二天《転送》

微睡みの中で俺は、美麗な声をきいた。


「スイ。ここまで来なさい。ここまで来れたら、真理を教えてあげる……」




「スイさーん?起きてください、8時ですよ?」


俺は、患者の起床時刻を知らせるために巡回しに来た、看護婦さんの声によって覚醒した。


「もう少ししたら朝食の時間ですからねー」


言いながら看護婦さんは窓に取り付けられた、質素なカーテンを開け、そのまま部屋をあとにした。


「あれ……?」


スイには、この時何とも言い難い擬かしい感覚を憶えた。

なにかが。

なにかが聞こえたはずなのだ。

夢のようだったがしかし、夢ではないと確信できるものであった。

恐らくは、擬かしい原因はこれにあったのだろう。

スイがそのなにかを思い出そうとしている時、突然真横から声が掛かった。


「スイさん!?」

「うぉっ…!!」


俺はいきなり掛けられた声に、大仰に驚いた。


「なにか思いつめたような顔してましたけど、どうかしました?もしかして……夢?」


声の正体は、昨日のお姉さんだった。

そしてこの人、一発で俺の考えていることを当ててきたのだ。変な所で勘が冴えている人だ。


「夢……。スイさん、アレですね?えっちぃ夢ですね?男子ですもんね、しょうがないですね!」


やはり駄目だった。

この人、駄目な人だった。

俺がそう落胆していると、


「さて。スイさん、転送の予定になりますが」


お姉さんの顔は刹那、氷塊のような冷感さをもったそれに様変わりした。

最早、昨日の【飛ばされる】ネタもそこには無い事も相まって、その様は異様だった。


「転送は今日、このあとすぐになります。貴方がそこですべき事は、昨日説明した通りです」

「は、はい。わかりました」


そうだった。


下界奉仕活動刑──。


それは、今回俺に特例で科せられた処罰。

異世界に転送され、そこで刑罰の年数分奉仕活動をする、といったものだ。

俺の刑罰の年数は、4325年。

冗談のような年数だ。今からこの年数分の奉仕活動をしなければいけないと思うと、気怠さと共に、途方も無い恐怖心すら憶えた。


「さて!転送の時間は9時からを予定しているので、しっかり準備しておいて下さいね!」


お姉さんは、先程までの凍りつくような表情を氷解させ、いつもの満面の笑みを以て俺にそう告げ、病室をあとにした。

なんだったのだろう、あの表情は……。


「あっ……」


また名前を聞くのを忘れてしまった……。



俺は直後運ばれてきた朝食を手早く済ませ、転送丁度15分前に病室に赴いたお姉さんに連れられ、転送場所へと向かっていた。


「着きました!さて、これからお見せするのは、この世界の粋を結集して造られた、言わば天界技術の結晶です」


厳重な扉の向こうには、お姉さんから言われた事を、瞬間で理解出来てしまうような、それほど壮大な装置だった。


「正式名称、sector-08と呼ばれるポータル装置です」


そのポータル装置とやらは、眼窩に収まらぬほどの大きさであった。

中心にはこれから俺が立つことになるであろう、平面で円盤状の金属の板が。

その円盤状の金属に無数に繋がった太いチューブのようなものを目で辿って行くと、街で普段よく見かける2tトラック十台分以上は有ろうかというような質量をもった、演算装置の塊があった。


「……」


俺は只管に圧巻されているばかりだった。


「どうです?すごいでしょう。でもこれ、一人転送すると装置全体がパーになってしまうんですよねぇ……」


「……へぇ」


俺は圧巻され過ぎて、お姉さんの説明も頭に入ってこなかった。


「それでは、手早く進めましょうか!」


そんな俺を置いて、お姉さんの威勢のいい掛け声をきっかけに淡々と準備が行われていった。


「では、あの丸いところに乗ってください?」


「あ、はい」


いよいよらしかった。

準備はものの五分程で終わり、その短さは俺に心の準備をさせてはくれなかった。


「では、最後に言い残すことは?」


言い残すこと。

……そうだ。


「お姉さんの名前。名前は、なんて言うんですか?」


お姉さんは。

今までにとは違った、聖母のような笑みをゆっくりと。ゆっくりと浮かべ──。




そして世界は切り替わった。


二天転送──了──

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ハイケイ、天使を知らぬ下界の住人たちへ。 りっちー @Ritchey

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