第7話 選択
信念。その言葉には、固く信じて疑わない心と云う意味と、もう一つ。別の意が在る。『神仏を固く信ずること』だ。
だとすれば、彼と俺が結んだ誓いの様な其れは、一体何方の意味だったのだろうか? 『固く信じて疑わない』--叶うだろうか? 『神仏を固く信ずること』--神頼みか? 僕達は恐らく、その言葉を。『信念』を、何方の意味でも使っていなかっただろう。
其れは泡程に脆くはないが、鋼程に強くも無い。唯の口約束にしては強すぎて、誓いにしては弱すぎる。正に僕達の様な--半端なモノだった。
彼。
彼が云うには、警察病院にて例の女性が不審者2名に連れ去られたのだそうだ。1人は体躯の良く、黒いボロ布に身を包んだ男。もう一人は、中高生と見られる少女。聞いたところ、その2人には接点は無い様に思える。しかし、異能力者や何らかの組織の
無論、その他にも家族や、僕達の様な根無し草と云う可能性も考慮出来るが、其れ等の可能性は低かった。何故なら、家族だとすれば僕の家族である父母や姉にも異能が宿っていても不思議ではない。そして根無し草も、僕達の様な低い確率の中、奇跡的に出逢ったとは可能性的に無いと思えたのだ。
--しかし、その2人が例外だと云う可能性も低いが在った。
そして
先ず、僕達は伊照さんが話を訊いたと云う警察官に再度話を訊く事にした。事をあたるに至って--情報を集める為にも、信憑性を測る為にも--更に詳しく話を聞く必要があると判断したのだ。
警官の名は
彼が彼女に取り合う。どうやってオトしたのか--いや、オトしていないのだろうが--食事処によく在る紙に、連絡先のメモを書いて貰ったらしい。
其れを見ながら、彼女に連絡を取ろうとし、電話をかけ始めた瞬間。窓から差す暖げな西日に
電話の先からは若々しい女性の声が、ざわめかしい都市の音を挟んで聴こえてきた。
「何方様ですか?」
どうやら--と云うよりやはり自分の連絡先は教えていなかったらしい。僕は淡々とした口先で、見知らぬ
「伊照柳樹の友人の、
彼女は一瞬、警戒心を強めた口調で想起し、直ぐにその警戒を解いた。
「ダテ?‥‥あぁ! あの人の!」
『また何かしでかしたのか?』等と不安を抱きながらも、僕はそのまま話を続けた。
「そうです。彼は例の如く、首から下は麻痺しているので代わりに連絡をしている次第です。と云っても、この携帯電話は彼の物なので、いつでもかけて貰って構いません。」
彼の物とした方が説明も省けて、この先、何かしら連絡を取る際もスムーズにいくと考えたのだ。
「あぁ、本題に入りましょう‥‥彼に代わりましょうか?」
そう言いながら彼の方を横目に見ると、異能によって動く身体で、今にも代わって欲しそうにそわそわとしていた。余程、取り入っているらしい。
「いえいえ、このままで結構ですよ。」
彼女が毅然とした口調で言った。電話から漏れたその言葉が耳に入った彼は、あからさまに落胆し、その様子を見た僕はまるでコメディー映画を観るかの様に、少し愉快に感じていたと思う。
僕はそのまま話を続け、僕達がその不可思議な事件に--彼は『大島さんに』だろうが--惹かれている事と、その為に協力を仰ぎたいと云う事を説いた。無論、僕達が探偵である事も、事件に関わっていた経緯についても、話せる範囲で話した。
話せる範囲と云うのは、基本的に『異能』に繋がる全てを除いた部分だ。つまり、『不遇にもあの惨劇に居合わせた、数少ない生き残った被害者』として僕達を紹介したのだ。しかし、その安直な説明でも物事の流れというものは伝わるもので、彼女は我々がイメージする様な警察の、あの堅苦しい感じではなく、何方かと云えばラフな感じで会談を承諾してくれた。
「では、確認します。集合時刻は23時30分。場所は、貴方と伊照さんが出逢った居酒屋『呑ん呑ん
等と僕と彼女は最終確認をした。それに気付いた彼は、余程彼女と話したいのか咄嗟に携帯電話を奪おうと手を伸ばす。
彼にそのまま携帯電話を渡しては、『首から下が麻痺して動かないのに、どうやって携帯電話を持つ』という矛盾が生まれるからだ。尤も、大家さんもその矛盾に気付きそうだが、しかし唯『病院だ』と曖昧な返答をすれば良い。だが、彼女には彼自身から話してしまっているのだから、撤回するのは難しいだろうし、今更野暮ってものだろう?
「おっと‥‥彼がどうやら話したいそうなので、代わりますね。」
彼の素直な攻撃を避けながら、話を濁しつつ、その流れで彼に携帯電話を渡した。彼はそれに飛び付き、何かを熱心になって話していた。尤も、彼女はそれを聞いていたかどうかは定かではないが。
彼と彼女の話は存外、呆気なく終えられた。まだ西日は差していて、時計の針は午後6時16分を差していた。僕は珈琲を淹れる為に、やかんに水を入れ、コンロの火を
--『彼が先か、やかんが先か。』
やかんが鳴り始めようと準備を始めた頃、彼が携帯電話を耳から離し、そっと僕の前に座った。厳密には、僕の前にあるテーブルを隔てた来客用のソファに。
彼の第一声は--いや、声ですらない--小さな溜息だった。どうやら初対面の時程、上手くはいかなかったらしい。
コレはあくまで予想だが、伊照さんと大島さんが出逢った場所が居酒屋だと云う事を考慮すると、恐らく大島さんは酒が入った状態で伊照さんと出逢ったのだと思う。でなければ、首から下が麻痺しているのに1人で来たという矛盾と、シラフの時ではつまらなかった彼の話で連絡先を教える程親しくはなれないだろう。
こうなったら最後。彼女もまた、彼の奔放な人生と我儘に付き合うしかないのだ。しかし、それは現実の中でも多少の起伏が--『刺激』が--生まれ、より人生を楽しめる様になると僕は信じている。
少しして、やかんに湯が沸き。何時もの様に、ドリッパーにペーパーフィルターと珈琲粉をセットし、少しずつ湯を注ぎ入れ、色と香りを愉しんでいた。そして思い出した様にして、
少しでも、気を紛らわせたかったであろう彼は、異能を止めた身をソファに任せながら、生返事をした。
僕はそっと、彼の前に角砂糖を2つ入れた珈琲を出し、僕はミルクを少し入れた珈琲を座って直ぐに喉に通した。
彼は珈琲の方に俯いたまま、彼女との話し声とは程遠い落ち着いた声で、僕に静かに話しかけた。
「今は、何時だ?」
僕は彼の背後に在る壁掛け時計に目を向け、素直にその問いに返答しつつ、机の上に置いていた読みかけの本に手を伸ばした。
「18時35分位ですね。あぁ、何か持ってきましょうか? 珈琲だけでは、暇を潰せないでしょう。」
次いでにそう訊くと、彼は僅かに首を横に振り、また沈黙へ帰った。そして彼が再度、口を開いた時。既に僕が読んでいたページは、2枚分も後ろになっていた。
「彼女には--」
不意だった。しかし、僕はその不意から発せられた言葉の意を、赤子の手を捻るが如く直ぐに汲み取れた。また、その返事すらも予め完成させられた。
「--話さないか?」
間髪入れずに僕は放つ。
「駄目です。何の異能も無い彼女を、僕達の問題に巻き込むメリットは薄い。」
彼もまた、そう言われるのを知っているかの様に直ぐに異議を唱えた。
「しかし、彼女は警察官だ。しかも、父親は警部。今後、異能の事件を追うのには必要な伝手になるだろう?」
確かに、論理的ではある。しかし、現実と云うものには常に倫理的でなくてはならない。常に最悪を考え、最悪が起きた責任を持つべき人物を--未来を考えなくてはならないのだ。
しかも、
しかしそれ以上に、例の事件を目の当たりにしていた僕は、やはり責任と無力感を苛まれるのを恐れ、その一歩を踏み出すのを躊躇わずにはいられなかったのだ。
僕は其れ等を上書きする様に、苦味を含んでから、彼の勇気とも愚かとも謂える其れを止めた。
「伝手は必要です。しかし、それ以上に危険過ぎます。魑魅魍魎が蔓延る修羅道に、唯の人を紛れ込ませるとどうなるのか。判らない訳ではないですよね? 僕達は、其の『魑魅魍魎』なのですよ。」
彼は何かを言いたげにして、しかし口を紡ぎ。やっと、一口目を飲み。冷えた口を温めた。
その中で僕は、内心焦っていた--決断を--無論、彼女次第ではあるが、恐らく父を追って警察になった彼女の正義感を鑑みると、僕達の話を信じた場合、協力するだろう。
それは--それは恐るべき事だ。僕に次は無いのだ。ミスは許されない。
僕は本に栞を挟み、机の上--いつもの位置にそっと置いた。
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