モラルタ・ミュージック
西条ナゴム(著)
ミュンヒハウゼン新書
西条ナゴム(1980~2015)はモラルタ・ミュージックの創始者とされるアーティストの一人です。
モラルタ・ミュージックとはどういったものか。その定義については諸説ありますが、「最終的に、『無』もしくは『死』を想起させる状態に収束する楽曲」というのが一般的な解釈です。
簡単に言うと、最初に混沌に近い雑多な音の洪水を発生させ、その乱雑さを少しずつ調和に導く、あるいは乱雑さの種を順番に取り除くことで、音楽の形をのっぺりとした状態に近づけて行きます。最終的に、音楽は無音に還る。演奏される音楽なのですから、終わったら無音が訪れることは当たり前なのですが、その当たり前を到達地点に設定することにモラルタ・ミュージックの特色があります。
基本的に、このジャンルのプレイヤーたちは快適な音楽を作ることを指向しません。何故なら、この音楽は最終的に訪れる無音状態の引き立て役にすぎないからです。不協・不快・乱雑……耳障りのよろしくない音の連撃にさらされた聴衆は、平穏な世界を求めます。少しずつ演奏は穏やかに転じ、最終的に何も音がない状態が訪れたとき、聴衆は「無音の音楽」に快感を覚えるのです。それは忘我の境地に近いもので、優れたモラルタ・ミュージックプレイヤーは、ライブの終演時に数十人の失神者を発生させると言われています。
こうした無への希求を試行錯誤するのが西条ナゴムの音楽でした。
後続のモラルタ・ミュージックとは異なり、彼の演奏は基本的に古びた大正琴一台のみというシンプルなものでした。彼の演奏を聴いていると、大正琴の甘く、耳障りのいい音色からここまで不快で不安な音楽を生み出せるものかと驚嘆させられます。その不快の頂点から、少しずつ心地よさが顔を覗かせたかと思うと、一気に快楽の滝へと急降下が始まります。この快楽の急滑降こそ、西条の真髄でした。
西条の音楽活動はYoutubeに自作曲を投稿し続けるだけのシンプルなものでしたが、彼の楽曲にインスパイアされた国内外のアーティストによりその知名度は絶大なものとなり、2014年には過去十年で世界中に多大な影響を及ぼしたアーティストを顕彰する、ディケイド・ミュージックパーソンにも選出されています。翌年、惜しくも急逝することがなければ、彼の音楽界への貢献はより大規模なものになったかもしれません。
本書は、西条自らが振り返る同ジャンルの発展の歴史と、彼の音楽論で構成されています。
「楽曲の本質は落差だ。快から不快へ、不快から快へ転じるとき、人は実際に存在する音を超えた感動を覚えるものだ。いわば感覚にバフがかかっているような状態であり、このバフを意図的に作り出す行為こそ僕が試みているものだ」
「究極的には、優れた音楽というものは存在しない。昆虫や鳥の鳴き声に関して文化圏で感受性が異なるように、音楽もまた、受容者の感性によって評価は異なる。音楽家は、自分の作品を受け入れさせたいと思ったら、聴衆の感性を、人生観を改造しなければならない」
本書はモラルタ・ミュージックのプレイヤーや音楽関係者に留まらず、小説家、彫刻家といった一見、音楽と関係のないアーティストにも高く評価されています。
(このレビューは妄想に基づくものです)
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