第5話 山菜採りしてたら鬼が出た

「舟に戻れぇぇ!!」


 楽しい山菜採りは、大悟郎の怒号によって唐突に終わった。

 夢中でトリツキを採集していた全員が一斉に大悟郎を振り返る。

 突然、「畜生め!」と充悟が持っていたトリツキを地面に叩きつけ、隣にいた喜助が法被で集めたトリツキを手早く包んだ。それが合図だったかのように男たちが一斉に動き出し、かん太は集めたトリツキを捨てて、一目散に舟に向う。


 そんな中オレは、「え、何? 何?」と必死に状況を掴もうと辺りを窺う。するとオレの横を通り過ぎて行く男たちが頻りに森の奥を気にしているのに気が付いて、オレもそちらに視線を飛ばした。


 大悟郎の後方、森の奥の深い闇から、巨大な蜘蛛が飛び出した。

 人の背丈を越える大きな顔に八つの瞳が爛々と輝き、側頭部から闘牛を思わせる漆黒の角が生えている。八本の足から伸びる大刀のような爪で地を掻き走るその姿は、まさしく『牛鬼』であった。


 獲物を値踏みするようにぎょろぎょろと動く八つの目玉が、オレを見つけてピタリと止まり——わらった。


「七大十、急げ!!」


 かん太の怒鳴り声。

 オレは弾かれたように舟に向かって逃げ出した。

 

 かん太は既に舟に乗り込み、船外機のエンジンを掛けていた。喜助も船上で銃を肩に掛け、充悟は岸に残り船頭の所に立っている。

 遅れて他の男たちが舟に乗り込み、一隻また一隻と舟が岸を離れて沖に出ていくが、充悟はまだ舟を沖に出そうとしなかった。

 待ってくれている、そう思うと足が軽くなった気がした。


「急げ!」

「はい!」


 舟の上から喜助が叫ぶ。オレは走った勢いのまま舟に飛び乗った。瞬間、充悟が舟を押した。


 牛鬼が木を薙ぎ倒し、トリツキの群生地を踏み荒らしながら迫っている。

「舟を出せ!」と大悟郎が叫び、牛鬼と正対した。

 

「あいつらを逃がす時間を稼ぐ。佐天、燕を寮に」

「承知」


 佐天と呼ばれた傷面の男が赤い玉を外套を羽織った女に向かって投げた。赤い玉は女の口の中に吸い込まれ、ゴリッと嚙み砕かれ。


「亜子は足止めを」

「はい」


 亜子は外套を脱ぎ捨て、牛鬼の方へ一歩前に出た。瞬間、亜子の黒髪がものすごい勢いで伸び始めた。ズモモモ、と髪は地中を進み、迫りくる牛鬼の足を絡め取った。


 その亜子の胸から鎖が伸びている。鎖の先は佐天の手首と繋がっており、一枚の札を人差し指と中指で挟んでいる。


 オレはさっきの亜子の攻撃が陰陽師の術によるものかと思ったが、違った。


 佐天は札を口元に寄せて、フッと息を吹いた。

 すると札から青く半透明の燕が飛び出した。そして燕は牛鬼など眼中にないかのように、空へ飛び去って行く。


 オレが燕の後を目で追ったその時、


「おおおおおお‼」


 大悟郎の咆哮が鳴り響いた。

 見れば、すでに牛鬼に肉薄し巨椀を振り抜いた後であった。

 全長6メートルはあろうかという巨大な蜘蛛が吹き飛び、さらに、殴られる瞬間にガードしたであろう、鎌のような左前脚が宙を舞っている。


「今の内だ!」


 大悟郎の合図で河原を走り出した陰陽師たちはあっという間に舟に追いつき、人間とは思えない跳躍力で舟に飛び乗った。


 すぐに体勢を立て直した牛鬼が後を追う。


「舟に近づけさせるな!」

「弾幕を張れぃ!」


 喜助と大悟郎の号令で船員たちが一斉射撃を開始した。耳をつんざく程の銃声が森に木霊する。牛鬼が銃弾などまるで意に介さず森を疾駆する。


「漆-ななはちまで持ち堪えろ!」

「へい!」

「待って親方! 倒す気なの!?」


 かん太の叫びに大悟郎は頷いた。


「あれは牛鬼とは思えん程弱い。俺と佐天、渾蔵こんぞうでも勝てるほどにだ。だが場所が悪い。牛鬼の恐ろしさはその機動力だ。木々を飛び回られたら敵わん。森を抜けた漆-捌なら川も浅い。それに牛鬼は基本この森をでないからな。運が良ければ諦めてくれる」


 微塵もそうは思っていないような顔で言った。それはかん太も分かっている様子だった。


「森の奥にしかいないはずの牛鬼がここにいるってことは、追い出されたんだ。それに親方の言う通り弱っているなら、十三人のナムチを乗せたこの小舟を見逃すはずがないよ。勝てるなら――」

「黙れ、かん太」喜助が割って入った。「奉公で来てるだけの子供が親方に逆らおうってのか? 手前てめえ手前てめえの仕事しろ。それから七大十、手前もだ。女が振り落とされねえように見張っとけ」

「はいぃ‼」

「いいかぁ! 親方が勝てるつってんだ! 俺たちの仕事は親方があいつを思いっきりぶっ飛ばせるところに連れて行ってやることだ! 気合い入れろ、手前らぁあ‼」

「応ッ‼」


 そして喜助は黙ってリロードし再び引き金を引いた。

 その姿を見た大悟郎が「取られちまったな」と頭を叩き「ガハハ」と大笑し、舟は加速する。


 いつの間にか川幅が広がり、蛇行が大きくなっていた。そして大樹が流れてくるものを遮るように太く張り出した根を川に伸ばしている。


 舟はその間を縫うように川を下る。舵を握るのはかん太だ。牛鬼など眼中にないと言わんばかりに前だけを見つめ、右へ左へ、舟を操っている。

 

 対してオレは、振り落とされないよう甲板にしがみ付くのがやっとの状態だった。喜助にナムチの女を見とけと言われたため、一応片手に抱きかかえているが、いつ落としてもおかしくない。


「来るぞ!」


 と充悟の声。

 岸沿いから追いかけていた牛鬼が跳んだ。大樹の幹と川に張り出した根を足場にし始めたのだ。


「ヤス、舟に結界を張っておけ!」

「へい!」


 大悟郎の命令に、唯一陰陽師を乗せていない先頭の舟から返事が返ってきた。

 結界という単語に我慢できず目を向けると、先頭の舟に透明なドーム状の膜が張られていた。


「あれが結界……」


 オレがそう呟いたときだった。

 今まで吼えることのなかった牛鬼が「ぼおぁぁ」とくぐもった声を上げたかと思うと、角の間から稲妻が迸った。いくつもの枝分かれする雷撃が五艘の舟を襲う。

 しかし――。


「「隔・水流結界」」


 陰陽師が言うや否や、川の水が盛り上がり舟を包んだ。

 結界にぶつかった稲妻が川に流れる。

 そして、オレの乗る舟を襲った稲妻は——。


「喝‼」


 大悟郎の気合いで弾け飛んだ。

「結界すら張らないのかよ……」というオレの呟きに充悟がニヤリと笑った。

 だが、根を避けながら進む舟と牛鬼との差が目に見えて縮まっている。


「渾蔵、先頭で道を作れ! 殿は俺! 佐天はヤスの護衛だ!」

「「承知!」」「へい!」


 渾蔵の舟が先頭へ駆け上がる。牛鬼はその背中に稲妻を放とうとくぐもった声を上げた。


「させるかよぉ」


 大悟郎が甲板に散らばったトリツキを頬張った。

 何を、と思った瞬間、振り上げた大悟郎の拳が膨れ上がった。


「徒手空砲ォ!!」


 砲丸を投げるがごとく、大悟郎の拳が射出した。牛鬼はすぐさま雷撃の発動を止め、横に跳んで回避する。ドゴンッという衝撃音とともに牛鬼が足場にしていた大樹がへし折れた。


 飛んで行った大悟郎の拳は骨で出来た鎖で手首と繋がれており、「フン!」と腕を振れば、拳は元通り腕に収まった。


 スゲー。もうそれしか言えない。


 回避した牛鬼はじっとこちらを見つめていたかと思うと、後ろを振り返り闇に紛れて消えた。

  

「諦めましたかね」


 いつの間にか横に着けていた佐天が大悟郎に声を掛けた。


「そんなはずない。この先、川は大きく曲がる。だから牛鬼は回り込んでるんだ」


 かん太が口を開いた。

 それを受けて、佐天が大悟郎に進言する。


「舟を捨てて陸路で帰ることもできますが」

「十三人のナムチも見捨ててか?」と渾蔵も作戦会議に加わった。「それに諦めていないなら、絶対に俺たちの動きを見てる。舟を岸に近づけた瞬間襲ってくるぞ」

「先にする無しかないか。順番はさっきの通りだ」

「「承知」」


 舟はカーブに差し掛かった。空気がピンと張り詰める。

 カーブの出口が見えてきたころ、同時に見たくないものも見つけてしまった。

 蜘蛛の巣だ。川の端から端に出来た大きな網が静かに獲物を待っていた。牛鬼は始めから、この場所で仕留めるつもりだったのだ。


 ドドドドド、と闇の中から木霊する足音が急速に接近してくる。


「渾蔵! 蜘蛛の巣をこじ開けろ!」

「承知!」


 渾蔵が白い玉を誰もいない虚空に放ったかと思うと玉はパッと消えた。渾蔵が指で挟んで持っていた札を蜘蛛の巣へ投げ、「爆・——」。


 闇から牛鬼が飛び出した。ニヤリと笑う牛鬼が渾蔵目掛けて鎌足を振り上げる。

 しかし、嗤っていたのは渾蔵もであった。


「和彦ぉおお!」「ラアアアア!」


 渾蔵が何かを振り回すように身体を捻り、何もない空間から雄叫びが木霊した。

 突然、渾蔵に飛び掛かった牛鬼の身体がくの字に曲がり、大樹の幹に激突した。牛鬼の胸部には、頭頂が釘のように尖った人影があった。


 スゲー、不可視化だ!


 しかしまだ牛鬼は絶命していない。己の身体に突き刺さる和彦を引き剝がさんと、足先の大刀を振り上げる、が。


「亜子、行け」「はい!」


 佐天が赤い玉を牛鬼に向かって投げ、亜子はそれを追って素早く跳躍した。


「はああ!」


 触手のような黒髪が牛鬼の八本の足を縛り上げる。

 続く、舟が大きく沈むほどの大悟郎の大跳躍。振り上げた巨椀がさらに倍化し、拳から白く輝く鉱石が突き出した。


「おおおおおおお!!! 石英拳!!!」


 貼り付けにした大樹ごと吹き飛ばす大打撃によって牛鬼の顔面が弾け飛んだ。

 その肉片はまるで、糸のように細く、木漏れ日を反射してキラキラと——。


 ――ドドドドドドドドド‼


「七大十ォ!」

「え」


 ——え?


 真横から聞えた大きな足音。振り向くと、八つの瞳と目が合った。

 牛鬼が右の鎌足を振り上げる。


「徒手空砲ぉおおお!!!」


 牛鬼の顔面で一杯だった視界に、大悟郎の巨大な拳が割り込み、牛鬼の顔面が拉げるが――牛鬼がニヤリと嗤った。


 最初に吹き飛ばされた左の鎌足が一瞬で再生し、オレの胸を突き刺した。


 ゴポッと口から血が溢れ、視界が暗転する。

 かん太の悲痛な叫びが遠くに聞こえた。

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