流星
「
中年の女性教師が、階段の踊り場で偶然すれ違った生徒を呼び止めて服装チェックをした。ターゲットにされたのは白の半袖シャツ、学生ズボンをきちんと着こなした少し小柄な少年である。
理科室での授業が終わって教室へ戻る途中だった飴ヶ崎はしぶしぶ立ち止まるしかなく、自分の茶色い髪を軽く指で
「転校生だからうちの学校の風紀にまだなじめないのはわかるけどね。夏休みが近いからってうんぬん……」
「先生、そいつ地毛ッスよ」
二人の会話(?)に割って入ったのは飴ヶ崎よりは高校生男子らしいしっかりした体格の学生だった。同じクラスなので彼もこの道を通るのだ。
「地毛なのは前に聞いたんだけどね……」
女性教師は、階段から降りてくる
慧太郎は太い首を半分回して飴ヶ崎を見た。少年はすました顔をしている。慣れているのかもしれない。
あらためて観察した飴ヶ崎の髪の色は、春の終わりにうちの教室にやって来た時とさほど変わっていなかった。日の光で明るく見えるのだろう、と教師に反抗はせず、慧太郎は飴ヶ崎の肩をポンと押して一緒に風のように逃げ去った。
「次の授業があるんで、失礼しまーす」
「まーす」
教師を置いて二人はそそくさと階段を降りていった。あとで担任に何か言われるかもしれないが、その時はその時だ。
慧太郎と飴ヶ崎はそんなに親しく話したことがない。生徒たちがにぎやかにおしゃべりをしている長い廊下を渡る間も無言であった。教室にたどり着いてはじめて、飴ヶ崎は口を開いた。穏やかなあたたかい声だ。
「ありがとう、尾道君」
「あの学年主任はねちっこいから気を付けろよ」
「君のは染めてるの?」
「まあね」
慧太郎は自分で染めた髪を指先でつまんだ。校則では許されているが、一応周りの目を気にして落ち着いたアッシュ系にしてみたものの、大人には何も言われなかった。
「そっか。ところで、先週ケンカしたんだって? どうだった」
「もう一回やったら親に連絡するってさ」
慧太郎は右手の
「大事にならなくてよかったね」
「おう」
先週の話を持ち出さないと二人には会話の接点がないことに慧太郎もちょっと笑いたくなった。気さくな少年にわるい気はしない。
慧太郎が先だって教室の扉を開けた時、飴ヶ崎少年は背の高い慧太郎の顔を見上げてきた。
「尾道君は、綺麗な眼をしているね」
「え……、と、なんだ、告白か?」
「そう来たか。ただの感想だよ。君の眼には星が宿っている、てね」
「???」
飴ヶ崎は茶色の、というよりオレンジ色に近い髪をふわふわ揺らしながら教室の中へ入ってしまった。開けた扉の取っ手に手をかけたままの姿勢で、慧太郎は少年の言葉を吟味した。……いや、さっぱりわからん。
誉め言葉らしいことは理解できた。
慧太郎はいつもつるんでいる友達に、飴ヶ崎の趣味についてなんとなく聞いてみたことがある。あいつは詩か何か書いているのかと。友達も「???」という顔をした。
転校生の飴ヶ崎が誰かとグループを作って行動している姿をあまり見たことがない。かといってクラスになじめないわけではなく、わからないことがあればすぐ近くの人に話しかけていた。
夏休みが始まるまで、慧太郎と飴ヶ崎はべつだん仲がよくなったわけではなかったが、あの時以来、二人はほぼ毎日おはようの挨拶くらいは交わすようになっていた。ただそれだけだ。
ときどき慧太郎は飴ヶ崎と目を合わせて「星が見えるか」とおどけてみせる。「見えるよ」と飴ヶ崎は当然のようにうなずいた。
しかし慧太郎が飴ヶ崎の目を
今年のお盆は足腰の元気な祖父が慧太郎の家にやって来た。祖母に先立たれて一人になる時間が増えたためか、いてもたってもいられなかったらしい。自分がじいちゃんの家に遊びに行くよと言ってもきかず、孫の顔を見るのを楽しみにしていたと聞かせてくれた。慧太郎の名付け親である。
孫がテレビを占領してゲームをしているのを、目を細めながら祖父は眺めている。キャラクターがとんだりはねたりするのに合わせて「そこだ」「やった!」などと短く声を上げるのだった。
飴ヶ崎から「お誘い」の連絡が入ったのは、ご先祖様を迎える準備をしているところだった。慧太郎がきゅうりに割り箸を刺して馬の形にしているところへスマホが鳴った。
「流星群を見に行かないか」
この時期に活動がピークになるというペルセウス座流星群だ。慧太郎が祖父に話をすると、こころよく送り出してくれた。
ばあちゃんが流れ星に乗ってきたら、きゅうりの馬より早くこっちに来られるかもしれないね、と慧太郎は飴ヶ崎の影響を受けたかのようについ詩的なことを口走ってしまった。
この夜は夕飯が終わってから学校に集合とのことだった。日付が変わる前には解散する予定らしい。未成年に同伴する大人がいないので、早いうちに夜空の観察をすることになった。
他に誰が来るのか聞いてみると、二人だけだという。慧太郎は毎年夜空を眺めに行く星好きの少年というわけではないのだが、まあ詩人の飴ヶ崎に付き合ってやるかと軽い気持ちで承諾した。
夏の夜はわずかに涼しさを感じる。パーカーを羽織って袖をまくるくらいで暑さをしのぐことができた。
見上げた空は紺色。月は三日月。雲はわずか。わずかに
流れ星なんてほんの小さい頃に奇蹟的に一度見ただけの慧太郎は、なぜかわくわくしている自分をふしぎに思った。願い事は考えていなかった。
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