22 過保護な婚約者
美術室のガラス戸をぶち破ったせいか、想定外の大騒ぎになってしまい、校舎の下には野次馬が集まり始めていた。
遅れて駆けつけた警備員に捕らえた男を突き出したが、まだ意識は戻らないようだった。
ついでに、『監視していたのは認めるが覗き趣味は無いと主張するこのストーカー男』もしょっ引いて欲しかったんだけど、助けてくれたから今回は大目に見てやろうと思う。今回はな。
事情聴取に付き合って、美術室のガラス戸を割ったのは私じゃないということをよーく伝えると、私とアルは医務室にいる二人に報告に向かった。
本校舎一階の医務室の扉を開くと、応接用のソファに腰掛けるエルミーナとフィリアスの姿が見えた。医務室の先生は席を外していて、部屋の中は二人だけのようだ。
エリーは私の顔を見るなり駆け寄って勢いよく抱きついた。フィリアスの視線が刺さって痛い。
「セラ! 怪我は無い?」
「大丈夫だよ。ありがとう。エリーは? 足を……」
エリーが右足に包帯を巻いていたので、怪我をさせてしまったのかと血の気が引いてしまった。だが、当のエリーは不服そうに頬を膨らませる。
「もう、聞いてよセラ! みんなして大袈裟なのよ! ちょっと擦りむいただけなのに!」
エリーは抗議の目をフィリアスに向けるが、フィリアスはさも当然とばかりに澄まし顔だ。
「エリーが大切なんだよ。許してあげて」
「
私とアルの擁護にエリーは頬を赤く染めて、ふんと顔を背けながらも、大人しくフィリアスの隣に落ち着いた。私とアルも二人の向かいのソファに座って、ようやく一息ついた。
「事情聴取に捕まって時間が掛かってしまったんだ。待たせてごめんね。襲撃犯は、警備員に突き出したから、じきに正体がわかると思う」
私とアルが、一連の出来事を報告するとフィリアスは怒りを押さえ込むように腕を組んで、眉間にしわを寄せた。
「おそらく
フィリアスは呟いて考え込む。
だが、そこでひとつ疑問が浮上する。
私たちが暮らす、このシュセイル王国は戦神を信仰する国だ。この国で生まれる子供は皆、戦神の加護を受けて風の属性を持って生まれてくる。フィリアスのように特別な理由で火属性を持つ者もいるけど、大多数は風で、私やアルファルドも風属性だ。
風と土は反発するので、この二つの属性を同時に得ることはできない。精巧な
つまり、犯人はシュセイル出身者以外である可能性が高い。
そうなると、狙われたのは本当にエリーなんだろうか? という疑問が出る。わざわざ他国から暗殺者を雇って学院に潜り込ませ、未来の侯爵夫人を狙う? エリーに個人的な恨みがあるならともかく、とても現実的とは思えない。
君はどう思う? と意見を聞こうと隣に座るアルを見ると、すっと目を逸らされた。何故だか肩を震わせて笑いを堪えているように見える。今の話のどこにそんな面白いところがあった?
フィリアスとエリーもアルの異変に気付いたようで首を傾げる。
「どうした? 何か気になることでも?」
フィリアスの問いに、アルは噴き出した。
「ふ、ふふふ……ごめん。ちょっと、あの
私の方を見ながら暴露する。
言うなよぉ……。二人の目が点になってるじゃないか。
「
笑うんじゃない。人間だと思ったんだから仕方ないだろ。というか、見てたなら助けてよ。
視界の端でエリーが顔を覆っているのが見えた。
「訂正しろ。『死ね』は言ってない」
大事なところだぞ。と私が真顔で訂正を求めると、エリーは呆れきったように呟いた。
「……飛び蹴りは認めるのね」
ぐぬぬと何も言い返せない私に、アルとフィリアスが堪えきれずに笑い出した。
「あはははは! 良い蹴りだったよ。惚れ直した」
「まったく……こっちは心配していたというのに、随分楽しそうじゃないか」
そう言いながらも苦笑するフィリアスを見て、私とエリーは顔を見合わせて笑う。ようやく張り詰めた空気が和らいだ気がした。
「まぁ、詳しい話は襲撃犯の事情聴取が終わってから相談しよっか」
アルの提案に一同は了承して、時間も遅いことだし解散となった。医務室を出て女子寮まで歩く間に、私はフィリアスに借りた短剣のことを思い出した。危うく持って帰るところだった。
「これ、ありがとう! 助かったよ」
無かったら蹴り一発じゃ終わらなかったかもしれない。というのは言わずに胸に秘めておくことにした。御礼を言って返そうとしたけれど、フィリアスは受け取ってくれなかった。
「エリーを助けてくれてありがとう。その報酬には少ないかもしれないが、受け取ってくれ。魔石もついているから、必要なければ売ればいい」
「いいの!? 本当に?」
街灯の明るいところで良く見れば、受け取った短剣の柄には一粒の緑の魔石が嵌め込まれていた。煌めく剣身から柄まで繊細な蔦の模様が彫り込まれた美しい銀色の宝剣だった。
とんでもなく高価なものに違いない。
魔石単体でも高価なのに、こんな宝剣を軽々しく戦闘に使ってしまったことに、今更ながらゾッとした。
王子から下賜されるなんて、使わないで家宝にするべきかな?
「ありがとう! 大事にするよ!」
御礼に御礼を言うのはなんだか変な感じがしたけど、まぁいいか。
女子寮の門前で二人と別れた私たちは、階段を駆け上がり急いで自室に戻ると、アンジェリカの来訪に備えてドタバタと部屋の掃除を始めたのだった。
***
侵入禁止のロープを潜り、フィリアスは美術室の扉を開けた。最初に目に入ったのは、破損のためベニヤ板で塞がれたガラス戸。その次に、ひとつだけ残っていたキャンバスが見えた。セリアルカの報告通り赤い字で『警告』と書かれている。
「これは、誰に向けた警告なんだ? 植木鉢が当たっていたら、この警告を見ることなくエリーは死んでいた筈。ならば、これはエリーに向けてではない。セリアルカか……あるいは俺か?」
カードを一枚ずつテーブルに並べていくように、ひとつずつ疑問を口にした。
もし狙われたのがセリアルカだとしたら。
避けると思って植木鉢を落とし、探しに来ると思って『警告』を残し、追いかけてくると思って
もし目的がフィリアスへの警告だった場合、何に対する警告なのか、主張がぼやけている。対処のしようがない。
「お前はどう見る?」
フィリアスは先程から押し黙ったままのアルファルドに意見を求めた。壁に寄りかかり俯く彼は、物憂げに目を閉じる。窓から差す月光が彼の足元に歪な影を落としていた。
「狼男なら、セラを捕まえて噛もうとするはずだ」
口に出すのも穢らわしい。そんな心の声が聞こえそうな返答だった。
「彼女は元々獣人だろう? 何故仲間にしようとする?」
「……獣人同士の場合は、
窓の外には、十二夜の金月が浮かんでいた。獣を狂気に誘う光が天地に満ちていく。
「――もうすぐ満月だね。僕の
ぽつりと零した呟きは夜に溶けて消えた。
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