聴色(ゆるしいろ)

第8話

 男には………


 この文句で始まる小説……それが今大人気作家鏡狂四郎の特徴だ。


 男にはかつて……

 決してやってはならない事を、

 犯してしまった悔恨の念が存在する。


 男にはどうしても……

 忘れさせてくれはしない、

 罪深き業が存在する。


 男には……

 から始まり、悔恨だの懺悔だの願望だのが、物語を進める内に突如として現れる。それが物語の中心として描かれる事もあれば、そっと隅に追いやられている場合でも、突如としてその男の感情が現れて、読み手を捕らえて印象に残す。決してそれが主要な事では無くても……。



 

「……きょうちゃん、珍しい人に会ったよ」


 又いとこの川谷遥が、電話の向こうで声を落として言った。


「……珍しい人?」


 鏡はそう聞き返したものの、大してその言葉に興味を示していない。

 親戚で幼馴染みでなければ、鏡は遥とも電話で話す人間ではない。何故ならば鏡は人と関わり合う事を好まぬ人間だからだ。

 幼い頃から人間同士の関わり合いが理解できない鏡は、いつも集団の中で浮いていた存在だった。ただ家柄の良さと頭の良さが、周りの子供達から嫌がらせをされる事が無い要因だっただろう。また、嫌がらせを受けたとしても、さほどに気にかける事もしない。何故ならば、そういう事すらも関わり合う事ができぬ人間だからだが、幸いな事に彼の持って生まれた何かが、そんな関係すらも他人に避けさせるものであったのと、又いとこで人から好かれる遥の存在が大きかった事は、大人になった今でなら理解できる事だ。だから鏡は大して好まないにも関わらず、遥からの電話は受け答えをする。


「小塚夕輝君」


「……………」


「鏡ちゃんが探してた……」


 一瞬息を呑んだ感じであった鏡が、再び息を吐くように聞く。


「……何処で?何処で会った?」


「東京駅の地下……やっぱり探してたんだ?」


 大学の時に一緒だった小塚夕輝は、三年生になる事無く退学して姿を消してしまった。遥が親しくしていた縁で鏡とも関わる様になったが、珍しく鏡が興味を示した唯一の人間だ。

 それを幼い頃から鏡を知る遥は、鏡が初めて抱いた情だと知っていた。

 今迄同性異性……人間に一切興味を示さなく、情というものすら抱かなかった鏡が初めて抱いた情……。それは恋か愛かはたまた友情か……。それを遥も鏡すら知る事の無い内に、夕輝は鏡の前から忽然と居なくなってしまった。当然の事ながら、鏡の動揺は計り知れなかった。

 初めて意識した相手に忽然と姿を消されたのだ、鏡の動揺と落胆ぶりはひとしおではなかった。


「……連絡先交換したから、今度一緒に会おう」


「……元気そうだったか?」


 遥が話を締めようとすると、鏡は急く様に遥に聞いた。


「元気そうだったよ。京都で囲われてたんだって」


 遥は軽い調子で言った。


「……そうか……」


 一瞬声が上ずった様に聞こえた。だが鏡がそんな様子を判然と現すはずはない。先程と変わりなく……否、今まで以上に穏やかに、再び同じ言葉を繰り返した。


「お金持ちのおじさんに、囲われてたんだって……」


 再び鏡が息を呑むのを察しながら、遥は少し声を震わせて言った。



 小塚夕輝はかなりやつれた感じだったが、それは綺麗な男だった。女の遥が見ても羨ましい程に綺麗だった。

 透き通る肌と男にしては華奢な体躯が、面やつれした憂い感と相まって、艶を放って美しくて視線を釘付けにした。

 地下街の珈琲チェーン店に入って、夕輝は店の外の喧騒へ目をやり、その美しい姿に遥は釘付けとなった。


「急に来なくなって連絡も取れなくなって……どうしてたの?」


 遥がやっとの事で視線を逸らして聞くと、夕輝は黙ったまま遥を見つめた。

 そして直ぐに視線を落とすと、フッと口元を綻ばせた。


「父親の会社が傾いてさ……普通なら夜逃げ……って処だろうけど、世の中面白いよね?小説みたいな話……」


 夕輝はそう言うと、カランとアイス珈琲のコップを振って音を立てさせた。


「凄い資産家のおじさんがさ男好きでさ、僕の事気に入って金出してくれるって……父親が差し出したのか、運良く見初められたのか……」


 夕輝は呟く様に、カラカラとコップを振りながら言った。


「直ぐにおじさんの、止まってるホテルに行かされ……そのままで囲われた……こんな話……誰にもできない……」


 言葉を失して聞き入る遥に、夕輝は再び視線を戻した。


「先月そのおじさんが死んだからさ……もう帰っていいってさ……おじさんの息子に言い捨てられた……」


「えっ?ずっと?あれから?」


 遥が確認する様に聞く。

 大学三年になる年だった……あれからずっと夕輝は、或る富豪の愛人だったのか?……あれからずっと?……


「小塚君。鏡四郎の事覚えてる?今度一緒に……」


「遥ちゃん、鏡四郎とは会いたくないよ……」


「……なんで?」


「こんな事また話すの嫌だし……遥ちゃんと鏡四郎にはよくしてもらったから、だから嘘は言いたくないし誤魔化したくないし……」


「それでも!それでもまた会おう?……鏡四郎には言わないから……二人だけで……」



 川谷遥はずっと鏡が、夕輝を探していたのを知っている。

 もしかしたら鏡は、夕輝がどういう境遇にいたのか知っていたのかもしれない。

 作家としてデビューしたのは、遥の方が先だった。

 学生の頃から同人誌やインターネットでチマチマと書いていて、あるコンテストで賞を取たのがデビューのきっかけだった。

 その頃初めて他人に対して、何らかの感情を抱き始めていた鏡が、その相手の失踪という、過去に経験した事のない感情に苦しんでいたので、遥は鏡に小説を書く事を勧めた。ただその空虚感を、埋める助けとなればと思ったからだ。

 元々才能のある鏡は、その思いを吐き出す様に書き溜めていく……。その切なさと苦悩はただただ男の思いを切々とあぶり出すもので、読む者の心を捕らえる物だったから、アッと言う間に読書は引き込まれて魅入られてしまった。

 気がつけば鏡は、誰もが知る作家となっていた。

 男は……から始まる、不思議でそれ以上に惹きつける文章と内容に、遥は自身の才の無さを知らされ、そして鏡の思いの深さの厄介さを知らされた。

 他人に興味が無い人間が、興味を持ってしまえばそれは執拗だ。

 他に行き場がない分一つの処に留まって、動く事を知らないからだ。

 鏡の作品は、自身の悔恨であり懺悔であり願望だった。

 他人への情を知らずに育った自身への悔恨、その為に夕輝の苦境を察しえなかった懺悔、そして再び出会う事が許される事への願望……。

 ……鏡は今でも夕輝に会いたがっている。

 だがそれは、今の夕輝ではない。

 かつて突如として、姿を隠した昔の夕輝だ。

 未だ何の感情であるのか、解らなかった頃の……。だから鏡はずっと追い求めるのだ。時には恋心として、時には愛情として、そして時には友情として、作品に反映させているのは、ただ傍に存在しなくなった唯一無二の存在を、自分勝手に美化して思い続けているからだ。

 ならば真実の姿を、鏡に見せてやればどうなる?

 それでも鏡は、同じ思いを抱き続けるだろうか?

 遥はそんな意地悪な感情が、フツフツと湧き起こるのを止める術を知らない。

 現実と真実を鏡に叩きつけ、真の夕輝の姿を直視させ、本当の鏡の気持ちを自覚させる。その真実の自身の思いに、激しいショックを受けて鏡が、夕輝を失った時の様におかしくなってしまったとしても、それは大して構わないと思う。何故ならば、そこで遥がずっと側で支えてやればいいからだ。幼い頃から遥は、ずっと鏡に寄り添って生きて来た。

 人に興味も感情も持たぬ鏡に、ずっと寄り添って来たのは遥だけだ。

 遥だけが鏡の本当を知っている。


 遥は知り合いの料亭に、鏡と夕輝を誘った。

 勿論夕輝には、鏡の事は知らせていない。……それでも夕輝は、なかなかいい返事をしてくれなかった。それでも最後に承諾したのは、かねてより遥が夢に語っていた、小説家という名の者になっていたからだ。

 それを知っていた夕輝は、遥に祝いの気持ちを抱いて、会食する事に同意した。

 当然鏡が同席するとは知らぬ夕輝は、料亭の中居に案内されて部屋に入るなり、その顔容を変えて立ち尽くした。

 その強張る様子に、川谷遥が薄っすらと笑みを浮かべる。


「ごめんね。鏡ちゃんがずっと、夕輝の事探してて……」


 遥が悪気無さげに言うと、夕輝は中居に会釈する様に部屋の中に入った。と同時に、網代の裾模様の襖が静かに閉じられた。


「……久しぶりだね?鏡四郎」


 夕輝は観念した様に、強張ったままで笑顔を作って言ったから、ほんの少し悲哀に満ちた表情になった。


「元気だったか?」


 鏡はジッと視線を逸らす事なく、少しの面やつれを見せる夕輝に言った。


「元気だったよ……」


「……ならばよかった」


 鏡は夕輝が対座する様に座るのを、一度も視線を逸らさずに確認すると、フッと卓上に視線を落とした。

 それと同時に襖が開いて、先程の中居が忙しげに食事を盆に乗せて入って来て、それは手際よく幾種もの料理を置いていく。


「ここのは、本当に美味しいから……」


 遥は予期せぬ鏡の様子に、少しの動揺を持って言った。

 なぜあれ程探していた鏡が夕輝に、如何していたとか何処に居たとか聞かないのだろうか……。どうしてもっと、いろいろと問い詰めないのだ?

 静かに箸を進める鏡に、遥は一つの焦燥を抱いて覗き見た。


 ……やはり、知っていたのか……


 谷川遥は薄々と察していた事だが、動揺を隠せない。

 夕輝がある男の囲い者となっていた事を知りながら、それでも鏡は己の作品に、夕輝への思いを綴る様に生み出しているのか……?


「あ……夕輝今は……」


、何処に居るんだ?」


 遥が口にすると同時に、鏡が箸を進めながら聞いた。


「あ?……実家に……」


 遥と鏡に同時に言われた夕輝は、一瞬戸惑ったものの遥を見て答えた。


「ご両親も、お変わりないか?」


「ああ……お陰様で……父の事業は、どうにか持ったんだ……」


 夕輝は、遥を見据えたまま言った。


きょうちゃん実は……」


 遥が本題に入ろうとすると、鏡は箸を動かしたまま夕輝を見つめた。


「………ならよかった」


「えっ?」


 遥が夕輝をガン見する。だが夕輝の視線は、もはや鏡に向けられていた。


「鏡四郎知ってたの?」


「最近知った……」


 当然の様に、視線は遥に再び向けられる。


「……遥じゃない……探させていたんだ……学生の俺には何もできなかったが、少し大人になればできる様にもなった。それでも高々の俺には何もできなかった……」


 鏡が箸を置いて、夕輝を見つめた。


「何もできない、己に憤りしかなかった」


「男の僕が……可笑しいだろ?変な思考の人間もいるもんだ……死んだ相手の家族は、不気味なものでも見るみたいにさ……サッサと僕を自由にしてくれた……実家に帰れた、と言った処ろで……親だって見る目が違う……」


「……それでも、帰って来てくれて嬉しい……もしもお前が再び姿を消していたら、今度はとことん探して迎えに行くつもりだった」


 鏡は身を少し動かして、夕輝が箸を持っている手を掴んだ。


「男には、ずっと心に思う相手がいた。仮令傍にずっと居られなくとも、仮令互いが触れ合えずとも、それでも心を通わせたい相手がいた……」


 鏡がギュッと掴むから、夕輝は箸を違う手で取って下に置いた。


「……今その手を掴んだからには、男は決してその手を離す事はない……」


 夕輝はそう口にすると、大粒の涙を漆喰の卓上にポタポタと落とした。


 鏡の作品は知っている。

 鏡狂四郎……

 遥がペンネームを考えていた時に、鏡が自分だったらこうすると言っていた。もし己がモノ書きとなるならば、狂う程に書き尽くす……という意と、己の名を性に持って来るシャレだそうだ。

 そんな作家の作品を、ネットで知った。

 愛人としてマンションを、あてがわれ囲われていたが、軟禁監禁されていた訳ではなかったから、携帯も持たされていた。

 当然の様に、主人となる相手からの連絡が入るからで、泊まりに来たり呼び出されたりしたが、それ以外にも指定された、他の男の相手もさせられた。金に困らず、暇を持て余している様な紳士あいては、金に困って、言いなりにならざるを得ない者には残酷だ。羞恥に耐えない事や、甚振る事を好む処ろがあり、散々弄ばれた。ただ幸いだったのは、その跡取りが男娼まがいな事をさせる事を、酷く嫌悪し破廉恥な事と認識してくれた事だ。当主が亡くなったら、夕輝は彼らの恥部や汚点とされてお払い箱となった。

 確かに彼等にとっては、特別な嗜好の男達に弄ばれた夕輝自身も、特別な存在でしかなかったのだろう……それが夕輝の否応無しとしての結果であり、彼等の父親の所業であろうとも、朱に交わらされれば……紅いのだ。

 そんな状況の中、夕輝の支えとなったのは鏡の作品だった。


 当時人当たりが良く、親切で美人の遥は人気者だった。

 その遥と学部が同じで講義か一緒の事も多く、自然と話しをする様になり親しくなった。その遥の又いとこで、遥とは正反対の人付き合いができない……というより、他人に全く興味を示さない鏡とも親しくなった。

 鏡は何故か夕輝には親切だった。遥に紹介された時から良くしてくれた。

 夕輝には鏡の噂が信じられない程、穏やかで優しい男だった。

 だから夕輝は、鏡の作品に夢中になった。

 時には愛する女を……時には恋する少女を……時には親しい友人を、ひたすら思い続ける言葉の綴り……。

 男に抱かれ男に弄ばれ男に甚振られる夕輝には、その言葉が女や少女への言葉では無くなっていった……。親切に優しく穏やかに接してくれた、好きという感情が根底にある存在の鏡の存在が、辛く哀れな境遇と化した夕輝の支えとなり、そして時を経る毎にその言葉がある意味を持ち始めた。


 ……これは自分に宛てた、鏡のメッセージだ……


 夕輝はその時はそう思い込まなければ、とても辛くて息もできなかったのかもしれない……。

 そう思う事で自分という人間を、辛うじて存在させていたのかもしれない……。

 その時は、そう思う事に縋った。

 男に自由にされ男に愛される……そんな不毛な存在の自分が、鏡の作品の中の〝男〟が思いを募らせる相手なのだと……。

 ………だが、もはやそんな環境から抜け出した夕輝は、鏡の〝男〟の思い人ではなくなってしまった。

 そして以前鏡に、可愛いがられていた〝夕輝〟でもない。

 男に愛される事を知り、男に快楽を得られる事を仕込まれた自分は、その様な事を考える事すら知らなかった自分には戻れない。

 仮令鏡が女に愛を募り、少女に恋を抱いて描いた作品であっても、今の夕輝にはそれは女ではなく少女でもなく……男の自分に向けられた思いだと、錯覚してしまうから……ずっとそれに縋って来たのだから……。

 だから鏡とは、二度と会えないと思った。

 鏡と自分の思いとが、余りにかけ離れてしまっているからだ……。

 だがどうしよう……鏡は以前より優しく穏やかに、夕輝の手を取って語る。

 まるで〝男〟の思いが、夕輝にだけ向けられたもののように……夕輝の思いが錯覚ではないとでも語る様に………。


「遥……すまなかった……」


 鏡は夕輝の手を強く握ったまま視線を送り、予期せぬ状況に焦りを見せる遥を見ずに言う。


「お前の気持ちを利用して、夕輝を呼び出させた……」


「はっ?」


「お前が俺の前で、夕輝の事を問い詰めるつもりだと察していた……だが俺はお前より以前に知っていた……知っていたのに何もできなかった……夕輝のお父さんの会社が、立て直していたからだ……夕輝が犠牲になったんだから、しっかりと立て直ってもらわねばならない……だから……時期を待ってた……」


 鏡は、只夕輝を見つめる。

 その瞳は鏡の〝男〟ので、夕輝の支えのだ。


「………そう言えば聞こえがいいが、なんのことはない。俺は無力だ。大事な夕輝を、どうしてもやれなかった……只俺の思いを書いて書いて書いて……思いを吐き出す事しかできない……読んでくれていないかも知れぬ相手に……それでもずっと送り続けて来た……遥が言ってくれた時から、俺はずっと、夕輝に恋文を書いて来たんだ……」


 夕輝の手がピクリとして、涙で溢れる瞳を大きくして見つめたので、鏡は喰い入る様に見つめ続ける。


「狂四郎?よくそんなセリフを、人前で言えるね」


 遥は咎める様に、鏡を睨め付けて言い放つ。


「私の気持ちを、知っているのに……?」


「お前の気持ちを知っているから、だから真実を知ってもらいたい……。俺は、気に入ったものしか興味を持てない……それをお前はよく知っているはずなのに……夕輝が行方をくらましていたら、ひたすらただひたすら待てる人間だし、夕輝が死んでいたら、一生独身を通す事もあり得る。だが如何に夕輝が穢れようが性根が腐ろうが、夕輝が夕輝ならば俺はずっと夕輝を探し続ける………なのにお前は、苦境に苛まれ窶れ果てた夕輝を見て、そんな姿を俺にわざわざ晒そうとした。そして哀れなるその境遇とその苦痛を、夕輝自身に語らせ様とした………」


 冷ややかな視線で、冷めた口調で鏡が言う。


「………屈辱に堪え兼ね、夕輝が俺達の前から逃れ行く様に……そして君は夕輝に、憐れむ様に慰めを言い、俺にも夕輝を気遣う言葉を述べる……だがその言葉は、夕輝を貶める言葉でしかない………」


「酷い!私がそんな事、考えるわけがないじゃない?ずっとあなたが会いたがっていたから……だから………」


「遥……君は夕輝が、俺に逢いたいと思っていない事を知りながら、それでも夕輝を此処に呼び寄せた………そうだろう?お前は俺が知らないと、そう思っていたから、夕輝が愛人として過ごして来た事を俺に伝えた。俺がどう思うか……夕輝がどんな思いで、過ごしていたかなど考えもせずに、男娼の様に扱われた、その苦痛でしかない過去を、いつまで経っても、夕輝への女々しい思いに縛られ続ける俺に、曝け出すが為にだ。そして俺が現在の夕輝を見て、諦めるか軽蔑するかを期待した……。だが残念な事に、俺はお前より先に全てを知っていた。大学を卒業する前からだ……探し続けているに、決まっているだろう?お前に薦められるままに書き続けたのは、夕輝を探す為であり、夕輝に俺の変わらずの思いを伝える為だ……」


 鏡は夕輝の手を、握り締めながら遥を正視した。


「………お前同様、俺もお前に諦めさせたかった………だからずっと、書き続けてきたんだ」


「ずいぶん、酷い事を言うんだね?」


「お前は端から、知っていたはずだ。俺は夕輝しか眼中にない。男とか女とか、そういった括りは俺に無い。俺の目に映ったものしか、興味を持てない……それが異性のお前じゃなくて、同性の夕輝だった。だが夕輝に不幸が訪れなければ、俺のこの感情は自分自身でも理解できず、結局夕輝とはずっと平行線のまま年を経ただろう……遥……お前との関係の様に………」


 鏡が正視したまま言うから、遥もジッと見つめる。


「だが夕輝は男に囲われた。それを知った俺は、そういう関係の存在を意識した………つまり相手をさせられる事が無い夕輝に、俺は事を求めなかった。だが夕輝は男に囲われ、甚だ遺憾だが男娼まがいの事までさせられた……つまり俺の対象もなったんだ。だから遥、お前の気持ちには答えられない」


「……ふっ……端から、答えてくれる気はなかったくせに……」


 鏡四郎の事は知っている。たぶん誰より知っている。

 鏡四郎の才能よりも、その難しい性格に手を焼いていた親より、他人に何の興味を持つ事の無い鏡四郎が、初めて関心を持ち執着した夕輝より、又いとこで家が近かったが為に、ずっと小さい時から一緒でずっと好きだった、数ヶ月だけ年下の遥は知っている。

 だから夕輝が、傍らから居なくなってしまえば、余計に執着する事も知っていたし、夕輝の可哀想な境遇を知った処で、その執着が失くなる事がないのも知っていた。

 それでも……それでもやっぱり、試してみようと思った。

 夕輝が全てを曝け出し己を恥じて、鏡四郎に引導を渡しくれるかもしれない………と………その後は……ほんとうに鏡四郎が独りぼっちになった時、遥は今迄同様に側に居ればいい……そう思った。

 そう思う程に、久々に会った夕輝は窶れ果てて、哀れな程にみすぼらしく見えたから………。


「………苦境を知っていながら、何もできなかった俺は、夕輝に会う勇気がなかったんだ」


「だからって……私を出しに使うのは違うでしょ?」


「………そうしてまで、夕輝に逢いたかった……」


 悪びれる様子も無く、鏡は遥から視線を夕輝に移した。

 当然の様に二人は、視線を合わせて見つめ合う。

 深く深く……熱く熱く……遥の存在など忘れた様に………

 ………それに気づいた遥が、音もなく部屋を出た事すら鏡は知ろうともしない。そういう性質たちなのだ……と鏡は遥に豪語するだろう。




 男は久々に、恋しい相手の手を取った。

 大きな瞳に潤みを溜める、恋い焦がれた相手を見つめた。

 その手の指に指を重ね、静かに引き寄せながら男は相手の名を呼んだ。



 最近、鏡狂四郎の作品に変化が現れた。

 男には………から始まる、悔恨だの懺悔だの願望だのが必ず現れて、憂いや切なさを醸し出していた鏡の作品から、それら全てのものが姿を消した。

 それは果たして、鏡の作品にとって良い事なのか否か、それは鏡には解らない。

 ただ今迄の鏡狂四郎の作品の特徴は消え去り、新たな作品が数々生み出されるが、それを好む者達は確かに別れる。

 だがもはや鏡からの、片恋の恋文ではなくなった事だけは確かだ。




聴色ゆるしいろ………………伝統色のいろはより……

紅色で染められた、淡い紅色。

禁色のある時代、誰もが着用を許された色。

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BL 恋絲 婭麟 @a-rin

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