■■■の研究



  祝賀原陽(著)

(ミュンヒハウゼン文庫)


 ■■■についての概説書です。  


 ■■■という表記は、便宜上のものです。この概念についてどのような言葉を当てはめるべきかについては現在でも論争が繰り広げられている状況下にあるため、とりあえず、本書では適当な表記が採用されています。


 かつてのキリスト教文化圏において、学問とは「神」の存在を前提として発展した分野でした。

  神の言葉とは、聖霊とは、三位一体とは?神の意志や神の偉大さを知る学問である神学が牽引役となって、あらゆる知識体系は発展を遂げたのです。

  

 しかし、神について考えを進めたあげくに、神学者たちは一つの難問に突き当たりました。

「人間ごときの知性で全貌を把握できるような存在であれば、それは『神』と呼ぶに値しないのでは?」


 全知全能の神を理解するためには、人類もまた、全知全能でなければならないはず。しかし、人は全能などではない。つまり、人類は永遠に神を理解できないか、理解できたとしたら、その神は偽者という結論に至ってしまう……


 当たり前のようで、極めて厄介な問題。この設問に対して、十五世紀、イタリア・メーレン大学の神学者たちはとりあえずの回答を導き出しました。


 いつの日か、人類の叡智が神に届いたとき、人は神という存在の全貌を把握することができる。

 しかし把握したその瞬間、神という存在は次の段階、その時点の人類の知性を遥かに超えた位置へと進化を遂げ、依然、人類の理解を絶したままであり続ける……という結論です。


 つまり、神とは永遠に拡張を続ける宇宙のような代物であるという発想です。

 言うまでもなく、この思想は十五世紀当時の協会関係者には理解されず、メーレン大学の神学者たちは異端の宣告を下されてしまいました。


 それでも地下へ潜った神学者たちは、自分達の研究成果を書物にまとめ、現代へと伝えました。その書物の中に提示された概念が、■■■です。


 神は人間の観測限界の常に一歩手前を行く存在である。人が神の全貌を把握した際、神は膨張して観測範囲の外へと広がってしまう。

 ならば、その「神が人間に観測された瞬間、瞬時に進化する原理」こそが神をも支配する究極の原理であり、その原理をこそ人類は尊び、従うべきである……

 その原理が、■■■です。


 ここで述べた話はあくまで概要であり、実際に■■■について知りたいと思った方は、数十ページにも渡る数式を読み解く努力を強いられることになります。その数式についても本書の付録に収録されているので、興味と根気のある方は目を通してみてください。



  (このレビューはすべて妄想に基づいたものです)

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