第21話 樹木子奪還
「……おい、江弥華、それ……」
民綱が目を丸くしながら、手を伸ばした。しかしその手は江弥華の肩を通り抜ける。その手を見送って江弥華が鼻を鳴らした。
「見ていろ、もっと凄いぞ」
江弥華がオレの鎖を引っ張って疾駆する。後を追う前にオレが後ろを振り向くと、取り残された人たちが口をあんぐり開けていた。江弥華は立ち止まるつもりがないらしい。オレの鎖を引っ張りながら壁沿いを走り抜ける。
十数秒。青白く発光すする柳を遠目に捕らえた。呪術を発動させる札そのものとなった樹木子だ。その周りに話に訊いていたモノノケどもがたむろしている。
蛇波山が一体、水垢嘗めが五体、屍鬼が二十体。男が言っていた通りの数だった。
奴らはやはりオレ達の存在に気付いている。
樹木子を背に、蛇波山、水垢嘗め、屍鬼の順に待ち構えていた。
接敵まで残り百メートルというところで、江弥華が近くの廃屋の屋根へ跳躍した。当然、オレも跳んで後を追う。
「あくまで死守するつもりか」
江弥華がモノノケどもを見下ろして呟いた。確かに、奴らが襲ってくる様子はない。ただじっとこちらの動きを見つめている。
江弥華が煙草を吸ってから、オレに顔を向けて、煙を吐く。それからオレがそのすべてを胃に収めるのを横目に、「面倒な」と零した。
「どうにか、モノノケを樹木子から引き剥がせないか」
と。
「何で? このままいけばいいじゃん」
「いや、それだと樹木子に攻撃が当たってしまう恐れがある」
力加減が苦手なんだ、と江弥華が頬を掻く。
「まあいい。七大十、今回はお前が主役だ」
「オレが?」
どうやら江弥華は、お前がメインで戦え、との仰せのようだ。
……オレに出来るのか? いや、出来るんだろう。他ならぬ江弥華がそう言うのだから。
「分かった。どうするばいい?」
訊くと、江弥華は一度モノノケどもに視線を戻し、襲ってこないこと確認してから、身に纏うマントの中から右手を出した。掌に三つの丸薬が乗っている。その色はガム玉みたいな化学的な色に変わっていた。
「丸薬に色を付けた。どれがどの膳か今から覚えろ」
と、江弥華が命令して、一つ一つ丸薬を指差した。
「赤がトウモロコシ、青が刀海老、こっちの黄色が袖通椎茸だ。覚えたな?」
オレは江弥華の言葉を反芻してから首を縦に振った。
「よし。なら行け」
江弥華が腕を振った。山なりの放物線を描き、モノノケどもの頭上へ落ちていく赤い丸薬。
赤はトウモロコシ、歯の雨を降らせ、ということか。
オレは屋根を蹴って飛び降りた。丸薬まで一瞬で到達し、噛み砕く。
歯が疼いた、刹那、口から勢いよく射出していく。
「オアアァァ――!!」
反動が首を襲った。振動する視界の中で、逃げ惑うモノノケどもを見た。頭を守る屍鬼の腕を穿ち、水垢嘗めが水風船みたいに破裂していた。
だが、まだ半数以上が残っている。樹木子に当てないようにしたからだ。
モノノケどもが樹木子に寄り集まって肉壁を形成している。
「引き剥がそう」
オレが地面に着したと同時に江弥華がオレの目の前に舞い降りて言った。左手に札。右手の赤い丸薬をオレにねじ込んだ。
胸の鎖から何かが抜き取られたような感覚。
オレが歯弾を乱射する間際、江弥華の札が発行した。
「引・千客万来」
札へ風が吹き荒れる。砂や細かな瓦礫が札へ目掛けて飛来する。青白く発光する札が踏ん張る屍鬼も水垢嘗めも、揺れる樹木子の葉を一緒に根こそぎ引き寄せた。
「あ、バババババ――!!」
驚きの声を上げた瞬間、歯弾が跳びした。目の前で屍鬼の体から血しぶきが上がり、水垢嘗めが水風船のごとく破裂する。
足許に骸が転がった。
「残りはあれだけだ」
視線を上げると、蛇波山が石畳の地面に突き刺した爪を引っこ抜いている所だった。
江弥華がその足へ向けて丸薬を投げた。青色の丸薬、刀海老だ。
切れってことか。
オレは疾駆した。一瞬で追いつき丸薬を噛み砕いた。次いで圧し潰されるような痛み。
蛇波山の足へ剣の形にプレスされた両腕を振い、突如、吹き荒れる強風。オレは空を切っていた。
「七大十!」
グンと胸の鎖が引き寄せられる。オレのいた場所を蛇の頭が喰らい付いた。
「跳べんのか、鶏のくせに!」
見上げた上空で蛇波山が翼を前後に振っていた。
「呪術で無理やり飛んでるだけだ」
江弥華の言う通り、蛇波山が乱暴に廃屋の上に着地した。そして大きく首を逸らす。蛇波山の嘴から炎が漏れるのが見えた。
「ブレスだ!」
直感して叫んだ。だんだんとテンションが上がってきている。
「隔・旋風結界」
オレと江弥華の周りに風の結界が張られ、蛇波山が炎を吐いた。目の前が真っ赤に染まるが、熱は風に飛ばされるのか熱くはない。
江弥華が両手で鎖を握り、振りかぶった。
「結界を解いたら投げる。切れよ」
未だオレの四肢は剣の形をとっている。鎖鎌よろしく投げるつもりらしい。
炎が消え、視界が晴れる。だが、今度は蛇波山の鋭い爪が迫っていた。
反射的に横に跳ぼうとする体。しかし胸の鎖が強く引かれ、江弥華の前へ。
「肉壁かよ!」
腕を交差させて叫ぶ。瞬間、火花が散った。
「弾いてみせろ」
と背後でオレの体を支える江弥華が命令する。
弾けるか! 無理に決まってんだろ!
「いいぃぃ!!」
心の叫びが歯の隙間から漏れる。
無理! クソ! 人の腕力どうこうできるわけがねえ!
叫ぶ余裕もなく、代わりに身内で江弥華や蛇波山に罵声を飛ばす。
だがオレは蛇波山と鍔迫り合いを繰り広げている。おかしい、何でだ、と無理だと悟っただけに冷静になってきた。
そして気付いた。命の危機による火事場の馬鹿力か、いや違う。
骨が飛び出している。上の外側、尺骨が、張り出している。
「少しで手伝ってやる。纏・
力が奥底から込み上げてくるような、溺れてしまいそうな全能感。
「お、おお……ラアアァァアアア!」
力任せに交差した腕を振り抜けば、さっきまでの鍔迫り合いが嘘だったように、蛇波山の爪を裂き、顔面に血しぶきを被った。
蛇波山が悲鳴を上げて空へ逃げた。
目で追っていると、オレの口に丸薬が押し付けられた。
「撃ち落とせ」
言って江弥華が煙草に火をつけた。
噛み砕く。口内にトウモロコシの味が広がって……歯を撃つ。
さっきとは威力が桁違いだった。一発一発が大砲のように大きく、廃屋を瞬く間に吹き飛ばし、更地に変える。
蛇波山が激しく翼を上下させて空を飛ぶ。しかし元が鶏なだけにひどく遅い。
断末魔を上げる間もなくその巨体に穴が穿たれ落下した。
どくどくと血を流す蛇波山のもとに江弥華が歩いていく。心なしかいつもより腕の振りが大きい気がする。
「……さて、何処を貰おうか」
江弥華は琥珀色の小刀を蛇波山の嘴の付け根に挿し込んだ。
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