第9話 市を回って膳を見つけた

 どうやら墨廼江弥華は有名人らしい。

 陰陽師たちが皆道を空けるのだ。会釈していくものもいる。おかげで人混みを掻き分ける必要もなくすいすいと市場を回れる。加えて屋台のおっちゃん、おばちゃんたちも江弥華を見かけるや躍起になって「江弥華様」「江弥華嬢」と商品を掲げて呼びかける。

 江弥華はその都度手を振ったり頭を下げ返したりして、礼儀正しい。


 オレも気分が良かった。鎖を引かれて奴隷のようではあるが、それは「逸れないためだ」と説明してくれたし、高圧的な言動もとるが、ツンデレだと思えば可愛く思える。


 くいっと鎖を引いて、江弥華はある屋台へ向かった。看板には『〇らなとうもろこし』と書かれている。『〇』を文字として使っているようだ。


「江弥華様、江弥華様」

「止めろ、気色悪い。江弥華でいい。何だ?」


 江弥華が耳を抑えながら振り返る。周りの陰陽師と式神の関係から、あまり気安く話しかけない方が良いかなと気を使ったのだが、余計なお世話だったらしい。


「江弥華様、あの〇は何て読むんでしょうか?」

「……お前、私で遊んでいるのか?」

「いやそんなつもりないから! ごめん」


 江弥華から険呑な空気を察して即座に謝った。そういえば、喜助や充悟にも継承はいらないと言っていたし、オレにも敬語も不要だと言っていたことを思い出した。


「まあ、いい。〇はつぶらの円を表しているんだ。商会長のまどかからとってな」

「へー、洒落てるぅ」

「ああ、それでいい。それぐらい砕けた感じで頼むよ、七大十」


 試しにかなり適当に相槌を打ってみたが、意外にも好感触だった。

 難しい。陰陽師と式神で明確な上下関係があると思っていたけれど、江弥華の中ではそうではないらしい。

 年下のバイトリーダーくらいに思っておけば大丈夫か?


 再び、江弥華の後ろから屋台を覗いた。

 看板に偽りありだった。まずトウモロコシが大きい。全然つぶらじゃない。やっぱりというべきか、一本が五十センチ弱ある。そしてぎっしり詰まったトゲトゲの粒は赤褐色だった。


 しかしどうしてだろう。食べたい。無性に食べてみたい。そうか、匂いが良いんだ。焼きトウモロコシのような香ばしい匂いが食欲を掻き立てているのだ。

 唾が溢れて止まらない。

 本能的に分かった。これがオレの膳なんだ。

 江弥華にこれが欲しいと言うために溜まった唾を飲み込んだ。 


「これだ。江弥華、これが食べたい。これがオレの膳だ」


 自分の口から出たとは思えない、飢えた獣のような声だった。

 

「店主、これを10文分頂戴したい」


 江弥華が銀貨を十枚、店主のおばちゃんに手渡した。おばちゃんは目を見開いて渡れた銀貨を見つめ、涙まで浮かべて深々と頭を下げた。


「粒は外してくれないか?」

「はい、喜んで外させていただきます」


 おばちゃんが江弥華の要望に何度も頭を下げてから、屋台の裏へ声を掛けた。


「あんた、あんたぁ! お客さんが粒を外して欲しいって言ってます」

「あい、あい。すぐに外しますよっと」


 呼ばれて、おばちゃんの旦那さんが屋台の裏から飛び出して来た。


 瞬間、どこか懐かしい、苦みを感じる臭いが鼻腔をくすぐった。そして唾とともに溢れ出す食欲。食べたいという本能が暴れ始める。

 同時にオレはその欲望にブレーキを掛けた。だって相手はおっちゃんだ。人間なんだ。膳なはずがない。


 おっちゃんが江弥華の払った銀貨を数えて、目を丸くする。次いで涙を浮かべて頭を下げる。頭頂が屋台の明かりを反射した。頭を上げてたら鼻水が出ていた。鼻を袖で乱暴に擦り、大きな彫刻刀みたいな道具でトウモロコシの粒を取っていく。


 ヤバい。おっちゃんから香る臭いとトウモロコシの香ばしい匂いが合わさって、今にも理性がぶっ飛びそうだ。


「七大十! 落ち着け。これからいくらでも食えるんだ。だから今は我慢しろ」


 江弥華が胸の鎖を握りしめて言った。ゴーグルの奥の瞳が見える程顔が近い。

 バレるわけにはいかない。

 本能的に思った。人を食材として見ていると分かれば、鬼として処分されるんじゃないかと危惧したのだ。

 意識を逸らせ。そうだ、江弥華の顔をガン見しよう。これで嫌悪感を持たれる方がずっといい。

 

「店主、粒と取ってる間、他を見て回ってくる。構わないな」

「え、ええ……。あ、申し訳ありません。急がせますので」

「申し訳ねえです、お客さん。あっしもまだ慣れてませんで。でも頑張ってやりますんで。もう少し待って下せえ」

「大丈夫。私は早さより丁寧さを求める。だから誠心誠意やってくれ。ちょうど私も来たばかりでな。良い品が売れる前に見て回りたい。どうだろうか?」


 江弥華の必死さが伝わったようで、おばちゃんもおじちゃんもそれならと了承してくれた。

 すぐさまオレを引っ張って江弥華が歩き出す。オレは身体が磁石のように屋台へ引っ張られる感覚を覚えながら、江弥華の後ろを追った。幸い数歩進んだだけで、あの苦みのある臭いが消えて焼きトウモロコシの匂いだけになった。これなら我慢が余裕だ。


「あの、一応、お名前を!」


 背後からおばちゃんの声がした。振り返ると屋台からこちらに向かっている所だった。しかしおばちゃんには食指が動かなかった。

 なんでだ? 頭に浮かんだ大量の?が浮かぶ。その中にちゃっかり考えうる可能性が一個浮かんだが即座に捨てた。


「墨廼江弥華だ。丁寧な仕事を期待している。ではまた後で」


 と江弥華が一言添えて名乗り、踵を返した。

 おお、狐のマスクにゴーグル姿が逆に格好良い。オレは心の中で拍手を送った。


 それからオレは江弥華とお膳市を回った。

 見たことも聞いたこともない食材ばかりでとても楽しかった。

 そしてトウモロコシ以外の膳も見つかった。

 

 一つは、刀海老カタナエビ

 殻全体が刀のように鋭く尖った銀色のエビだ。網漁でこれが掛かると、網を切られて他の魚も一緒に逃がしてしまう漁師泣かせなエビらしい。


 二つ目は、袖通椎茸ソデトオシイタケ

 枝の付け根に群生するこのキノコは、シイタケというよりエノキタケのような見た目をしていた。柄から菌糸を伸ばして隣接する袖通椎茸と融合する生態を持っており、まるで木の枝が袖を通したように見えることからこの名前が付いたと言う。


 以上、トウモロコシを合わせて三つがオレの膳だった。

 たった三つか、と思ったが、江弥華に言わせれば多いらしい。普通は一つ、良くて二つだとか。

 教えてくれた江弥華の声音も明るさを帯びていて、オレも鼻が高かった。


「あとはトウモロコシを受け取って、帰るだけか。七大十、我慢だぞ」

「あ、ああ」


 おっちゃんに飛び掛からない。おっちゃんは膳じゃない。よし!

 

 自分に言い聞かせ、江弥華の後を追う。江弥華の右手にはエビとキノコで一杯なった袋が二つ。主に荷物を持たせるのはよろしくない。


「江弥華、荷物持つよ」

「は? 駄目に決まってるだろう。まだ我慢しろ」


 オレを一瞥して歩き出す。ゴーグルの奥の目は躾のなっていない駄犬に向けれる目と同じだったに違いない。


 信用されてねえ……。

 

「ああ、はいはい。今行きますよ」


 引かれた鎖を一瞥して、オレは江弥華の背を追った。

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