第3話 異世界

「女を下ろして、十歩下がれ」


 号令を発した若い男が命令した。くすんだ梅柄の羽織を肩に掛けた男だった。

 男の目には殺気が篭り、当たり前に引き金を引いたことがあるだろうな、という妙な説得力を孕んでいた。


 ごくりと喉がなった。

 オレはゆっくりと女をその場に降ろし、言われた通り、十歩下がり、言われてなかったが両手も上げていた。


 男がそれを見届けた後、「親方」と船頭でふんぞり返っていた一際大きな男に目をやった。

 親方と呼ばれた大男がニヤリと笑って、頷く。


「男の方は俺が見る。喜助と充悟は女を回収しろ。かん太、船を付けろ」


 どすの利いた声で指示を出し、名前を呼ばれた三人が「へい」と返事をした。その内の一人、「かん太」と呼ばれた人物は、十歳前後の少年だった。船員の誰もがオレを睨みつける中で、唯一、ニコニコを笑いかけている。


 舟がゆっくりと向きを変え、岸に乗り上げた。


「行くぞ、充悟」


 梅柄の羽織を着た方が、茶色い格子柄の羽織を着た男に声を掛ける。

 揃って舟を飛び降りた喜助と充悟は、いまだ意識が戻らない女を持ち上げて、さっさと舟に運んだ。


 人を運ぶのに慣れ過ぎている。

 嫌な想像が駆け巡った。彼女をどうするつもりなのか、問いただしたい気持ちを堪え、その一部始終を見ていると、オレの体に影が落とされた。


 仰ぎ見るほどの大男がオレの前に立ちはだかっている。

 身長は目測でも二メートルを超えだろう。達磨のような筋肉の塊から幹のように太い手足が生えている。服装は力士の廻しのような分厚いふんどし一丁と、首や手首に下げた大玉の数珠、それから宝石を嵌め込んだピアスを拳や腕に開け、スキンヘッドの頭と胴体に和彫りの入れ墨がひしめいている。


「おい」と、野太い声が落とされ、オレは裏返った声で返事をした。

 無理やり口角と釣り上げて顔色を窺うと、大男のぎょろりとした目がオレを値踏みするように見下ろしていた。


「どこで目が覚めた?」

「あ、っと、滝の近くです」


 答えた瞬間、大男が「ガッハッハ!」と空気を振動させ、「大悟郎だ」と右手を差し出した。


「金倉七大十、です」


 自分も名乗り、そっと大悟郎の巨大すぎる右手に自分の右手をそっと当てた。大悟郎がオレの右手を包み込み、グッと力を込めた。良かった。加減は出来る人だ。

 大悟郎が笑みを深め、「乗れ」と首を振り右手を離す。


 オレが念のため、右手の無事を確認していると、大悟郎が踵を返して舟に向かった。

 露わになった大悟郎の背中にも、和彫りの入れ墨が入っていた。蛇と蜂と百足が鬼の頭蓋骨を這っている絵だ。微塵も格好良くなかった。


 親方の後を付いて行く途中、舟の方から子供の声がした。


「親方~、あれ、トリツキじゃなーい」


 舟の舵取りを任されていたかん太少年だった。彼はあの緑のカタツムリが群生する森を指差している。


「何!?」


 大悟郎が凄い勢いで振り返った。びくっと肩を震わせたオレを無視して、目を細めて森の中を窺い、ニヤリと笑った。


「お前らァ、臨時収入だ! 詰め込めるだけ詰め込めェ!」


 大悟郎が肩を回しながら声を張り上げ、森に入っていく。船の上の船員たちも、麻袋を携えて大悟郎の後を追った。


 ぽつんと河原に取り残されたオレが、舟に行くべきか、森に行くべきか、迷っていると、「なあ、なあ」と腰を辺りから、さっきと同じ子供の声がした。

 見ると、かん太少年が人懐っこい笑顔を浮かべてこちらを見上げている。


「おいら、かん太。兄ちゃんは?」

「え? ああ、七大十だよ」

「へー、七大十かー。そんで、どこで目ぇ覚めた?」


 そしてかん太はオレの土で汚れた靴を見てから「ここじゃないでしょ?」と得意げな顔を上げた。

 オレがさっきと同じように「滝の近く」と答えると、かん太は「へー」と笑い、オレの手を引いて森に入った。


「これがトリツキだよ」


 かん太が緑色のカタツムリを摘まんで言う。ポキッと、小気味よい音がして、トリツキは幹から剥がされた。

 「ほら」とトリツキを差し出されたが、正直触りたくない。


 顔をしかめていると、かん太はけらけら笑って、「これ、高級品なんだぜ」と得意げにトリツキを指先で転がした。


「女を落とすならトリツキをお通しで出す店に行け、って大人が言うくらいに凄い山菜なんだから。薬のもなるから苦いんだけど、おいらは好きだね! 大人の味っていうのかなあ」


 最後は子供らしくニシシと笑った。


 山菜ならヌメりもないだろうと、トリツキを採ってみた。よくよく観察してみると、カタツムリの殻の部分に茶色がかった胞子嚢が付いている。ゼンマイの一種なのかもしれない。

 思ったことを、そのままかん太に確認すると、「そうだよ」と肯定してくれた。


「本当はマイマイモドキゼンマイって名前なんだ。カタツムリの真似をして鳥に食べられるからなんだって。でもみんなはトリツキって呼ぶよ」

「なるほど、胞子を鳥に運ばせるのか」

「そうそう! トリツキは自分を食べた鳥を操るんだ」

「操る?」

「うん。トリツキを食べた鳥は高い木の枝に止まって、死ぬまで動かなくなるんだよ。それで鳥が死ぬと、体の中からトリツキが生えるんだよ」


 かん太の言葉を聞いて、ゾンビアリという言葉を思い出した。アリに寄生したカビが、アリの体を操り、背の高い草の上に移動させて、そこから胞子を撒き散らす。トリツキの生態はまさにそれだ。


「これだけのトリツキがいっぱいいるから、どっかに親株があるかもしれないよ」


 かん太がきょろきょろと木の上を探し始めた。オレも興味があり、一緒になって親株を探した。しかし枝が複雑に絡み合っているせいでなかなか見つからない。


 諦めかけたとき、かん太が「いた!」とある一転を指差した。それは大悟郎がトリツキをこそぎ落としている木の上の方だった。


 膝立ちになってかん太と視線を合わせ、子供の丸々とした指先の延長線上に視線を飛ばして、見つけた。


 木のかなり高い枝に鳥が留まっている。

 すでに息絶え、肉が溶け、がらんどうの眼孔から目玉が抜け落ちている。

 かなり腐敗が進んでいる。


 けれど羽毛が抜けた翼は力なく垂れ下がっているのとは対照的に、両足は力強く枝を掴み、風に振り落とされないよう、小さな嘴で細い枝に噛みついていた。

 そして、そのグロテスクな見た目を補うように、腹や背中から小さな蘭の花が咲き乱れている。


 まるで自然の恐ろしさを凝縮したようなアート作品ようだ。しかしオレは、どうしても死骸から咲く花に引っ掛かりを覚える。


 トリツキの生態についてもそうなのだが、オレが気持ち悪く感じるのはゼンマイが花を咲かせることだ。


 ゼンマイを含むシダ植物は花を作らない。というより作る必要がない。

 そもそも花は花粉を運ぶ虫を誘引するための器官だから、花を咲かせるのは受粉して種子を作る植物だけのはずだ。


 トリツキをまじかで見たとき、確かに胞子を作っていた。そして、胞子はそれ単体で成長する、いわばクローンの卵みたいなもの。

 だからゼンマイの仲間であるはずのトリツキが花を咲かせる必要はない、はず。


「おーい、兄ちゃん! 見つかった?」


 一人で考え込んでいると、かん太が顔を覗き込んできた。

 オレは曖昧に頷くが、間違った知識をそのままにしておくのもどうかと思い、余計なお世話と知りながら、かん太の勘違いを正すことにした。


「多分、あれはトリツキじゃないよ。トリツキなんかのゼンマイの仲間はな、花を咲かせないんだ。だからあれはトリツキじゃなくて、別の植物だと思うぞ」


 かん太はキョトンとしたままオレの話を聞いていた。しかし、言い終えてすぐに、ニカッと笑った。


「あー、それは兄ちゃんがいた世界の話でしょ?」


 一瞬、かん太が言っていることが分からず、フリーズして、


「そっか、あの世だった。あの世なら何でもありだよな」


 少し寂しさと、それ以上の悔しさが胸に渦巻く。

 オレは未練を断ち切るために、固く目を閉じた。

 すると何故か、かん太が腹を抱えて笑い出した。


「ここあの世だと思ってんだ! キャッハハッ! そっか途中で起きちゃったもんねえ! うん、しょうがない、しょうがないよ、兄ちゃん!」


 黙々とトリツキを回収していた大悟郎たち男衆が一斉にこちらを向く。非難めいた視線と無言の圧が、オレに集中放火された。せめて手は動かそうと、その辺のトリツキを採集する。


「ここね、あの世じゃないんだー。異世界なんだよ、兄ちゃん」

「……は? 異世界?」


 かん太の方を向くと、ニマニマと、こちらの反応を楽しむかん太がいた。

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