第13話 樹木子の剪定 —憑鬼能力—

 事前に打ち合わせした作戦では、まず江弥華が結界を張って樹木子の攻撃を防ぎ、その隙ににオレが煙草に火をつける、だった。


 作戦を立てた江弥華に緊張の色は微塵もなかった。

 万が一にも負けることはない、一撃も貰うはずがない、そう顔に書いてあった。


 その自信に中てられた。樹木子を舐めていた。


 柵を越えて感じる圧迫感。半径およそ30メートルの広場が狭く感じる。

 枝垂れ柳がまるで緑の巨人のようだった。

 

 オレ達の存在に気付いたらしい。一斉に樹木子の葉が逆立った。

 瞬間、前世のゲーム体験で培われた勘が警鐘を鳴らす。

 何か仕掛けてくる。

 

「うむ。やはり入れ替えるか」


ヒュォッ!


 緊張感のない声と空を切る音が同時に聞こえた。


 樹木子が鞭を振るうがごとく逆立てた四本の枝を振り回し、枝垂れた葉が幾千の槍と化す。

 わずか30メートルの距離を一瞬で食い破り、無数の緑槍りょくそうが飛来する。

 樹木子の矛先が視界を埋め尽くした時だった。

 

 江弥華の指輪と、いつの間に持っていた札の文字が青白く光る。


かく風塵結界ふうじんけっかい


 唱えたと同時に砂埃が舞い上がり、オレと江弥華の周りを取り囲んだ。

 驚く間もなく樹木子の枝葉が風の壁に衝突し、切り刻まれた葉が紙吹雪ように舞い散る。


「七大十、最初はトウモロコシだ」


 目も前の光景に唖然とするオレに江弥華が丸薬にしたトウモロコシを放った。赤褐色の玉が放物線を描いてオレと結界の間を通過する。遅れて、香ばしい匂いが鼻を抜けた。


 そこからは自分でも分からない。体が勝手に玉を追う。

 犬みたいに口を開け、首を伸ばして、頬張り、噛み砕いた。

 

 脳が溶けると錯覚するほどの蜂蜜のようなねっとりした甘み。次いで、歯茎が爆ぜて割れたような激痛が走り――。


 「——ァ゛ァ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!?」


 絶叫した瞬間、オレの口が散弾銃の銃口と化した。 

 鳴り止まぬ銃声。弾丸と化した歯が、結界を、歯を、枝を、吹き飛ばす。


 樹木子が伸ばした枝を引き上げて、ようやく銃声が止まった。

 荒い息を整えながら溜まった唾を飲み込んで、口の中に手を突っ込む。

 麻薬じみた甘味も歯茎が爆発したような激痛も嘘のように消えている。そして歯は一本もかけることなく揃っており、口から出した手を見てみても血の一滴もなかった。


 涎で汚れた手を、服で雑に拭いながら敵を見据える。

 心の中の何かが疼いている。笑いが込み上げてくる。

 細枝と葉の半数近くを失ったせいで、哀愁が漂う樹木子の幹には幾つかの銃痕が出来ていた。

 これが式神としてのオレの能力。しかもまだ三つもある。

 

憑鬼ひょうき時間は1秒程度。射程は15丈強。威力も十分。さて次はこいつだ」


 江弥華が銀色の丸薬を摘まんで見せ、「そい」と樹木子の方向へ投げた。

 やはりだ。 普通に手渡しでいいだろ、と頭の片隅で思っていても言葉が出ない。恐らく式神の本能で、丸薬が江弥華の手を離れた瞬間には大口開けて追い駆けているからだ。

 などと考えてる間に、丸薬の軌道に自分の口を滑り込ませて頬張った。


 脳天から稲妻が走るほどの刺激的な旨味、次いで、四肢が圧し潰されたような痛み。すると突然バランスを崩してつんのめった。その時咄嗟に着いた手を見て驚愕した。指をぴんと伸ばした手がペラペラになって、地面に突き刺さっている。


 「面白い」


 と江弥華の声が聞こえた瞬間、胸の鎖をグンッと引かれて、オレの身体が地面を離れた。

 江弥華の小柄な体の何処にそんな膂力があるのか、オレの身体は江弥華の頭より高く上がり――と思ったら、全身に凄まじい遠心力が掛かる。


「ふん!」


 と江弥華がオレをぶん投げた。


「うおおおおお!!?」


 錐揉みしながら樹木子に迫る。

 ぐるぐる回る視界の中で、横目でこちらを見ながら走る江弥華と、迎撃しようと特に太い枝を根元から撓らせる樹木子が見えた。


「やってやる……!」


 体勢を立て直すことは出来ないし、背中から行かなきゃいいんだから必要もない。

 樹木子から目を離すな。

 身を捻じるタイミングだけ間違わなければ――。


「手でも足でも、当たりゃ切れんだろ!!」


 樹木子が枝の鞭を振り下ろした。

 眼前に迫る枝がオレの視界に影を落としたタイミングで身体を捻った。

 右足に感じる一瞬の衝撃のあと、陰った視界が晴れ渡る。

 根元から切り落とされた枝がドスンと鈍い音を立てた。


 後は軌道に任せて着地だ。さてどうしよう。こんな手足ではろくに立つこと物できない。

 妙案を思いついて、江弥華を探し、すぐに見受けた。

 樹木子の側面に回り込んで、両手で鎖を握りしめていた。彼女の眼が「もう一本切れ」と言っている。


 身体を捻り、後ろを振り返った。

 次は太い枝は……あれだ。


 江弥華が鎖を握った両手を袈裟切りのように斜めに振り下ろす。落ちるだけだったオレの肉体が再び鎖鎌となり、一閃、枝を切り飛ばした。残る枝はあと一本。


 着地のために刃となった両足を地面に突き刺したとき丸薬の効果が切れた。そのタイミングで江弥華が鎖を引っ張ってオレを引き寄せる。


「憑鬼時間は10秒弱。切れ味も悪くないが、どうしても片手が塞がるのが難点だな」


 総評後、江弥華が最後の丸薬を投げた。

 袖通椎茸ソデトオシイタケから作った丸薬はミルクチョコレートのような色だった。噛み砕いてみると、うっとりするような素朴で優しい味が口を満たし、次いで強烈な寒気が襲った。


 急激な体温低下は特に体の末端がひどく、氷でも押し当てられているのかと手を見ると、指先がほつれていた。

 それは瞬く間に腕全体に広がった。糸状になった皮や肉がほどけ、骨が見える。まるで編み物のバラバラにほつれていくようだ。


 樹木子が外敵の接近を恐れるように、最後の枝を振り回し、バシン、バシン、と葉が地面を叩く。


 これで何ができるか分からないが……とりあえず樹木子に向かって腕を振ってみた。

 すると一斉に伸びが肉の糸が樹木子の動きを縫い留める。

 振り払おうとする樹木子とそれを押し留めようとするオレの綱引き合戦が始まった。肉や神経が引きちぎられそうな痛みに耐えていると、江弥華が「これは良い」と呟いて、札を一枚取り出した。


 体から何かが抜け出る感覚がした。


 江弥華の人差し指と中指に挟まれた札が青白く発光する。


ざん


 江弥華が札を振り下ろした瞬間、肉の糸で縫い留めていた枝の根元に一本の線がスッと走り、ぼとんと落ちる。


「良い……! いいぞ、七大十! では最後だ」


 江弥華が顔を綻ばせながら、煙草とマッチを取り出す。

 枝を失って動けなくなった樹木子は完全に意識の外だった。


 煙草の煙が膳だから丸薬に加工されていない。

 フィルターのない両切りの煙草をとマッチを手渡された。

 

 一仕事終えた後の一服みたいだ。心は快晴、至福なり。

 煙草に火をつけて、軽く吹かし、最初の煙を肺に満たす。

 フィルターなしの煙は重く、キツイ。思えば久しぶりの煙草だ。禁煙明けの一本目と同じく不味かった。


 ウキウキと観察していた江弥華と顔を見合わせ、首をかしげる。

 多分これは膳じゃない。

 

 江弥華が眉を顰めて顔を左下に傾けた。指先で顎を擦ること数度、突然「貸せ」と江弥華がオレから煙草を奪い取り、おもむろに加えて煙を吸い込んだ。


 初喫煙だったのだろう。江弥華が盛大に咽た。

 そして口から吐き出された煙から、屋台で嗅いだのと同じ匂いを感じた。


 気が付いたら、煙に齧り付いていた。口に広がる苦みに何故か懐かしさを覚え、臍の辺りが灯が点ったように温かさ感じだ。


「ぅえ!?」「何だ、これは?」


 二人の声が重なった。

 江弥華の身体が薄い靄が掛かったように掠れて見える。


「どういうことだ?!」


 江弥華が悲鳴にも似た声を上げ、取り乱した様子で自身の体を触り、襟を引っ張って服の中を改めた。

 一頻り体の状態を確認して安心した後、改めに自分の体を見た。


「……陰陽師にまで影響する憑鬼能力など聞いたこともない」


 まで、と聞いてオレは自分の体を見下ろして目を見張った。

 肉体が黒い煙になっている。特に足は輪郭が分からないほどぼやけていた。


 おもむろに江弥華がオレの体に手を伸ばし、貫通する。

 何がどうなっているだ、と混乱するオレを余所に江弥華がオレの体をかき混ぜるように腕を動かし始めた。さっきまでの強張った顔は何処へやら、「おぉ……おぉ……」と感嘆の声を漏らして捏ね繰り回している。


「痛いか」江弥華がキラキラした目でこちらを見上げた。

 オレは首を横に振って否定する。

 

「凄いな。……さて憑鬼時間は如何ほどかな」


 言った瞬間に元に戻った。

 良かった、ちゃんと足も戻っている。


「30秒から40秒程か。結構長いな」


 江弥華がうんうんと頷いて、まだ煙草が残っていることに気が付いた。

 ニヤッと笑って咥えるが、燃焼剤が入っていない煙草の火はすぐに消えてしまう。


「もう火ぃ消えてるだろ」


 とオレはマッチを擦って火を差し出した。江弥華が「ん」と顎を突き出した。オレは江弥華の口に咥えられた煙草の先に火を使づける。


「はい、吸って……オッケー、点いた」


 マッチを振って火を消す。


「七大十、口を開けろ」

「……あ?」


 ふぅ、と江弥華がオレの開いた口を目掛けて煙を吐いた。


 めっちゃ良いな、コレ。


 と思うと同時に先と同じ苦みと温かさを覚え、肉体が煙と化す。

 江弥華が満足そうに頷いて、「走ってみようか」とオレの足を指差した。

 確かに、と足を見下ろす。物理攻撃無効でも移動できなきゃ返って不便だからな。


 オレは江弥華に合わせて一歩前に踏み出した――つもりだった。


 肉体が輪郭失い黒煙の塊と化す。

 目に映るもの全てがSF映画のワープシーンのように間延びして、オレと江弥華は、元の位置から10メートル先に立っていた。


 オレ達は首を何往復もさせて、元の位置と今の立ち位置を見渡し、どちらが言い出した訳でもなく、広場内を縦横無尽に走り出した。


 体感一歩で10メートル移動できる。一歩進むごとにがらりと景色が変わる。足が煙になっているおかげで、切り落とした樹木子の枝に躓くこともなく、走り回れる。


 憑鬼時間が終わるまでオレ達は広場を駆け回り、柵の入り口で落ち合った。

 江弥華が笑う。箍が外れたように大笑する。


「はあ、はあ、……よし、残り四本これで移動して戦おう」


 その後、オレ達は煙となって難民村を駆け抜け、樹木子の攻撃をすべて回避し、10分と掛からず残り四本の剪定を終わらせたのだった。

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