2. 過去の黒い影
スニェークは、真っ白でもふもふの犬だ。名前はロシア語で「雪」、夫人の生涯のパートナーとして、普通の犬ではありえない力(つまり魔力)と寿命を持っている。自分が魔女として名をはせたのはスニェークのおかげだ、と夫人はいつも言っている。魔法の書に曰く、使い魔は魔法使いの力を高め、また一生涯の友人として……
「……何だったっけ?」
「『その関係を大切にする者は恩恵を受け、強力な魔法を使うことができる。これは善い者も悪い者も同様である。』カイル、これじゃあいつになっても使い魔に巡り合えないわよ?」
夫人の本名はエレーナ・コズィレヴィア、冬の魔女ことシベリア・ウィンターウォークとして知られているロシア出身の有名な魔女だ。シベリア・ウィンターウォークという何とも言えない名前は、昔夫人が有名になったときにアメリカの魔法界の新聞がつけた名前だ。シベリアの雪原を、家の前の通りを散歩するかのようにやすやすと歩いていく雪と氷の支配者、そんなイメージでつけたらしい。そして夫人は実際に雪や寒さを操る術に精通していた。これはスニェーク由来の力で、まさに使い魔と魔法使いの関係を表している。そんな彼女の弟子ということで、ぼくは魔法界では一目置かれる存在だ。そのせいもあってか、夫人の指導はかなり厳しかった。
バークレーさんの新しい目撃情報から一週間、これといった事件は起こらなかった。ぼくはいつも通り学校に行って勉強して、家に帰って修行をして、魔術書を読んで、それから覚えたての魔法で服を洗おうとして失敗して怒られた。
でも、今日はちがった。ぼくが使い魔の章を読んでいると、
「エレーナ、エレーナ!」
バタバタと走ってくる音がしたかと思うと、バンッとドアが開いた。エルが部屋に飛び込んできた—―そして後からもう二人。エルの友達で薬の扱いの得意な双子の魔女、キーラとクララだ。
「エレーナ、壺を見つけたわ!」
夫人が何か言う前に、エルが叫んだ。
「ミス・パールが教えてくれたの、骨董品屋にあったって!」
「どこのお店?」
夫人が聞いた。
「こっち側のニューヨークの店よ」
「うちの薬屋の近くです!」
キーラとクララが答える。夫人はさっと立ち上がると、あっという間に白いコートに身を包んだ。
「カイル、今日はここまでにしましょう。今から店に行くわよ。」
そう言って、夫人は玄関に立った。夫人のような人間界にも魔法界にも通じている魔法使いの家には、それと気付かれないための細工がしてある。普通にドアノブをひねっただけでは何も起こらないけど、左に二回、右に一回ドアノブを回してドアを開けると文字通り世界が変わる――ドアから一歩踏み出せば、そこは魔法使いたちのニューヨークだ。
ぼくたちは賑やかな通りを突っ切って、人気のない裏通りに入っていった。目的の骨董品屋は古ぼけていて人影がなく、ぼくたちが入っても店員の出てくる気配はない。店内を見回していたぼくは、窓際に置いてある壺を見つけて、あっ、と声を上げた。
「壺だ!」
思わずそっちに駆け出したぼくを、夫人が止めようとした。でも間に合わなかった――そしてぼくも気付いていなかった。足を踏み出した次の瞬間、ぼくは透明な壁の中に閉じ込められてしまった。
「うわっ!なんだこれ!?」
壁を叩くぼくに、夫人が駆け寄って言った。
「罠だわ、でもいったい誰が?」
「ふん、あの冬の魔女の弟子がこれしきの罠にかかるとはな。」
店の暗がりの中から声がした。現れたのは、スラリと背の高い、スーツ姿の男。それは、ぼくたちのよく知る人物だった。
「ローレンス・ジャクソン……!」
エルが男を睨みつけた。
「ローレンス、ここで何しているの?」
夫人が尋ねた。落ち着いた雰囲気とは裏腹に、その手はすでにちらちらと白銀の光を放ち始めている。
「あなたと同じですよ、ウィンターウォーク夫人。私もこの壺がないと困るのでね。」
「どうしてあなたがその名前を?あなたは政治家の……」
「ローレンス・ジャクソンニューヨーク市議会議員。そうだとも、私は政治家だよ。だが、何事にも、隠された一面というものがある……まさか忘れたとは言わないよな、君の名を上げた立役者を?」
その一言で、夫人とエルの顔色が変わった。もちろん、ぼくもハッとした。名もなき魔女が、己の力だけで悪の魔法使いを倒した――魔法学校を出たばかりの若い魔女、エレーナ・コズレヴィアを一躍有名にした伝説の一戦だ。彼女は、自身の知恵と強大な魔力でもって、当時最も強大な力を持っていた魔法使いを倒した。変身術に長け、その力で魔法界を戦慄させた悪の大魔法使い、ヴィルナードを。
「まさかお前が、あのヴィルナードだって言うのか?じゃあノエルは?」
ぼくが聞くと、ジャクソンはくるりとこっちを向いた。
「ノエルは私の大切な娘だ、それは嘘ではないよ。そして彼女は私の復活を望んでいる。この前二人でお邪魔したのはノエルを君たちに近づかせるためだったんだが、どうやらその必要は無くなったようだ。」
そう言ってジャクソン――ヴィルナードは、壺を手に取った。と、白銀の光が彼を直撃した。バーン!ヴィルナードがとっさに突き出した手にはじかれて、光は夫人の背後のタンスに当たった。みるみるうちに氷に覆われていくタンスが悲鳴を上げる。
「それはあなたの手に負えるものではありません!」
夫人が言って、光がもう一発ヴィルナードを襲った。ところが今度は、ヴィルナードは壺を持った手を突き出してそれを受け止めた。
「さて、どうだろう?魔力は使い手次第で強くも弱くもなるぞ?」
ヴィルナードの目が赤く輝いた。すると夫人の身体が光り始め、みるみるうちに全身の光が手に集まってきた。白銀の丸い光の玉が放たれ、そのまま壺の中に吸い込まれていく――そのすべてが一瞬の間のできごとだった。
「……そんな、まさか」
エルが呟いた。驚くエル、呆然と立ち尽くす夫人、何が起きたのか分かっていないぼくを残して、ヴィルナードは姿を消した。
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