時は蛆虫であった

 骨川須磨太郎(著)

 ミュンヒハウゼン文庫


 骨川須磨太郎は昭和初期に活躍した国粋思想家であり、探偵小説作家としても知られていた人物です。昭和七年、時の総理大臣・犬養毅が殺害された五・一五事件の直後、事件の思想的指導者の一人ではないかと嫌疑を受け、逮捕直前に自死を遂げています。

 

 本書は彼が最後に書き上げた探偵小説です。主人公である探偵・骨川須磨太郎(作者と同名)は、時間の価値が無に等しくなるという奇病に悩まされています。彼にとって、日々流れていく時間は、ただただ空虚で認識できない何かが一方的に進行して行く不気味なものとしか思えないのです。

 ある日、須磨太郎は催眠療法を専門に手がける医院に出向きます。院長の吉川は、須磨太郎に「時間に対する認識を別の何かに置き換える」催眠術を施します。施術そのものは成功したのですが、この治療法の問題は、時間と置き換えにして感知できるものを設定できないという点にありました。そのため須磨太郎は、これ以降、時間を感知するとき、替わりに蛆虫の存在を認識するようになってしまったのです!

 

 本書は資産家一族が住まう豪邸で発生した連続殺人事件を解決するという探偵小説としてはオーソドックスな物語ですが、推理担当兼語り手を担当する須磨太郎が上述の状態であるため、奇怪きわまる文体で記述されています。

 

 蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫六月六日、またしても死が大沢家に降った。蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫私がそれを知ったのは、朝食のトオストを齧っていた午前七時のことであった。蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫大沢家長男幸一氏死去の一方を受け、私は街頭で捕まえたタクシイを雷電の如く走らせて惨劇の現場たる折中亭へと急いだ……蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫

  

   (以上、『時は蛆虫であった』本文七十七ぺージより抜粋)


 そもそも時間とは何かいうと、「あらゆるもの」です。私たち自身を含む森羅万象が変転する様こそ「時間」なのですから、小説の上で時間を蛆虫に変換す

ると、空白部分を「蛆虫」という単語で埋める結果となってしまいます。著者はこの誰も得しないであろう試みを愚直に実行しました。結果、本書では蛆虫という単語が大半を埋め尽くしています。


 読者の困惑をさらに深めたのは、本筋の探偵小説自体はロジックを駆使した真っ当なものである、という点でした。

 「読みにくい」との苦情を受け、第二版以降では蛆虫の単語は除外されました。随分あっさり引き下がったように見える著者ですが、変わりに冒頭十ページに渡って作者自身の筆による数千匹の蛆虫のスケッチが追加され、読者を閉口させました。


 本書は好事家の間で『昭和初期五大狂気小説』の一つに数えられています。

 


(このレビューは妄想に基づくものです)

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