FileNo.7 コーダー - 02

    ●    ●    ●




 そもそも、嫌な予感はしていたのだ。いくらインターホンを鳴らしても一切応答が無いこの家の、無表情な焦げ茶のドアを見据えていた時から。


「どうする、ボス。今日で三日目だが」


 つい十数分前、この部屋のドアの前でも、晶穂しょうほはボリボリと髪を掻いていた。場所は、平凡なマンションの五階、端部屋の前。時刻は十三時過ぎ。まだまだ陽は明るく、秋の陽光が彼らの立つドアの前までふわりと射し込んでいる。暑くも寒くもない、快適そのものの気温だ。


「留守みてーだし、今日も帰るか? 電話も出なけりゃインターホンにも出ねえんじゃ、張り込み以外に会いようが無えよ。あたしらだって、そこまで暇してるわけじゃねーしな」


「青樹涼は一昨日も昨日も何ら変わりなく登校している。今日に至っては一泊二日の林間学校行きだ」


 磐鷲ばんしゅうがそう言うと、晶穂はいつもの白衣のポケットに左手を突っ込み、後方の壁へもたれかかった。右手は動かせない……というより、ギブスで固定されている。先日対応した、とある案件での怪我が完治していないのだ。とはいえ、彼女自身、こういった事柄に慣れっこなのか、暢気のんきに欠伸などしていた。


 気の抜けた声が、穏やかなマンションの廊下を抜けていく。


「身だしなみは整っていたし、特別飢えた様子もない。出前や宅配ピザを頼んだ様子も無かった。彼女は母親と二人暮らしだ。つまり」


「母親は家に居て、自分のガキの面倒を見てる筈……つまり居留守だ、って言いてーんだろ? んなこたぁあたしだって分かってるよ。だが、相手がその気なら」


「入るか」


 ボソリと言うと、後方で晶穂は「うへぇ」と声を漏らした。磐鷲はサングラスの付け根を軽く上げ、晶穂を睨む。


「それって不法侵入になるんじゃねえの? っつーか、そうまでしてあたしらがやることか、これ? こういうのは『通廊』に任せ――」


「前も言った筈だ。俺は了さんから、あの親子のことを頼まれている。だから――」


「大事になる前に話を通したい、だろ、分かってるっつうの。あたしが言いたいのは――」


「不法侵入までするほどのことか、だろう。するほどのことだ。了さんには多くの恩がある」


 言葉の先を読みあい、交わし合って、晶穂は大きく溜息をついた。それから両肩を上げて、「さいですか」と軽い口調で言い放つ。


「ならもう止めやしねーよ。あたしはここで待ってっから、どうぞ泥棒道へ行ってらっしゃいませ」


 ……じっと、晶穂を見る。相手はバツが悪くなったらしい。


「分かった分かった、分かってるっつうの! だからそんな目で見んな、ボス」


「そんな目、とは?」


「寂しさと悲しみの入り混じった哀愁あいしゅう漂う眼だよ。おまけに修飾語として『四十過ぎの肥満体ハゲ親父の』が付く」


 ……いつからこんなに口が悪くなったのだろう、と磐鷲は密かに思った。とはいえ、彼女が元々、自分だけにこの任務を押し付けるつもりが毛頭ないことくらいは、磐鷲も重々承知だ。故に、何も言わず、彼はインターホンをもう一度鳴らし、それから、ドアを強く叩いた。


「青樹さん。青樹まどかさん。中に居るんだろう? 役所の方から来た者だ。居留守を使ってることは分かってる。応答しないつもりなら、勝手だが中に入らせてもらうぞ」


「借金取りみてえ」


「五分待つ。用意が出来たら是非出迎えてくれ。俺たちも借金取り紛いのことをしたくはない」


「スジもんみてえ」


「逐一喧しいぞ餓鬼」


 睨みつけてやるが、当の晶穂は左手で器用にスマートフォンを弄っていた。ここに来る途中の車の中でもそうだった。一体何をそんなに触る必要があるのか、磐鷲にはどうにも理解し難い。画面を覗き込んでやると、どうやら何かのゲームをしているらしかった。


「プライバシーの侵害だぞ」


「喧しい、仕事中に遊んでんじゃねえ」


「時間を有効活用してる、の間違いだぜボス」


「雨月が頻繁に愚痴ってる理由がよく分かった」


「今更かよ」


 ごちゃごちゃと言い合っていると、五分などあっという間に過ぎていた。もう一度インターホンを鳴らし、扉をノックして、磐鷲は意を決し――彼とて不法侵入に抵抗がないわけではない――ドアノブを回す。


 青樹親子の自宅のドアは、呆気なく開いた。


 中には、至って平凡な住宅の光景が広がっていた。備え付けの靴箱、玄関に揃えて置かれた草履が二足。二メートルほど続く廊下は、その先のリビングへと繋がっているらしい。彼は「失礼」と一言告げて、磨き上げた革靴を脱いで中に入った。


 数歩歩くと、左手にも廊下があり、洗面台へ続いている。気にせず、リビングへと進んだ。TVの音がする。玄関とリビングを区切る扉は開いたままだが、暖簾のれんが掛かっていて、先に広がる主たる居住空間の全容までは視界に入らない。だが。


 正面。暖簾の向こうに、玄関と向かい合うように置かれたソファの端から、寝転がっているらしい女性の足が見えた。


 見えるのは、膝から下。肌は若々しく、裸足だ。どこかだらしなく、足はプラプラとソファの上から飛び出ている。丁度、腹ばい状態で雑誌でも読みながら足をパタパタさせている――そんな感じだ。


「青樹まどかさんですかね」


不躾ぶしつけに失礼するぜ。だがそっちだってご機嫌な居留守かましてるんだ、どっこいどっこいだろ?」


 狭い廊下に、晶穂が並んで立つ。彼女は無意味に一度、ポンと磐鷲の腹を叩き、「インターホンやノック、オッサンの脂ぎった声による呼びかけも行ったんだが、聞こえなかったかい」と、若干喧嘩腰に言い放つ。


 相手は――何も返さない。相変わらずプラプラと足を遊ばせている。TVからはワイドショーが流れているらしい。芸能人の量産型な笑い声が響いてくる。


「無視か? なぁオイ青樹まどか。誰のせいでこんなところまでわざわざあたしらが――」


 そう言ってリビングの暖簾をくぐろうとした晶穂は、そのままくるりと踵を返した。そして、数歩歩いてこちらを振り向く。驚いたような表情で。


「何してるんだお前」


「……あたし今、何で反転した?」


 磐鷲はサングラスに隠れた眼を細めた。何を言ってるんだ――普通なら、そう言って彼女の正気を疑うところだろう。だが。


「晶穂」


「うい」


 こちらの意図が分かったらしい。晶穂は険しい顔つきになって、もう一度ずんずんとリビングへと進んだ。暖簾をくぐろうとする。


 踵を返す。


 数歩歩き。


 立ち止まる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る