21 美術室の怪人
「どうした!? 悲鳴が聞こえたが……」
逃げ込んだ建物は魔石工芸科棟だったようで、中から出てきたフィリアスと出くわした。
「フィリアス! ちょうど良かった! エリーを医務室まで送って欲しい。――エリー、怪我してないか診てもらってね」
エリーはフィリアスの顔を見てほっとしたのか、震えながらも気丈に頷く。フィリアスも安堵の息を吐き、エリーの背中を支えた。
「セラも医務室へ……」
「私は向こうの校舎を見てくる。痕跡が残っているうちに行かないと」
「ダメよ! 危険だわ!」
引き止めようとするエリーを制して、フィリアスは鞄の中から短剣を取り出し、こちらに差し出した。
「これを持って行け。……油断するなよ」
「ありがとう! 必ず返すよ!」
短剣を受け取るなり、私は棟を飛び出した。植木鉢の落下地点まで戻り、落とした教室に目星をつける。
――狙いは狼女の私か、それとも王子と婚約が決まったエリーか? どちらにせよ、犯人は必ず捕まえる!
決意を新たに、私は校舎内に駆け込んだ。
日が落ちた校舎の中は暗闇が満ちていた。無人の校舎に、私の靴音だけが高く鳴り響く。
植木鉢の落下速度、壊れ具合から、落としたのは四階の教室だと推測した。たしか、この校舎の四階は……。
「美術室……?」
呟いて、走る速度を緩めた。階段を上りきり、廊下に出る際に腰のベルトに短剣の鞘を差す。壁に背を預けて廊下の向こうを窺ったが、人の姿は見当たらない。靴音で感知されて逃げられたのだろうか?
私は静かに短剣を引き抜き、身を屈めて美術室の扉の前まで走った。扉に耳を当て中の様子を探ると、バタバタと布が翻る音がする。これはカーテンの音?
私は大きく息を吐き呼吸を整えると、一気に扉を開けて床を転がるように室内に侵入した。
誰も居ない美術室は壁際に彫刻が並び、イーゼルが中央の机を囲むように置かれていた。
その中にひとつだけ掛けられた白いキャンバスに、赤の文字で『警告』と書かれている。
「ふざけた真似を」
私は小声で吐き捨てた。
開け放されたガラス戸から吹き込む強風が不気味に鳴く。カーテンが死に際の獣のように激しく暴れていた。
やはり、この教室のベランダから落としたと見て間違いないようだ。
臭いの痕跡が飛ばないようにガラス戸を閉めたその時、ガラス戸に映る私の背後に人影を見た。
反射的にその場を飛び退くと、飛んできた机がガラス戸をぶち破り、盛大な音を立てて砕けた。
「待て!」
美術室を出て行く人影を追って、私は廊下に飛び出た。獣人の夜目が廊下の向こうに黒い人影を捉えたその瞬間、顔前に飛来した何かを短剣で叩き落とす。それは美術室にあったものか、彫刻用のノミだった。
廊下の向こう、窓から差し込む僅かな月光にきらりと光る刃の煌めき。襲撃者も剣を抜いたようだ。私は短剣を逆手に握り、体勢を低く構える。
睨み合うこと数秒、ほぼ同時に走り出すと長い廊下の中程で斬り結んだ。相手の剣に黄の光が走ったのを見て、私は宙返りで後方に退く。
襲撃者の剣身が纏う黄の光は、生徒同士の決闘では反則技とされる、武器に魔力を通して強化する方法だ。
これは、決闘ではない。遊びでもなければ、演習でもない。明確な敵意と害意を持って私を攻撃するという宣言だ。
そっちがそのつもりなら、こちらも応じるのみ。
闇に連なる三日月のような斬撃を躱しながら、私は短剣の鋒に意識を集中した。心臓から血液と共に送り出される魔力が剣身を通って鋒に至り、体内を循環するのをイメージする。――繋がった。という確信と同時に私の剣が緑の光を纏った。
待ち構えていたかのように、頭上に斬り込んで来た剣を打ち払うと、ぶつかり合う二つの魔力が鮮やかな二色の火花を散らした。
私は短剣の柄をぐっと握り込むと、横薙ぎの一撃を受け止めた。先程より重い一撃に押し負けて、私の靴底が床を滑る。
堪らず身体を翻して相手の力を逃すと、誰も見てないのを良いことに、跳躍からロッカーを踏み台に壁を蹴って相手の背後を取った。
「ッらぁ!」
そのまま空中で半身を捻りガラ空きの背中を思いっきり蹴り飛ばした。しかし。
「……ッ!? なんだ?」
足に伝わる感触は、まるで石の壁を蹴りつけたような堅牢な衝撃。とても人間を蹴ったとは思えないものだった。
きりもみで吹っ飛び壁に激突した襲撃者が、バキバキと身体を鳴らしながらゆっくりと起き上がる。ぐるんとあらぬ方向に回った首が、ソレが人間ではないことを示していた。
人ではない。得体の知れないナニカの、空洞のような目が私を捉えた。
あれはなんだ? 石の魔物? 私の剣で倒せるのか?
ソレは私の戸惑いを好機と見たか、人間離れした速度で廊下を走り間合いを詰める。
接触まであと三歩というところで、突然、狼の遠吠えが聞こえた。足を止めたソレは慌てて飛び退くが、一歩遅かった。
月光が落とした私の長い影から漆黒の魔狼が飛び出し、喉の辺りに食らいついて引きずり倒した。
呆気に取られる私の前で、魔狼は襲撃者を床に叩きつけながら手足を噛み砕く。暴れる襲撃者を押さえつけると、こちらに向かって吠えた。
「余所見したら駄目だよ」
「ぐあああッ!」
聞き慣れた冷静な声と、誰かの悲鳴に背後を振り向くと、アルファルドに腕を捻り上げられた男が床に制圧されていた。
「アル!」
「セラ! こいつを頼む。あっちは僕がやる」
言われるままに床に押さえつけられた男の腕を押さえると、入れ替わりにアルが立ち上がった。襲撃者を押さえつけていた狼が投げ飛ばされて壁に強く打ち付けられる。狼はギャンと悲鳴を上げて動かなくなった。
「――来い。オリオン」
主人の声に応じて魔狼が影から這い出てくる。先程の狼よりも二回り程大きいオリオンは、いつものかわいらしい印象からは想像できないほどの殺気を放っていた。
咥えていた黒塗りの刀をアルに捧げると、アルはその刀を掴みベルトに差した。
鞘を握る手が音も無く鯉口を切り、柄頭から愛撫するようにするりと柄に指を滑らせる。魔力を帯びた漆黒の鞘に緑の光が走り星図を描く。それは呼吸するように淡く瞬いた。
もはや人型を保てず、四つ足の魔物と化したソレがみしみしと身体を鳴らしながら廊下を疾走しアルに迫った。
勝負は一瞬だった。
いつ刀を抜いたのかわからない。きりっと張り詰めた空気ごと斬り捨てる神速の一太刀が、魔物の身体を両断した。
暗闇に緑の残光が輝いて消える。その迷いの無い美しい太刀筋に、息が止まりそうになった。
まだ、緑の流星が目の奥に瞬いている。
アルは魔物がざらざらと砂となって崩れていくのを見届けると、穢れを祓うように頭上から大きく血振りして静かに納刀した。
アルの所作に見入っている間に、知らないうちに絞めてしまったのか、押さえつけていた男は気絶していた。仲間を傷付けられて興奮するオリオンに頭をぐりぐり踏まれているけれど、意識は戻らなかった。
「お疲れ様、セラ。一匹影に忍ばせておいて良かったよ」
倒れた狼をアルが撫でると、狼は悲しげにくーんと鼻を鳴らして、よたよたとアルの影に帰って行った。
「……いつから?」
「うん?」
御礼を言う前に白黒はっきりさせておきたい。
もしかして、ずっと監視してたの? ということはエリーとの会話も……。
『セラは、アルのこと嫌い?』
私は、なんて答えたんだっけ?
「ああ。えーと、結構前からとだけ……」
「……変態」
「酷ッ!?」
「捕まれストーカぁぁー!」
廊下に響いた私の罵声にオリオンがびくりと身を震わせた。
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