の大規模な事故になる可能性は低いが、しかしやはり狂気の指導者が世界中に核ミサイルの雨を降らせる可能性はある。


私はこんな遠大な計画に基づいたカレンダーは、まやかし物ではないだろう、と考える。

未開文明のマヤ族とは言え、このカレンダーをずっと継承して来たのだ。

彼らの意志か、或いはこのカレンダーを作製してマヤ族に与えた畏れ多き立場の存在から命じられたか。

話は繰り返すが、先ず率直に感じるのが、このカレンダーは勿論、マヤ文明ではるか昔から継承されて来た物には違いないだろうが、マヤ人が作ったものではないだろう、という事だ。

先述したように、マヤ文明は、現代の天文技術での計測とほぼ一致する太陽暦と金星暦を持ってはいたが、私はこのカレンダーを彼らが自ら計測し、作製した物ではない、という立場を取る。

ずっと本著をお読み戴いたので、お判りになるだろうが、マヤ人は、そんな技術を持ち得なかった、従って神、宇宙人がマヤ人に教えたのだ。

何故、マヤ人にだけ、教えたのか?

そんな事は解らないので、それは置いといて。


楽観的な私は、彼らがマヤ人に、5サイクル目までのカレンダーまでしか、遺さなかったのだ、と思っている。

マヤ人がその続き、6サイクル目からを作る事が出来ないのは自明の理である。

或いは、マヤのカレンダーの存在自体が、人類滅亡とは何の関係もないのかも知れない。

だから、人類は滅亡などしないのだ!

と結論付けてしまう。

2012年12月21日に何が起こるか、楽しみに待ちましょう!   (了)


参考文献

「新世界訳聖書」

「コスモス」1、2 カール・セーガン(朝日新聞社)

「宇宙人謎の遺産」 五島勉(祥伝社)

「ツングース 謎の大爆発」 五島勉(祥伝社)

「地球進化46億年の謎」 三原俊太郎(河出書房新社)

「宇宙の謎 面白過ぎる雑学知識」1、2 壼内宙太とスペース探査室(青春出版社)

「オーパーツの謎と不思議」 超古代研究会(日本文芸社)

「神々の記憶」 岡田英男 KKベストセラーズ

「超古代文明は神々がつくった」 佐和宙(日本文芸社)

「創世の守護神」 グラハム ハンコック、ロバート ボーヴァル(小学館)

「神々の遺伝子」 アラン・F・アルフォード(講談社)

他、多数。                   《筆者敬称略》

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