第16話 覚悟
「俺、会社辞めよっかな」
「は?え? ナナさん?」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔で見ている。
「なんだよ。その顔」
「だって、驚き過ぎて。会社で嫌な事でもあるの?」
「全然」
「なら、なんで? ナナさんの事だからきっと考えがあるんだよね?」
「ん。実はさ、大学在学中に社労士試験に合格してるんだ。会社に入ってからは、経理畑だったのもあったし、税理士資格も取らされた。それを生かして開業するのもアリかなぁ…… と」
「スゴイ! 優秀なんだ! ナナさんがそうしたいならアリだと思う!」
「いやいや。優秀なんかじゃないよ。試験なんかさ、クジじゃ無いんだから、合格ラインに届く様に勉強すれば誰でも受かるんだよ」
「へぇ。そんな風に考えた事無かったな。試験は苦手だった思い出しかないよ。 でもさ、どうして今なの? もしかして、樹さんとの事も関係ある?」
「あー。あの人の事は計算に入ってないな。なんていうか、ウチの会社は、転勤あるだろ? 転勤先も国内とは限らない。今までは、それも楽しみだと思ってたんだ。でも、これからは頻繁に家移りするのが億劫だなと思って。それに、一番の理由は、ここに居る大切な人と家族になりたい…… から? 」
「ナナさん‼︎ 」
駆け寄ってきて、広い胸に抱き締められた。
こうやって、盛大に甘やかな日々を過ごしている俺にとって、1人の生活に戻るのはうすら怖くもある。
結局、アキから離れられないのは、俺なのだ。
「樹とも、話を付けないとな。仕事の絡みがある以上、完全に切れるというのは無理かもしれないけど、心配しないでくれ」
「わかった。 でも、連絡取りたかったら取ってもいいよ」
「また、思ってもない事を。 確かに、連絡は取るかもしれない。でもそれはビジネスの話だ。契約や支払いの絡みで、会社の人間として接触するから。 プライベートでは、必要ない!」
「束縛したくないんだ。 だけど、1つ聴いていい? …… まだ、好きな気持ち、ある?」
「今の好きは友情かな? いや、違う。昔お世話になった人みたいな…… うん、親愛だな」
「そっか」
「会ってみて、分かるだろ? あの俺様と上手く行くはず無い。一緒に居て楽しいのは、友達だったり恋人だったりする時だけだよ。人生のパートナーや家族には成れない」
「そう?」
「前は、将来の事なんか考えてなかったし、俺とは全く違う人間だから惹かれたんだ。それに、考えてもみろ。アイツにも家族が居るんだ。小さい子供も居るのに、悪影響しかないだろ。どんな形であれ温かい家族に暗い影落としたくないよ。樹とどうこうなったら、ずっとその事に苛まれながら生きて行かなきゃならなくなるのは目に見えてる」
「…… でも、僕なら、他の誰かを不幸にしても、ナナさんを奪いに行くかも」
「ん。 だとしたら、尚更、俺は樹に対して、そこまでの想いは無いよ」
僕は少し迷ったが、話しておこうと思った。
こんな時だからこそ、話しておくべきだと思った。
「ナナさん、今日は映画は止めて、お互いの事ゆっくり話さない? 僕も話したい事があるんだ」
「ん。 良いね」
「僕の話、あんまり気持ちのいい話じゃ無いんだ…… 少し長くなるけど、聴いてくれる? 」
「もちろん」
「この腹のキズの話」
服をめくって、チラッと見せた。
「了解」
「僕さ、自分で言うのもなんだけど、そこそこモテたんだ。大学の頃、学生結婚みたいな事してた。正式に入籍する前に別れる事になったけど…… 」
それから、如何に恋愛に対していい加減だったか、それが彼女を不安にさせ、腹を刺される事になった事。余計な感情を挟まない様に注意しながら、事実を淡々と語った。
「生きる事にも無頓着だったみたい。意識が遠のく時、全然怖いとか無くて、逆に、あの子の側に行けるかなぁーって少し嬉しいって云うか、小さいのに1人で逝かせちゃったから、心配だったって云うか、なんか不思議な気持ちだった」
話終えて、顔を上げると、ナナさんは、両目からポロポロと涙を零し、嗚咽を堪え、静かに静かに泣いていた。
「なんか切ないな。 その子、天国で友達が出来てるといいなぁ。いや、きっと出来てるな。アキがそんなに愛情注いだんだ。 優しい子に違いないよ。 そしてさ、アキの意識が戻らなかった間、その子と一緒に居たんだと思う。 そして、天国にも慣れて、もう大丈夫だよって、この世に返してくれたんだ」
僕も涙が溢れた。
「そんな風に言ってくれるのナナさんだけだ。 やっぱりナナさんは見た目も、中身も綺麗だ。ありがとう。なんだか、心が浄化された気がする」
「こんなに優しい、いい男が1人で居たなんて、奇跡的だと思ってたけど、アキにも色々有ったんだな」
「それはコッチのセリフ。絶対、東京に彼女居ると思った。そうじゃないと知ってからも、僕のモーションに全然気が付かないし。難攻不落の高嶺の花だったよ」
「そうか? それはゴメン」
「って、僕たち、世で言うバカップルじゃない? 」
「だな」
2人で一頻り、笑いあった。
「俺、改めて、2人で生きていくって言う覚悟が出来た」
「うん。おじいちゃんになっても2人で居ようね」
「そうだな。 今度、ご両親に挨拶に行こうか?」
「えー。いいよ。ウチって基本的に放任主義だもん。母さんは、薄々気付いてるだろうけど、父さんは、真面目を絵に描いたような人だから… 結構難しいかも。妹はもう話してて、この状況知ってる」
「へぇ。妹が居るんだ。美人だろうな」
「どうだろ。 僕と似てるって言われる。自由奔放で、ワガママは、女の特権って思ってる」
「でも、可愛くて無下には出来ないんだろ?」
「まぁね」
「そういえば、夏にコッチに遊びに来るって言ってたよ。東京の農業大学で乳酸菌の研究してるんだけど、コッチに、有名な教授が居るらしいよ。全然知らないけど」
「面白そうだな。俺も専門分野に特化したところに行けば良かった。純粋に楽しんで学べそうだ。俺は法学部だったからな」
「ナナさんらしいよ。僕は情報科学を専攻してた。本当は、SEになる予定だったんだ」
「もしかして、店のホームページ自分で作ってるのか?」
「モチロン」
「技術も有って、センスも良いんだな」
「そう言って貰えると嬉しい! 実は、料理やカクテル作りも僕にとっては科学の実験みたいなものなんだ。切り方で、食感が変わったり、斬れ味の良さで、断面が変わって、それも味や食感に影響する。だから、器材や、直接口に触れるグラスなんかは、ついつい拘っちゃうんだよね。本当に面白いよ」
「知らなかった。包丁って大事なんだなぁ。店でも、果物切った後とか、頻繁に砥いでるもんな」
「そ。だから斬れ味抜群だった」
自分の腹を指差して笑った。
「その冗談は笑えない」
俺は、渋顔で睨みつけた。
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