72 塩対応の君も好き

 カラカラと音を立てて、ラヴィアとレナリスを乗せた輸送機の最終便が地上に昇っていく。二人を見送ったアルと私は、どちらからともなく水槽の方へと歩き出していた。


「セラ……頼みがある」


 水槽の中の魔狼は口から泡を吐き出し、弱々しくガラスを引っ掻く。ここから出してと懇願しているように思えた。


「うん。出してあげて」


「……ありがとう」


 アルの一太刀がガラスを破り、中の水と共に魔狼が流れ出てきた。身体中を繋ぐ管を外すとヒュウヒュウと喉を鳴らしながら、弱った足で必死に立とうとする。その痛々しい姿に胸が軋んだ。


 かわいそうだけれど、アルが無理やり口をこじ開けて特製青汁を舐めさせ、レナリスと同様に解毒魔法で体内を浄化する。唸って威嚇していたけれど、紫の花が咲かなくなる頃には体が軽くなったのか、すっかり大人しくなった。


「身体が大きいし、魔狼にも効くのか心配だったけど、良かったよ」


 頭を撫でると魔狼は鼻で私のお腹を突く。目の前に伏せて遊びに誘うように尻尾をパタパタと振っている。これは……。


「気に入られちゃったね。名前を付ければ君の使い魔になるよ。その前にちゃんと契約しないと増え過ぎてしまうから、よく考えてね」


 アルの足元にオリオンとディアナが出てきて、心配そうにこちらを見つめている。そんな期待を込めた顔で見られたら、今更契約しないなんて言えないじゃないか!


「仕方ないな。私の許可を得ずに番になったり、繁殖しないこと! いいね?」


 顎の下を撫でると魔狼は尻尾をブンブン振って甘えるようにクーンと啼く。魔狼は条件を受け入れ、契約の鎖が赤い首輪となって真っ白な毛の中に吸い込まれていった。


「よろしくね! ……ハティ!」


 白い魔狼は元気良くクオンと啼いて、私の影につるんと入った。中で暴れているのか足の裏がムズムズする。


「あ、そういえばディアナに色々預けていたんだけど、今返してもらった方がいいのかな?」


 言い終わるが早いか、ディアナは影の中に飛び込み、預けていた武器の数々を持ってきてくれた。


「僕の記憶が正しければ、元々は二人っきりのデートだったと思うんですけど、そういう……鉈とか縄とか弓矢は必要なのかなぁ?」


「盛りのついた狼に襲われた時に必要じゃないか。これでもまだ軽装だと思うなぁ」


 武器の中から弓矢を取り出して、残りはハティに預けた。今まで守ってくれてありがとう! とディアナを存分に撫で回し労ってから立ち上がると、目の前のやたら美しい狼のボスは不服そうに顔をしかめる。


「それ、もしかしなくても僕のことだよね!? それで何をする気なの!? い……痛いのはちょっと……いや、君がそうしたいなら頑張るけど、でも……」


 何故か頬を染めながらモジモジとよく分からないことを言っているアルは放っておいて、私は地下道へと向かう。

 研究室までの道のりとは違い、天然の洞窟をくり抜いたようなゴツゴツとした下り坂が地下深くへと続いていた。遠くに薄っすらと明かりが見える。


 後ろを振り返れば、いじけているらしいアルがオリオンを相手に愚痴を零している。二人きりになった途端に、また被っていた羊が脱走したらしい。こうなると、とにかくめんどくさい!


「ほら、ぐずぐずしない! 早くヴェイグさん達に追いつかなきゃ!」


「うう……セラが冷たいよオリオン……やっと二人きりになれたっていうのに。噛みたいって話もはぐらかされたし。他の雄狼には優しいのに……」


「ああ、もう!」


 私はアルの胸ぐらを掴むと、その減らず口に下から狙い澄まして唇を押し付けた。彼が我に返る前に胸を突き飛ばして唇を離す。

 アルはいつも眠そうな目をまんまるに見開いて、見たこともないぐらい気の抜けた顔をしている。ふふん、ざまあみろ。


「黙らないと、置いて行くからね!」


 私の中のありったけの冷静さを掻き集めて、なんでもないことのように言い放つと、私は踵を返して走り出した。先に我に返ったのは私の方で、今なら顔で目玉焼きが作れそうな程に熱い。


「うっ……ひどい……僕の心を弄んで……好き……」


 吐息交じりに呻いたアルの言葉は聞こえなかったことにした。




 ***




「それ、マジで言ってんの?」


「シュセイル一の色男のヒース君ならできるって!」


「いや、確かに僕は世界一の色男かもしれないけどね? そんな僕にも苦手なものがあるって知ってるよね!?」


 俺、世界一って言ったか? とツッコミたいのを我慢してディーンは励ますようにヒースの肩を叩いた。本当に嫌な時は余計な事は言わずに即却下するので、割と乗り気らしいと経験的に知っている。


「ヒュドラなんて、ちょっとデカくて首が何本もあって毒を吐くだけの蛇だろうが。蛇に好かれるお前なら、いけるいける。大丈夫」


「うわ、見てこれ! 鳥肌立ったよ! 僕が蛇苦手なの知っててわざと言ってない!?」


 両の二の腕をさすりながらヒースは恐れ慄いている。

 どういうわけか、やたらと蛇に好かれるヒースは、遠乗りに出掛ければ十中八九、蛇に驚いた馬に逃げられる。

 長期休暇で実家に帰った時には、ベッドの上に蛇が落ちてきたと大騒ぎになったらしい。いつもあり得ない所で蛇に出くわすと定評がある。


「わかったわかった! 声がデケエよ! だったら、なおさら逃げた方がいいだろう? で、どうせ逃げるなら、外まで誘き出して仕留めた方がいい。異存は?」


 強大な敵を相手に勝率を高めるには、自分の得意な勝負に持ち込むというのは戦術の基本である。

 地下や建物の中ではディーンの風魔法は威力を発揮できない。通常の武器強化だけでは剣が通らない以上、高威力の風魔法が使える外に引きずり出す必要がある。

 何よりも、想像しただけで鳥肌が立つぐらい大嫌いな蛇が側に居るという事実に、ヒースは耐えられない。


「ううう……わかったよ! 僕は一切後ろを振り向かずに逃げるからね!」


「ああ、そうしろ。絶対に捕まるなよ。準備はいいな?」


 頭の中で、ここまで来た道順を思い出し、出口までの最短ルートを思い描く。言葉通りヒースは階段に背を向けて、チラリとも振り返らずに走る気のようだ。


 ディーンはフィリアスお手製の魔石の数珠を引き千切って階下に投げ入れた。ライルの雷のブレスレットを参考に作った即席の護符は、パチパチと真っ赤な火花を散らして弾け飛ぶ。


「……」


「……失敗?」


 振り向かずにヒースが問う。

 ズズズズと地鳴りが響き、石造りの砦が揺れる。シューシューと細く空気が漏れるような音が聞こえ始めて、揺れは更に大きくなる。階下の暗闇に何対もの赤い光が瞬いた。


「いや……走れ! ヒース!!」


「うわあああ! ディーンの馬鹿ーーー!!!」


 ヒースの悲鳴を搔き消す轟音を立てて暗闇から九つの蛇の頭が現れた。捕まれば死を免れない地獄の鬼ごっこが開幕した。




 ***




 ディーンとヒースがヒュドラに追われているその頃、営庭での戦いも終盤を迎えていた。部隊に紛れ込んだフィリアスの活躍は目覚ましく、現役騎士以上の戦果を挙げていた。


 普段の学生生活では、魔法の使用を制限されているため、思い切り魔法を放てる機会は殆ど無い。

 惜しみなく振るわれる真紅の炎に、次第に周囲が彼の正体に気付き始めていた。


 そんな中、立ち塞がる魔物を薙ぎ倒し、紫紺の光を纏う鉄馬がフィリアスの元に馳せ参じた。

 鉄馬は土を巻き上げ、急減速すると後部の車輪を跳ねて、迫り来る中型の魔物の横面を殴り飛ばす。タイヤを横滑りさせながらフィリアスの隣にキュッと停めた騎手は、得意げに笑ってみせた。


「いい暴れっぷりじゃねぇか! フィリアス!」


「ライル! 何の音かと思えば……それが例の辺境伯のコレクションか」


 鉄馬に蹴られた中型の魔物はのそりと起き上がり、虎模様の体に貼り付けられた獅子の頭は怒りの咆哮を上げる。身を低くして駆け、ライルの背中に飛び掛かろうとしたが、フィリアスのハルバードの一撃に延髄を断たれ沈黙した。


 反射的に手を出してしまったが、余計な世話だっただろうかと思えば、ライルは特に気にした様子も無く「おお、ありがとな!」と気さくに礼を述べた。


「どういたしまして。なかなか良い馬だが、目立ち過ぎるな」


 未だライルに対する態度を決めかねているフィリアスは、肩を竦めながら応じる。


「それ、アンにも言われたなぁ。あー、ところでディーンはどうした? 一緒じゃないのか?」


「『デカイのが居る!』って飛び出して行った。ヒースと一緒にいる筈だが、今どこに居……」


 ドォオオンと凄まじい爆発音に、続く声は掻き消された。吹き飛ばされた瓦礫がバラバラと降り注ぐ中、砦の北側が崩れ土煙の中から巨大なヒュドラが飛び出した。その少し前を二人の見慣れた人影が、真っ直ぐにこちらに駆けて来る。


「……居たな」


「あの馬鹿共……」


 フィリアスは額を押さえて、その日何度目かのため息をついた。

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