第6話 転生したら三両の値札がついた
「いい加減にしろ‼」
「充悟、そいつはもういい。下がらせろ」「へい」
「何をする!? 私にこんなことしていいと思ってるのかぁ――!? 」
「怖いよ……母ちゃん……ひっぐ……うう……」
オッサンの怒鳴り声と子供のすすり泣く声で意識が浮上してくる。
——うるさいな。
薄っすら目が開く。最初に眼に入ったのは自分のパンツだった。右側には土壁、左には女のむっちりした太腿と。
——パンツじゃん。あん? どういう状況だよ?
オレは靄がかった脳味噌を無理やり回しながら、女の柔肌をなぞる様に視線を上げていく。女はオレが川から引き上げたあの娘だった。どうやら意識が戻ったらしい。良かった、良かった。オレの視線に気付いたその娘が身体を隠すように身を捩った。
同時に
「あら、起きたのね」
突然前方から艶っぽい声が聞こえて、見ると、木製の格子の向こうに、和風ドレスに身を包んだ、髪の赤い妙齢の女性が煙管を吹かせながらこちらを睥睨していた。
「駄目じゃないの、伯父様。あんなに混ざってちゃ、売れるものも売れないわ。一体どんな運び方をしたのかしら?」
言って、妙齢の女性は隣に立つ着物姿の大悟郎へ、ふぅっ、と紫煙を吹き付けた。大悟郎は「そうは言うがなぁ、
「誰が森の浅瀬に牛鬼が出ると思うんだ?」
「あーあ、伯父様の口から言い訳なんて聞きたくなかったわ。何があっても良いように対策する、それが私の伯父様よ? それに牛鬼の目撃情報は上がっていたじゃない」
「それを駆け出しちゃんの見間違いだと結論付けたのはどこの誰だったかなー?」
「ふぅん、あたしせいだって言いたいのね? はぁ、いいわ」
紫苑がわざとらしくため息をついて、「貴方」と煙管をオレに向けた。即座に格子の中で待機していた喜助がオレに嵌められた木枷を鷲掴み、有無を言わさず立ち上がらせた。
「の、隣の娘を頂くわ。お幾らかしら?」
一瞬、喜助の目が痙攣した。しかし何事もなかったように木枷から手を放し、腰に付けた鍵で隣の枷を外した。「出ろ」と喜助に命令されたその娘が、身を縮こまらせ牢を出ていく。その間紫苑が大悟郎に値切り交渉を持ちかけていた。
「28両、これ以上は負けん」
「妥当ね。いいわ、それで買いましょう。……ただ」
と紫苑は視線を足許に彷徨わせ、ギュッと煙管を握りなおして真っ直ぐに大悟郎を見つめた。
「ただ一つ言わせて。森に牛鬼の痕跡は疎か参級以上の物の怪すら居なかったわ」
「否、済まん。さっきは嫌な言い方をしたが、お前を疑ってたわけじゃない。寮には報告を上げたが、牛鬼だと思って調査したら、アレには気付けん」
「そう……そうよね。でも、……ごめんなさい。嫌な態度だったわ」
「詳しい話は式契約を終えてからだ。付いて来い」
「ええ、分かったわ。貴方もいらっしゃい」
と、紫苑と大悟郎はあの娘を引き連れて何処かへ出て行った。そして入れ替わるように別の男がやってきた。オレと同い年か少し年下の、野球部の主将を務めていそうな丸刈りで精悍な顔つきの青年だった。彼は牢の前までやってくると、「お久しぶりです。喜助さん、充悟さん。ご無沙汰しております」と腰をきっちり45度曲げてお辞儀した。それに喜助が「おう」と短く返し、充悟は嬉しそうに青年の肩を叩きに牢を出て行った。
「最近どうよ?」充悟が青年のジョリジョリの頭を撫で上げる。
「はい、ぼちぼちです」と青年は撫でられた頭を押さえて苦笑い。
「ぼちぼちじゃ分かんねえよ。進級できそうなのか?」今度は背中を叩く。
「いえ、まだ先そうです」と青年。へこへこ頭を下げる。
「なら良い式を見つけないとな」充悟が顎をしゃくって牢の中を指した。
「はい。何でもかなりの上物が入ったそうで。それもかなり訳アリ価格で買うなら今だと」
オレのことだ。
「耳が早いな」と喜助。
「ええ、ヤスさんがビール片手に叫んでおりました」
「ほう、かん太もまだ働いてるってぇのに、あの野郎」と喜助の目が怪しく光り、「
「ホントですか?! よぉし、絶対当ててやりますよ」
顕嵐が気合いの籠った目でオレ達、ナムチを一人一人見ていく。
オレは(いや直ぐ分かるだろ)と、木枷を嵌められているのも忘れて、牛鬼の鎌足に突き刺された自分の胸を見ようとした。顎が枷に引っ掛かり、鎖が音を立てる。
「分かりました。一番左です」
顕嵐のドヤ顔と喜助の非難の眼差しが向けられる。「あの、これは」と言い募ろうとしたオレの言葉を遮って、喜助はオレを立ち上がらせた。その時、「傷は消した」と小声で呟いて、顕嵐を振り返る。
「約束は約束だ。半額にしてやる」しかしその顔に悲痛な色はない。
顕嵐は「よっしゃ!」と拳を突き上げ、いそいそと財布と取り出し始めた。
「それでお幾らですか?」
「26両5
「高ぁ"ー!! 俺の年収軽く超えてるじゃないですか!?」
顕嵐のリアクションに充悟が爆笑し、喜助も僅かに声を上げて笑った。
「お前も早くナムチを見極める目を養わねえと、他の店行ったらボラれるぞ」
そう言いながら充悟は牢に戻り、一人のナムチの枷を外して外に連れ出した。顕嵐が野球部主将なら、彼はサッカー部のエースと言った風貌だ。
「いいですよ。俺、ここでしか買わないって決めてるんで。お幾らですか?」
再び財布を取り出し、チャリチャリと小銭を数える顕嵐に「コイツは」と充悟がナムチのスペックについて語り始めた。
「漆-捌で回収したナムチだ。年はお前と同じ19。筋肉量も丁度いい。お前の動き付いていけるだけの体力もあるだろう」
次いで、喜助が会話のバトンを受け取り、選ぶコツを伝授する。
「いいか、駆け出しの『式』に最も重要なのは身体能力だ。
「早い話、安くて若い男を買っとけってことだな!」
充悟がまとめた丁度その時、恐らく応接間だろう、そこの扉が開いて大悟郎が戻ってきた。瞬間、顕嵐が腰を折った。今度は90度だ。
「おう、顕嵐。む、少しは成長したみたいだな」
顕嵐の堅苦しい挨拶を受け取った大悟郎が隣にナムチを見て褒めたが、すかさず、充悟に勧めてもらったものだと訂正した。その正直な態度に気を良くした充悟が大悟郎に割引を申し入れ、大悟郎は鷹揚に頷いた。
そして、再び大悟郎が二人の青年を伴って応接間へ消えていった。
その後も、オレの前には幾人も人間がやってきた。
一人は
また一人は麦という変わった名字の少女。この世のすべてに絶望したような顔の中年男性を選んだ。二人の背中はまるで親子のような身長差で応接間に消えた。
また一人は充悟に「ぬぅちゃん」と呼ばれるボーイッシュな少女。何度も絡みに行く充悟をコテンパンに投げ飛ばして、目が完全に病んでる少女に即決していた。
もちろん、全員が全員ナムチを連れて行ったわけでない。どちらかとオレ目当てで冷やかしに来ている風だった。
その冷やかし客と大悟たちをやり取りを聞いて、オレは自分の希少性を知った。
その価値、53両。
この値段を聞いた客たちの反応は「高い」と怒る者、「もう一声」と粘る者、「安い」と驚くもの、「なるほど」と納得する者、十人十色であった。
そして半数のナムチが売れていき、残り六人となった。
オレは、ペットショップで売れ残った仔犬の気持ちってこんなんだろうな、と思っていた。と同時に殺処分という言葉が脳裏に浮かび、ブワッと汗が噴き出た。
横目で売れ残った面々を見る。アラフォー、アラフィフのおじさんおばさんと、小さな男の子、そしてオレ。喜助の言葉が本当なら、次に売れるのは確実にオレだ。だって、この中で一番運動神経がある自信があるから。
バタン、と扉の開く音がした。応接間じゃない。コツコツとヒールが床を叩く音がする。「おう」と笑みを浮かべる大悟郎に続いて、疲れたように胡坐をかいていた喜助と充悟が起立して顕嵐のように腰を折った。
「「久しゅうごぜぇます。
その声には畏怖と敬意が込められていた。
「姐さんはやめてくれ。私はお前らより年下だ」
その声が耳朶を打った瞬間、全身に電撃が走った。
見たい、その江弥華という女の姿を。
オレは格子の壁側を凝視して、女が姿を現すのを待った。
「それはできやせん。俺達はあんたに返しきれねえ大恩がありやす」
「そうでさぁ。姐さんが駄目ならせめて、江弥華大姐様と呼ばせて下せえ」
「悪化してどうする。もういい、好きにしてくれ」
またヒールの音が鳴り、大きくなる。
「大悟郎、この度は済まなかった」
「いや、アレは気付けという方が無理だ」
「そう言ってくれると有難いが……。とりあえず例のナムチを見せてくれ」
コツンっ。
と、江弥華が青紫のストレートロングヘアを揺らして姿を現した。
ファー付きのロングコートに身を包み、足には深紅のハイヒール。両耳にたくさんのピアス、右の耳朶からは心臓を模ったイヤリング。そして狐の口を模した面と蜻蛉みたいな虹色のゴーグルで顔を隠している。
――わあ、攻めてんなー。
思ってたのと違ってガッカリしたのも束の間、大悟郎が「ここは狐口面と眼鏡外して大丈夫だぞ」と声を掛けた。
「ああ、そうか」
江弥華が面と眼鏡を取り去る。バサリと広がる髪。
オレの前世での最推しVTuber『ケティア・コート・ディフォーネ』を超美麗3D化したらこうなるという顔がそこにはあった。
オレはいつの間にか立ち上がって、江弥華に見惚れていた。オレだけじゃない。鎖に繋がれた5人ともがその美しい顔に溜息が漏れた。
「あれか?」
「応」
「……予想より混じってないな。だが相当傷が深い。右の肺が潰れたろう。良く死ななかったな」
「うむ。渾蔵が居てくれたお陰でその場で治療できたのがデカい。渾蔵が居なかったら確実に諦めていたな」
「……あれは私が貰おう。値段を言え」
「うーん、3両でどうだ」
「買った」
「いいのか? 裏があるぞ?」
「牛鬼の護符政策の依頼だろ? 構わん。それも引き受ける。物を見せろ」
「その前に式契約だ。喜助、連れてこい。充悟は店仕舞いを頼む」
喜助がオレの枷を外し牢の外、そしてあの扉まで連行する。
オレは応接間へ足を踏み入れた。その時、喜助がオレの肩を叩いた気がした。しかし振り返った気には、喜助は背中を向けて充悟の手伝いに向かっているとこだった。
「お、七大十! ずいぶん遅かったね!」
向き直ると、かん太が酒瓶を抱えて満面の笑みを向けている。
「さ、式契約だよ。こっち来て!」
――――――――――――――——【あとがき】―—――――――――――――――
お読みいただきありがとうございます。
以下、『汝牟遅屋・醍大悟』のナムチ売買表です。
※ナムチの名前(年齢) 回収地 価格 購入者(陰陽師等級)又は購入国の順で表にしています。
※1両=13万円 1匁=2166円 1文=32.5円
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