その4

「結婚したい……って、言ってたよね。おじさん」

 声がする。ひどく安心する声だ。姉代わりだった女性の、娘の声。姪みたいなものだ。もう、この子の母も父も死んでしまったが。

「私じゃ駄目? ほら」

「…………!!」

 宇宙船の内部。白い天井と壁に囲まれた手術室のような部屋。

 ベッドに磔にされたアヤムは、強く強く睨み付ける。その声の主を。自分の前で全ての衣服を脱ぎ捨てた少女を。

「私も『一緒』だよ?」

「……この人でなし」

 笑っている。屈託の無い笑み。少女の名はネロ・ニーヴェア。

 ニンゲンの軍隊を指揮する隊長であり。

 レゾニア初期開拓の英雄セイジの娘であり。

 その胸には、例の『心臓機』が埋め込まれている。

「これね? 『司祭』ってヤツの機械。調べてみたんだけどね。やっぱり無理があったんだよ。有機生命体を機械で延命なんて。だけど凄く効率的にはできる。この機械自体の素材や製法はまだ不明のまま。だから、沢山サンプルが必要なんだよ」

 自らの胸の中心にある心臓機をつつく。ちかちかと、緩やかに明滅している。完全に彼女の肉体と結合しているらしく、その継ぎ目は見るに堪えないほどグロテスクだ。

「……この50年で、狂ってしまったのか。ネロちゃん」

「いやいやいや。普通だってば。永遠の命を求めるなんてさ。元々『それ』を求めて、私達は旅をしてきたんだから」

「! ……『約束』のこと、知っていたのか」

「そりゃあねえ。代々受け継がれるものだもの。私もママからきちんと教えられているよ。……あ。でもこれ秘密だった。おじさんはどうして知っているの? ニセモノの『セマニ』なのに」

「……ニセモノ、だと?」

「あー。やっぱり騙されてるよおじさん。悪い『レゾニア人』に。何をどうやっても、約束は果たせないんだって」

「なんだと? どういうことだよ」

 もう気が済んだのか、ネロは脱ぎ捨てた衣服を着直す。軍服ではなく、白衣だった。彼女は兵士でありながら研究者でもあり、医者でもあるのだ。

「セマニの書記官の一族は確かに、確実に絶滅した。それは私の一族が確認してる。間違いないから」

「……じゃあ俺は……」

「まー、ただの孤児だね。今となっちゃ調べようも無いけど。別に何の、特別な存在じゃ無い。……今は特別だよ? その身体」

 ネロは続いて、アヤムの服を捲り上げる。アヤムは縛られており、抵抗ができない。

「『巫女』から貰った『不老』の器官。機関? 巫女ってのは何か特別なのかな? じゃあ私の『司祭』も特別? ねえ」

 アヤムの胸にも、機械が取り付けられている。だが小さい。ネロと比べて実に半分の大きさだ。つまり。

 アンビと半分に分けたのだ。彼女は本当の意味で、命の半分をアヤムへ与えたのだ。

 いつかきっと成就する『約束』を信じて。

 アヤムを信じて。

「……全部、話したろ。俺は彼女から『分け与えられた』。君は『無理矢理殺して奪った』んだ。それじゃ美しくない。君に不老不死は訪れない」

「何が違うのかな。私も半分にしてみようかな」

「それじゃ君が死ぬだけだ」

「えー。どうしよっか」

 アヤムは考える。

 彼女は。ネロは本物だ。本当の『ニーヴェアの観測官』の子孫だ。約束を知っていることから、それは間違い無いだろう。一族で秘密にされてきたことなら、セイジが教えてくれなかったことにも納得できる。

 だが、だからこそ、『セマニの書記官』の絶滅を知るからこそ、『約束』が不可能だと思い込んでいる。だから、『こう』なってしまったのだ。

 100万年の伝説の中心に居るのに。今正に、『揺り籠』の地に辿り着いた『レゾナンス・ファミリア』の子孫。その最後の生き残りなのに。

 本人が『成就』を最早諦め、望んでいない。

 これでは『ファミリア』達が不憫で仕方無い。

 アンビ達が不憫で。

「……『司祭』と『巫女』は兄妹だった。君は俺の妻の、兄の仇だ」

「えっ。あっ? そういう感じ? レゾニア人って、ニンゲンと子供作れるの?」

「………………」

 奇しくも同じ疑問が最初に出たことに、少し気を落とすアヤム。

「あのね、アヤムおじさん」

「!」

 そこへネロが近付いてきた。声を落とし、諭すような口調に変わる。

「私じゃなくて。おじさんこそが狂ってしまったのよ。レゾニア人に捕まって。多分そこで何か、脳を弄られたのかな? 半分レゾニア人に成り果ててしまって。……情が移ってしまった。駄目だよおじさん」

「違う。彼らもニンゲンと同じで、感情や意思、命がある。戦争は止めるべきだ。今からでも遅くない。彼らと友好的に接して、お互いの発展の為に行動すべきだ」

「そーんな当たり前のこと、今更だってば」

「なら何故……!」

 人を小馬鹿にしたようなネロの態度に、徐々に苛立ってきたアヤム。

「この100万年。『繭』の中でニンゲン同士でだって絶えなかった『戦争』だよ。異種間なら、友好なのが寧ろ可笑しい。私はやるよ。絶滅まで」

「何でだよ!? お前は本当に、何を考えているんだ!」

「『約束』守れなかったじゃん」

「!」

 さらに、声を落とす。冷たい感情が、ネロの声を覆う。

 その変化に、アヤムも口を止めた。

「責任は取んなきゃね。だから、全部終わらす。不老不死なんて許さないから。いや、正確には違うんだろうけど。なんだって100万年前の『当事者』達が、生きて居ちゃってたんだろうね。そんなの、ずるいじゃん……」

 責任。

 その言葉が、アヤムの脳に響いた。

「……レゾニア人を滅ぼしたら」

「勿論、次はニンゲンだよ。全員殺す」

「!」

「あはは。おじさん固まってる。大丈夫、おじさんは最後だよきっと。私のひとつ前ね。……結局不老不死なんだから」

「…………何で……」

「んー? そりゃ、よく考えなよ。『永遠に死なない』んだよ?」

 この娘は。

 ネロは。

 ニーヴェア最後の生き残りは。

「そんなの、苦痛でしか無いじゃん。永遠だよ? 100万年を100万回繰り返しても足りない。それを1億倍しても、1京倍してもまだまだ。無量大数の0.001%にもなってない。そんな無量大数をどれだけ繰り返しても終わらない。『本当の意味で』果てしない時間を過ごさなきゃいけないなんて。終わりが無いんだよ? そんなの、地獄に落ちるより酷い罰だよ」

 狂っては居ない。

「ニンゲンはすぐ死ねるから後回し。レゾニア人は『休眠モード』があるからね。本当にどれだけでも生きられる可能性がある。早く殺してあげないと」

「…………!」

 ひとりで。責任を感じているのだ。忘れてしまった者には罪は無いと。ずっと秘密にして。一族だけの罪として、100万年溜めてきて。

 自分の代で、『番』が回ってきたと。

 その重さで少しだけ心が傷んでしまったけれど。

「まあだからね? 約束は果たさせないよ。やっと、この時が来たんだもの」

「……じゃあ、セマニを絶滅させたのも」

「鋭いね。ニーヴェアだよ。一族郎党全て皆殺し。大事を取って周辺の人物も殺したんだもの。まあその罪でニーヴェアも没落したんだけど。何とか復活して、私で16代目ってこと。おじさんがセマニの可能性はゼロだよ」

 どれだけ途方もない考えで。ここまで旅をしてきたのだろう。

 しっかりと。思いは受け継がれているらしい。

「……待ってくれ」

「んー?」

 だが。

 それは『現段階』でのニーヴェアの答えであり。

 全人類の総意ではない。

「どうせ全て殺すなら。最後に一度、俺の妻に会ってくれ。『巫女』の彼女はまだ何か、考えを持ってる様子だった。俺達が『完全』を見付けてないことを知っても、問題ないと言っていた」

「ふふん。何それ。どうだって良いよ。ていうか妻って……おじさん趣味悪いって」

「…………!」

 無理か。アヤムは項垂れた。この少女には、何を言っても無駄かもしれない。

「相手は100万年前から変わってない人外の化石種族。こっちは個の寿命と引き換えに進化し続けてきたニンゲン様なんだから。多分子供できないと思うんだけど」

「……『殺す』君に、『命』をとやかく言われたくないな」

「あはは。おおー。大人の台詞だね。——さて」

 ネロは会話を打ち切り、その部屋を後にしようとする。

「私も暇じゃないからね。お喋りはこの辺で。おじさんは私の不老不死化の為に研究させてもらうから、しばらくは拘束されててね。それじゃまた」

「……君がこんな子とは思わなかった」

「…………あはは」

 それを背中で聞いて、笑いながらネロは出ていった。


——


——


「観測官は、宙を見続ける。書記官はそれを記録していく。そうやって、世界を知り、世界を拡げ、世界と繋がっていく」

 世界の全てを知れば、望む答えも知ることになる。世界は広い。宇宙は広い。とても100万年ごときでは、全てを見切れはしない。

「どっかで挫折したんだろうね。いつしか、『還る』ことだけが目的となった。可哀想な種族」

 『繭』では緊急事態が発生していた。レゾニア人の侵入者が現れたのだ。目標はたったひとりである。だが、恐ろしく強いらしい。遂には隊長であるネロの所まで、応援要請が届いた。

「おじさんを『拾った』のは誰なんだろう。そいつが一番、『悪い』気がするのは私のただの勘なのかな」

 入口は既に破壊されていた。仲間も何人か倒れている。ここまで強いレゾニア人は今まで居ただろうか。

 100万年間争いの無かった種族だ。つまり。

「うううう!! あああっ!!」

 これが本来の強さなのかもしれない。『駆動機械を採用した肉食動物』の身体能力。

「ライオンにガソリンエンジン付けたみたいだね。金髪も相まって、『金獅子』って所かな」

「うううううう!」

 唸りが聞こえる。そのレゾニア人は、ネロが登場したと同時に彼女へ神経の全てを注ぎ込んだ。分かるのだ。彼女が最も強いと。

「中々イケメンだね。それ以外が化物だけど」

 だらだらと獣のように涎を垂らす。歯を食い縛り、全身の毛を逆立たせている。

 最早言葉も通じなくなった、暴走者。心と共鳴するという心臓機が壊れたのだろう。恐らくは、過度なストレスによって。

「たっ! 隊長! あいつはヤバイです!」

 兵士がすがってくる。ネロは薄い笑いの表情のまま、背中に用意した銃剣を抜いた。

「下がってろ。ここは私ひとりで食い止める。お前達は怪我人を優先して退却だ。後処理に数人控えていれば良い」

「りょ! 了解!」

 彼の心臓機を見る。赤く点滅している。その光は強い怒りを表していると勘が告げた。

 今まで見たことが無い。つまり、初めて彼らは本気で怒っているのだ。

「殺すより、『実験』の方が『悪』だと言いたいんだよね」

 だが、ネロは退かない。銃剣を構えて、戦闘態勢に入った。

「——確かに、あなた達は美しい」

「うううううっ!! ああっ!」

 両者がぶつかる。

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