春の壺

故水小辰

1.事件と日常

 ぼくの家に泥棒が入った。もっとも、そのこと自体はたいした事件じゃなかった――泥棒はすぐにつかまったし、盗まれたのも夫人とエルのドレスやアクセサリーばかりで、数日後には警察の人が返しに来た。ところが、一つだけ返ってこなかったものがある。夫人の大切にしていた壺、春の壺だ。

 ぼくはとある政治家とその奥さんの家でお世話になっている、いわゆる養子ってヤツだ。ニューヨークに立派なお屋敷を構える政治家のジム・バークレーさんと妻のエレーナ夫人、夫人の姪のエルことエルヴィラ、夫人の犬のスニェークがぼくの今の家族だ。何年か前、孤児だったぼくは住む家もなく、毎日物乞いかスリで食べものを手に入れていた。ある日、ぼくは遊び半分でバークレーさんの懐中時計を盗ろうとした。そして失敗して捕まってしまった。ところがバークレーさんは、ぼくを許してくれた――それだけじゃない、彼は時計をくれて、さらにぼくを家族に迎えてくれた。でも、その数日後にバークレーさんは突然行方をくらませて、今も行方不明のままだった。

 春の壺は、うちの玄関に入ってすぐの棚の上に置いてある、深紅のガラスと真鍮でできている花の飾りをあしらった小さい壺のことだ。でも、この壺はただの壺じゃない。それだけじゃない、夫人もエルもただの政治家の妻とその姪じゃなかった――二人は魔女で、スニェークはいわゆる使い魔、そしてぼくは夫人の弟子の見習い魔法使いだ。だからもちろん、春の壺がただのインテリアなわけはなかった。でもぼくはこの時、それが何をするものなのか見当もついていなかった。


 「……でね、私、壺を見つけたのよ!どういうわけかオークションに出てたんだけど……しかも私、あと少しってところで競り落とせなくって。知らないお爺さんが買い取ったのを返してもらおうって思って訪ねたら、お爺さんオークションのすぐ後に亡くなったらしくて。壺はどうしたのかって聞いたら、骨董品屋に売ったってメイドの子が言うのよ!」

 「ねえエル、ちょっとしゃべり過ぎじゃない?」

 ぼくはエルの話に割り込んだ。ぼくたちがいるのは魔法界随一のデザイナー、ミス・パールのオフィスだ。ドレスから髪飾り、アクセサリーに至るまで、ミス・パールは体じゅうを真珠で覆っている。おまけに肌も真珠のように真っ白で、高く結い上げた黒髪だけが白以外の色ときた。うさん臭いしゃべり方と甲高い声、映画から飛び出してきたみたいな見た目の三本調子はとても好きにはなれない。

 「カイル、人の話は遮らないものよ」

 エルがつっけんどんに言った。彼女は、誰かに話をさえぎられるのが大嫌いだ。それもそのはず、彼女の趣味は社交界でみんなに注目されてチヤホヤされること。それさえなければいい先輩でいいお姉さんなんだけど、どうもそうはいかないらしい。

 「まあまあエルヴィラ嬢、カイル坊ちゃまはワタクシのオフィスにいても退屈なのよ。おまけに貴女がずうーっと話し続けてちゃあ、それはそれは面白くないってものよ?」

 「ええと、別に、まあ……」

 ぼくはとりあえず、やる気のない愛想笑いを返しておいた。でもエルはまだ不満そうだ。その気配を感じてか、ミス・パールが話題を変えた。

 「そう言えば、バークレー様が最近見つかったらしいわねえ?」

 「ええ、知ってるわ。目撃情報がまた新聞に載っただけだけどね……ああ、カイル」

 「なに?」

 「退屈だったら先に帰ってなさい。たしか今日はジャクソン議員が家に来る日だったわ、もしかしたら娘さんも一緒かも……あんたと同じくらいだったはずよ」

 そう言いながら、エルはぼくにコートを押し付けた。これ幸いとコートを着ながら店を出るぼくの耳には、二人がバークレーさんの話をしているのがうっすらと聞こえていた。


 ぼくが家に帰ると、スニェークが待ち構えているかのように玄関ホールで座っていた。ワンワンと吠える声が家じゅうに聞こえたにちがいない、夫人に続いてお客様まで玄関にやってきた。

 「ああ、お帰りなさいカイル。今日はジャクソンさんが来られているのよ。ジャクソンさん、こちら、息子のカイルですわ。カイル、こちらはローレンス・ジャクソンさん……もう知ってるわね?」

 夫人が意味ありげにぼくの目を見た。ぼくは頷いて、ひととおりのあいさつをした。

 「こんにちはジャクソンさん、お話はかねがね聞いてます」

 ふと、ぼくは、女の子がぼくを見つめているのに気付いた。たしか、どこかで見たような……。

 「ノエル、そんなところで何してるんだ?こっちに来なさい、カイル君にご挨拶しないといけないだろう?」

 「ごめんなさいパパ!」

 ジャクソンさんに言われて、その子はハッとしたようにこちらに来た。

 「ノエル=リリー・ジャクソンよ……あなた、カイル・バークレーでしょ?たしか歴史のクラスで一緒だったわよね?」

 そう言われて、ぼくは思い出した。

 「ああ!そうだった、どこかで見た気はしてたんだ!今来たところ?」

 「ううん、今おいとましようと思ってたところ。あなたともお話したかったわ。」

 「だったら、またいらっしゃい。カイルのお友達ならいつだって歓迎するから。」

 夫人が言った。どうやら夫人の中で、ぼくとノエルは友達になったらしい。

 「では、我々はこれで。お茶をどうもありがとう、バークレー夫人。」

 「バイバイ、カイル。また学校でね!」

 そう言って、ジャクソン親子は帰っていった。そしてドアが閉まった途端、夫人は疲れたようにはあ、とため息をついた。

 「全くあの人ときたら、ジムのこと以外に話題はないのかしら……毎回毎回そればっかり、嫌になるわ。」

 「今日は何の用で来られてたの?」

 ぼくが尋ねると、テーブルから新聞がふわりと飛んできた。つんつん、と紙の端が指した記事を見ると、見出しにこう書いてあった――“行方不明のJ.バークレー議員、目撃情報相次ぐ”。

 ここで、バークレーさんとジャクソンさんのことを話した方がいいだろう。二人はともに政治家で、早い話がライバル同士だ。二人の仲たがいは有名で、バークレーさんが失踪した時にはジャクソンさんが関わっているのではないかと、ニューヨーク中の新聞が騒ぎ立てたくらいだ。その時は夫人とジャクソンさんの二人が事件と彼らの不仲は全く関係ないと言ったから騒ぎは収まったけど、それにしてもジャクソンさんの行動には怪しいところがあった。エルにも夫人にも、彼がする話といえばバークレーさんのことばかり。街中でばったり会っただけでも世間話のついでのようにその話になるものだから、二人とも彼の話にうんざりしていた。きっと、今日もバークレーさんの目撃情報の話で夫人を困らせていたにちがいない。今までにも何回か、目撃情報が新聞に出たことがあった――もちろん全部ガセネタで、そのたびに彼は「残念だ」とか「今度こそと思っていた」とか言ったものだった。

 ぼくは新聞を持つと、ざっと記事を読んだ。行方不明になって数年が経つジェームズ・バークレーニューヨーク市議会議員がまた目撃された、という文から始まるその記事にも、今までの記事と似たようなことしか書かれていない。ぼくが読み終わると、新聞はまた宙を舞ってテーブルの上に帰っていった。

 「ふうん。でも、これもこれ、きっとイタズラか何かでしょ?」

 「だと良いんだけど。さ、カイル、。手を洗ってらっしゃい。、今日の練習を始めるわよ。」

 はあい、と返事をしながら、ぼくはお皿に残っていたクッキーをポケットに滑り込ませた。

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