第8話 寒かったからホカホカ外套を貰った

『汝牟遅屋・醍大悟』と書かれた大きな看板を潜ると、空に月が上っていた。数は一つ、満月だ。


 目の前はT字路になっており、道の端には灯篭が等間隔で並んでいる。加えて建物はどれもこれも日本風で玄関には提灯が吊るされいた。


 妙に親近感が湧くその街並みを眺めていると、江弥華が「着ろ」と麻の外套を押し付けた。


「すまんが、パンツ一丁の男を連れ回す度胸はないんだ」

「オレだってパンイチで散歩する勇気はないからね?!」


 オレは慌てて外套を羽織りボタンを閉めながら、式神の仕事内容について尋ねると、


「囮と肉壁、それから身代わり」


 江弥華は狐のマスクと虹色の蜻蛉とんぼゴーグルで顔を隠しながら端的に答え、さっさと歩きだしてしまった。


「囮と肉壁と身代わり?」

(可愛い顔してるのに勿体ない。もっと拝みたかった)

 

 江弥華の3歩後ろを歩きつつ、おうむ返しで聞き返した。江弥華は前を見ながら口を開く。


「この世は鬼素で満たされている。土にも川にも空にもそれは満たされている」と、江弥華が続ける。「鬼素は人体にとって有毒だ。これに侵されれば肉体は異形と化し、最期は物の怪となって殺される。お前が貫かれた牛鬼のようにな」


 最初、江弥華の言葉が頭に入ってこなかった。違う、脳味噌が理解を拒んだのだ。しかし意味が分かってきて、同時に納得もした。鬼と妖をわざわざ分ける理由と、鬼に人間的な特徴を備えていることを。


「人の営みを守るために人を殺す。それが私の仕事だ」


 歩きながら、ただ淡々と江弥華が言う。


「オレも人を……?」


 オレは江弥華と式神契約を交わした。それはつまりオレも江弥華と一緒に人、いや鬼を倒さない……? いや違う。江弥華は式神の仕事を「囮、肉壁、身代わり」と言った。だから直接手を下すわけではない。


「お前の仕事は私に呪素を提供することだ」

「え?」


 江弥華が少し顔を左に向けてオレを一瞥した、気がした。


「陰陽師は呪術を使って物の怪を狩る。そして呪術を行使するには呪素が必要なんだ」


 江弥華が言い終えて立ち止まる。だからオレも立ち止まって頭の中で今の情報を反芻しながら考えた。しかし一回聞いただけじゃピンと来るはずもなく、オレは陰陽師を魔法使いに当て嵌めて理解を試みた。

 魔法使いは魔法で魔物を倒す。魔法は魔力を練って放つ。この場合の魔力、つまり呪素は魔素もしくはマナと仮定するのが正しい気がする。

 

 少し分かってきたところで、胸の鎖を引かれた。さっきまで無かったのに、出たり消えたり。これも呪術なんだろう。


 でも、いいよ。

 オレは許しが出たので江弥華の隣に並んで歩く。


「しかしここで一つ問題がある。呪素は自然に存在しないんだ」

「え? じゃあ――」


 呪素はそのまま魔力と理解した方が良かったか。


「呪素は鬼素を代謝して得られる物なんだ。つまり一度、外から有毒な鬼素を体内に取り込まなければならない。そこでお前だ、七大十」


 江弥華がオレを指差した。

 なるほど、身代わりか。

 

 陰陽師は物の怪を狩るために呪術を行使する。呪術には呪素が必要で、呪素は鬼素の代謝生成物で。しかし代謝効率の問題で、取り込んだ鬼素をすべて呪素に変えることは出来ない。代謝されなかった又は代謝しきれなかった鬼素が身体を蝕んで、最期に陰陽師自身が鬼となる。

 それを回避するために。


「式神に鬼素を取り込ませて、呪素を作らせ、何らかの方法で——」


 江弥華が胸の鎖を引いた。


「ああ、この鎖から呪素を送って、陰陽師は呪術を使う、と?」


 江弥華が頷いた。

 オレは夜空を見上げた。体が重くなった気がした。鼻から吸う息が熱を持って喉を焼いている気がする。


「あ、ねえ、今も呪素は江弥華に流れ込んでる?」

「ゼロではないが、空気中の鬼素濃度は薄いからな。鬼素を溜め込んだ食材でなければ十分な量は確保できんのだ。そこでアレだ。」


 心なしか声を弾ませて、江弥華が前方を指差した。その方向に目を向けると、大きな門の向こうにたくさんの屋台が見える。祭りだろうか。賑やかで人の往来が激しい。

 違う。多分違う。行きかう人は江弥華程ではないが奇抜な格好で、その近くには必ずオレと同じ外套を羽織った人物が連れ添っている。


「お膳市。あそこでお前が食える食材を探すぞ」


 コツコツとヒールが石畳を叩く音が強くなった。江弥華が背筋を伸ばして格好いい姿勢で、ズンズン先へ歩いていく。オレはその後ろを引き摺られながら付いて行った。


「式神に食べさせる食材を膳と呼ぶ。膳は水、土、空気に散っている鬼素を溜め込み、その内に凝縮させているのだ」


 オレの理解度を確認するように振り返った江弥華の蜻蛉ゴーグルが屋台の明かりを反射してキランと輝いた。それがちょっと面白可愛くて頬が緩む。オレの微笑みを理解したからだと思ったのだろう、江弥華が大きく頷いて、近くの屋台の看板を指差した。


「看板に『〇』のマークがある店は私が贔屓にしてる商会の系列だ。見つけたら教えろ」

「へいよ」


 では早速、と江弥華がその屋台の前へ行く。


「山菜屋か」

「山菜屋?」


 江弥華の後ろから屋台を覗くと、カウンターにありとあらゆる山菜(?)が並べられていた。


 真っ黒な釘バットみたいなやつとか。

土棍棒どこんぼう。元は土筆つくしだ」

 赤い粒々が集まって蛇に擬態してる木の実とか。

「キイチゴだな」

「……ヘビイチゴじゃないんか」

「それはこっちだ。より擬態が上手いのがヘビイチゴだ」

「——あ」

「ん?」

「あれは知ってる。トリツキ」

「うむ。正解だ。搬送中に見たのか?」

「ああ。で、かん太たちと集めてるときに牛鬼が来たんだ」

「そうか。それで、食えそうなのはあったか?」


 正直なところ、ない。食欲のしの字も湧かない。

 まず、サイズがおかしい。極端に大きいか米粒並に小さいかだ。そして毒々しい色。極めつけに形。トリツキを始め、擬態がリアルすぎる。リアルじゃない山菜も蛇とか蛾とか蜘蛛とか、チョイスが悪い上にそれと分かるように特徴をしっかり押さえているから一週回って気持ちが悪い。


 なんて答えたら江弥華にも店の人にも角が立たないだろうかと考えていると、江弥華が「ないならいい」と、店の人に一言添えてそそくさと立ち去った。


 意外にあっさりとした反応に目を白黒させていると、「式神一体一体で食べられる膳は決まっている」と教えてくれた。


 江弥華は看板の〇のマークを探してきょろきょろと世話しなく首を振っている。よっぽどその商会のファンなのだろう。「お前も探せ」と怒られるのでオレも探しながら人混みを進む。


 そして時々、知ってる顔の式神とすれ違う。『汝牟遅屋・醍大悟』で同じ牢に繋がれていた人たちだ。愛想笑いを浮かべて頻りに頷く女の子や、死んだ魚のような目で陰陽師の後を付いて行く男性や、委縮した様子でビクビクと付いて行く男子と様々だった。


 のほほんとしているのはどうやらオレだけのようだ。

 良かった、江弥華みたいなクールビューティ美少女の式神になれて。

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