第5話 ameno

 僕、雨野 秋成あめの あきなりは、この店のオーナーになって3年の25才。


 この街の大学に来てからすっかりここが気に入って住み着いてしまった。

 初めはアルバイトで働いていたが、前のオーナーが家業を継ぐ為に店を閉める、というので卒業と同時に譲ってもらう事にした。

 学生の頃、アルバイトをして金を貯めては、長期休みに海外をあちこち旅していた。

 イタリアは最も気に入った国で、何度も足を運び、レストランやパン屋で働かせてもらった事もある。

 それを生かして、俺の代になってからカジュアルイタリアンのテイストに少し手を加えた。

 その甲斐あってか、ビルとビルの間を抜けてくる隠れ家のような立地だか、客足は上々だと思う。


 仕事はそこそこ順調だが、反面、恋愛からは少し遠のいている。

 店を軌道に乗せるのに躍起になっていて、前に付き合っていた恋人とは自然と距離が出来てしまい、別れてから2年以上恋愛をしていない。



 そんな春のある日の午後、ランチも落ち着き一息ついていたところに、1人の男が現れた。


 一瞬息をするのを忘れた。


 とても美しかったから。


 スラリと細い体躯に、黒のサラサラの髪、ミルクのような白い肌、大きな目を縁取る長い睫毛に凛とした佇まい。

 纏うオーラは少し冷たく、そして、酷く悲しい。

 高貴な黒猫のような……いや、漆黒の天使だ。

 店の中を一回り見て窓際の席に座った。

 慌てて笑顔を取り繕い「いらっしゃいませ」と席に近づいた。


 近くて見ると、更に美しく、フワッと良い香りがする。

 髪はとても細くサラサラで艶があり、白い肌はキメの細かい陶器のよう。

 引き寄せられる。

 心が持っていかれる。

 注文を受けて無理矢理自分をそこから引き剥がす。


 カウンターに戻りオープンサンドと大人ココアを作り始める。

 大人ココアは、僕の自信作。

 目に留まって良かった。

 テーブルに置くと、軽く手を合わせて食べ始める。

 食べる所作がまた美しい。

 目が離せなくなった。

 そこだけ切り取ったように輝いて見える。

 まさか、これって一目惚れ?

 散々遊んで来たこの僕が?

 漆黒の天使が、「はっ」と目を見開いて僕の方を見る。

 ココアの仕掛けに気が付いたみたいだ。

「分かりました?隠し味」

 聞いてみると、ポツポツと正確に感じた味を話す。

 中々分からないのに…… スゴイ。

 心が急速に惹かれて行くのを止められなかった。


 帰り際、なんとかきっかけを作りたくて、ショップカードを渡した。

 それから、ナナさんは度々店に訪れた。

 3度目に店に来てくれた時に、名前を教えてくれたので、七尾さんを縮めてナナさんと呼ぶ事にした。


 訪れる曜日や時間はランダムで、夜、仕事帰りにスーツ姿で来る事もあれば、平日の昼下がりにラフな装いで本を持って来る事もある。

 どんな仕事をしているんだろう。

 ナナさんは、窓際の席がお気に入りで、コーヒーを飲みながら、ゆっくり本を読む。

 その姿を眺める穏やかな午後が好きだ。

 夕方になり、本を閉じるとカウンター席にやってきて、酒を飲みながら少し言葉を交わす。


 好みのコーヒーは、ピーベリー。

 大人ココアもかなり好き。


 好みの食べ物は、プロシュートにミニトマト。

 セロリのピクルスも好きっぽい。


 そして、スティックサラダの特製ディップが相当好き。

 クリームチーズに玉ねぎとお味噌を少し練り込んだディップを、パンで綺麗に掬い取って残さず食べてくれる。

 ココット皿がキレイになってるのを見ると、嬉しくなって、つい頬が緩んでしまうんだ。


 好みの酒は、チンザノ ドライのロック。


 その日のおオススメを食べてスマートに帰る。

 そんな日々が暫く続いた。






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