第2話 三途の川

「……?」


 しかし一向に衝撃がやってこない。

 恐る恐る瞼を上げると、目の前に石が転がっていた。それも一つや二つじゃない。様々なサイズの石が目を動かせる範囲いっぱいに転がっている。


「は? どういうこと?」


 ゆっくり身を起こすと、足が水に浸かっている。その水は流れており、どうやら川のようだ。オレは河原で横になって眠っていたらしい。


 頭の中が「?」でいっぱいだ。

 記憶を遡ってみても、トラックに轢かる寸前までの記憶しかない。

 改めて辺りを見渡してみる。


 目の前の川は左から右へ流れ、流れを遡ると十メートル前後の滝があり、足元は河原、後ろは森で対岸も森。空は一面雲に覆われていた。

 結果、何も思い出せなかった。


 何がどうして、どうなったら、見知らぬ河原で寝ることになるんだ。

 思い当たることがあるとすれば、


「……酒か?」


 しかし飲むまでの記憶がない。そもそも轢かれた後に酒が飲めるか。

 そう自分にツッコみを入れたとき、ある単語が浮かんだ。


「三途の川」


 川を見つめながら呟いた瞬間、全てが繋がった。


「トラックに轢かれて、死んで、あの世とこの世の境で目を覚ました」


 口に出してみると、余計にしっくりくる。そして能天気に「まじであったんだな」と感想を漏らしていた。


 乱暴に腰を下ろしながら「死んだのか」と呟て、石を川面に投げてみた。石が川面を三回跳ねて沈んでいく。それをぼんやり眺めてみたけれど、死んだことへの悲壮感は湧いてこなかった。寧ろ、推しの配信が見たかったという無念がしこりのように残っている。

 無意識に見る方法を考えている。


「アーカイブは残ってるはずだ」


 うんうん頭を捻っていると、まだ完全に死んでないんじゃないか、という可能性に気が付いた。


 そうだ、まだ生死の境を彷徨っている段階かもしれない。

 オレはすぐさま行動を開始した。

 ここがあの世とこの世の境なら、引き戻せばこの世に戻れるはずだ。


 踵を返して森に向けて河原を歩き始めた。森の中は何処まで暗く、冷たい空気が漂ってきている。

 はたして、この方向で正しいのか、この世は対岸を渡った先ではないのか。

 目覚めたのが川の中だったせいもあって、不安が芽生えてきた。

 

 河原と森の切れ目で足踏みしていると、ドボン、川面に何かが落ちた音がした。

 恐る恐る振り返る。

 人だ。


 毛布のようなふわふわのパジャマを着た女が、ピクリとも動かず、うつ伏せの状態で川を流れている。


 気が付けばオレは走り出していた。

 川に飛び込み、必死に水を掻き進む。川は見た目以上に深く、すぐに足がつかなくなった。

 流れに乗って泳いでいるはずなのにみるみる距離が離れていく。


 心のどこかで、別に良くねーか、と語りかける自分がいる。

 どうせアイツも死んでるか、生死の境を彷徨ってるんだ。どうせオレみたいに河原のどこかに流れ着いて目を覚ますんだ、と。


 それでも、日頃の運動不足を呪いつつ、懸命に泳いだ。

 けれど女との距離は開く一方で、とうとう体力の限界を悟ったオレは川から上がり、走って追いかけることにした。


 女が流れる速度は、小走りくらいの速度だった。

 川はどんどんと大きくなり、カーブが増え始めた。女は以前、川の真ん中を流れている。


 そんな状態が、体感で一時間続いた。


「どこまで……どこまで行くんだ……いい加減……止まれ……」


 ぜえ、ぜえ、肩で息をしながら横腹を抑え、女を追う。

 川は蛇行を繰り返し、もはや滝の方角が分からなくなっていた。川幅も十メートルほどに広がっており、もう泳いで引き上げることは出来そうない。河原の石は角が取れて小さくなり、幾分か走りやすくなっていることが救いだった。


 大きめのカーブを抜け、もう休憩しようかと本気で考えたとき、大きな岩影を発見した。

 オレは限界が近い足に鞭打って、流れる女を追い抜き、岩影に走った。

 近づくにつれ、岩の全容がはっきりと見え、それが石碑だと分かった。土台となる大岩の上にもう一つ岩を乗っかっている。


 石碑に辿り着き、正面から見ると、大きく『壱―壱』と文字が彫られていた。その下には左右に向いた矢印が彫られ、オレが来た上流方向には『此先海松橿庭也 弐級未満ノ立入ヲ禁ズ』、下流方向へは『稲勢国迄凡壱漆里』と漢字が彫り込まれていた。


 一字一字は読めないが、意味は何となく分かる。察するに、ここを示す番地と、ここから最も近い街までの距離だろう。川を下った先には国があるようだ。しかし。


「……国って」


 あの世に対して若干の解釈違いを感じた。

 けれど、大学で見た留学生たちと同じように、同じ言語を話す者同士で集まった結果だと考えれば、無くはないな、と納得できる。


「なら、あの世でも政治とか経済とかあるのかなあ。死んでも国同士のいざこざがあるとか、世知辛いなあ、もう」


 あの世の生活に落胆したところで、川を流れる女が追いついた。

 お前もいい加減にしろよ、と思いながら、再び歩き始める。


 歩きながら、手頃な木の棒や、蔦などの紐上のものがないか探すが、ちょうどいいものが見当たらない。

 そろそろどうにかしないと、と焦ってはいるが、見ているほかなかった。

 

 そうこうしているうちに、『壱―弐』の石碑を通り過ぎ、『弐―参』を通り過ぎ、流れも緩やかになってきたし、泳いで助けに行こうか、決心を付けていると、急に女が岸に近づいてきた。


 しかし、オレが腰まで川に入り、手を伸ばした途端、女の体は接近を止め、そのまま流されていってしまう。

 まさかと思いつつ黙ってみていると、女は何事もなかったように、岸に打ち上げられた。


 女はびしょ濡れのまま、眠ったように動かないでいる。つまり意図的にやっていたのではなないようだ。

 そんな彼女を見て、最初からここを目指して流されていたんじゃないか、と不気味さを覚えた。同時にオレ自身も彼女と同じように、あの場所に辿り着くように流されていたんだと気づいて、背筋に冷たいものを感じた。


 しかし、このまま放っておくこともできず、オレは女の駆け寄り、呼吸の有無と脈拍を測った。結果、呼吸は浅いが確かに息はしており、脈も問題なしだった。


 ほっと息を吐き、オレは肩をゆすりながら「おーい」とか「もしもーし」とか声を掛けた。けれど目覚める気配がない。どうしたものかと途方に暮れた。

 走ったせいもあるが、汗だくだった。空を覆う雲が薄いのか、肌をじりじりと焼くような日差しが降り注いでいる。


 この子をここに放置していたら熱中症になりかねない。

 オレは彼女を森の中まで運ぶことにした。

 うつ伏せの彼女を優しくひっくり返す。


「おぉ! ああ……」


 彼女のパジャマに十数か所の穴が開いていた。刃物で開けられた穴だと一目でわかる穴だった。


 オレは膝と背中に腕を通して彼女を持ち上げた。彼女の死因を如実に物語る穴は出来るだけ見ないようにして、森の木陰まで運ぶ。気を失った人間は重いというが、その通りだった。


 しかし、オレも男の性には逆らず、ついつい視線が彼女の胸元に吸い寄せられる。穴の奥から見える白い肌には傷一つなく、寧ろ青い血管がうっすらと見えていた。

 何時目が覚めていも良いように、その辺の石や土にも視線をやってい、なんとなく近くの木を見上げた。


「うわ!?」


 それを見つけて、オレは声を上げた。

 その木の幹に緑色をしたカタツムリが無数に張り付いていたのだ。

 カタツムリはオレ達を監視するように、こちらを凝視している。


 オレは場所を移そうと、女を抱き寄せ、辺りを見渡すが、目につくすべての木の幹にそのカタツムリが張り付いていた。

 カタツムリ一様に地面に頭を向け、微動だにせず、侵入者であるオレ達を非難するように、ただじっとこちらを見つめている。


 気持ち悪すぎて、すぐに女を抱えて河原に飛び出した。

 強烈な日差しのせいで、せっかく下がった体温がまた急激に引き上げられていく。

 

 どこか、カタツムリのいない木陰がないか辺りを見渡していると、川下に人影が見えた。

 よくよく目を凝らしてみると、人影は全部で十六人。それぞれ四人ずつボートに乗っている。


 次第に、ドドドド、と聞き馴染みのある音が聞えてきた。すぐにそれがエンジン音だと分かって、抱えている女を落としてしまいそうなほどショックを受けた。


 オレの中の『あの世』に対するイメージが瓦解していく。『あの世』にはメカニックなものは何もない、平安時代みたいな暮らしをしているものとばかり思っていた。しかし船尾に取り付らえたそれは、現世でもよく見たエンジンそのものだった。


 エンジンがはっきり見える頃には、船員たちの装いも見て取れた。

 ほとんどの人間が、時代劇の農民役みたいに、ふんどしに作務衣みたいな上着を引っ掛けている。その中で四人だけ、洋服に近い格好をしている。


「マジか」


 服装と文明のミスマッチ加減にあんぐりと口を開けていると、突然、船員の誰かが「構え!」と号令を発した。


「「「応!」」」


 と、ふんどし姿の男たちが構えたのは銃だ。服装に合わせた火縄銃ではなく、連射できるタイプの銃。

 その銃口がオレに向けられている。

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