73 地上の光を目指して
大きな魔物の腹の中のような凸凹道の洞窟を抜けると、一気に視界が拓けた。そこには、街ひとつが丸ごと収納できそうな巨大な地下空間が広がっていた。
地面には大きなタイルが敷き詰められていて、岩壁を削り出して作られた列柱が整然と並び、高い天井を支えている。古代の神殿と言われれば頷いてしまいそうな荘厳な雰囲気に圧倒された。
龍穴に近いせいか空気中の魔力が濃い。岩壁の所々が魔石化し、暗闇に無数の魔石光が瞬く様は、夜景を彩る窓灯のよう。突然見知らぬ地下都市に迷い込んでしまったようで、不安と好奇心に胸が騒めく。
ともあれ、このぐらいの明るさがあれば、獣人の眼には充分だ。
「街の下にこんな空間があったなんてね」
星空のような天井を見上げて私が呟くと、隣でアルも顔を上げる。神秘的な魔石光が、彼の白金の髪を星の色に染めていた。
「綺麗だね。時間があればゆっくり見学したいところだけど」
アルの言う通り、惚けている暇など無い。
足元には赤黒い粘液の跡が、地下空間の奥へと伸びている。やはり研究室から逃げ出した大蛇はここを通ったようだ。
先行するヴェイグさんの部隊が仕留めたのだろう、淡く光る岩盤の上には魔物の死骸が転がっている。どれも、いくつかの動物を無理やり貼り付けたような合成獣の姿をしているが、その中に大蛇は居ない。
私たちは赤黒の痕跡と死骸のありかを辿って地下道を駆けた。人通りや家屋が無いため地上よりも走りやすく、龍穴の魔力のお陰か、疲労を感じない。
これだけ広大な空間だ。研究室の他にも地上に出る道が有りそうだが、魔物の足跡や死骸は赤黒の痕跡の側に集中している。他の出口を探す素振りも無く、予め定められた目的地以外には目もくれずに進んでいる。
その生物らしくない機械的な行動は、人為的に造られ、暗殺の手駒にされたという証左に思えた。
タイルと列柱の広間を抜けると、大きな岩が転がる急な坂道となり、頂上付近には天井に空いた巨大な穴から陽の光が降り注いでいる。その真下ではヴェイグさんの部隊が死骸の山を築いていた。
「追いついた! あの上が駐屯地か」
「セラ、弓を使うなら僕の後ろへ」
「ありがとう。でも、なるべく矢を温存したいから短剣で頑張るよ」
背負った
「わかった。君には近付けさせない」
アルは走る速度を上げ、私を追い抜かしたかと思えば、岩の影から飛び出した魔物三匹を一刀の元に斬り捨てた。烈風を纏う緑の流星は次々に襲い掛かる魔物の群れを、軽々と薙ぎ払っていく。
私が手を出す隙も無いけれど、黙って守られるつもりはない。
月の魔獣の登場に脅威を感じたのか、やや離れた場所に居た大型の魔物が後ろ足で立ち上がって咆哮を上げた。熊の巨体に虎の頭を貼り付けた合成獣は小型の魔物を蹴散らしてこちらに向かって来る。
私は箙から矢を一本抜き取ると、弓につがえ、虎の頭を狙い撃った。矢は銀色の光の筋となって頭を吹き飛ばし、制御を失った体は急には止まれず、岩壁に激突して動かなくなった。
「すごいじゃないか! 剣よりそっちの方が向いてるんじゃない?」
「今のは、試し撃ち!」
向かってくる魔物を捌きながらアルは手放しに褒めてくれるけれど、この能力は
「矢の本数には限りがあるから、期待するなよ!」
と苦し紛れに一言加えて、短剣に持ち替えた。
「月女神の魔弓か。獣に特攻があると聞いたが、この目で見る日が来ようとはな」
こちらに気付いたヴェイグさんがしみじみと感嘆する。でも、そのセリフはたぶん魔物の首を素手でねじ切りながら言うセリフじゃない……。
近くで長剣を手に戦っていたモリス卿も呆れ顔である。同じ狼種の獣人なのに戦闘スタイルは真逆らしい。
「隊長、魔物と間違われて撃たれないようにね?」
「喧しいぞモリス。第一部隊に属しながら、一般人のアルファルドより討伐数が少なかったら始末書な」
「ぐ……このゴリラめ……」
人数は今は十人と少ないが、第五騎士団の中でも精鋭を集めた部隊だけあって、無駄口を叩きながらも決して剣は鈍らない。モリス卿に始末書を書かせようと奮闘したアルの活躍もあって、合流から数分で地下道の制圧が完了した。
後はたまに落ちて来る魔物に対処しながら、地上の魔物が殲滅されるのを待つだけ。ようやく帰れるんだと思ったのも束の間。ヴェイグさんの通信機に緊急通信が入った。
『第一部隊退避! 風の盾を最大出力で展開せよ!』
緊迫したリヴォフ団長の声に、地下の第一部隊隊員たちは素早く集合して隊列を組み、大盾を構えた上に風魔法の盾を展開した。空洞から差し込む陽が翳り、希望を包み隠すような暗闇が落ちる。
一瞬の静寂の後、地下道に猛毒の雨が降り注いだ。風の盾の表面を焦がしジュウジュウと煙を立てる赤黒い粘液は積み上がった魔物の死骸や、穴に落ちた魔物を生きたまま溶かす。研究室で嗅いだ凄まじい悪臭が鼻腔を刺し、地下道に阿鼻叫喚の地獄が満ちた。
「……大蛇。いや、あれは、ヒュドラ!?」
空を閉ざす黒い巨影。地面を這う度に硬い鱗が擦れ、鳴子のようにガラガラと音を立てる。太い胴体にイソギンチャクのように生えた九つの蛇の頭は、シューシューと威嚇音を上げ、牙から毒液を垂らしていた。
***
大地に毒を撒き散らし、九つの蛇の頭はディーンとヒースに狙いを定め、長い胴体を蛇行させながら猛スピードで追い掛ける。
営庭に展開する騎士たちの総攻撃を物ともせず、九対の視線は脇目も振らずに二人を注視していた。
『ディーン、ヒース! そのまま真っ直ぐ駆けて来い!』
ヒースが借り受けた腕輪型通信機からフィリアスの声が届いた。遠くに目を凝らせば、地面に空いた空洞の向こうでフィリアスとライルが手を振っている。
「そのままって、まさか穴に落とすつもりかい!?」
後ろを振り返る事なく必死に走りながら、ヒースは向かい風に叫ぶように声を張り上げる。
地下道ではヴェイグの部隊が魔物の掃討にあたっていた筈である。
『落としたぐらいでは倒せないだろう。少しの間足止めができればいい』
落ち着いたフィリアスの返答に、少し冷静さを取り戻して、ヒースはディーンに頷いてみせる。
「わかった! 穴のギリギリ手前まで引きつけて、二手に分かれるぞ! お前は左! 俺は右!」
「了解!」
方針が決まれば行動あるのみ。二人は残る気力を振り絞り、ゴールに向かって駆け抜けた。
「ヒュドラは首を切ると倍になって生えてくる。殺すには切り口を焼かなければならない。――というわけで、だ。俺と勝負をしようじゃないか」
フィリアスからそのような提案が飛び出すとは、思いも寄らなかったのだろう。ライルは目を丸くして、一拍遅れて笑い出した。
「ははは! いいねェ! 何を賭ける?」
「そうだなぁ……」
考えながら、フィリアスは魔石の指輪から投擲用の槍を二本取り出し、一本をライル投げ渡す。
「俺にできる事といえば、何かの推薦状や口添えぐらいだが……もし、さっきの話、受けるつもりがあるのなら学院長に相談してみるが……どうだろうか?」
シュセイル王国全土から広く、騎士を目指す優秀な学生を招き入れている王立学院は、ライルの元にも編入を推奨する案内状を再三に渡って送っていた。
『貴族社会の縮図なんて呼ばれている学院になんて誰が行くか! って思ってたんだけどな……』
セリアルカの買い物組と別れて喫茶店で休憩をしていた時、ライルが気まずそうに言っていたのをフィリアスは思い出したのだった。
誤解が解けたディーンとは脳筋同士気が合うようだ。学院に居れば、わざわざ次の闘技大会を待たずともディーンと手合わせができる。恋人のアンジェリカとも毎日会える。必要な単位を取れば
ライルにとっては悪い話じゃないだろう。
「俺とディーンを近付けたくないんだろう? どういった風の吹き回しだ?」
ライルは意地悪げにニヤニヤ笑いを浮かべるが、悪役顔ならフィリアスも負けてはいない。
「仲間に引き込んでおけば後々役に立つ気がしてな」
空洞の対岸でディーンとヒースが二手に分かれる。間を置かず空洞の縁に到達した九つの首は、獲物に気を取られて両側に引っ張られて急停止した。空洞を覗き込むように鎌首を上げて威嚇する。
「お前、そーゆーの本人に言うなよな! ……まぁいい。お前が勝ったら思惑に乗ってやるよ。俺が勝ったら、転校の事は置いといてディーンと決闘させてもらうぜ?」
「いいだろう。…………勝てたら、の話だ」
「上等だ。この野郎」
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