4. 勝負

 ぼくたちは大急ぎで家に帰って、何があったかを母さんに話した。ところが、春の壺が壊されて壺の魔力が散り散りになったという最悪の知らせを聞いても、母さんは意外と動揺しなかった。

「キーラとクララに頼んで、魔力に作用する薬を作ってもらっているの。それに放たれた力は元の宿主を探すから、私の力もそのうち戻るわ。それより今は、ヴィルナードを完全に倒すことを考えましょう。」

「夫人!薬ができました!」

 地下室への階段から、キーラかクララが――ぼくには見分けがつかない――が顔を出した。

「それなら、適当な大きさの瓶に薬を詰めて頂戴。半分以下にするのよ、いいわね?」

「まさか母さん、禁止魔法を使うつもりか?!『魔力を操ることは、魔法・魔法道具・魔法薬その他如何なる類の物であれこれを禁止する』って、そう決められて」

「こうなったら手段は選んでいられないわ、アレクサンドル。」

 アレクサンドルを遮ると、母さんは作戦を説明し始めた。それはこんな具合だった――母さんとエル、アレクサンドルがヴィルナードの相手をしている間に、ぼくとキーラ、クララが散り散りになった魔力を集めて回る。スニェークもぼくたちと一緒に行く。ヴィルナードは、3人が総出でかかればすきを突いてとどめを刺せる、だから薬は使い切らないこと、と母さんは言った。薬の瓶をいっぱいに詰めたカバンを肩から下げて、ぼくたちは魔法界へと繰り出した。


 裏道を走り回って、ぼくたちは順調に魔力を瓶に詰めていった。でも、ぼくとスニェーク、キーラとクララで分担してもニューヨーク中に逃げた力を回収するのは大仕事だ。中には色の薄れた、今にも消えそうな光もあった。

「そういう光は放っておいて大丈夫よ、カイル。宿主が死んでもう長いから。」

 と、双子が言った。

 裏道を歩いていて、ふとぼくは、ぼんやりと光のもれている納屋があるのに気づいた。スニェークと一緒にそっと扉を開けて中に入ると、納屋の真ん中に大きな水槽が一つ置いてある。その水槽の中には、スーツ姿の男が一人浮かんでいた。眠っているらしく、口元から絶えず泡が出ている。

 もっとよく見ようと水槽に近づいたぼくは、思わず声を上げた。

「ば、バークレーさん!?」

 そう、水槽の中にいたのは行方不明のジム・バークレーだった――そしてもう一人。

「待っていたわ、カイル・バークレー」

 声をかけられて振り返ると、ノエルが立っていた。でも服装も髪型も有名な政治家の娘のそれではなくて、魔法界の歴史の本で見た悪の魔女の格好にそっくりだ。

「ずいぶん変わったね、ノエル」

「フフ、名前ももらったのよ?ヴィルナードの忠実なる娘ヴェリーナってね」

 ぼくはそろそろと水槽に近づいた。と、突然、ぼくの耳元を熱が走り抜けていった。背後でガチャン、と何かの壊れる音がした。

「悪いけど、その水槽には指一本触れさせないわよ」

 ノエル――ヴェリーナが言った。

「その人がまだ必要なの。パパの計画はこれからが本番なんだから、よけいなことはしないでくれる?」

「君がこんな子だったなんて思いもしなかったよ」

 グルルルル、と唸るスニェークを抑えながら、ぼくはヴェリーナの正面に立った――彼女を倒さないと。と、彼女の両手に緑色の光がともった。

 ぼくは飛んできた光を避けた。と、また光が飛んでくる。木箱やガラスの割れる音が納屋中に反響する中、ぼくとスニェークは物陰を探して逃げ回った――反撃する暇もないほど、ヴェリーナの攻撃はすさまじい。あっという間に、納屋はガラスの破片や木箱の残骸でぐちゃぐちゃになった。ぼくは残された木箱のに隠れて、反撃の準備をした。

 ふと、ぼくはヴェリーナが違う色の光を手に持っていることに気付いた。彼女の力は緑色なのに、なぜか青い光が片手にともっている。「魔法は使い手によって色を変えるの。光の色は魔法の性質や性格を表すのよ」――初めて魔法を教わった日に母さんが言った言葉がふいによみがえった。ということは、誰かの魔力がヴェリーナに移っているんだ。

「ヴェリーナ、その力は誰のだ?」

 ぼくは物陰から言った。

「さあ、知らないわ。あの時私の中に入ってきたの。よく分からないけど私が気に入ったみたいね、それに使い心地も悪くないわ」

 光が飛んで、バーン!と、物が壊れる音がした。ぼくはサッと立ち上がると、ヴェリーナに溜めていた光を投げつけた。思いもよらない反撃に、ヴェリーナは納屋のすみに吹っ飛ばされた。ぼくは両手で円陣を描くと、ヴェリーナの方に飛ばした。がれきの中から立ち上がろうとするヴェリーナに円がかぶさって、彼女を閉じ込める。でもこれだけじゃ終われない――ぼくはすばやく呪文を唱えると、例の薬の入った瓶を取り出した。ヴェリーナの体が青く光り、胸の真ん中から青い光の玉が浮かび上がる。抵抗するヴェリーナを無視して、ぼくは光を瓶に閉じ込めた。そのあと、ヴェリーナに使った封印のマークをスニェークにも付けて、ぼくたちは納屋を出た。これであの封印に頑丈な鍵がかかったことになる。彼女のことはもう大丈夫——それなのに、なぜかスニェークが先に進みたがらない。

「行こうスニェーク、ヴェリーナは放っておいても大丈夫だ」

 ぼくが言うと、スニェークは渋々こっちに来た。ところが、ぼくたちが壊れた納屋から一歩足を踏み出したその瞬間、ぼくの足元で光が爆発した。

「うわっ!!」

 後ろ向きにひっくり返ったぼくの上に見覚えのあるシルエットがかぶさった――頭のてっぺんで結い上げた髪に、白い髪飾りが光っている。

 「……ミス・パール?」

 ぼくが名前を呼ぶと、ミス・パールがニヤリと笑った。

 「まあ、カイル坊ちゃま。こんな所でお会いできるなんて、ワタクシなんて運が良いんでしょう?」

 おなじみの、独特のしゃべり方。でも、いつもの愛想のいい雰囲気とは打って変わって、彼女は怪しい、危険な空気をまとっている。

 ぼくはしりもちをついたまま、慌てて後ずさった。チュン、と、ぼくの足元を白い光が撃つ。その跡を見て、ぼくの背筋が凍り付いた――撃たれた地面が真珠に変わっている。

 「さあて、カイル坊ちゃま?そのワンちゃんにかけた封印の魔法を解いてくれたら貴方のことは見逃してあげてもよくってよ?それともこのまま真珠の生き人形になりたいかしら?」

 ぼくは立ち上がって、ミス・パールに光を投げつけた。でも全く効かないどころかミス・パールの魔法の方が強くて、ぼくはだんだん押されていく。

「どういうこと?あなたとノエ……ヴェリーナに何の関係があるのさ?」

「あらあ、貴方気付いていなかったのね?壺の情報、絶好のタイミングで現れたヴェリーナ嬢、それにバークレー議員の目撃情報……これだけ揃っているのにまだ私を疑っていないだなんて、なんて素敵なお坊ちゃまなのかしら!」

 ミス・パールの甲高い笑い声が響き渡る。ぼくの混乱した頭は、すでに結論を出していた――最悪と言ってもいい結論だ。

 「じゃあ、全部あなたが仕組んだの?あなたが壺を盗んで、骨董品屋にぼくたちをおびき寄せて……」

 「残念。ワタクシはヴィルナード様のお手伝いをしただけ、あのお方の召使いよ。さすがに泥棒騒ぎには焦ったけど……でも人間どもの気まぐれがあのお方を煩わせるなんてあってはならないこと。例の爺さんを殺って、家の連中にチョーっとおまじないをかけてやれば、貴方たちをワナにかけるなんて造作もないことだったわ。」

 「そんな……!じゃあローレンス・ジャクソンは?あの人は長いこと政治をやってるんだぞ?!」

 「ああ、あれは大変だったわねえ。ヴィルナード様は、あの冬の魔女に復讐するためにニューヨーク中の人間どもを騙すことにされたの。ローレンス・ジャクソンニューヨーク市議会議員の存在を全ての人間どものアタマに刷り込むのも楽じゃなかったのよ?でもそれさえ済めば、あとはあの方の見た目をチョチョッと変えて、薬でちょこっと回復を助けて、あとはヴェリーナ嬢の訓練とあの方の鍛錬にお付き合い。ワタクシの役目なんて微々たるものよ。でも、それももうお終い。偉大なるヴィルナードは復活し、世界は彼にひれ伏し、私はあの方のお側で全ての魔法使いを取り仕切るのよ!」

 「じゃあ、父さんは……」

 「あいつはエレーナ・コズレヴィアをけん制するためのエサよ。そして人間どもを支配するための手駒……新たなる世界に貢献した素晴らしい人間として、永遠に名を残す生贄よ。」

 冷酷な声とともに、チュン!とぼくのつま先に光が当たった。靴の先が、あっという間に真珠に変わっていく。もうだめだ、と思ったその瞬間、

 「カイル!」

 突然、エルがぼくの前に現れた。

「全部聞かせてもらったわよ、この真珠女。」

 そう言って、エルは両手にフッと息を吹きかけた。水色の光の玉が現れて、母さんたちのいる方へと飛んでいく。ミス・パールの顔が苦々しげに歪んで、その手からひときわ強力な光が放たれた。エルも負けじと光を放つと、間髪入れずに大量の水を浴びせかける。

「あんた、ヴィルナードに私たちのことをずっと教えてたのね?あいつと骨董品屋で会ったのもノエルが私たちが帰ってくる場所を知ってたのも、伯父様のことも全部あんたが仕組んだのね!」

「あら、御明察ですこと……でももう遅いですわよ、エルヴィラ嬢?」

 そう言って、ミス・パールがとてつもない威力の光を出した。エルもすぐさま結界を張って応戦するが、すぐに結界が不安定になる。結界を持たせようと突き出したエルの指先がだんだん白くなっていく。そして、結界が消えようとしたその時。

 おぞましい悲鳴が上がって、攻撃がやんだ。おそるおそる顔を上げると、地面に倒れこんで顔を押さえて呻いているミス・パールの後ろにキーラとクララが立っている。

 「キーラ、あなたこの薬ちゃんと水で割ったの?原液みたいな匂いよ」

 「やだ、クララ、あなたやってなかったの?」

 呻き声には目もくれず、2人はのんきに言った。

「……ありがとう、二人とも」

 2人の会話に、エルが口を挟んだ。どうやら何の薬を使ったのかは聞かない方がよさそうだ。ところが、ぼくはあることに気づいてハッとした。

 「エル、手が……!」

 でもエルは、

 「今はそれどころじゃないわ。エレーナたちがまだヴィルナードと戦ってる!」

 と言って立ち上がった。ここは任せて、と言いながらミス・パールに封印の結界を施す双子を残して、ぼくたちは母さんとアレクサンドルのところへ向かった。


 大通りへの曲がり角から顔を出した瞬間、火の玉が目の前を横切って行った。慌てて頭を引っ込めたぼくたちのところに、アレクサンドルが現れた。

 「危ないだろ!なんでカイルを連れてきたんだ、エル?」

 「仕方ないでしょ、あの真珠女に絡まれてたのよ!私が助けてなかったら、今頃あなたの可愛い弟は真珠人形になってるところだったんだから!!」

 言い争いながらも、二人は通りに飛び出していった。すぐ近くから爆発音がして、火柱が上がる。スニェークが通りに出ていったのを追いかけて大通りに出ると、ものすごい光景が広がっていた。

 あちこちで火の手が上がり、辺りを赤々と照らしている。人々は建物の中で結界を張っているらしく、窓という窓から光が見える。そして通りの真ん中で、三方向からの攻撃をやすやすとかわす男がいた――ヴィルナードだ。3人を相手にする中で、ぼくとヴィルナードの目があった。しかもぼくの方に向かって歩いてくる。慌てて裏道に引き返したぼくのすぐ横で、ビルの壁に黒い光が当たった。走りだそうとしたぼくを誰かが掴んで、建物の中に引きずり込む。ズルリ、と石の壁を通り抜けるいやな感じがして、ぼくは一瞬のうちに暗いロビーに入っていた。と、あっけにとられているぼくを、手の主が乱暴に揺さぶった。

 「おい、カイル!」

 「アレクサンドル!?おどかさないでよ!」

 悪かった、と言いながら、アレクサンドルはぼくのカバンの中身を床に広げ始めた。もちろん、出てくるのは薬の瓶ばかり、それも魔力を閉じ込めてあるものだ。

 「まさか、集めた魔力を使うつもり?」

 ぼくが尋ねると、「まさか」とアレクサンドルが返した。

 「そんなつもりで探してるんじゃないさ……お、あった」

 そう言って立ち上がったアレクサンドルの手には、まだ使っていない瓶が握られていた。外の燃え盛る炎に照らされている液体は、他の瓶に入っているものよりも濃い色をしている。

「こいつがあれば、ヴィルナードの魔力を封じ込めることができるはずだ。効果てきめんのやつを混ぜとくのがキーラとクララだからな。」

 そう言うなり、アレクサンドルはドアに向かって走りだした。バン、と勢いよくドアを開け、通りに飛び出す――それを見たエルと母さんが頷きあうのが見えた。アレクサンドルが瓶を大きく振りかぶって投げると、示し合わせたかのように母さんとエルがヴィルナードを取り囲んだ。ヴィルナードは鼻で笑うと、手を伸ばして、瓶をキャッチした――その瞬間。

 瓶が割れて、一瞬のうちに中の薬がヴィルナードを覆ってボールのようになった。炎の色を映して不気味に輝く緑色の液体の中で、ヴィルナードが空気を求めて必死でもがいているのが見える。すかさず、エルと母さんが魔方陣を描いてヴィルナードを閉じ込めた。逃げ場を失ったヴィルナードの体が黒い光を発しはじめる。

 「さて、ヴィルナード?二回も魔力を奪われて負ける気分はどうかしら?」

 シベリア・ウィンターウォーク夫人が不敵に笑った。彼女が指を動かすと、ぼくのカバンから空き瓶が飛び出した。冬の魔女は瓶をキャッチすると、黒く輝く光を閉じ込めた液体を中に入れて凍らせた。ずぶ濡れのヴィルナードが、力なく地面に落下する――彼はそのまま、魔方陣の中で横たわって動かなかった。


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