異神


 カール・ボーナー(著)  

 依田俊一郎(訳)

(ミュンヒハウゼン文庫)


 1997年、中欧のマケドニア(現国名・北マケドニア)の首都スコピエで、独裁者ヴィゴーの打倒を叫ぶ市民達が蜂起した。

 その数、およそ一万人。怒れる民衆達は議事堂や行政府をまたたく間に包囲、国内外のマスコミは、一斉蜂起が国家転覆にエスカレートする可能性を声高に騒ぎ立てた。

 しかしその渦中で、奇妙な事実が判明する。

 民衆たちの憎悪が集中していた「独裁者ヴィゴー」なる人物の経歴が、どの国の報道陣のデータにも残されていなかったのだ。

 当のマケドニアの新聞記者たちさえ、ヴィゴーなる名前を耳にしたのは始めただった。

 やがて一斉蜂起は自然に終息した。熱に浮かされたように「独裁者」打倒を叫んでいた民衆達が、一人、また一人と憑き物が落ちたように冷静になり、日常へと戻って行った。

 「独裁者ヴィゴー」などという人物は、マケドニアのどこにも存在しなかった。

 政治家の別名義や傀儡だったという意味合いですらない。本当に、影も形も存在しない人物だった。

 民衆の脳内に突然ヴィゴーなる幻覚がとりつき、彼らを狂気に走らせたとした解釈しようのない状況だった。


 それから二十年。現・北マケドニアの歴史書は、困惑交じりに記している。「これら一連の出来事は、広義の集団ヒステリーとでも呼ぶべき現象であったと結論付けるしかない」と。


 本書は、こうした公式見解に概ね従った上で、当時ささやかれた様々な可能性について詳細に解説したものである。アメリカ、あるいはロシアによる情報操作、毒ガス平気、天才的催眠術師による集団操作……珍説、奇説も含めて百花繚乱の推理が繰り広げられている。


 果たして「独裁者ヴィゴー」とは何者だったのか。

 これを、四半世紀近く前の、遠い国で起こった珍事と片付けていいものだろうか。

 現代に生きる我々もまた「独裁者ヴィゴー」に踊らされているのでは……?


 

 (このレビューはすべて妄想に基づいたものです)

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