第14話 アキの傷

 夕方、1人の男がカウンターに座った。

「生ビール」

 存在感のある男だ。

 生ビールとつまみのナッツを出す。

「マスター。この辺に、〔七尾 春日ななお はるひ〕って人、住んでない? 若しくは、客で来ないかな?」

「どうしてですか?」

「この春に突然居なくなっちゃって、探してるんだ」

「そうなんですね」


 直感的にコイツだ、と思った。

 この男が、ナナさんを傷つけたヤツだ。


「で? マスターは知ってる? 」

「はい。でも本人の了解無しに、プライベートを勝手にお伝えする事は出来ません」

「あぁ。今流行りの個人情報保護ってヤツ」

「それもありますが…… それ聞いてどうするんです? 」

「そりゃ、行くよ。行って、ちゃんと話して、俺んとこ戻って来てもらう」


 聞いてたとおり、強引だな。

 他の客に聞き込みされても面倒だし…… それに、分かるまで毎日この辺ウロウロするだろう。


 それに、なんか癪に触る。

 ナナさんは、俺のだ!


「はぁ…… 。 正直気が進まないケド…… 」

「 ……! 教えてくれるのか? 」

「 ここに帰って来ますよ… 僕と一緒に住んでる」

「 …… 。へぇ…… 」


 それから、どういう風の吹き回しか、樹は自らの事を楽しそうに話し出した。

 主に、仕事の事を中心に。

 自分に自信が有るんだな、と感じた。

 酒も強そうだ。

 意思の強そうな太めの眉、整った顔立ち、背も高く、胸板も厚い。

 仕立ての良いスーツ。

 おそらく、シャツも既製品では無いだろう。

 何かスポーツでもやっているのか、スーツの上からでも分かる筋肉質な身体付き。

 自分の魅せ方と、似合うものを熟知している。

 雄々しいオーラを放っていた。

 一言で言うと、魅力的なおとこだと思った。

 コイツ、多分、僕とナナさんの関係に気づいてる。


 ナナさんが帰ってきて、2人で話し始めて暫く経つ。

 目の前で話されてる内容は、聞かずとも、勝手に耳に入ってくる。


 ナナさんが居なくなって、方々探したとか、、、やっぱり本気なんだな。

 は?? 結婚してる? マジか⁈

 なんか、込み入った事情。

 ナナさん、僕と付き合ってる事言ってくれた。

 でも、コイツの事好きだったんだよな……

 失恋が勘違いだったのら、燻ってた想いが再燃するんじゃ……

 コイツが本気で来たら、ナナさんだって平気じゃいられないかも……

 ナナさんを想う気持ちは負けるつもり無いけど、、、ナナさんは?

 もしかしたら、コイツを選ぶかもしれない……

 僕は、コイツに、負けるかも、しれない……


 それからの僕はサイアクだった。

 誰にも取られたくなくて、劣情をナナさんにぶつけた。

 何よりも大切な、ナナさんに……





 僕の過去の恋愛は、クソだ。

 正に、「来るもの拒まず、去る者追わず」だ。

 正直、女は勿論、男にもそれなりにモテた。

 この国では、この見た目は珍しいんだろうと思う。


 珍しくて、見目好いものを、自分のものにしたいのは、ブランド物やアクセサリーで装飾するのとそう変わらないんだろうなという感覚。

 恋人が出来ても、いつも何処か冷めていて、この人もきっと飽きたら去っていくだろうと、いつも終わりを考えながら付き合っていた。


 大学4年の秋。

 当時付き合ってた彼女が、子供が出来たと言ってきたんだ。

 そんなはず無い、と思った。

 夏以降、何となく疎遠になっていたし、その前だって避妊はしてた。

 半信半疑だったが、やる事はやってるし、諦めて卒業と同時に結婚する事にした。

 別に嫌いだった訳じゃない。


 ただ、一生を共にしたいと思える程、執着も無かった。

 だけど、こんな僕が執着したいと思えるような相手なんて、これからも現れないとも思ったから、彼女が望むなら、それもいいかって言う程度の事。


 結婚して子供を育てる環境を考慮して、マンションに引っ越し、一緒に暮らし始めた。

 その頃は既に、ここでバイトをしてたから、いつも帰りは遅かった。

 彼女は、悪阻が酷く、精神的にも不安定になりがちで、頻繁に実家に帰っていた。


 その日、最終の地下鉄で帰り、玄関のドアを開けると彼女が蹲っていた。

 驚いて抱き抱えると、足元が濡れ、床には血溜まりが出来ていた。


 慌てて救急車を呼び、病院へ行ったが、間に合わなかった。

 たった数センチの子供の心臓はもう動かない。

 主治医と一緒にエコーを確認した時、堪えきれず涙が出た。

 そんな僕を、彼女は驚いた顔で見つめていたのが、妙にチグハグで印象的だった。


 それから、彼女はメチャクチャだった。

 別れると言ったり、このまま結婚すると言ったり、、、不安定な彼女を落ち着かせ、よくよく話を聞いてみると、本当の父親は別に居たらしい。


 夏に合コンで出会った社会人。

 既婚者だった。

 しかも、悪阻がつらいからと実家に帰る理由を付けて、そいつと逢瀬を重ねていたらしい。


 心底呆れた。

 僕と逢える時間が少なくて寂しかったとか、僕がモテるから不安だったとか、就職して一人でやって行く自信が無かったとか、早く結婚したかったとか、何とかして僕を手に入れたかったとか、、、正直バカかと思った。

 それで、僕を手に入れて何になるのか。

 今は一緒に居たくない、と思った。

 気持ちを整理する為に、部屋を出で行こうとした。


 そこで、ペティナイフで腹を刺された。

 霞んで行く意識の中で、あの子と一緒のところに行けるかな…… と思った。

 自分の子でもないのに…

 でも、その数ヶ月、確かに父親だったんだ……


 それから意識が戻るまで暫くかかり、その間に内定を貰っていた就職はダメになった。

 退院してからも、通院とリハビリの毎日。

〔ameno〕の元マスターの日向ひむかいさんは、入院中も度々見舞いに訪れ、随分と良くしてくれた。

 体調に合わせて、短い時間から使ってくれて、ゆっくり社会復帰させてくれた。


 日向さんが実家の農業を継ぐという事情で、店を離れる事になった時、僕が店を続けるなら譲るけど、そうでないなら閉めると言った。

 有り難かった。

 僕なんかの事を、高くかってくれていた事に心から感謝した。

 この店が好きだ。

 それから、僕は〔ameno〕を恋人にして生きて来た。


 …… ナナさんに出逢うまでは。


 樹の出現で、詳らかにしていなかった事が、相手を不安にして、気持ちのすれ違いが起こってしまうという事を目の当たりにした。

 近い将来、ナナさんにも、この傷の話を伝えておこうと思った。


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