第6話 信念

 警察病院から炎の異能力者が逃走した日から数日後の事務所にて。


僕は退院してからずっと、あの悪夢から日常を取り戻そうと、客を待ちながら、ミルクを少し入れた珈琲コーヒーを飲み、対談の為に置かれたソファに座りながら、小説を読んでいた。


「はぁ‥‥」


だが、それでも気は紛れない。あの日から『未来視』は大分減り、普段通りの日常と同じ様な生活を送ってはいるが、常にあの日の事が脳裏によぎっていた。


『僕の行った事が正しかったのか?他に皆を救える方法があったのではないか?異能をもっと使い熟せていれば、全てを事前に防げたのではないか?』


様々な思考が脳裏に浮かぶ‥‥苛責の念が何時迄も僕を苦しめる。


その現実から逃げる様に、僕は珈琲コーヒーを口元へ運ぶ。もう味は分からない。僕は平静を装ってはいたが、常に限界を迎えていた。


『あの時、家を出なければ‥‥』そんな考えさえも浮かぶ程だった。それ程、僕には辛く、重く、苦しい。強烈な出来事だったのだ。


この十字架は僕だけではなく、伊照さんにもかってしまっている。だ。


あの日、伊照さんに犯人の腕を折らせた。異能を封じる為だった。結果的に、それは犯人の『安全な』逮捕に繋がった。論理的には問題ない。が、倫理的には良くなかった。僕は『判断を誤った』のだ。


少なくとも、今の僕には、そう考えざるを得なかった。



 そんな風に、僕が憂鬱な世界げんじつに呑み込まれていると、入り口のドアノブが回されたのが判った。


『‥‥客かな?』


僕は再び、平静を装う為にコップに残った少しばかりの珈琲を一気に飲み干し、ドアの方へ向かい、客人を迎えに行った。


--ドアが開く。


僕は精一杯の作り笑いを浮かべ、「こんにちは」と何時いつもの様に挨拶をした。すると客人は「退院おめでとう。」と返した。


僕はその聞き覚えのある声と、言葉に驚きながら客人の顔を見る。


「伊照さん‥‥」


伊照さんは少し哀しげな笑みを浮かべて、僕にびた。


「退院当日に迎えに行けなくて、すまなかった。」


僕は正直、もう縁を切られたと思っていたのだ。見舞いには何度か来て貰ったが、退院当日からは連絡も無かった。

だから、僕から連絡する様な野暮な事は出来なかったし、その対応は僕がした罪に比べれば当然の結果だと思っていたのだ。


「いえ、そんな。詫びる様な事じゃないですよ。」


少し気が引けていた。罪悪感からか、良心への苛責からか。それは判らないが、唯々ただただ申し訳なかった。


伊照さんはソファに座り、異能の力を止め、僕の気持ちを汲み取るかの様に、気丈な態度で話を続けた。


「実はな、先日の警察病院から逃走した時の話を、当事者である警察官に聞く事が出来たんだ。」


僕は乗り気じゃなかった。正直、もう『異能』について調べる気も起きず、あの日の事も、あの人の事も、あの時した事も、全て‥‥全て忘れたかった。


--そうすれば、「こうすれば助けられた」だなんて悩まずに済むから。


伊照さんは僕が黙りこくっているのに堪え兼ね、話を続けた。


「大変だったよ。だが、俺は障がい者だ。警戒心が低く、交友関係を築くのはそう難しくなかった。」


伊照さんがまた僕の様子を伺っている。

話は聞いていたが、僕はやはり乗り気ではなかったし、関わるべきでは無いと思ったのだ。


伊照さんは再び、話を続けた。


「どうやら異能使いが関与しているらしい。恐らくだろう。」


「すみません‥‥珈琲を淹れてきます‥‥」


話を聞くだけで気が病む‥‥僕は落ち着く為に珈琲を淹れに行こうとした。いや、本当は逃げたかったのだ。そしてそれを見抜いた様に、伊照さんが異能を使い僕の腕を掴んだ。


「お前‥‥『罪悪感』を感じてんじゃねぇよな?」


「‥‥。」


図星だった。しかし、伊達さんが強めの口調で言ったその言葉は、責め立てる様な意味ではなく。今の僕、つまり、罪悪感にさいなむ僕への怒りの様な意味に聞こえた。


伊照さんは続けて、強めの口調で話した。


「もし、そうなら感じる必要は無い。アレは俺がやった。お前に責任は無い。俺もやりたくなかったら、やらない。だから、罪悪感なんて物を感じているなら、思い出せよ。お前にもあるだろう?『信念』が。」


「『信念』‥‥。」


信念。異能の力を把握したあの日‥‥僕は何を『誓って』‥‥何を『求めた』んだっけ‥‥。


--もう、思い出したくない。


もう辞めにしたい。何もかも。何もかも‥‥。


「異能さえ無ければ。」


僕がそう呟いた時、腹に激痛が走った。


「ぐっ‥‥?!」


僕は倒れ込んだ。。伊照さんが僕を見下ろしながら言った。


「寝惚けてんじゃねぇ! 異能はも、も持っているんだ! つまり、異能を用いたこの事件は『俺達の事件』なんだよ! 異能を持っているからこそ、俺達が止めなければならない。判るな?」


伊照さんの言葉には、僕への怒り‥‥いや、それ以外の感情が沢山。ごちゃ混ぜになって発せられている様な感覚がした。


それは、異能を持って生まれた悲哀。そして、異能の力による恩恵と代償。それらによる苦悩や、『自分だけが異能によって助かっている』と云う贖罪の念が感じ取れた。


そして、その言葉の中に込められた感情に、僕は懐かしさを感じていた。


この感情は、あの日。異能の力を把握した日、『誰も死なせない。』と誓った日。


--あの日の僕によく似ている


きっと伊照さんも、異能が発現してから病院の中で、同じ様な感情を抱いていたのだろう。


伊照さんは強い人だ。今迄いままで僕には、そんな風に思わせる様な素振りを一切見せず、常に気丈に振る舞っていた。僕はそれを、そねんでいたのかもしれない。


「どうするんだ名探偵? 俺は一人でもやり遂げるつもりだ。それが、俺の信念だ。」


伊照さんの言葉には、とても熱く、強く、確かな意志が感じ取れた。


--『信念』


僕はどうしたいのだろう。

僕はあの時きっと‥‥『俺』はきっと‥‥。



も‥‥やります。次は必ず‥‥次こそは必ず。-- 誰も死なせない。」


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