FileNo.2 ライフ - 04

 ……ゆっくり、目を開く。


 目の前には、轟音も、雷光も無かった。それらは嘘のように消え失せていて、残っていたのは、穏やかに草を揺らす原っぱと、後方の桜の木と、私と、遠い夕陽と。


 金色の髪の、彼女だけ。


「自覚したか?」


 言葉に、私は自分でも驚くほど、何の反応もしなかった。彼女の言葉の意味はよく分かる。だから、本来であれば応えるべきだろう。


 自覚した、と。


 貴女の言う通りだった、と。


 あれは天罰ではなかった、と。


 だが、言わなくとも、伝わったのだろう。


「覚悟は出来てるな?」


 夕陽の逆光で表情を真っ黒に染め上げながら、彼女は告げた。覚悟――ああ、今なら分かる。彼女はここに来た理由を名言しなかった。だが、今なら分かる。


 彼女は、私を滅しに来たのだ。先程見せた、あの、雷を受け止めた力を持って。


「ネタ晴らしをするぜ。あたしは除霊師としちゃあ、ハッキリ言って二流だ。何せ、道具が無けりゃ、満足に浮遊霊も祓えねえ」


 私は彼女の言葉をじっと聞いた。あの人が、人の話を聞くときと同じように。


 それが、彼女への敬意になると考えたから。


「唯一誇れるものがあるとすりゃ、そこそこ器用だってことだ。だから、『こういうもの』でも除霊に使える」


 彼女はそう言って、右手を私に突きだした。私は黙って、その掌に握られた、古ぼけたお守りを見つめる。


 とても薄汚く、かつ、陰鬱で醜悪な空気を纏っているお守りだった。悪意を集約して閉じ込めたような、呪いを具現化したような、古ぼけた、塊。


「もう気づいてるだろうが、あんたの周囲には、これと同レベルの強烈な厄を持つ曰くつきの品を、予め幾つか置いておいた。それにはガチの巫女さんの髪の毛で編んだ糸が、レシーバー代わりに縫い付けてあってな。あたしが手元から力を送り込めば、それを受け取って、溜まった厄を吐き出す。言ってみりゃ、遠隔操作できる爆弾みたいなもんさ。さっき雷を防げたのも、こういう小狡い策を弄した結果だ」


 彼女はぼりぼりと頭を掻いた。私は紡がれる言葉をじっと聞いていた。わざわざ自分の手の内を晒すこと。それはきっと、彼女なりの、私への敬意のつもりなのだろうと思ったから。


「厄、っつっても、要はエネルギーだ。連鎖反応させりゃ、あんたみたいな土地神一歩手前の強力な霊にも十二分に効く」


《それらを用いて、私を滅ぼすのですか?》


 私は一つ息を吐いて、真正面から彼女を見た。背筋を伸ばして。あの人が、心配したりしないように。


《私は、夫を待っていたいだけです》


「だが、その想いが死人を生む。見過ごせねえ」


《私は、邪悪ですか?》


「ああ、邪悪だ」


 彼女は断じた。はっきりと。


「あんたの人生が、どんなものだったかは知らねえ。だが、あんたは、ここで人を殺し続けた。それは邪悪だ」


 ただ、と彼女は続けた。どこか懇願するように。


「もし……あんたがその事実を悔いるなら。或いは、滅ぼされる覚悟が出来ないなら。


 ここから退いてくれ。そうすれば、あんたは自分からこの世を離れられると思う」


《……そうですね》


 私はそっと眼を閉じ、一つ、小さく息を吐く。最終勧告――今の言葉は、そう呼ばれる類のものだろう。そして、ぶっきらぼうで不躾な口調だが、そこには彼女なりの慈悲が込められている。


 私は眼を開いた。そして、彼女に微笑んだ。


 相手の顔は――やはり、逆光で見えない。真っ黒だ。泣いているのか、怒っているのか――それとも、笑っているのか。それも分からない。


 風が吹く。風が吹いていく。いつか、あの人と共に過ごした幸福な時間。そこを流れた優しい風と、同じものが。


 最後にあの人と、咲き誇る桜を見上げたのは、いつの頃だったろう。或いは、二人で暮れていく夕陽を見つめたのは。


 彼女の言うところの、『一世紀』も前なのだろうか。


 一拍。


 刹那よりも長く、永遠よりもひどく短い、時の合間。


 それを、経た後。


 私は右手を突きだした。刹那、雷光が夕陽の世界をつんざ――。


「じゃあな。往生しろよ」


 ――すぐ傍で、女性の声が聞こえた。私は思った。嗚呼、何て迅いのかしら。まるで、風のよう。


「旦那を追いかけな。きっとあんたを待ってる」


 私はもう一度、微笑んだ。直後。


 胸に翳された彼女の右手から、衝撃が――そして、碧い輝きが、私の体をつんざいた。


 それはまるで、雷光のようでもあった。

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