遠くまで

増田朋美

遠くまで

遠くまで

蘭のおじさんにあたる、檜山喜恵おじさんは、今日もふらりと外へ出た。伯父さんは、時折そういうことをするのがすきなのだ。今日は富士駅にやってきたが、駅は相変わらずごった返していた。

別に、駅に用事があって来たわけではない。時折、この駅へやってくることがあるが、駅を歩いている人を見ると、いろんな人がいるから、時時おもしろいことが転がり込んでくることがあるので、それを求めて喜恵おじさんは、よく駅へ行くのである。

その時も、駅は多くの人がいて、切符を買い求める人が沢山いた。みんな何のために電車に乗るんだろうか。学校や仕事へ行くためだけではない。友人、知人に会いにいくため、親や親戚に会いに行くため、いろんな用事の人が駅を利用するのだ。

別に駅のひとが、なにか声をかけるとか、そういうことを言ってくるわけでもないから、喜恵おじさんは、駅を歩いて来る人を、冷静に観察した。歩いている人の表情や歩き方を見れば、嬉しい用事か、悲しい用事かなんて、すぐにわかってしまうモノだ。そこからなにかおもしろい小説が浮かんでくることもある。

そういえば、昨日も私の原稿を読んでくださいと言って、若い女性がうちに来ていたっけ。その原稿を読んでみたには見たけれど、本当に飽き飽きしていた内容であった。本当に最近の若い小説家志望者には、飽き飽きしている。もう、異世界とか、妖精とか、人獣のようなモノが登場してくる小説は、本当に嫌だった。時折、昨日の女性のように、自身の書いた原稿を持ち込んでくる人は多いが、はっきり言えば、その半分以上はとても小説といえるモノではなかった。表現がおかしいとか、そういうわけではない。悪いのは描く内容である。何だかカタカナ語の長ったらしい名前の主人公が、ひたすらに、悪い奴らを倒していく、という内容ばかりなのだ。小説というのは、そういうモノではないと思う。そんなのは、テレビゲームがしてくれればいいと思う。小説はゲームではない。単に遊びではなく、そこから、学びというモノを読み取ってもらうモノであるから。

そういう所を、もっと若い人には感づいてもらいたいと思うのだが、若い人の考える小説というモノは、どうしても、現実世界から離れ、単にテレビゲームの映像を文章化してしまうだけのものになってしまうらしい。最近は、自分自身が作品を描くことは少なく、若い小説家たちが作品を出版するのを、手助けすることを主な仕事としているが、その作品の大半が、テレビゲームを文章化しただけのものになっている、ということに、閉口していた。

ふと、我に返ると、駅の中でアナウンスが流れている。駅員が何かをしゃべっている様だ。どうも活舌が悪くて、聞き取りにくい発言であったが、次のように聞こえてきた。

「えー、東海道線をご利用の方に、お願い申し上げます。ただいま由比駅にて、ホームの安全確認を行っておりますので、次の電車は、由比駅内で停車しております。従いまして、電車におくれが発生する見込みでございます。お急ぎの所たいへんご迷惑をおかけして、申し訳ございません。」

電車が、由比駅で止まっているという内容であったが、切符を買っていたおじさんが、でっかい声で駅員に怒鳴りつけた。

「この野郎!なにをしてくれるんだ!急いでいるのに、なんで電車何か止めるんだよ。三時に沼津へ着かなければならないのに、大幅に遅れちまうじゃねえか!どうしてくれるんだよ!」

「あ、も、申し訳ございません。ただいま、安全確認を行っております。なんとも、線路内にひとが入ったという情報がございまして。」

人が立ち入ったのか。若しかしたら、この世に絶望して、電車に飛び込んだのだろうか。それでは、多くの人に迷惑をかけるだろう。でも、本人は、そうするしか方法はないと、思い込んでいるのだ。

「何とかして、自殺するのは思いとどまってくれないだろうか。決行してしまうと、僕たちは本当に辛いんだ。」

そんな言葉を呟くが、もっと、それが届いてくれればいいのに。どうして届いてくれないんだろうか。死にたいという気持の方が、上回ってしまうのだろうか。

とにかく、喜恵おじさんとしては、自殺というモノはしないでもらいたかった。そういうことは、なかなか通らない。絶望してしまうと、一直線に自殺のほうへ進んでしまうのが、今の若い人なのだ。

とにかく、その自殺者がでたおかげで、電車は由比駅で止まってしまっていた。其れのせいで沢山の人たちが、目的地へ行く時間が、大幅に遅れてしまうのである。それでは、その人たちの相手の人だって、迷惑がかかる。でも、そうするしか、人間は誰かとつながっていると感じられないのも、今の世のなかである。

沢山のひとが、いつ動くんだ、いつ動くんだと怒鳴っている。駅の人たちも、その対応で困っている。その中で、一人の女性が、まるで、群衆の中を抜け出したネズミのように、駅をでていこうとしていたのがみえた。

「君、君ちょっと。」

その女性は、ギクッとした顔で足を止めた。何をしているんだろうと思った。彼女は、切符も持っていないし、それを買うための財布も鞄も持っていない。

「君一寸!」

再度、喜恵おじさんは言った。

「一体、何をするつもりで、この駅に来たのかい?」

彼女は確かに何も持っていない。鞄も切符も。それではおかしいじゃないか。駅へ来たのなら、切符を買いに行く筈だから、そのために、少なくとも、財布は持っている筈だし、そのための鞄も持っている筈だろう。

「君、電車にのりに来たんじゃないよね。電車に乗るのなら、鞄を持っている筈だよね。それがないというのなら。」

「ご、ごめんなさい。」

彼女は、喜恵おじさんの言葉に、もうだめだという顔をした。その顔は、絶望感というより、大事な場面を盗られてしまい、悔しそうな顔をしている。

「ちょっと、こっちへ来て話をしてみないか?おじさんは、別に怖い思いをさせる訳ではないよ。」

喜恵おじさんは、そういって、彼女を駅中のカフェへ連れて行った。

「おじさん、怒ることはしないから、君の話を聞かせてもらえないだろうかな。」

二人は、カフェの窓際の席に座った。

「君は一体、どこの誰なの?」

「住んでいる所は、富士市内で、名前は諸星正美と言います。」

と、彼女がこたえた。

「諸星正美さんね、どうぞよろしくね。僕は檜山喜恵です。」

喜恵おじさんは、にっこり笑ってそういった。ウエイトレスが、注文を聞きに来たので、コーヒーをとりあえず二杯と、カレーセットを注文した。

「あの、そんな失礼なこと。」

「いえ、気にしないでいいよ。悩んでいる奴は、みんな腹が減っているものだと、おじさん知っているからね。そういう時は思いっきり食べてもらった方がいいと思っている。其れは、遠慮しないでね。」

正美がそういうので、喜恵おじさんは、笑っていった。しかし、

「ごめんなさい。私、そんなことをしてもらう資格なんてありません!食べるだけで何もしないのは、一番悪いことですから!」

と、彼女は血相をかえてそういうのであった。

喜恵おじさんは、そんな悪いことをしているということは、これっぽっちもなかったので、そんなことをいわれて、とてもおどろいてしまった。

「そんなことはないよ。資格がないなんて、そんな事、誰もないんだよ。」

とりあえずそういって慰めるが、正美は、しずかに首を振った。

「いいえ、私は、はたらいて居ませんから、食べる資格がないって、家族にいわれているんです。だから、もうそんな人生は嫌ですし。」

「其れで、駅に来たのかい。」

喜恵おじさんは、彼女が由比駅で起きたことと同じことをしようとしていることに気が付き、ちょっと強く言った。

「ええ、皆さんそろってそういいます。人に迷惑をかけるからと、いう人もいますし、この世に必要のない人何ていないと宗教的な話を持ち込んでくる人もいます。でも、私には、之しか答えが残っていません。だって、結局のところ、きれいごとだけじゃ生きていけませんもの。何を言ったって、私は、社会から馬鹿にされるだけですよ。家族も、そういう人間がいるからって、不自由な思いをしなければなりません。特に、歳よりはそう思うでしょう。年寄りにとって、一番の屈辱は子どもが自立しない事だといいますから。」

「そうかもしれないけど、人はやっぱり生きていたほうがいいと思うんだが、、、。」

喜恵おじさんはそう口ごもりながら言うが、

「いいえ、そんな定理、全くやくにたちはしません。其れはうちの家族の顔を見ればよくわかりますもの。そういうきれいごとを言っても、皆さん、生活が変わらないってことをよく知っています。だから、あの人たちへの恩返し何て、もう私が消えるしか、方法はないんですよ。そんなこと、理論的に考えればわかるじゃないですか。人生にとって、一番大事なモノはお金ですし、それを作れない人間は死ぬしかないと学校の先生からいわれたことも、あたしはよくわかりました。それでは、もうそのとおりにするしか、方法はないっていう事です。」

と、正美は理路整然とした口調で言った。むかしの人であれば、其れでも生きてほしいと言ってくれる人が一人か二人はいた。条件を付けない愛情を持っている人が、少なからずいた。でも、いまはそうではない。誰でも能率ばかり求めて、それが出来ない人は、どんどん金を使って、施設に閉じ込めてしまう。そういうことが、当たり前として通っている。

「私自身も、将来、施設に入らされることになるでしょうし、それでは、何だか惨めすぎるから、もう、ここでおしまいにしたほうが、いいんじゃないかって思ったんですよ。」

それが、用意されている精神障碍者の末路だ。障害者だけではない、弱い人たちはみな施設に入って、現世と切り離された余生を送る。現世は、お金を作っていける人たちだけで作る。それが世界というモノだから。そこから、一度切り離されると、もどることは出来ない。

「確かにそうなるよね。」

と、喜恵おじさんは言った。確かに、理論的に考えて、そうなってしまうしか、引きこもりに用意されている道はない。この世では、そうなっている。今、8050問題など言って、騒がれているが、その時になって気が付くのはもう遅い。

「君はどうして、引きこもるようになったの?」

喜恵おじさんは言った。

「理由なんて、あたしは知りません。ただ、立ち位置をまちがえただけの事です。それだけなんです。ただ、音楽関係の大学に行きたかったんですけれども、その前にいった高校で、勉強したいけど、出来ない所にいったというだけです。本当は、無理をしてでも、音楽高校に行くべきだったんでしょうね

。でも、うちはお金がなくて、それにいけなかったので、普通の高校にいったんですけどね。それで、

ひどい目にあいました。」

と、彼女は喜恵おじさんにいった。

「結局のところ、あたしが、その高校さえ行かなければ、いえ、音楽を志望さえしなければ、うちがこんなに苦労することもありませんでした。全部、あたしが悪いんです。あたしさえ、生きていなければ良かったんです。だから、その決着を自分でしようとしているんですよ。それをして、何が悪いというんですか!悲しむべきではなく、喜ぶべきだと思いませんか?」

「まあ、そこから先はいわなくてもいいよ。」

と、喜恵おじさんはいった。

「本当は、真剣に勉強したかったという所を、もうちょっと評価されてもいいと思うんだけどねえ。」

「いいえそういうことが評価されるよりも、反抗的な生徒を、黙らせるほうが、先なんですよ。生徒を怒鳴りつけて、やくざの親分みたいな言葉を使って脅かして。学校以外の社会と接触する所もないですから、みんな学校の方が正しいとみえてしまうんです。もう、私の頭には、お金を作れない人間は死んでしまえという言葉がこびりいついています。意識を切り替えて、どこかに就職すればいいといわれても、学歴もないし、はたらける所が近くにありません。あたしは、完全にさらし者です。病院の先生には、運転免許をとるなっていわれているから、移動手段もないし、歩いていける範囲に、はたらけそうな企業があるわけでもありません。もう、生きていたってしょうがないじゃないですか。そうでしょう?」

と、早口でまくしたてる彼女の腕には、刺青があった。多分それだけが、彼女にとって頼りのようなものだろう。

「まあ確かにそれはそうだ。いくら生きようと、問いかけるポスターやテレビの宣伝などで、呼びかけても、周りの環境が整っていなければ、確かにそれはならないよな。」

と、喜恵おじさんはいった。

名刺をだそうと思ったが、それはやめておいた。彼女には、自分の職業を知ってもらいたくなかった。それよりも、お友達のおじさんとした方が、ずっと信頼して貰えるのではないかと思う。

「それではお願いなんだけど。」

と、おじさんはいった。

「君の、その人生観や、孤独感などを本に書いてもらえないだろうか?別に本を出版という形ではなくていいんだ。市民文芸とかそういうところにだせばいい。もう、文芸界は、ただのテレビゲームの書き写しのようなモノが蔓延しすぎている状態だからね。その中で、君がされてきたことを正直に書いて見ればいい。ただ、条件としてはね、嘘偽りなく正直に描くことだ。決して、学校の悪いところをわざと

良かったとしてはいけないよ。とにかく、悪いことは悪いのだと正直に描いて見なさい。」

「あたしに、文才何てありませんよ。」

正美は、そういったのであるが、、

「いやいや、今の学校は之だけひどいという事、そしてそこから外れた人間は、二度と立ちあがれないことを、ちゃんと描いて、本にして、警告することも必要だと思うよ。それは、経験した人にしかかけないだろうからね。文學というのはね、楽しむためにあることは勿論何だが、文字という手段を使って、周りの人たちに警告を発したり、考えさせたりすることだって、出来るんだ。それは映画やテレビアニメには出来ないことだ。映像というモノは、二枚目俳優に邪魔されて内容が十分につたえられないという欠点があるからね。アニメーションも同じことだ。そういうものなしに、本というのは、作者の主張が頭に入ってくるように出来ているんだよ。」

と、喜恵おじさんは説明した。

「でも、私は、お金がありません、出版ということをしたら、家族に湯気を立てて怒られるんじゃないかと思います。」

正美は、まだたじろぐが、

「いやいや、本人の努力次第では、どういう風になるかなんてわからないさ。人生は、先がみえなくて不安だということも確かにあるかもしれないけれど、それだからこそ、たのしいという事もあるんだよ。」

と、喜恵おじさんは明るく言った。こういう災害や人災の多い日本だからこそ、明るくいきるということも、必要になってくるだろう。

「でも、あたしはやっぱり、はたらいていないから、自信がありません。」

正美はそういって、自信がなさそうだというが、喜恵おじさんは、にこやかにわらって、

「だって、いつどこで躓くかみんなわからないじゃないか。若しかしたら、順調にやっていたけれど、ある日突然すべてを失う人だって、沢山いるんだよ。そういう時に、人間は、経験者を求めて、それに慰めてほしいと必ず思うモノさ。本というのはね、わざわざ遠くまで顔を合わせに行かなくても、経験者に会わせてくれる素晴らしい道具なんだよ。それを、伝えることは映像にはできないのさ。」

と、いった。

「本当にそうかしら。そもそも、そういう人は、大人になっても、誰かに苦労させてというか、頼って生きていかなきゃいけないから、人間としてダメな人間で、絶対にやってはいけないと、学校の先生も仰っていました。だから、そういう最低な生き方はしてはいけないって私は、教わりました。そんな罪深い生き方をして、私はどうなるでしょう。それはいけないと思います。」

正美は、やっぱり学校で言われたせりふが頭に残っているらしい。

「学校の先生は、本当に君に対してそういったかどうか疑問だな。」

と、喜恵おじさんはいった。

「それは本当に、君に向けて言ったのだろうか。若しかしたら、生徒を黙らせるための手段に過ぎなかったかもしれないよ。」

「でも、私出来ません、そんな罪深い生き方。自分のすきなことをして、いきている人間はやっぱり悪い人間として、小さくなって生きるべきだと思います。だって、それは、生きているのではなくて、生かしてもらっているのだからです。そういう訳で、生かしてくれている人から、これ以上お金をむしり取るような行為はしてはいけないと思います。私は、もうすきな事を沢山させてもらっているのだし、もう、これ以上家族に迷惑をかけるようなことはしたくないと思います。」

丁度この時、ウエイトレスが、カレーの入った皿を、二つ持ってきた。

せめて、カレーでもたべていってくれればと、喜恵おじさんは思ったのだが、

「このカレーのお金は私が払いますから。」

といって、正美はカレーを口にした。

「やっぱり、自分でお金を稼がないで、食べるだけで何もしないという人間は最低です。死ぬべきなんです。」

と、いう彼女に、学校では何ということを言っているのだろうなという憤りを感じた喜恵おじさんだった。

本当に、今の若い人たちは、生き方というモノに対して、もう少し、なにか別のことを考えてもらえないだろうか。学校の先生も、猿のような生徒を黙らせるためだけに、人生の話を持ってこないでもらえないだろうか。彼女もそれさえ無かったら、もう少し気楽に生きられるはずだ。そして、生きていることに、ものすごい罪悪感を持たないで生きてくれるはずだ。

学校って、本当に何を教えているんだろうか。本当に無意味だな。

と、喜恵おじさんが、がっかりと頭を垂れて考えていると、

「本当にありがとうございました。申し訳ないのでこれで失礼します。」

と、諸星正美は、テーブルの上にお札を置いて、カフェを出て行った。

ああなってしまったのは彼女のせいじゃないな、と喜恵おじさんは思うのだ。どうか大人として、生きていることを、罪だと思ってほしくないと思ったが、彼女がそれを感じ取ってくれるのは、まだ先のことになりそうだ。

「よし、それを描いていくか。」

喜恵おじさんはカフェの椅子から立ちあがった。

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遠くまで 増田朋美 @masubuchi4996

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