緋猪岩

第18話 出立

「おいらの剣のこと、江弥華お姉ちゃんに言っといてよ」

 

かん太が店の門を出て、去り際に言った。


 毎朝、護符の催促にやって来るかん太を追い返すこと三日。

 ついに江弥華とオレはモノノケによって滅ぼされた国、緋猪岩へと出立する。

 任務内容はいたってシンプル、『緋猪岩を奪還せよ』だ。

 

 天気は快晴。オレは朝の澄んだ空気を肺一杯に入れた。


「七大十ー。今日仕事だろー。ヘマすんじゃねえぞー!」

 

通りの先で、かん太が元気いっぱいに手を振っている。これから奉公先に向かうそうだ。早くいけばいいのに、オレはそう思いながら手を振り返す。

 

 今日の仕事はかなり大きい。江弥華の入念な準備からもそう感じていた。しかし不思議と緊張感が湧かない。多分かん太の暢気にあてられたのだろう。そこには感謝だなと思う。

 

 かん太を見送っていると店の門が開いた。江弥華だ。手に紙袋を下げている。



「毎朝毎朝、律儀なものだな」


 江弥華がかん太の背中を見ながらやれやれと笑った。もはや見慣れた虹色のゴーグルが額の上に乗っている。首からはガスマスクを下げ、左耳には心臓を模ったイヤリングが揺れていた。

 全身をすっぽりと覆った黒いマントの下は稲勢陰陽寮の所属を表す軍服だ。服の至る所に付いているポケットは札や丸薬でパンパンに膨らんでいる。もちろん護符も大量である。

 

 しかしオレは江弥華の持っている紙袋が気になった。付けきれなかった護符でも入れているのだろうか。尋ねると、


「依頼の品だ。北門に行く前にまどかに渡しに行くぞ」


 早い方が良いからな、と意地の悪い笑みを浮かべた。

 円とは江弥華が贔屓にしている店『つぶら』の女主人であり、オレが煙草の煙ごと噛みつこうとした人物でもある。


 ちょっと会いづらいな、と思っていると江弥華が「ここで待っていろ」と言い残して店に入っていった。


 早朝にも関わらず『円ら』は陰陽師と式神の客で混んでいる。

 店の外から中を覗き込むと、何やら江弥華と同じマントやローブ、そしてターバンを物色しているようだった。緋猪岩は砂漠の国だというから、その対策だろう。


 待つこと暫し、江弥華が店から戻ってきた。持ち物が紙袋から巾着袋に変わっている。


「何買ったの?」

「殺生石だ。買う予定はなかったんだが、流れでな」

「殺生石!? あの極大魔法や大規模儀式とかの触媒に使われるレアアイテムの?!」


 興奮して早口で捲し立てたオレに江弥華が変なものを見る目を向けた。


「ただの呪素の結晶だが……。お前も良く見ているだろう?」


 と江弥華が自分の指に嵌めた指輪を見せる。


「え? それが殺生石なの?」

「ああ。式神に膳をやれない時なんかに、ここから呪素を得るんだ」


 そういえば江弥華の指輪が光って呪術が発動したことがあった。

 ふむふむ、と思い出して納得した。


「緋猪岩は殺生石の産出国なんだ」


 北門へ向かう道中、江弥華が殺生石について教えてくれた。

 殺生石はモノノケから獲れるという。いわば魔石だ。それがどうして国の特産品になったのか。原因は人鬼大戦である。

 緋猪岩はかつて戦場だった。そこでは多くのモノノケと陰陽師が討ち死にし、彼ら体内に残っていた呪素が結晶化して殺生石となったのだ。

 それは今でも砂の中に埋まっているだという。


「あそこはもともと緋色砂金もあってな。それを奪い合っての戦争だったらしい。殺生石と緋色砂金、この二つを求めて人が集まり、国が出来き、滅ぶ。これを何度も繰り返しているんだ」


 語呂合わせで覚えたものだ、と、そして江弥華が笑う。


「今度は私たちがあの土地を求めて行くんだ」


 通りの先に北門が見えてきた。

 すでに到着していた陰陽師や式神の姿も確認できる。

 その中に奇妙な毛色をしたダチョウと象みたいな動物がいた。


「モノノケじゃないよな?」

「いや。ぬえばくだ。家畜みたいなものだ。襲いはしない。安心しろ」

「……マジか」


 確かにダチョウっぽい方は背中に鞍を乗せているし、象っぽい方はテントや食料箱を括り付けられていた。


「やっぱり鵺って鳥の方?」

「ああ」

「はあー……。鵺って鳥だったのか……」


 呟きながら鵺を見た。

 馬並みの体躯。足には黄色と黒で虎の模様、胴の部分には猿の毛が生えている。首には蛇の鱗が生えており頭も蛇に酷似している。

 しかし配色に個体に個体差があるようで、例えば、胴体まで虎柄であったり、羽がオウムのように赤色だったりと色々だ。


 次に獏を見上げた。

 これはデカい。象二頭分ほどの巨体だ。その毛並み全体的に翡翠色で、所々に黒い毛が混じっている。色だけ見れば、チョコミントだ。胴体はホルスタイン模様、足は虎模様に見える。鼻は象のように長く、立派な牙を持ち、熊のような茶色いたてがみを生やしている。


「……でも、なんでモノノケがこんなところにいるんだ?」

「鵺に乗って緋猪岩に行くためだ。獏は荷運び用だな」

「残念ながら、わたくしたちは火車で移動ですわよ」


 不意に後ろから声を掛けられた。振り返ると、白暖が立っていた。何故か、げんなりした顔だ。その後ろからやって来た銀も機嫌が悪いのか、仏頂面だ。


 そこへ一台の火車がやって来た。幌付きの軍用車に似ている。

 オレ達の近くまで乗降して、丁寧に停車すると、二人の男が下りてきた。


 運転席からは陰陽師だ。黄色のグラサンに軍服。上から真っ赤なファーをあしらったローブを羽織っている。黒髪短髪を逆立たせ、側頭部には剃り込みが入っていた。


 助手席から降りてきた男は彼の式神であろう。なかなかパンチのある格好だった。

 頭と全身を黒い拘束服に包まれ、さらにベルトできつく締められている。もはや露出しているのは、だらしなく緩んだ口元だけだった。


「へへへ、へへへ……」


 男が笑いながら、唯一自由に動かせる足を前に出して、オレの方へやって来る。

 確実にヤバい奴だ。今すぐ回れ右してダッシュで逃げたいが、後ろには白暖がいる。


「へへ、へへへ……」


 思わず後ずさったとき、白暖がオレの腰にそっと手を置いて「大丈夫ですわ」と

押し返す。


「この方は泥濘丙二ぬかりへいじ。式神歴五年の大ベテランですわ」


 と男の紹介を始めた。

 丙二と言うその男はグイッと顔を近づけ、見えているのか、嘗め回すように首を動かした。


「おいが利里ちゃんの後釜か?」


 誰だよ、と思うが口には出さない。

 あまりの気味の悪さに逃げ出そうとするが、白暖が背中を抑え、肩を優しく叩く。

 白暖の細腕は見かけによらず、めちゃくちゃ力がある。おかげでビクともしなかった。

 顔を近づけた丙二がすんすんと鼻を鳴らす。


「こん匂いは男な?」

「ええ、金倉七大十君ですわ」

「七大十。七大十ちな! へっへっへ」


 喜んでいるのか、丙二が笑いながらグネグネ体を捻っている。


「おいはなぁ、ずぅっと男一人で肩身が狭かっただ。へっへっへ、男同士仲よくしような」


 それだけ言って、満足したのか丙二が主人の元へ戻っていく。

 二人が並ぶと、これからマグロ漁船に向かう闇金業者と負債者に見えた。

 そんな彼らと言葉を交わしているは江弥華だ。いつの間にかゴーグルとマスクを着用している。


「わたくしたちも行きましょう」


 白暖に促され、彼らの元へ向かった。


「ほほう、ついに私の運転技術を認めたか」

「違えよ、馬鹿。出来るだけ早く向こうに着きてぇから、ブレーキを知らねえお前の運転が役に立つって言ってんだ」

「ええ、戦線維持のために残した彼らのために、この身を捧げるだけです」


 得意げに腕を組んで顎を上げる江弥華と、睥睨してその勘違いを訂正する丙二の陰陽師。そして左手を額に当てて嘆息する銀。


 会話が一段落したところで、オレと白暖が三人の輪の中に入ると、丙二の陰陽師がこちらに顔を向けた。


「おう、コイツが新しい式神か?」

「ん? ああ、七大十だ」


 オレより頭一つ大きなその陰陽師が、オレを値踏みするように上から下まで順に見下ろして、ふっ、と口の右端を釣り上げた。


稲光民綱いなみつたみつなだ」


 と、右手を差し出した。民綱も例に違わず、五指全てに殺生石の指輪を嵌めている。


「どうも、金倉七大十です」


 名乗ってから民綱の右手を握り返した。

 民綱はグッと力強く握り返してから手を離し、江弥華の方を見る。


「使えるのか?」

「ああ、面白い能力を持っている」

「へえ。そりゃ楽しみだ」


 江弥華がオレのことで得意げになった。ヤバい、にやけそうだ。


「じゃあ、出発だ」


 民綱の一言で、五人が車に乗り込んでいく。

 江弥華が嬉々として運転席へ。オレは助手席だ。

 その後ろに白暖と銀が乗り込み、一番後ろに丙二と民綱だ。


 江弥華がキーを挿し込んで捻り、巾着袋から殺生石を取り出してセンターコンソール部分に空いた窪みに嵌め込んだ。

 メーターの針が動き、車のエンジンが掛かる。

 車が動き出した。すかさず銀が注意を飛ばす。


「難民村までは三速ですよ!」

「煩い」


 あ、始まる。

 瞬間、体がシートに叩きつけられた。


「日没までには緋猪岩だ」


 江弥華が宣言した。

 溜まらず、オレはシートにしがみ付きながら叫ぶ。


「ちょっと待って江弥華、緋猪岩どんくらいあるの?!」

「ざっと五百里程度だ」

「だから五百里ってどんくらいよ?!」

「およそ二千キロですわ!」

「二千キロ!? 今が九時、日没六時……って時速二百キロオーバーじゃねえか!!? 江弥華ムリ! 無理だから!」

「黙れ」


 江弥華の右手に札が二枚握られていた。札の中央には『風』と『纏』。

 その右手の五指、そのすべての指輪が青白く光り、札へ伝播する。

 江弥華が叩付けるようにして、二枚の札を火車に張り付けた。


てん志那津比礼しなつひれ


 江弥華が唱えるや、火車があり得ない加速を見せた。

 目の前の景色が間延びする。

 シートにしがみ付く体が、今や空気に圧し潰され、体はシートに縫い付けられていた。

 叫び声は疎か目も開けられない速度。

 火車が通過した後には、朝露を吹き払うほどの強風が吹き荒れる。

 冗談抜きにタイムスリップできそうなほどだった。


 術の効果が切れるまで、我々はシートへ圧し潰されていた。

 江弥華だって、身体をシートに縫い付けられている。

 しかしその手は固くハンドルを握り、アクセルと踏み締めている。


 一秒後、我々は辺り一面の田んぼに囲まれていた。

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