第8話 永き出会い

 彼女との約束迄、時間は充分に在り。僕と彼との溝は、深くも浅くも無い。程度の低い物と成り果てていた。


その憂鬱に嫌気が差した午後7時半頃。仮眠から目を覚ました僕は、同じく横になっていた彼の頬を軽く叩き起こした--申し訳ないが、首から下が麻痺しているからだ。彼は怠そうに音を上げ、また軽く驚き。どうした、と訊いた。


僕の回答は日常的な、あっさりとした物で彼はそれに静かに頷いた。


「眠気覚ましに、何か作りましょうか?」


僕は、僕が作れる数少ない料理の一つであるフレンチトーストを作り、ソファに持たれる彼の前に持ってきた--『残り1時間程度だろうか?』--そんな事を考えながら。


 この異能に囚われた生活に、すっかり慣れてしまった僕達は故にあの事件を隔て、心休まる時が少なくなってしまったと思う。


なので偶には、この日常を取り戻すのが何よりも重要だと感じていた。そして、その心掛けは正しかった。腹が多少とも満たされ、気の緩んだ僕達の会話は弾み、僕にも余裕が生まれ、彼の彼女に対する提案の見方も大分変わってきていた。


 そして、外套に身を包む午後10時20分頃。話に熱が入っていた僕等は少々急ぎ足で準備に取り掛かり、彼はそれなりに緊張していた。その中でも、然し余裕が在った僕は、軽く彼の所業を想起--もとい予想していた。


--彼が彼女を見つけたのはニュース速報だろう。事務所のテレビでニュースを録画し、背後に映っている人間に。つまり、警察官にアプローチをかけていったのだ。そして、彼女に辿り着いた。最初に彼女にアプローチした可能性も在るが、それにしても相当な労力を要した筈だ。然し、例の事件で苛ついていた僕は其れを軽視していた。故に、彼と反発し合ったのだ。


そして今、冷静‥‥いや、平生を取り戻した僕は贖罪とまではいかないものの、その落ち着かない彼の左肩に手を置き、声をかけ、鼓舞した。


「大丈夫です。彼女なら。」


キョトンとした顔で此方を見ていた顔は、その意を汲み取る様にして緩み、夜の街灯の様に、少しばかり明るくなった。


 あの事件から時を経て、街また静寂と平穏に満たされている様に見える。しかし、亡くなった人の家族も含め、被害者は大勢居る。其れを無碍にする様に--世間の様に--忘れる事など、僕達には出来ない。これからも、延々と、あの日の出来事を脳裏で繰り返すのだ。


僕はその現実と同時に、然し平素の乾き冷えた空気を嗅ぎ。そろそろ息が白くなる頃だと、多少の風情を味わいつつ、例のコンクリート製の急な階段を降りていた。その中、先に階段を降り、車椅子に持たれていた彼は少し寒そうに僕を急かした。


「早く行こう! この寒さじゃあ、異能を使っても身体が動かなくなるぞ‥‥。」


彼が急かす中、然しこの冷気が好みだった僕はゆっくりと歩を進め、すっかり冷えきった車椅子の手押しハンドルを手袋をした手で握った。


「だから、あれ程『厚着した方が良いですよ』と謂ったではないですか。人の話を聞かないからですよ。」


と言いつつも、これは予想出来ていたので僕はポケットに潜ませていたカイロを彼の膝に投げ。そのまま、夜の街を進んだ。彼は予想されていたのが気に入らないのか、少しふくれていたと思う。



 夜の街はとても煌びやかで、妖しいネオンと嬉々とした--怒号にも似た声が度々聴こえた。僕にとって其れは、久しく迎える事の無く--新鮮で--好奇心をくすぐるところも大いにあった。だが用事が待つ僕達に、その猶予は無い。僕は我儘わがままを押し隠し、至ってフラットに--彼との会話を続けていた。中には曖昧な返答もあったかもしれない。気付いた時には、車椅子に深く座り、低くなった彼の頭が見え、また暗くなった顔が僕を後ろめたくさせた。


しかし、それは杞憂だった。近場のカフェで小休止を挟み、余裕を持って再度冷えた空の下に出た僕等を待ち受ける、一際明るい居酒屋は--彼が待っていた場所だった。



 中からは忙しく働く店員と、奥の台所から顔を覗かせ声を張る店長と見られる男性が、顔を赤らめた老若男女の隙間から見え隠れした。その盛り場は瞭然とし、人々を笑顔にしていた。僕とは無縁の場で、今日迄その賑わいを疑っていたのだが、耳にした以上の賑わいだった。その嬉々とした店を遠目に見ていると、入り口の隅に影法師が見えた。


「彼女だ! 紬ちゃん!」


伊照さんが指を指して言う。然し、僕は顔を合わせていない為恐る恐る近付いた。すると、影法師は此方に気付き途端に手を振ってきた。


「な? 言ったろ?」


彼が後ろを振り返り、得意なって言い放つ。そして手を振り返そうとしたので、僕はまた咄嗟に手を下げさせた。


「忘れないで下さい。」


店とは真逆の冷たい言葉に、彼の顔は一瞬強張った。僕も、初対面の人を前にして緊張していたのだ。瞬間、その顔に気付いた僕は直ぐさま場を和ませようとした。


「あっ、すみません。緊張していたので‥‥」


然し、彼は大人だ。より落ち着きを払いながら、大丈夫だと言い放ち、座り直した。僕は内なる子供っぽさを打ち消す様にして、光に向かった。


一言目は場所に似合わない社交辞令だった。


「改めて、初めまして。伊照さんの友人の遷戀秋季です。」


と言いながら、予め用意していた名刺を渡そうとした。だが、彼は--伊照さんはされど賑やかな店外でも聞こえる様に声を張り上げ、止めた。


「んなツマらない事しないで、早く飲もう! 酒が入ってからでも遅くない。」


正直、彼の話はどうでも良かった。それ以上に、その名刺を見てから急いでバッグを漁る彼女に申し訳なくなったのだ。なので僕は、彼の言い分に乗る事にした。いや、偶にはこんな出会いがあっても良いかもしれない。


「えぇ、そうですね。疲れを癒す場で仕事の話は場違いでした。大島さんも、すみません。」


彼女はそのハンドバッグに手を入れながら、僕の方を見て返事をした。


「あっ、いえいえ! 大丈夫ですよ。」


その様な他愛のない、会話とも云えないものが終え彼が急かす中、僕達は店内に入った。店外にも客が居て外で飲んでいたが、その間を抜けると更に熱気は増した。途端に店員が訊く。


「何名様でしょうか?」


僕は指を3本立て、声を出さずに意図を伝える。


「3名様ですね! 此方へどうぞ。」


ハキハキと喋るその人は、やはり見ていて清々しい。丁度空いたであろう座敷のテーブルを、店員はそそくさと片付けると、手を向けて再度案内した。僕等はゆっくりと--先ずは彼を車椅子から降ろして座らせ--座席に着いた。無論、その一瞬だけ、彼は異能を使いその麻痺を解き、然し自ら動かしはせずに、介抱する僕の手助けをした。


僕はメニューに目を通し、彼女は暗闇では見えなかった大量の手荷物を整理する様に傍に寄せ、彼は声を張って店員を呼んだ。


「まだ選び終えていませんよ?」


彼に言った。


「俺に任せろ。」


然し、彼は不敵な笑顔で此方を向きながら告げた。その言い草はまるでこの店の常連の様で、彼が注文する間、僕は静かに待っていた。彼女もまた黙って、何か携帯電話にメモ--しくは誰かに連絡している様だった。


「どうかしましたか?」


僕は彼女に問いかけた。


「あっ、いえ、父に連絡を‥‥。」


伊照さんから聞いた彼女の父である警部は、家族想いらしい。或いは、彼女が唯一の家族だと云う可能性もある。普通の家庭では、不思議と父より母の方が大切にされる傾向がある。少なくともこの国ではそうだろう。しかし、父と連絡を取り、父と同じ界隈で働く彼女の家庭は父子家庭なのかもしれない。


--いや、先入観かもしれない。また僕の悪癖が出た。


その刹那。僕の後悔は嵐に吹き飛ばされ、僕は正に魚の様な眼をしたと思う。


「あっ、そうそう。彼女は父子家庭なんだ。」


おいおい。


「紬ちゃんも勝手に話して悪いね! けど、君の事説明する過程で必要だった‥‥な?」


この人はいささか奔放すぎる。何かの拍子ひょうしに異能の事をらすのではと、見ていてヒヤヒヤする。


「えぇ、まぁ。」


然し、彼女の態度は依然変わらず。ただ、苦笑いするだけだった。つまり、父子家庭に何か後ろめたいものは無いらしい。幼い頃に父子家庭になったとか、そういうていだろう。


この時未だ酒は入っていなかったが、僕は彼の突拍子もない言動から、少々この悪癖に開き直っていた。


 それから彼が頼んだ三人分のビールと、つまみの唐揚げや鉄板焼きが運ばれ、僕等は先ず他愛のない話から始めた。流石にこの空気を壊す程の勇気は無く、また壊す気すら起きなかった。当たり前だ。やっと平生を取り戻したのだ、そう簡単に手放せはしなかった。


それに彼女は--仕事場から直に此方へ向かったらしく、先程の荷物に少し乱れたスーツは今日の--今日責務を果たしたと言わんばかりに、僕の眼を刺した。


あぁ、いや。刺激と謂えば刺激だが‥‥違う、そう云うのではない。云うなれば‥‥そう、峻厳しゅんげんな社会を彷彿とさせるだ。僕はその刺激と疲れ顔が気になり、ある考えすら浮かび始めていた。


そういう平生を打ち砕くのは何時も彼だ。


 つまみの唐揚げを誰よりも食べ酒も入り、すっかりを忘れた彼が、その手でジョッキを持ち、残ったビールを喉に落とすと、不意に話を始めた。そう、あの話だ。


「実は、話があるんだ‥‥今日呼んだのは、気分転換や慰霊会をする為じゃない。」


酒が入り、判断力が鈍っていた僕でも理解出来た。このままでは言う--確実に--あの事を。


「俺達は異能使いなんだぁ〜‥‥あの〜、テレパシーじゃないけど‥‥」


--言った。言いやがった。


僕は隣に座っていた彼の首を引き摺る様にして近付け、再度釘を刺した。


「覚めて下さい! 彼女に言うべきじゃない。彼女は見るからに疲れているし、これ以上問題を増やすべきじゃない。」


彼は依然、腑抜けた声で応えた。


「そうかぁ? お前こそ彼女を見てみろよ。」


僕は少し怒り気味に彼女を見る。その光景は--嘘だろ。彼女は隣の見知らぬ客に酒を飲ませ、それを元に周りの客はどんちゃん騒ぎを起こしていた。


‥‥先程まで僕は--寝ていたらしい。店の隅にある時計の針は、午前一時を過ぎて久しかった。その間に彼女と彼は酒に浸り、この騒ぎだ。あぁ、明日も仕事だろうに。


早くも頭痛を感じつつ、状況整理に勤しんでいると、彼が続けて酒臭い口を開いた。


「今、彼女は俺以上に泥酔している。そこに情報をポンと投げ入れ、後日に思考を流し込む。すると人は意外にも、一人の方が冷静に考えられるというものだ。」


先程よりも流暢に話し、余韻に浸る彼を横目に、僕は浮かべられた言葉に疑問を抱いた。


「随分と詳しいのですね? 酔っていて覚えていない可能性も視野に入れましたか?」


然し、彼はまた得意になり--想定していたのだろう--想定していた、想定通りの言葉に、予め用意していた羅列を並べる様にして、それこそと回答した。


「俺がそういうタチなんだよ。そして、彼女もそう。前回の飲みで知ってる。『酔っていても覚えている』ということも含めて、な。」


彼と少なからず似ている節が在ると云うのは、彼女も気に食わないだろう--それを示す為にうってつけの物がふと目に入った。


--「然し、伊照さん。彼女はかもしれませんよ?」


「と言うと?」


彼が擦り寄り訊いてきた。


「指を見て下さい。薬指に指輪が。」


「‥‥⁈ 結婚しているのか? 俺達より2、3歳は年下だと思ったのに‥‥。」


僕はあからさまに落ち込む彼に呆れながら、怠く捕捉を付けた。


「あの手は。結婚指輪はです。右手の場合、婚約指輪の場合が多い。もっとも、母親の形見という可能性も在りますが、低いでしょう。」


「‥‥気に食わん。」


犬。其れも神社の狛犬の様な形相で、今にも飛び掛かりそうな勢いを醸す彼は、僕にも彼女にも苛立ちを感じている様だった。然し、不意に声は出ていた。


「じゃあ、訊いたらどうです?」


酒が入り、僕は饒舌になったらしい。


「あ?」


彼は依然、狛犬顔を向ける。それを余所目にこの不変に飽き、酒により判断力が欠如しだしていた僕は、考えるよりも先に言葉にしていた。


「大島さんって恋人居るんですか?」


然し、答えを予想していたが故の言動だった。時間はとうに2時を過ぎ、人は大分減っている。そして僕の質問に対し、当然ながら大島さんはその酒で赤らめた顔を此方に向けながら、むせぶ様にして言った。


「恋人が居たら、こんな時間まで飲まないですよ!」


当たり前だ。恋人が居たのなら、心配して連絡をする。恋人と上手くいってない可能性も視野には在ったが、やはり前者の予想が当たりだった。


予想は当たり、酒は上手く。客が減り、店は空いてきた。僕は次第にこの静かな夜にすら、酔い始めていた。つまり、口がかなり軽くなったのだ。恐らく伊照さんからの影響も在るが、それ以上に僕は酒にめっぽう弱かった。軽率だった。


「話を戻すと、僕等は被害者であると同時に、加害者と同じ境遇なのですよ。」


僕は鈍る頭を必死に働かせながら、彼女にようやむねを話し始めた。


 日付が変わったこの11月13日。

この日から、事は更に熾烈を極める。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【休載中】 バッド・エンド・マン 空御津 邃 @Kougousei3591

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ