美術室の狼

20 張り込み

 翌日から、ヒースの助言に従って、私たちはアンジェリカを追跡した。彼女はエルミーナと同じ家政科なので、私とはほとんど授業がかぶらない。そのため、私が見張れない時はエルミーナにお願いして、話しかけるタイミングを窺っていた。


 張り込みから一週間。

 アンジェリカは放課後は毎日、学院内の郵便局に通っていることがわかった。どうやら自分宛の手紙を待っているみたいだけど、毎度失意の表情で郵便局から出てくる。

 夕方になれば食堂に移動し、その後は翌朝まで寮から外出はしなかった。


 アンジェリカは見た目が派手なだけで、だいぶ誤解を受けている気がする。

 誰かと喧嘩したり、門限を破ったりしないし、秘密の恋人と会っている様子は無かったし、教師や男子生徒に色気で迫ったりなどもしていない。

 一週間では尻尾を出さなかった可能性もあるけど、もしかして……私より品行方正なんじゃないかな? 


 女子寮の談話室で話せば周囲に聞かれてしまうので、なんとか外で話せないかと、私とエルミーナは白橿の生垣に隠れて郵便局の出入口を見張っていた。


 当然のようにエルミーナを巻き込んでしまっているけど、噂通りにアンジェリカと仲が悪いのなら、ここから先は私ひとりでやるべきなんじゃないか? 隣で同じように寒さに震えながら隠れているエルミーナの横顔をちらりと窺った。


「エリーは大丈夫なの? その……二人は仲が悪いのだと思っていたけど」


 今更な気もするけど、今ならまだ作戦変更できるので、無理しないでと付け加えた。エリーは眉尻を下げて笑う。


「同類相憐れむというものね。お互いの境遇を知っているからどちらも大変ねという気持ちはあるけれど、特段嫌ってはいないわ」


 エルミーナが伯爵令嬢だと知ったのは、つい五日前のことだ。公表されてはいないけど、国王陛下からフィリアスとの婚約が正式に認められたと、こっそり打ち明けてくれたのだ。

 伯爵家の一人娘として、小さい頃から厳しく育てられたエルミーナは、権力争いの真っ只中で生きてきた。アンジェリカのことも学院に入る前から知っているらしい。


「でも、私がアンジェリカを誘うと、“お呼び出し”に取られて警戒されてしまうから、誘うのはセラにお願いするけど……本当に大丈夫?」


 お呼び出しってあれかな? 校舎裏とかに呼び出されて文句言われるやつ? たしかにそれはマズイから、話しかけるのは私がやるけど……。

 先日の決闘から、私は周囲の人々に誰彼構わず噛み付く猛獣だと思われている節がある。とても不本意。


「大丈夫! 私が必ずとっ捕まえて来る! エリーは暖かい所で待ってて!」


 私の力強い返事に、エリーはこの上なく不安そうに眉根を寄せた。

 そんな話をしているうちに、アンジェリカが郵便局に入っていったので、私も垣根の陰から抜け出して、彼女が出てくるのを待った。


 数分後、郵便局から出てきたアンジェリカは、無理矢理に平静を保っているような、笑いをかみ殺すような表情をしていた。ついに、待っていた手紙が届いたのかもしれない。

 私もまた平静と偶然を装い、今にもスキップしそうなアンジェリカに声をかけた。


「やぁ、アンジェリカ。なんだか嬉しそうだね」


 アンジェリカは一瞬目を丸くして、すぐに白い歯を見せて微笑んだ。深紅の巻き髪に桃色の花の髪飾りが揺れて、いつにも増して明るく見えた。


「まあねー! えーと……セリアルカ、だよね? アルディールっぽい綺麗な響きね」


「セラでいいよ。私の母さんがアルディール人でね」


 覚えていてくれたこと、名前を褒められたことが純粋に嬉しくて、私は自然に笑顔になった。やっぱりこの子、悪い子じゃないと思う。


「それなら私のこともアンと呼んで! セラも郵便局に用事?」


「そうなんだ。手紙を出してからもう一ヶ月以上経つのに、まだ返事が来ないんだ」


 嘘は言ってない。父さんにアルファルドとの婚約について事実確認の手紙を送ったのに、未だに返事が来ない。

 でも、今更返事が来たところで、アルファルドとの関係が今すぐに変わるかというと疑問である。

 婚約していても、していなくても、私は彼に興味を持ち始めてしまったから。それが好意なのかは、まだわからないけれど。


「……でもそれだけじゃない。実は、君に教えて欲しいことがあって探していたんだ。少し、話せない?」


 誘い方が愚直過ぎると、後でエリーに怒られそうだけど、あれこれ策略を巡らせるのは私のやり方には合わない。それに、これは私の勘だけど、アンの方が一枚上手な気がする。

 アンは腕を組み、口元に手を当てながら少し考え込む。そして、ふふっと笑みを零した。


「……貴女、駆け引きできないタイプでしょう?」


 ほら、やっぱり。エリーの好敵手と言われるお嬢様が頭空っぽなわけがない。

 背中にエリーの強い視線を感じるけど、下手に嘘ついて婉曲に言ったら怪しさ倍増しちゃうじゃないか。


「育ちが悪いもので。回りくどいのは苦手なんだ」


 肩を竦めて言うと、アンはきょとんとした顔をして後に噴き出した。


「あっははは! なるほどねー」


 ひとしきり自分で納得すると、上目遣いでこちらを見やり、いたずらっぽく笑った。


「――いいわ。どうせアルファルドのことでしょう?」


「なっ!? なんでわかるの?」


 尾行していたのバレてた?

 思わず声が裏返った私に、アンは腹を抱えて笑っている。


「貴女たち最近、仲良いらしいじゃない? 色んなところから噂を聞くわ。アルファルドについて私が知ってることを話すから、そのかわり貴女たちのことも詳しく聞かせてよね!」


「ぐ……わ、わかった。でも、私たちの仲は良くも悪くもないし。普通だし……」


 私の苦しい言い訳は、涙目になって笑うアンには聞こえなかったようだ。




 外は寒いし立ち話もなんだからと、今夜、消灯後にアンが部屋まで来てくれることになった。

 エルミーナと同室だということも伝えたけど、特に気にする様子が無かったので、やっぱり二人が犬猿の仲というのは、ただの噂なのかもしれない。


 アンの後ろ姿が校舎の角を曲がり、姿が見えなくなったのを確認して、近くで見ていたエリーが垣根の裏から出てきた。


「もう〜ヒヤヒヤしたわ〜! セラったら、話の持って行き方が急過ぎるのよー!」


 余程心配したのか、一気に十歳ぐらい歳をとってしまったかのように、エリーはぐったりと疲れ切っていた。


「まぁ、でも結果的に誘えたし? 私も腕力だけではなく、平和的に物事を解決する能力があると証明できたと思いますが、いかがです?」


 ドヤ顔で言ってみたけど、エリーの反応は芳しくない。


「そうねー……腕力を使わなかったのは偉いわねー」


 心がこもってないように聞こえたけど、気のせいかな?

 すっかり暗くなった校内を二人並んで歩く。夕食を食べたら部屋を片付けないとなーなんて考えていた矢先のこと。

 私は足を止めて、周囲を見回した。


「セラ……? どうしたの?」


 エリーの問いに、私はしーっと指を唇に当てた。

 冷たい手で背中をなぞられたような寒気を感じた瞬間、私はエリーを抱え上げてその場を飛び退いた。花壇に二人で突撃する形になって、エリーが悲鳴を上げる。


 ちょっと前まで私たちが居た場所に、大人が抱えるほどの大きさの植木鉢が降ってきた。がしゃんと鈍重な音が校舎の壁にこだまする。

 悲鳴を飲み込んで呆然と見つめるエリーを立たせて、近くの屋根のある建物に避難させると、植木鉢が落ちて来たと思しき校舎を見上げた。

 校舎は暗く、人の気配はなかった。

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