その6
知らない人が『家に来る』ことを。彼らは『友人が来た』としている。
その『知らない人』が友好的かどうかを判断するには材料が足りない。
今ある材料で判断せざるを得ないとしても。
それでも、彼らは喜んで門を開けるのだ。
——
大いなる山。鉱山である。レゾニアの地に『目印』として存在し、これを目指してニンゲンはやってきた。標高は約30万メートルとされる。正確な測量はこれから行われるだろう。
つまりは、超巨大山である。惑星ではない『無限の平地』であるレゾニアだからこそ実現した山と言って良い。
「……裾野の直径も計り知れないな。『船』がいくつも入りそうなほど広く大きい」
「そもそも『無限の大地』って何? レゾニアって何なの?」
戦争は終わった。ニンゲンの拠点である『悪意の繭』は200年振りに浮上し、何も無い大地へ着陸した。これによりレゾナンス・ファミリア達が山へ入れるようになった。
彼らの生活の復興を。総督は和平協定を結ぶに当たり、それを強く主張した。精一杯の謝罪と、その謝意を裏付ける行動を。決して許されない罪を、今度は彼が一身に背負うつもりだった。
対するはファミリア代表となった、アンビ。彼女は話し合いの間、終始にこにこと笑っていた。単純に嬉しいのだ。友人とまた、同じ卓に着いて話せることが。
こんなに、まるで妖精のように純粋な彼らを侵害してしまったと、深く深く反省をした。
「悲しいですが、失った命は戻りません。ですから、これからを考えます。私達とあなた方。敵対か友好かどちらが良いか。……答えは決まっていますとも」
そんなことは、ニンゲンにはできない。仲間を殺され続けた相手を無償で許すなど。例え今以上の被害を抑える為だったとしても、普通は感情が許さない。補償を求めるのが普通だ。命は重い。だが、『失われた命』と『今ある命』とを、彼らはきちんと分別しているのだ。
これでは、和平を結ばざるを得ない。ニンゲンには被害が、殆ど無いのだから。
「……ごめんなさい」
山道を歩くのは4人。両者友好の体現者として選ばれた4人だ。つまり、アヤムとアンビ。そしてルウェンとネロ。
ファミリアの『心臓機』により生命活動を直結した『カップル』である。
「…………」
だがネロだけが、浮かない顔をしていた。
「何故謝るんだ?」
隣で歩くルウェンが訊ねる。
「……だって私は……」
ネロは軍隊の隊長だった。隊の責任者だ。つまりこれまでのニンゲンの責任は、彼女にある。どれだけのレゾニア人を殺して来たのか。
許される筈が無い。あまつさえ、命を分け与えて貰っている。
彼女は自分を許せない。
「君は、誰も殺してないじゃないか」
「!?」
そんな自責の念は、心臓機を伝ってルウェンにも届いている。
「兵の責任は将にある。確か君達の考え方だろう? なら、兵時代の君には責任が無い。それに、君が将になってからは僕らは殺されず、『生け捕り』だったじゃないか」
「でもそれは……! ……詭弁だよ」
反論しようとするも、途中で途切れる。ルウェンが適当に、その場の思い付きで言っている訳ではないということも、ネロへ伝わっているからだ。
「人体実験の為だったし。……それに司祭を殺したのは、事実だし」
「…………」
ネロの胸から、司祭の心臓機は取り外された。役目を終えたように光を失ったそれは、前を歩くアンビが今、大事そうに両手で持っている。
そのアンビが、くるりと振り向いた。
「ネロは、ルウェンゾリの月と繋がりました。それだけで、お兄様はお許しになるでしょう」
「……なんで?」
「『約束』を果たすことになるからですよ」
「……? どういうこと?」
「説明しましょう。アヤムも聞いてください」
この山を、今4人で登っている理由。それは『報告』と『慰霊』と。つまり『墓参り』『参拝』を意味している。
3人がアンビの言葉に耳を傾ける。
「この『大いなる山』は、レゾナンスそのものです。つまり私達全員の『母』。彼女は山となって尚、『アウルムの猟師』を産み出している」
「『完全な命』なのか? これが」
アヤムが地面を見る。
「いえ。死んではいませんが、生きているとも言えません。私達を機械とするならば、古呆けて神錆びた工場と言った所でしょうか。大体100年にひとり、私達の同族を産み出します。活動を停止した『心臓機』を山へ還すと、それと山の動植物を使って製造するのです」
「……じゃあ司祭は」
「いえ。彼自身が生き返る訳ではありません。この心臓機からまた、新たな生命が産まれるのです。……私達はもう200年、この『儀式』を行えていない」
「…………君達レゾニア人が100万年で絶滅しなかったのは、そうやって命を繰り返していたからなのか」
「その通りです。8種族時代の当事者はもう私と兄だけでした。ルウェンゾリの月も、あなた方が旅立った後に産まれた若い世代です」
「……だから『巫女』だった訳か」
「そうです。……貴方の妻としては、こんな古い身体で申し訳なく思っていますが」
「…………いや……」
アンビを見る。淑かで綺麗だ。落ち着いた佇まいと品のある所作。丁寧な言葉遣い。今まで深く意識していなかったが、とても魅力的だと、アヤムは思った。
「子供は?」
「!」
レゾニア人……『アウルムの猟師』達が100万年の間、姿を変えずに居られたのは『レゾナンス』があったからだ。
ならば『ニンゲン』は、どうやって100万年を越えてきたのか。
「あなた達にだって、性別がある。生物なら、繁殖はできないの?」
ネロが当然の質問を投げる。
ニンゲンはそうやって、命のバトンを繋いできた。永遠に生きる完全な命では無いからだ。
「……それは、貴女が一番分かっているのでは?」
「…………まさか」
どのような生物なのか。調べなかった訳は無い。機械とは別に、『生き物』の部分を。自分達の生物学に照らし合わせて、研究を行った。いわんやネロの指示によって。
結果は。
「私達は。生物として『不完全』ですから。あなた方は奇跡的にそれを獲得し、だから名称を『ニンゲン』と改めたのでしょう。空へ旅立った7種族は混沌の闇の中で混ざり、交ざり合い、ひとつの種族として統合された。生物として正しい機能を獲得して」
「…………え?」
ネロの額から冷や汗が垂れた。
アヤムの口はひきつった。
「え? じゃあ……結婚は? 冗談だったのか?」
「アヤム」
「なあアンビ?」
「アヤム。大丈夫です。落ち着いてください」
狼狽えるアヤム。
アンビは立ち止まり、じっと彼を見詰めた。その大きな、空色の瞳で。
彼が落ち着くのを待った。
「…………アンビ」
彼の焦りは直に伝わってくる。だから彼へは、慈しみを伝える。それによりアヤムは、気を乱さずに落ち着くことができた。
「だから今日、レゾナンスへ『お願い』に来たのです。お兄様も喜ばれるでしょう」
工場。
材料は、心臓機と有機物。
「『改造』するの!?」
ネロが、アヤムより先に答えに辿り着いた。
「その通りです。ほら」
同時に。
4人は開けた平地に辿り着いた。奥に鉄筋の建物のようなものが見える。植物に半ば取り込まれたような古い建物だ。
「アヤムとネロは、少しだけ待っていてください」
「俺達も中に——」
「いいえ」
建物の入口で、アンビが制止した。
振り向き、優しく口を開く。
「ここには、あなた方は入れません。ここには『レゾナンス・ファミリア』しか、入れないのです」
「俺達は違うのか?」
その疑問にも、微笑みながら答える。
「悲観することはありません。明日からは誰も、入ることができなくなるのですから」
「えっ」
「ネロ」
ルウェンも一歩前に出る。そして心配そうにするネロへ語り掛ける。
「心配なら祈っていて欲しい。……アヤムも。母に。司祭様に。先祖に。僕らに。これで良いんだ」
「……分かった」
——
「……おじさん」
「なんだ?」
残されたふたりは、手頃な岩や倒れた樹を見付けて腰を下ろした。中で何が行われているかは知る術が無い。
「私は彼らに許されたらしいけど。おじさんは私を許せる?」
「ああ」
「どうして? あんなにひどいことして、ひどいこと言ったのに」
「今、反省してるだろ?」
「……うん」
「なら、俺が許さない意味が無いな。人は間違うものだ。俺も同じような後悔をした。だが謝って、許してもらった。俺も同じだよ。軍人だったんだから。一緒に償って行こう」
「……どうして」
「君はセイジの娘だ。俺にとっちゃ、姪っこみたいなものだよ」
「…………」
「それでもまだ、自分を許せないか」
「……うん」
戦争が終わって、まだ日が浅い。急に戦わなくて良くなったのだ。兵士は皆仕事が無くなってしまった。彼らに対する責任感も、ネロは抱いている。
「なら、僕と一緒に探そう。納得する答えを」
「!」
ルウェンの声がした。振り向くと、彼が居た。終わったようだ。特に見た目が変わったように見えないが。
「……ルウェンはどうして私に優しいの?」
ネロには疑問だった。一番憎まれる存在の筈だと。
「言ったろ。君は美しい。気高いんだ。それ以上、理屈は無いよ」
「…………!」
ぽん、と。
彼の手がネロの頭に乗っかった。武骨な爪の生える、毛でふさふさの掌。つるつるした感触は、どうやら肉球であるらしい。
「……ルウェンて、何歳?」
「2千と、2百と、16歳」
「…………ふうん」
ネロはそれ以上何も言わなかった。ただ、涙が浮かんだことがバレないように俯いて、大人しくルウェンに撫でられていた。
——
「アヤム」
「…………うん」
立ち上がり、彼女の元まで歩み寄る。その手にはもう、兄の心臓機は無かった。
「これで『約束』が果たせます」
「……そうだ。それ聞いてなかったな。どういうことだ?」
「アヤムは、『完全な命』を何だと思いますか?」
「そりゃ、不老不死だろ? 結局見付からなかったんだが」
「違います」
「えっ」
アンビは微笑みを崩さず、アヤムの手を取った。
「世代交代という『答え』を、既にあなた方は見付けています。……私は貴方の子を産みます。その子がまた、誰かと恋に落ちて孫を。その孫がまた……」
終わらないということは、苦痛だとネロは言った。確かにそれが『個人』ならば苦痛だ。だが。
その苦痛から解放され、また終わらないということを両立させた方法を。レゾナンス・ファミリアでは叶わなかった答えを持ってきたのだ。
約束通り。
「物は、いずれ滅びる。老朽化の進む『レゾナンス』が、いつまでも保つ確証はありません。ですがもう、必要ありません。私達はあなた方と交わることで、『完全な命』の輪に入れるのです。これで安心して、滅んでいける」
「アンビ…………」
その空色は、大粒の涙を溜めていた。100万年の悲願が達成されるのだ。
「——そういうことだよ。君は、僕の子を産んでくれるかい」
「…………!! そっ! そんなこと、普通に言わないで」
「……ごめん。僕もニンゲンの感覚に慣れないとなあ」
「…………!」
ネロは答えられなかった。だが伝わった。
「…………」
ルウェンも少し嬉しくなった。
——
「じゃあ、セマニの書記官とニーヴェアの観測官は? 何故そのふたつが必要だったんだ」
「……そのふたりは私達の、当時の族長と漁師長との、恋人だったのです。ですから、悲願だったのですよ」
「……そうなのか」
「ええ。だからとても嬉しい」
「…………」
その瞳には、当時の情景が浮かんでいるのだろう。
100万年の時を越えて。恋人の約束は果たされた。
「ですが」
「えっ」
アンビは手を離し、涙を拭いた。余りにも真っ直ぐ見詰められ、居心地が悪くなったのだ。
「私個人がアヤムに対し恋情を抱くかどうかは別の話です」
「ええっ」
きっぱりと、そう言った。
「ええ勿論、一生共に居ますとも。子も産みますとも。それは変わりません。ですが、それとこれとは別の話ですね。私はまだアヤム個人について何も知らないのですから」
「……アンビ。待ってくれよ」
やるべきことは終わったとばかりに、すたすたと山を降りていくアンビを、困ったように追いかけるアヤム。
「ぷっ」
それを見てルウェンが吹き出してしまった。
「あっちもあっちで大変そうだな」
「ねえルウェン」
「なんだい」
「私はルウェンが好きだよ」
「……ありがとう」
彼らの物語は、これからなのだ。
——
——
「『レゾナンス』には、完全とは別にもうひとつ意味があります」
「なんだ?」
「『共に生きる』という意味が。……『共命』です。レゾナンス・ファミリアは、全種族が共に生きる家族だったのです」
「…………『共命』。命を共にする」
「私達のことですよ」
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