引き出し

 そんなある日。

 由乃の母親から、渡す物があると言われ、あたしは由乃の家へ足を運んだ。由乃が死んでから、一ヶ月経っていた。未だに、私は由乃との記憶に足を奪われ、前に進めていないでいる。

 由乃の家に行くと、由乃の母が扉を開けた。その顔はくたびれていて、髪はまとめてこそいたものの、ぼさぼさだった。愛娘が死んだのだ、当たり前のことなのだろう。


「さ、どうぞ入って」

「…お邪魔します」


 あたしは少し緊張しながら、由乃の家へ足を踏み入れた。家の中は、由乃の香りがした。

 由乃の母に案内されながら、あたしたちは由乃の部屋に辿り着いた。

 そこは……。

 片付けが、全く、と言っていいほどされていなかった。床に散らばっている洋服。机の上にある、ペンと消しゴム。人がいた形跡があるベッド。

 その全てから、由乃の気配を感じた。


「まだ、全部片付けてないのよ。由乃が、ここにいるような気がして……」

そう言いながら、由乃の母は、愛おしそうに部屋を見渡した。


 止まってる。

 そう、思った。

 あたしの中にいる由乃は、哀しいけれどもう現実(ここ)にいなくて、想像(こころのなか)にいた。でも、今目の前にいる由乃の母にとっては、由乃は生きていた。この家からは、至る所から由乃の気配を感じた。もちろん、由乃の家なのだから当たり前だ。が、しかし。その気配は、今でも生きているのかのように強く感じた。ここにいると、あたしまで由乃が生きていると思ってしまいそうだった。それぐらい痛いほど切実に、由乃の母は由乃が死んでいるということを、認めたくないのだ。


「あの、それで……。今日は、なぜあたしを呼んだのですか?」


 まさか、この部屋を見せるためにわざわざ呼んだわけではないだろう。


「ああ、そうだったわね」


 慌てたように由乃の母は部屋の中に入ると、由乃の机の引き出しを開け、中から紙を取り出した。


「昨日から、少しずつ由乃の部屋を整理しているのだけど……。引き出しの奥に、このカギと紙が置いてあったの」


 銀色に光る小さなカギと、恐らく手で破ったのであろうと思われる紙をあたしに見せながら、由乃の母は言った。


「なにか、書いてあったんですか」

「ええ。読んでみて」


 あたしは紙を渡され、そこに書いてあることを読んだ。


【これを読んでいるのは、お母さんでしょうか。それとも、違う誰かでしょうか。とにかく、これを誰かが読んでいるということは、一つの事実を指しているのでしょう。

私がそちらにいるのなら、これ以上なにもしないで下さい。しかし、私がそちらにいないなら、一緒に置いてあるカギを使って、引き出しを開けて下さい。そこには、私の最後のお願いがあります。】


 暗号文めいた文章に、困惑した。そう言えば、由乃は推理小説が好きだったことを私は思い出す。“私がそちらにいない”ということは、今の状況から考えると死んだことを意味するのだろう。


――由乃は、自分が死ぬことを知っていた?


 そう考えて、心の中で首を振る。由乃が死んだのは、突然だったのだ。あたしたちにとっても、たぶん、由乃にとっても。

 由乃の笑顔が、頭をよぎった。


「読みました?」


 由乃の母に声をかけられ、あたしの意識は現実に引き戻された。


「ここに書いてある、由乃の“最後のお願い”って、なにか分かりますか?」


 文の中で気になったところを聞いてみると、少し考えるように由乃の母は俯いたが、やがて顔を上げ、ゆっくりと首を振った。


「分からないわ。あなたは、分かる?」

「……いえ、分かりません」

「そう……」

「引き出しは、もう開けましたか?」

「開けてないの。なんだか、少し怖くて」

「どうして、私を呼んだんですか?」


 さっきも同じ質問をしたが、意味は変わってくる。


「由乃の親友だから、なにか知らないかと思ったのよ。でも、由乃は誰にも言ってないのね」


 あたしは、その言葉に、落胆があるような気がしてならなかった。

 唇を噛みしめる。――親友なのに、知らないの?そう、聞こえた。


「開けましょう」


 気づいたら、そう言っていた。


「由乃の最後のお願いを、叶えましょう」

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