第7話 吉備団子食べたら式神になった
応接間は木製のローテーブルを挟んで向き合うようにソファが置かれているだけの殺風景な部屋だった。薄暗い牢に居たせいで、昼白色の光を反射する白い壁がやけに眩しく感じる。上座に座る江弥華がこの白い箱に彩を加える青い薔薇のようだった。
「じゃあ、式神契約を始めるぞ」
「七大十はここに座って!」
下座に座る大悟郎の言葉を受けて、酒瓶を抱えたかん太がソファに指を向けてオレを呼んだ。入り口で江弥華に見惚れていたオレは指示された席に目を向ける。
(あ、江弥華の対面だ。でも大悟郎の隣か)
全く種類が違う二つの緊張を抱きつつ、オレはソファに腰を下ろした。
目の前に盃が置いてある。その盃にかん太が酒を注ぐ。オレの眼が勝手に江弥華の唇を一瞥した。
「
「へいよ!」
ローテーブルの下から取り出された黄色い紙が優しく盃の上に置かれる。紙面には丸で囲まれた『契』の文字と、これを中心に放射線状に書き込まれた難解な筆文字と紋様が踊っている。
「血判を」
と大悟郎の厳かな声が響いた。江弥華が上着の中からナイフを取り出した。琥珀色の刀身に花弁が散りばめられた派手なナイフだった。
江弥華の雰囲気には合っていない気がする、と思っていると、江弥華がおもむろにそのナイフで指先を切り、その傷口を黍紙の真ん中に押し付けた。
すると、黍紙は思い出したかのように盃の酒を吸い始め、ふやけた箇所からひとりでに丸く小さく折り曲がり、最後は団子になった。
「食べろ」
と江弥華が団子が載った盃を押す。
オレは言われるままに恐る恐る手を伸ばし、口元まで持っていく。「吉備団子だよ。美味しいよ」と笑いかけるかん太に背中を押されて頬張った。
咀嚼するが血や墨の味はしない。ただ酒を含んだ吉備団子の味。
喉を鳴らして嚥下した。その時である。
ドクンと心臓が脈打ったかと思うと、胸から鎖が飛び出し、指を切った江弥華の左手の中まで伸びた。
「式神契約はこれで完了だ。依頼の話に移ろう」
終わったらしい。あっさりとした儀式だった。
鎖もいつの間にか消えており、実感も湧かないまま、話は牛鬼の素材から作る護符制作の話に移行した。
膝を叩いて立ち上がった大悟郎が応接間の奥へ消え、すぐに素材となる牛鬼の死骸の一部を抱えて戻ってきた。素材は牛鬼の目玉と牙と角、それからオレを貫いた鎌足がテーブルに並べられる。
「これ、鬼素抜きしてるのか?」
「
「信じられんな。本当に参級以下じゃないか」
一目見ただけで牛鬼の強さを看破した江弥華が訝しむ。考え込むように、細くしなやかな指先が珠のような顎先に触れ、むむっ、といった様子で江弥華の眉間に皺が寄った。
(おっと、ずっとガン見しては気持ち悪がられる)
オレは気を紛らわせるために、この中で唯一気軽に話しかけられるかん太に思い浮かんだ質問を投げかけた。
「あのさ、牛鬼もかなり強かったと思うんだけど。実際オレ死にかけたわけだし」
「あー、うん。鬼とか妖怪、総称して物の怪はその強さから五段階の脅威度に分類してるんだ。で、牛鬼の脅威度は準壱級。分かりやすく言うと……」
「一対一で戦って、私でギリギリ、大悟郎なら多少の傷は負うが問題なく勝てる程度だな。ちなみに参級なら私も大悟郎も瞬殺できる」
かん太の解説に江弥華が割って入った。まさかの珍客にオレは目を泳がせながら「あ、そうなんだ。流石です。強いんだ!」と世辞を並べ、最後は尻すぼみになった世辞を打ち消すように大悟郎が笑い出した。
「ま、一杯食わされたがな。ガハハ!」
「いや、参級とは言えあの狡猾な牛鬼を相手に、しかも荷や船員を守りながらで、負傷者を一人に抑えたんだ。十分誇っていい」
「止めい、止めい。 余計惨めになるわ」
顔の間で軽く手を振った大悟郎がこちらを一瞥し、鼻から大きく息を吐いた。
「依頼の話に戻るが、これを材料にかん太に護符を作ってくれ」
それを聞いたかん太が飛び上がるほど驚いた。かん太の操縦技術を「命を預けるに値する」と評価してのことらしい。
「親方ぁ~!」
「ほう。出世したな、かん太」
「うん!」
感激したように瞳を潤ませるかん太に大悟郎と江弥華が優しい眼差しを向ける。
「それでかん太、どんな護符がいい?」
江弥華がこれまた上着の中から紙束と鉛筆を取り出して訊く。かん太は「えっとー」と天井を見上げながら考え、「剣がいい」と答えた。
「剣か……。それは護符とじゃなくて呪具だな」
「え……無理かな」
「出来んこともないが、依頼はあくまで護符の制作だからな」
そして江弥華が大悟郎に視線を送った。
「構わんぞ。ただし護符も作ってもらうならな」
ぱあっと、かん太の顔が華やいで、「じゃあ、護符は江弥華お姉ちゃんのお任せで」と丸投げして剣のデザインについて語り出す。
「——こんな感じでお願い!」
「承った。可能な限り近づけよう」
江弥華は微かに頬を緩め、次いで、大悟郎へ眼をやった。
「江弥華、素材は俺達で運ばせてもらう。明日の朝一で大丈夫か?」
「頼む。それと余った素材についてだが」
「かん太の文を含めて50両分の護符を納品してくれたら、あとは好きに使ってくれて構わない。売ったところで大した額にはならんからな」
「ん? 腐っても牛鬼だろ。全身売り払えば一食ぐらいの贅沢はできるだろう?」
「残ってるのは机の上のこれだけだ。あとは寮が調査のために持って行っちまった」
「なるほど、了解した。では遠慮なく貰っていく」
「ではな」と江弥華が立ち上がり、ぐっと左手を振った。
瞬間、胸の鎖が現れて、身体ごと引かれて立ち上がる。
「行くぞ」
丁度鎖のある胸の高さから江弥華が言って歩き出した。
オレは江弥華のクールな見た目と小柄な体躯のギャップに内心で悶えながら「はい!」と一鳴きして後に続く。
馬鹿でかい『汝牟遅屋・醍大悟』の看板を潜って外に出る。
空には月が浮いていた。
「これからどこに行くんですか?」
「お前が食える食材を買いに市に行く。あとお前の敬語は気持ち悪い。ため口で話してくれ」
「あ、そう、だよね。……了解。で、オレ好き嫌いないんだけど」
「……それもそれで気持ち悪いが。まあ、行けば分かる。」
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