第24話 屍鬼の雨
「殺生石が足りない」
二十本目の樹木子を切り落としたところで江弥華が言った。
江弥華の言葉を受けて、民綱たちが火車を降りていく。
周りの警戒を任されたオレも久方ぶりにボンネットを降りることが出来た。ずっと腰に巻き付ていた蔦が外れて大分呼吸が楽だ。白暖はオレが落ちないようかなりきつく巻いてくれていたのだ。しかも絶えずトウモロコシを生やし続けてくれていた。
その白暖もオレと同じく警戒に当たっている。
「お味はいかがでしたか?」
「大変美味でございました。白暖さんがいると膳いらずですね」
「ふふふ、お野菜の膳はわたくしにお任せくださいませ」
朗らかに談笑するオレ達の傍ではモノノケの解剖が行われていた。
江弥華が蛇波山の腹に刃を入れ、丙二と民綱で開いた腹を押し上げ、銀に視線を送った。ぶんぶんと首を振る銀。拠点に戻って補充すればいいでしょう、と騒ぎ立てている。
そして、「やれ」「やれらない」の水掛け論が始まる。もうなんとなくお決まりの流れになっていた。最初にしびれを切らしたのは江弥華だった。蛇波山の死骸の前で踏ん切りがつかないでいる銀を押しのけて、頭ごと腹の中に潜り込んだ。ぐじゅぐじゅと内臓を掻き分けて取り出したのは一抱えもある大きな肝臓。
江弥華がおもむろにその肝臓を頭上へと持ち上げる。
獲ったぞー的なノリかな、なんてほほえましく思った瞬間、江弥華が肝臓を地面に叩きつけた。
「何してんのぉ?!」
江弥華に詰め寄ろうとしたオレを白暖が「大丈夫ですわ」と引き留める。
「殺生石を見つけやすくするためで、決して江弥華様が乱心なさったわけではありませんわ」
「殺生石を見つけやすく……?」
怪訝な目で江弥華を見る。足許には、どろっどろで真っ赤っ赤なカレーをこぼしたみたいに、肝臓の肉片や血糊が散らばっている。
「呪素は血流にのって全身を巡り、死後、血流が停滞すると呪素同士がくっついて結晶となりますの。なので特に血が溜まりやすい肝臓によく殺生石がございますわ」
白暖の説明を聞きながら、散らばった肉片を一つずつ握りつぶしている江弥華を見た。
「肝臓にないこともあるの?」
「ええ、たまに。呪術を行使する直前に倒してしまったりすると、呪素が動きますから。そうなると殺生石を見つけるのは困難を極めますわ。例えば心臓にあればいいですが、そこにもなければ、次は腸、胃、脳など。内臓にもないとなると、次は骨髄でしょうか。血管内や、筋肉繊維の間、なんてこともありますわ」
「そうなの? 呪術を使おうとした場所に出来るんじゃないんだ」
「ええ。ですから殺生石をとるときは瞬殺はマスト。不意打ちできれば、ほぼほぼ肝臓からとれますわ」
「ほう、なるほどねえ」
ゲームみたいに魔物を倒せば、魔石や素材が自動で手に入るわけじゃないようだ。いくら異世界だからといって人間サイドに都合よく出来ていないということか。世知辛い。
「あったぞ」
と江弥華が腰を上げた。血抜なれた指の間に豆粒サイズの殺生石が煌めいていた。これで蛇波山の大解剖は回避できる。しかし良かったと胸を撫で下ろしたのは、オレだけだった。
「ちっせえな」と民綱が愚痴をこぼし「だから拠点に戻って――」云々と銀が額を抑えて首を振る。一瞬見せた、自分が正しかった言わんばかりの得意顔と、汚れしなくて済んだ安堵の混じった笑顔、オレは見逃さなかったぞ。
「小さすぎる。樹木子に術を施すときに使ったのか?」
江弥華が採取した殺生石のサイズに言及しながら巾着袋にしまい、屍鬼の死骸に向かった。オレの歯を発砲する憑鬼能力でズタズタになった死骸から、肝臓を取り出し、地面に叩きつけ、「こっちも小粒か」と獲れた殺生石を摘まみ上げた。
「こっから先、あまり良いものは獲れないだろうな」
江弥華が腰を上げて火車へ向かった。江弥華に続いてオレ達も火車へ戻る。数歩歩いたところで胸の鎖が現れた。
また、ボンネット乗車か、と思った矢先に鎖が引かれて空を飛び、やはりボンネットに着地。乗り込んだ白暖がオレの腰に蔦を巻きつけ発進準備が整った。
発車を待っていると、江弥華が銀にたかり始めた。血で汚れたマントを広げで洗えと言う。これぐらいはしろ、と。当然の権利だな。銀も頷き、掲げた札から水を出した。次に『引』の札で水滴を吸い取り、洗濯完了。
火車が走り出した。今現在オレ達は緋猪岩城壁内を三周している。外側の樹木子から殲滅していって、徐々に索敵包囲網を狭めようという作戦だった。
当然、以上を察知した何者かが大量にモノノケを送り込んでくる。廃屋の隙間から見える天守閣然とした緋猪岩陰陽寮からは滝のようにモノノケたちが溢れて出ていた。
だが、次の樹木子に向かう道中に遭遇することは滅多になかった。銀が攪乱するように江弥華に道を支持するので、相手もこちらの正確な位置を把握できないようだ。代わりに樹木子周りを固めるモノノケの数が倍増している。
モノノケの数が五十を越える頃にはさすがに火車で通り過ぎながらの殲滅は厳しく、江弥華はドリフトで樹木子の生える広場をぐるぐる回り、オレや銀が殲滅する作戦に変更した。意地でも火車を停めたくないのだろう。
「そんなんだから殺生石がすぐに尽きるんですよ」
と、銀にネチネチ言われていた。
天守閣を模した緋猪岩陰陽寮は小高い丘の上に立ち、周りを堀に囲まれている。門は全部で五つ。すべてが開け放たれている。東西南北に一つずつと、東南東方向に一つである。
この最後の五つ目の門、普段は閉じられていたらしい。理由は門から天守への道が狭く、且つ曲がりくねっているからだそうだ。対して残りの四つの門は常に開けられ、門から天守への道は勾配は急ながらも一本道で広く、階段も整備されているらしい。
この情報をもたらしたのは民綱だった。伯父である大悟郎から聞いたそうだ。また大悟郎も部下のヤスと奉公として雇っている、かん太から聞いたらしい。
ヤスは何となく察しがつく。牛鬼の素材を店に持ってきたときに、青いマントにターバンを巻いていたからだ。だが、かん太も緋猪岩難民の一人だったとは思いもしなかった。
「かん太が緋猪岩出身とは知らなかったな。七大十は知っていたか?」
「いや、聞いてない。てか江弥華も知らなかったんだ」
「かん太とは挨拶程度だったから。話すようになったのは護符の依頼を受けてからだ。……そうか、緋猪岩出身か。おそらく孤児もそれが原因か……」
「え、待って。かん太って孤児?」
「十歳前で奉公に出されるのは孤児だけだ。文字や計算を実地で覚えさせるためにな」
「そう……なんだ」
三日連続、早朝店に催促に来てうっとおしいなって思ってしまった。帰ったら優しくしてやろう。
「かん太の護符、もう少し凝ってやるか」
江弥華も同じようなことを思ったらしい。
「感傷に浸ってるとこ申し訳ないですが、四周目に突入です。江弥華、一旦三本目の路地に入ってから大通りに出ましょうか」
「三本目だな。了解した」
江弥華が火車を飛ばし、三本目の路地に入った。相変わらずのノーブレーキだが、もう誰も文句を言わない。完全に慣れてしまっていた。
車幅ギリギリを瓦礫を乗り上げながら爆走する。廃屋に囲まれた路地、崩れず残った土壁が月明かりを遮って暗い影を落としていた。
「大通りを右折後、一本目の路地を左折して樹木子です」
「一本目だな」
そろそろだな、と気合を入れる。腰に巻くつく蔦からトウモロコシが生える。もう少しで路地を抜ける、という時だった。火車の後輪が大きく跳ねた。
「民綱!」
江弥華が前を見ながら声を張る。
「蛇波山一体。頭だけ転がってやがる!」
後ろの状況を確認した民綱が返す。
「七大十、蛇波山の頭は転がっていたか?」
「いや、見てない! あったらさすがに気付く」
そうはいったが、ぼうっとしていたのは確かだ。今度は見落とさないようにと十メートル先の地面に視線を飛ばした。
「ん?」
路地の一部だけ影が濃い気がする。
違和感を覚えた瞬間、影の中から人手が出てきた。
「江弥華、影から屍鬼が出てきた!」
慌てて叫んだ、その隣、土壁にも一際黒い点のような影が見え、一瞬にして広がった。
影の中から屍鬼の呻き声が聞こえる。それも一つじゃない。
十? 二十? いやもっとたくさんだ。
「……不味い。路地を抜けるぞ」
江弥華がアクセルを踏み込んで火車が路地を抜けた。火車がブレーキ音をかき鳴らして停車した。躍り出た大通りの先には開け放たれた東門。その先に天守閣が聳え立っているが、妙だ。先ほどまで寮からわらわらと湧いていたモノノケが一体も出てこない。
「影だ。奴ら影から出てきてるぞ」
民綱が冷静に言った。見ると壁に出来た真っ黒な影から出来た屍鬼たちが丙二の泥に飲み込まれている所だった。
「私たちの居場所を特定したのか?」
江弥華が呟く。
オレは反射的に天守閣のてっぺんを見た。もしかしたら誰かがあそこから見ているのかもしれない、そう思ったのだ。
天守閣の屋根は無人、だが、そのさらに上空に黒い何かが浮かんでいる。雨雲よりもずっと黒く布のように薄い何かが徐々に緋猪岩の空を覆うように広がり始めていた。
「江弥華、あれ見て」
首を目一杯捻って江弥華を呼び、空を見上げた。
「間違いなく誰かいる」
江弥華の言葉はオレを含めた六人全員の総意であった。
「けどよ、影からモノノケを召喚できるなんて能力、羅生門の能力になかったはずだ」
民綱が訝し気に言った言葉を「影から召喚……」と銀が繰り返し、突然、車内全体に札をばらまいた。『纏』と書かれたその札が車内全体を青白い光で満たす。
「文献で読んだことがあります」
空に広がる黒い何かを見上げながら続ける。
「影に潜み、影を行きかい、影を愛し、影に嫁いだ女がいた、と。彼女は後にこう呼ばれたそうです。八瀬童子、と」
その時、上空に広がった黒い何かから、屍鬼の雨が降り始めた。
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