その5

 空に旅立ったのは、7の家族。

 セマニの書記官。

 ニーヴェアの観測官。

 レティアの補佐官。

 ヴェルデマールの大工。

 カーヌスの航海士。

 アランジェヴィの機関士。

 ミンクの整備士。


 大地に残ったのはたったひとつ。

 アウルムの猟師。


 彼らの間にある溝は、実に100万年。


——


 四足歩行。彼らは戦いの際、無意識にその姿勢になる。

 武器は爪だ。ニンゲンが進化の過程で失ってしまった巨大な自然の刃を振るい、獣のスピードとパワーに任せて飛んでいく。

「がぁあっ!」

 実に直線的な動きである。ネロは銃剣を用いてそれを捉え、得物を捻ることで衝撃を躱す。体勢を崩されたルウェンは足の爪を地面に食い込ませ、無理矢理バランスを取る。

 取りつつ、逆手で追撃を行う。

「……っ!」

 ネロは身体をしなやかに捻り、軽やかに躱す。そのままルウェンの腕を取り、関節を狙う。

「ぅぅ!!」

「くそ」

 だが、単純な筋力は彼に分があった。力で無理矢理ほどかれる。

 地面を蹴って距離を取る。だがルウェンは逃がさない。銃を撃たれたら敗けだ。その構えを取らせないように張り付いて立ち回る。

「ちっ」

 舌打ちが聞こえる。この戦法は有効らしい。ルウェンは相手がバテるまで付き合うつもりだ。心臓機により肉体運動の限界は従来の動植物を凌駕している。

 だが。

「……私だって『一緒』だよ」

 ネロの胸の辺りが光った。


——


「命はさ」

 ニンゲンの警備兵達は、目を疑う光景を目の当たりにした。

 あれは最早、ニンゲンと言えるのか?

「軽いと、私は思うんだけど」

 あの、暴れるレゾニア人を。どうしようもなく手も付けられない化物を。

 自慢の長い黒髪を乱れさせながら。

 瞬く間に切り伏せ、這いつくばらせ、押さえ付けた。

 その運動量。反応速度。怪力。どれを取っても、最強。襲い来る、怒り狂った獅子を。それを上回るスピードで翻弄する豹のように。一度の発砲も無く、力で捩じ伏せた。

 心臓機を埋め込まれたネロ・ニーヴェアという人物は、ニンゲン側の最高戦力であった。

「あはは。強くなるとお喋り好きになるんだよね。どう? ……アウルムの猟師さん?」

「……ぐ……うぅ!」

 ルウェンは全く動けない。まさか1対1の正面戦闘で。銃を使わないニンゲン相手に一方的に組み伏せられるとは考えていなかった。こうなってしまっては、彼の怒りは一旦の収まりに付かざるを得ない。

「…………軽い命など存在しないさ。失われれば戻らないんだから」

「……模範解答だね。ありがとう」

「もう、殺してくれ。僕は疲れてしまった」

「……そう」

 次第に、ルウェンは抵抗しなくなる。アヤムが裏切ったとするならば。今ニンゲンに負けたルウェンはもう終わりだ。となるとレゾニア滅亡も近い。これ以上は足掻けない。

「……戦争時の英雄は、平時ではただの殺人鬼である」

「?」

 ルウェンに跨がったまま、ネロは呟いた。

「ニンゲンの間じゃよく言われた言葉でね。だから今の私は悪くない——と、言えるんじゃないかな」

「……その価値観の境界線が近い仲間が居ると良いね」

「うん。……皆そう思ってるよ」

「……殺さないのか」

「話してみたかったんだ。アウルムの猟師の人と。捕まえちゃうと、皆隙を見て休眠しちゃうから」

「…………」

「見て」

「!」

 ネロは、服をはだけさせた。埋め込まれた『心臓機』が露になる。ルウェンは驚いて身体を震わせる。

「それは司祭様の……」

「あ。やっぱり分かるんだ。じゃあこれは特別なものなのかな」

「殺したのか」

「多分生きてるよ。肉体は死んだけど。私のここに生きてると思う。そういう物なんでしょ?」

 ネロは、司祭から様々な話を聞いていた。ニーヴェアとして伝え聞いたことの他にも、彼女の知らないことは沢山あった。

 司祭は彼女の教師であった。

「…………だけど」

「うん。そう」

 緩やかに点滅している。それが意味することはひとつだ。

「私はもうすぐ死んじゃう。もって数年だね。だから焦ってるよ」

「君が僕らを捕まえる理由は、君自身の延命の為か」

「そうだよ。まあ、皆には若返りの研究って言ってるけど。今私が死ぬ訳にはいかないからね。だから教えて? じゃないと『相応の対応』をさせてもらうよ」

「!」

 顔は知らない。今も見えていない。声も分からない。覚えていない。

 だがこの少女は。

「……君が、ニーヴェアの観測官の子孫か」

「あれ? 分かった?」

「…………僕は一度、君達に捕まってる」

「え。……あ!」

 顔は知らない。興味も無い。声も知らない。会ってはいない。

 だがこのレゾニア人は。

「『ルウェンゾリの月』!」

「……そうだ。僕は」


——


「まーいいや。取り敢えずもう1回捕虜になって貰うから」

「……アヤムは僕らを裏切ったのか?」

「んー?」

 ネロはロープを取り出した。ルウェンも抵抗しない。

「本人に訊いてみなよ」

「ああ答えてやる」

「!」

 背後から。

 アヤムの声がした。

「おじさん……!?」

 彼は大勢のレゾニア人を引き連れて、入口に現れた。振り向いたネロは理解ができない。何が起こったのか。

「た、隊長!」

「どうした」

 ニンゲンの兵士も、レゾニア人に続いて現れる。だが皆が両手を拘束されている。

「じゅ、銃が、急に使えなくなり……!」

「え……?」

 ネロはルウェンに跨がったまま、自分の銃剣を構えた。アヤムへ向けて、引き金を引く。

「……セキュリティロックが……」

 だが弾は発射されなかった。彼らの使う銃は個人の指紋や声紋とリンクしており、万一敵に奪われても使えないようになっている。間違いなく、その銃はネロ専用の筈だ。

 恐らく全ての銃が使えなくなっている。

「……少し手間取ったが、作戦変更だ。まずお前達を無力化する」

「はあ?」

 アヤムの言葉に、ネロは眉を歪ませた。弾は出ずとも、剣がある。次にその刃をルウェンの首元に突き付ける。

「……船の中枢を乗っ取ったんだ」

「察しが良いなネロちゃん。だがこれはレゾニア人を『生かして捕らえた』お前の失態だ。彼らは機械と心を通わせられる」

「良いよ何でも。元に戻さないとこの人を殺すから」

「…………」

 人質である。今ルウェンの命はネロが握っている。こちらは10人以上居るが、下手に手出しはできない。ただのレゾニア人ではネロに勝てないからだ。

「……いや、終わりだ」

「!?」

 その全員が。アヤムも含めた全員が。

 両手を挙げて降伏を示した。

「…………はあ!? 何を……」

 ネロはますます、意味が分からなくなった。現状圧倒的に有利な彼らが、降伏をするなど。

「武器を下ろせ。ネロ・ニーヴェア隊長」

「!!」

 その背後から聞こえた声は。

 この『船』の中心部にある居住区。その一番奥に鎮座する者。

 1億人のニンゲンの頂点。

「……総督……!」

 この船とニンゲンを100万年の間導いてきた、『カーヌスの航海士』の末裔。

「戦争は終わりだ。たった今」

「どうして!」

 髭を蓄えた老齢の男性。この中で最も高貴な服を身に纏っている。その彼が、終戦を告げたのだ。

 ネロは反抗する。ルウェンに突き付けた銃剣を握る手に力が入る。

「戦う理由が無くなったのだ」

「……!? 意味分かんないですよ!」

 拘束されたニンゲンの兵士。降伏を示すレゾニア人。そして自由の身であるアヤムと、総督。

「……敗けを認めたんですか?」

 ネロが訊ねた。

「言ってましたよね!? レゾニア人を絶滅させないと、民が外に出られないって! 1億全員を食べさせることができないって! このレゾニアを開拓しないと——」

「違います」

「!?」

 捲し立てるネロ。戦いを止めてしまってはいけない。彼女の顔に焦りが出る。

 だがまた、別の声が彼女を否定した。

「もう、戦わなくて良いのです」

「誰よ!?」

 総督と逆の方向。外からやってきた。彼女は、またしても大勢の『降伏を示す』レゾニア人を連れて。

「私は『アンビエンテの深愛』と言います。初めまして」

「……巫女様」

「!」

 ルウェンが呟いた。

 アンビは敵地とは思えないほど優雅に、だがしっかりと一歩ずつ踏みしめてやってきた。

「…………」

 そしてアヤムへ目配せし、にこりと笑った。

「私とアヤムは繋がっていますので。『繭』の中枢へ干渉した際に、そこの総督様とお話をさせていただきました」

「…………で、今度は総督を狂わせたの」

「違いますとも」

 ネロはアンビを睨み付け、次に総督を見た。

「レゾニア人——もとい『レゾナンス・ファミリア』アウルムの猟師達は。我々ニンゲンの邪魔を『一切しない』ことを条件に、『戦いの終わり』を持ち掛けてきた」

「はっ!? 一切って……そんなのあり得ない!」

「何故そう思う」

「だって! 敵だよ!? 私達はこの人達を沢山殺してる! 200年ずっと! それを、『許す』ってことでしょ!? そんなのあり得ないじゃん! 何か裏があるよ!」

「ありません」

「!」

 声を荒げるネロと対称的に、アンビの声はとても落ち着いていた。

「ですから、『許す』と言っているのです。この200年の一切を。私達への侵害と侵略と殺傷を。和平が締結されればもう恨みません。報復もありません。開拓の邪魔も。レゾニアと『大いなる山』を開け渡すことだけはできませんが……この地での作物の育て方の指導もできます。共に、生きることは」

「だからあり得ないって! あなた! 巫女なんでしょ!?」

「はい」

 ネロはアンビを指差した。

「私はあなたのお兄さんを殺した! ほら!」

 そして、自らの心臓機を見せる。

「はい」

「私が許せないでしょう!?」

「許します」

「っ!!」

 だがアンビの答えに、続く言葉が出てこなかった。

「私達は200年間、抵抗をしていましたが……。あなた方に被害はありましたか?」

「!!」

 そんなことは。軍人ならば誰でも知っている。皆が口を揃えて、『ニンゲンが強いから』だと言っている。

 この200年間で、戦死したニンゲンは10人も居ない。

「…………ぅ!」

 周りを見る。先程、暴走したルウェンがニンゲンを襲っただろう。彼らは。

 ……まだ息がある。

「殺したくは無いよ」

「!」

 今度はルウェンが、ネロの下で呟いた。

「だって君達は、僕らの『友人』の、子供達じゃないか」

「ぅ……!!」

 ルウェンが、特別強いのではない。全てのニンゲンは、銃を持ってもひとりのレゾニア人に敵わない。

 もうすぐ死ぬネロとは比べ物にならないエネルギーを発揮するのだから。

「ネロ隊長」

 総督が口を開く。レゾニア人の言葉は全て真実だ。疑う余地は無い。和平を結べばすぐにでも、『友人』として接してくれるだろう。

 今まで、交渉の場が一度も無かったのだ。お互いの事など知ろうともしなかった。

「君のその銃剣で『最後』だ。君がそれを置けば、戦いは終わる。和平は成立する」

「!!」

 未だ、その切っ先はルウェンの首を狙っている。

「……殺しても、許せるの?」

 ネロは、諦められなかった。

「はい。ですが、殺さないでいただけると嬉しいです。彼も私の友人ですので」

「……!」

「ネロちゃん」

 アヤムが一歩、前へ出た。

「約束だよ」

 アウルムの漁師達は、100万年間約束を大事に待っていた。破ったのは、ニンゲンの方だ。

 彼らは約束を違えない。

「……でも……!」

 だが、ネロは諦められなかった。約束ではない。和平ではない。戦争も最早手段でしかない。

 今、和平をされては。レゾニア人を研究できなくなると。

「大丈夫だ」

「えっ」

 その『感情』は、他でもないルウェンに届いていた。

「僕なら君を助けられる」

「……!? 何を」

「流石に、他のファミリアだと君に少なからず恨みを持っているだろうけど。僕なら、君が『セイジの子』だと知っているから」

 ルウェンは組み伏せられた体勢のまま、自らの心臓機を、胸から取り外した。

「あげるよ半分。アヤムと巫女様のように。僕らも繋がれば、君の命は助かる」

「そんなの! 自分が助かる為のその場限りの!」

「それは『美しくない』。僕らは、言ったことを曲げない」

「! ……でも、私は!」

「ネロ。小さい身体で独り、全人類の責任を背負っていた。君は本当は『美しい』んだ」

「!!」

「僕が君を助ける」

 それが最後の後押しだった。

 カチャリと、ネロの手から銃剣が滑り落ちた。

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