第19話 入国

 火車が元の速度を取り戻す。

 横目で盗み見た速度計の針は右一杯に振り切っているが、まるで徐行しているような感覚だった。


「江弥華、止まれ」


 怒りの籠った声で民綱が静かに言う。


「何故だ?」


 と、江弥華が静かに問い返した。

 民綱と銀、今にも爆発寸前な二人が不気味なほど静かに声を発する。


「止まれ」

「人がいたらどうするつもりだったんです?」

「避けるが?」

「「避けれるか!!」」


 当たり前に答えた江弥華に、二人の怒りが爆発した。


「おま、はぁ? てめ、この、あのなあ! こんの、馬鹿が!!」


 怒りが先行してうまく言葉を紡げない民綱に変わって、銀が淡々と江弥華に詰め寄る。


「貴方、何をしでかしたか分かっているのですか?」

「何って、術を火車にかけて加速しただけだぞ」

「加速って、その術は風纏の奥義でしょうが! まぎれもなく攻撃呪術ですよ!」

「ああ、おかげで大損だ。右手の指輪が全部空になってしまった」

「阿保なんですか?」

「阿保だと? 私はお前らの期待に応えようしたまでだ」

「期待に応えようとして、どうして志那津比礼なんですか?!」

「それが正直計算外でな。まさか術の効果と一緒に速度も元に戻るとは。全く……これでは意味がない。この術を作った奴は馬鹿だったんだな」


 はっはっは、と江弥華が笑った。


「術の開発者も、こんな使い方は想定してなかったでしょうよ……」


 銀はあきらめた様子で額に左手を添えて首を振り、現実から車窓の外へと目を逸す。

 一方、民綱は「馬鹿が! この馬鹿が!」と、もう馬鹿しか言えなくなっていた。


「馬鹿は貴様だ、たわけ」


 と、江弥華がハンドルから手を離して身体ごと後ろを振り向く。


「おい! 何やってんだよ、江弥華!」

「何だ七大十! お前も私に文句があるのか!」

「あるわ! 前向け! ハンドルから手を離すな!」


 慌てて、身を乗り出してハンドルを握ると、ハンドルはロックされていた。


「大丈夫ですわ」


 と、白暖が言う。


「この火車はハンドルとアクセル、両方にロックを掛けられますの。田園地帯を抜けますとほぼ一本道ですから」


 確かに、いつの間にか辺りは草原になっており、踏み均されてむき出しになった地面がどこまでも真っ直ぐに続いている。


「獏が踏み均したおかげで、道が均されてて助かりますね」


 と、銀が窓の外から遠くを見て呟いた。

 車内では江弥華と民綱が馬鹿の応酬を繰り広げている。先に我慢の限界が来たのは民綱だった。席を立ち、運転席に乗り込もうとする。

 江弥華が素早くシートに体を沈めた。左手を巾着袋に突っ込み、右手には『風』『纏』の札。


「……え、江弥華?」


 まさか。

 そのまさかだった。


「馬鹿が。てん秋風越冬春一番しゅうふうえっとうはるいちばん

「なっ!?」

「おっとよ!」


 一瞬にして新幹線並みの加速を見せる火車。

 民綱が後方へ吹き飛ばされ、ハッチの扉に激突する寸前、泥の壁が民綱の体を受け止めた。


「へっへっへ……民綱ぁ、走行中にっとや、ねよ」


 その声は拘束服の中から聞えた。

 服を着るのをミスったみたいだった。

 丙二がさっきまで口を出していた拘束服の穴から泥の腕を出している。その手首の先から泥を噴出して民綱を受け止めたのだ。


「助かったぜ、丙二」

「へっへっへ……そのためのおいよ」


 泥が勢いよく丙二の腕の中に戻る。そして手の形をとった。

 ズボッとその腕が拘束服の中に引っ込み、代わりにだらしなく緩んだ口元が現れた。


「え……凄」


 思わず漏れた感想を丙二が耳ざとく拾う。丙二がこちらに笑みを向けた。

「へへへ……もうおいくらいなっと膳いらずよ」


 五年も式神として鬼素を取り込み続ければ、膳なしで憑鬼能力を扱えるようになるのか。しかしそれは常に憑鬼状態と同じではないのか。

 鬼化と何が違うんだ?


 オレが丙二のだらしない口元を見ながら考え込んでいると、民綱がまた江弥華を怒鳴りつける。今度はしっかりシートに座っていた。

 

「民綱、もう止めましょう。江弥華をムキにさせるだけです。それにこのくらいの速度なら体もなれますし、緋猪岩に早く付けますから」


 銀が嘆息して民綱を諫めた。

 民綱が舌打ちをして座りなおし、車内に気まずい空気が流れる。後方から不機嫌オーラをびんびん感じる。江弥華はそれが心地いいとばかりに足を組み、運転席でふんぞり返っていた。


 江弥華が火車に掛けている呪術は、一向に効果が切れる気配がない。最初の志那津比礼しなつひれとは違い、こっちは純粋に移動用の速度上昇呪術なのだろう。


 道も良く均されて揺れも小さい。あっという間に体が火車の速度になれてしまった。

 ビュンビュン過ぎ去る景色をぼんやりと眺めていると、江弥華が「む」と声を上げた。


「おい、なまはげがいるぞ」

「は? なまはげ?」


 異世界で到底聞くとは思っていなかった単語にオレは身を乗り出して江弥華が指差す方向に目を向けた。


「うわ、なまはげだ」


 斜め前方にそれが居る。

 こちらに背を向ける三頭身の巨人がきょろきょろと何かを探して彷徨っていた。


 確かになまはげに見える。が、やはり前の世界のなまはげとは若干容貌が異なっていた。

 額に二本の角。身に纏う狩衣は小麦色の獣毛に覆われ、右肩に柴犬の顔が付いている。右手には翼を広げた雉を刀のように握り、左手で首だけになった猿の頭を鎖分銅よろしく振り回していた。


「殺生石が足りるか心配だったんだ。丁度いい、奴のを足しにしよう」


 江弥華が火車を止めようと、車内に貼った札に手を伸ばし、民綱がそれに待ったを掛かる。


「いい、火車と止めるな。俺がやる」

「ほう、いいのか?」

「憂さ晴らしだ」

「呪術を使う前に瞬殺しろよ。殺生石が小さくなる」

「んなこと、分かってんだよ。馬鹿が。てめえはクラクション鳴らしておびき寄せろ」


 江弥華が小さく舌打ちして、「何をそんなに怒っているんだ。訳の分からん奴め」と、明らかに民綱に聞こえる声量で呟き、クラクションを鳴らした。


 パーッと草原全体にクラクションの大音量が鳴り響いて、なまはげの顔がグルンとこちらを向いた。



「え、子供?」

 前の世界の勝手なイメージから、もっとおじさん顔を想像していた。しかしその顔はずっと幼い。樹木子じゅぼっこの剪定から戻ったときに見た、団子を頬張る下級陰陽師たちと同じくらいに見えた。


 なまはげが「敵! 敵! 俺の敵ぃ!」と雄たけびを上げながらで突進してくる。


「……おいたわしいですわ」

「功を焦った馬鹿だ。……遅かれ早かれ鬼化堕ちだろ」


 民綱が吐き捨てるように言って、火車の扉を勢いよく開け放つ。


「おいはいつも通りでいっとや?」

「応」


 丙二と民綱が短く言葉を交わし、丙二の体を縛るベルトが弾けるように外れた。


「敵ぃ!」


 火車に肉薄するなまはげが、猿首の分銅を振り被る。


「ほいじゃ、いっど」


 丙二が跳んだ。その人ならざる跳躍力でなまはげの眼前へと迫る。

 慌てたなまはげが分銅を振り下ろた。瞬間、丙二が口から大量の泥が吐き出した。

 泥がなまはげの体を飲み込み縛り上げ、拘束服がひらひらと地面に舞い落ちる。

 民綱の右手の指輪、そして『斬』『火』『水』『風』『土』、五枚の札が発光する。


ざん風雷針ふうらいしん


 突如、なまはげの脳天を巨大な針が突き刺し、いかずちを伴った風がなまはげの肉体を内側から切り刻む。辺りに丙二の泥となまはげの血肉が広がった。


 民綱が左手に握っていた鎖を軽く振うと、散らばった泥が動き出した。

 地面に落ちた拘束服へ集まり人型を取る。

 民綱が今度は大きく鎖を引き寄せた。

 拘束服を着た丙二が火車の車内へ飛んでくる。


「ふぇっふぇっふぇ」


 車内に戻った丙二の口には、泥に汚れた石ころサイズの赤黒い宝石が咥えられていた。


「江弥華」と、民綱が丙二の口から殺生石を取り、軽く泥を払って江弥華に投げる。

 江弥華はそれをじっと見てから巾着袋入れた。


「少し小粒だな」

「文句言うなら、なまはげに言え」


 車内に沈黙が戻った。

 先の戦闘について色々聞きたいが、とても声を出せる空気じゃない。

 これ以上のモノノケの襲撃もなく、火車は進む。


 次第に景色に緑が減り始め、赤黄色の土がむき出しになった荒野に変わる景色に変わる。 

 空がだんだんと赤くなり、砂に埋もれた石畳を走るころには、辺りは仄暗くなり始めた。


「見えたぞ。緋猪岩の城壁だ」


 前方に崩れかけの土壁と閉ざされた鉄の門が見える。

 銀が飛ばしたツバメがその壁を越えて旋回し、すぐに垂直に落下した。

 ガラガラと門が開き始め、江弥華が速度上昇の呪術を解除して、その門を潜った。

 江弥華が今日初めてブレーキを踏み、火車が停車する。


「ふふん、夕方までには到着したな」


 得意げな江弥華を車内に残し、オレ達は火車を降りた。

 降りてすぐに背を伸ばした。背骨がボキボキと小気味よい音を鳴らす。


「めっちゃ廃墟だな」


 オレはぐるっと辺りを見渡して呟いた。屋根は落ち、壁が崩れ、無事な家屋が一つもない。

 砂がこの通りは緩やかな上り坂になっており、丘の上には金ピカの天守閣が見える。


「あいやいやっち。なして陣地が後とに下がっちょっとよ」

 

 丙二がボヤキながらグネグネ体を捻じる。

 

「あれが緋猪岩の陰陽寮ですの。まずは現状確認、こちらですわよ」


 オレは白暖の案内でとあるテントへ向かった。

 

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