ひまわり

 ノーイは狼少年だ。土地の古いおとぎ話に、獣の神様と人間の交わりを伝えたものがある。どんな奇蹟なのか説明がつかないのだが、生まれてくる子供に獣の体の一部が備わっていると、神様の贈り物として祝福される。ノーイ少年もその一人のはずだった。


「ちぇ。あのオヤジ、バナナ一本おまけしてくれるなんて言っといて、ほとんど真っ黒なやつよこしてきやがった」

「甘いのかな?」

「こんなの食うつもりはないよ」


 ノーイはだいぶイライラしていた。手提げ袋から要らないバナナを草むらにぽいと投げ捨てて、頭上にぴょこんと生えた獣耳を垂れた。口は悪いが、やっぱりショックを受けていることが見てわかる。ダークブラウンの髪と同じ色の獣耳は、自己主張のために最近金色のピアスをひとつ付けたらしい。


「じゃあな、アルト。俺は仕事があるから」

「うん。がんばれよ」

「ん」


 ノーイは独り暮らしなので、学校が終わると買い物、そして生活費のために仕事場へ行く。今日は荷物運びの手伝いをするといっていた。健康的に日焼けした少年の二の腕を見送りながら、アルトは二股に分かれた道をノーイと反対の方向へ歩いていった。


 ノーイの数少ない親友、アルト少年は学校カバンをカチャカチャいわせながら、緑の草原に沿った道を歩いていった。やがてひまわり畑が見えてくる。暑さでふうふういいながらもこの景色にたどり着くと、黄色い花の効果なのか気持ちが明るくなるような気がした。


「ノーイの耳は、神様の贈り物だって学校の先生が言ってたけど、僕たちの時代は違うのかもしれないね……」


 ふらりと立ち止まったアルトは濃いグレーの髪を風に吹かれながら、ちょうど顔の高さに垂れ下がった大きな花へ話しかけた。ゆらゆらと揺れる黄色い花は何も言わず、首を振るのはタテなのかヨコなのか、アルトにはわからなかった。


 友人はいつも元気そうな顔をしているけれど、アルトの知らない所でかなしい気持ちを抱いているのかもしれない。買い物に付き合って時間をつぶすことくらいなんということはなかった。


 次の朝、アルトが学校へ行くと、通りがかった廊下の向こう側で職員室からノーイともう一人、初老の女の先生が出てくるところを見かけた。ほとんど背丈が同じ二人はときおりにこりとしながら何かを話しているようだった。

 先生と別れたノーイが二階への階段の手前でたたずんでいるアルトに気が付いた。


「おはよう、ノーイ早いんだね」

「うん。教頭先生と色々話してたんだ」

「何を?」

「秘密」


 ニッと笑ってノーイは獣耳をぴょこぴょこ動かした。うれしいことがあったのかもしれない。アルトはつられてほほえむと、彼と並んで教室へ向かった。


 授業は静かに流れていった。アルトは黒板の文字を読むために顔を上げると、自分より前の席に座るノーイの背中が目に入った。日差しが彼の髪の艶をいっそう白く映す。獣耳の輪郭線もほんわか白く光って見えた。綺麗だなとしばらく見とれていると、先生に指名されたので立ち上がってノーイの脇をすり抜けていった。途中ノーイにからかうように小突かれる。


 学校にはノーイの「贈り物」を笑いものにする生徒はいなかった。一部には奇異な目で見てくる者もいるが、手を出せば彼が倍で反撃する。

 けっこう平和に過ごすことができるのは、教頭先生が歴史研究家でもあって、伝説のたぐいに理解があることも大きい。

 先生は、ノーイを見つけると何かしら声をかけて、いつもにこやかにノーイの獣耳を誉めてくれた。そんなささやかな時間、年長の人に良くしてもらうときの親友の心地好さそうな横顔は、隣にいるアルトの心もあたたかくしてくれた。


 いつしか先生の影響で、アルトも歴史について興味を持つようになった。彼の場合、昔昔の物語より、古い時代に絶滅してしまった生き物について色々と想像することが楽しかった。


「でさ、その教頭先生の息子、最近こっちに里帰りしてきたんだって」

「うんうん」

「俺も初めて見たんだけど、『贈り物』もらった人。ゆうべ仕事帰りにたまたま道を尋ねてきて、すげえ綺麗な尻尾してたんだ。馬の毛なんだってさ」

「へえぇ」


 学校の帰り道。いつになくノーイの声が明るい。アルトには特別だとかなんとか言って、秘密だといっていたことをすっかり話してしまった。

 大きな都市へ仕事に出ていた教頭先生の息子が、久しぶりに里帰りしたらしい。その人は神様の贈り物をもらったのだと先生から以前聞いたことがある。ノーイは同類の存在に初めて出逢い、目をきらきらさせて朝一番に職員室へ駆け込んだそうだ。うれしそうなノーイの顔が簡単に思い浮かんだので、アルトはふふと笑った。


「今日は俺もひまわり見ていこうかな」

「仕事は?」

「今日は休み~」


 ふんふ~んと頭の後ろで手を組みながら、ノーイはいつもの分かれ道をアルトと同じ方向へ歩いていった。

 背の高い夏の花が太陽を目指すように並んでいた。日陰になる場所で立ち止まった二人は、黄色い花を見上げる。日に当たった学校カバンが熱くなっていた。

 アルトは近くにあった少し小さめの花が気になって、ちょんと指でつついた。


「ここの一本、夏が終わるまでに僕の背が先に伸びないかな」

「人間は背伸びというズルができるんだぜ」

「それじゃ勝負にならないよ」

「勝てればなんでもいいんだよ」


 苦笑いのアルトとは逆に、ノーイは獣耳をぴんと立ててニッと笑った。今日のノーイはご機嫌だ。アルトは思わず息をつめて、彼の笑顔に見入った。新しい出逢いは、人を変える。



 ここからずーっと遠い昔に行われたとされる、神と人との交流。おとぎ話には、贈り物をもらった人は、ケガを早く治したり、日照りが続くと雨を降らせたりと、なにやら特別な能力が使えるようだと書かれていた。


 けれど、ノーイの体にはべつだん変化は見られなかった。

 教頭先生が言うには、彼女よりもっと昔の世代には獣の体の一部を持って生まれた子供はもう少し数があったそうだ。その人たちも、特別な能力などがあったわけではない。じゃあ、もっと昔の人たちはどうだろう? 時代が下るにつれ、神様の血が薄くなってきているのかもしれない、と先生は言っていた。

 希少な存在は、やがて異端として扱われるようになった。けれどノーイはそんなこと黙って承知しない。


「俺さ、自分と同じような人が他にもいるのか、見てみたいな。小さい頃は、なんで自分だけ、ってすねたこともあったけど、先生の息子さんも、そんな感じだったんだって。だからこの街を出た」


 ノーイはひまわり畑を真っ直ぐ見上げていた。それとも、もっと向こうの世界を。

 アルトは、ノーイが急に大人っぽくなったような気がして、静かに親友の話を聞いていた。


「俺の親はずいぶん昔にここを離れたらしいけど、もしかしたら街の連中が追いつめたんじゃないかって、考える時がある」

「逢いたい?」

「……わかんない。まあ、もし顔を合わせたら、うまくやってるよ、て言ってやるさ」


 理解者である教頭先生は、獣耳を持つノーイに寄り添ってくれた。学校の費用は役所が助けてくれる。親友のアルトもいるし、ノーイはたしかに「うまくやっている」といえるのかもしれなかった。


 アルトはなんと声をかけたらよいかわからなくて、しばらくノーイの伏せられた目を見守っていた。ひまわりの花が風にそよいで、ノーイの獣耳をくすぐった。彼は耳をぴこぴこと動かして花から一歩離れた。その時にはもううれいの表情はなく、いつもの明るい狼少年になっていた。


「そうそう、教頭先生がさ、夏休みになったら息子さんの家へ行ってみないか、て誘ってくれたんだよ」

「へえ、都へ?」

「うん。アルトも一緒に行こう」

「え。僕も……いいの?」


 突然の提案に、アルトは特に何も持っていない自分が一緒にいては場違いな気がしたので、返事が遅れた。けれどノーイはアルトに一歩詰め寄って、力強くうなずくのだ。


「アルトと一緒がいい。安心するから」


 ノーイはいつも一人でそつなくこなせる人だと思っていた。ノーイのための旅なのに、ここ一番で頼られて、アルトの心の芯にぽっと火が点いたように感じた。


「わかった。一緒に行こう」

「ほんとか、やった!」


 わっ! とノーイの顔がほころんだと思った瞬間、アルトにおおいかぶさってきた。ついでに勢いで唇をふさがれて、アルトは何が起こったのか理解するのに数秒かかってしまった。


「ちょ、ノーイ! はしゃぎすぎ、浮かれすぎだよ!」

「なんだよ、神様の贈り物だぞ~」

「いやいや、ノーイが神様ってわけじゃないだろ」


 アルトは真っ赤になってわあわあしゃべり倒した。ノーイはからかった風でもなく、悪びれもせず、取り乱すアルトをおもしろそうに眺めているのだった。


「僕は、先に帰るからね! 親に相談しないと……」


 アルトは逃げるようにノーイに背を向けてすたすた歩き出してしまった。

 突然のことにびっくりしたけれど、じつはイヤではなかった自分の心がぐるぐるかき回される。

 ノーイはすぐ後ろから追いついてアルトの隣に並んだ。家までついてくるつもりだ。今年の夏の流星群は徹夜しようぜ、などと話しかけてくるのだが、アルトは何と返事をしたのか覚えていない。ノーイの楽しそうな笑い声ばかりが記憶に残る。



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