FileNo.2 ライフ - 03
私は暫く、眼前の女性を、何も言わず見つめた。美しい、金色の髪。私と似た、金色の髪。けれど、その放つ言葉は――自分で言うのもなんだけれど――私の放つそれとは段違いに乱暴で、不躾なものだった。
《何を仰るのです。馬鹿なことを仰らないでください》
「悪いが、これは公的な記録に基づいた、れっきとした事実だ。ま、ぶっちゃけた話、あたしもまともな記録が残ってるとは思ってなかったんだが……あんたの旦那は政府の要職に就いてた、結構な重役さんだったんでな。このあたりの記録が曖昧な時代でも、名前が残ってて助かったよ」
そういうと、如何にも古ぼけた数枚の紙を、彼女は私に提示して見せた。私は首を振った。そんなもので人は死なない。
《お引き取りください》
「悪いが、こっちも仕事でね。『切り倒せない桜の木に困ってる』――よくある依頼だが、あんたみたいなケースは結構レアだ。何せ世紀単位で土地に居ついて、正式な記録の上でも何十人も殺してる。下手すりゃ霊から土地神になっちまってたかもしれん」
《人は神にはなれません。それに、私は誰も殺してなどおりません。お引き取りください》
「ただ『待ってる』だけだ、ってか」
《お引き取りください。……ここから立ち去って》
少し、強い風が吹いた。眼前の女性の腰まで伸びた長く豊かな髪が、木々がざわめくように揺れる。周囲の草原も揺れる。音を立てる。ざあざあと。まるで、泣くように。
「不愉快そうだな」
私は応えなかった。立ったまま、袴の前で両手を重ね、背筋をピンと伸ばした。眼前の無礼な来訪者に、はっきりとした拒絶の意志を示すために。
「覚えがあるだろ? そうやって不愉快になって、それでも目の前の奴が立ち去らない場合。そいつら、どうなった?」
《天罰が落ちました。……このままですと、貴女にも落ちるかも知れません》
「それは天罰とは言わねえ。天は誰の味方もしねえよ。
いいか、偶然なんてのは、起きたとしても精々三度までだ。あんたが不快に感じた人間だけが、悉く死に至る――それが数える気も無くすくらい起きたってんなら、それはあんたが引き起こしたことだ。天じゃねえ。あんたが何人も殺したんだ」
《……立ち去って》
気持ちが悪い。いつかの、病に臥せっていた頃を思い出す。吐き気の止まらない、存在しているだけで不快な感覚。それが故、私の放った言葉は、自然と掠れた。
相手は――相変わらずの、逆光を受けた真っ黒な姿で――揺らぎなく言った。
「あんたは邪悪だ」
相手は――静かに右手を上衣のポケットから取り出して――躊躇いなく続けた。
「意図していなかったのかも知れない。そんなつもりは無かったのかも知れない。だがそれでも、事実は変わらねえ。あんたはあんたの為だけに、多くの人を殺し、傷つけた。そして、その事実をすら直視しようとしない。自分のせいじゃねえ、天がやったことだ、自分はただ待っているだけだ、そう言って。それは――」
《立ち去って!!》
「――邪悪だよ」
それは、同時だった。天から一筋の雷光が女性へと迸り、轟音が草原に鳴り響くのと――取り出した右手を、女性が天へ掲げるのと。だが、静寂と安寧を打ち砕く爆音の最中、私は眼を見開いた。
女性が天へ伸ばした右手。その右手と桜の周囲の地面を、碧く強い光の筋が繋いでいる。そして、それによって造られた碧い光の『傘』が、『天罰』の稲光を受け止めている。まるで避雷針だ、と私は思った。そして、同時に思い至った。
先日、この女性が、桜の周りをぐるりと回っていた理由。いま、女性の『傘』を造り上げるもととなっている、周囲の地面から発せられる碧い光の発生点。間違いない。相手は昨日から準備していたのだ。この瞬間に備えるために。
「まさか、マジに雷まで呼ぶとはな……!」
未だ続く爆音と轟音と雷音の最中で、女性は呟くように言った。私は驚愕に後ずさりながら、初めて、稲光に照らされる女性の顔を見た。
とても整った顔立ちをしていた。日本人――いや、ハーフだろうか。彼女は耐えるように歯を食いしばりながら、しかし。
強がるように、笑っていた。
「出し惜しみしてたら死んでたぜ」
掲げていた手を、彼女は右方向に振り下ろした。『天罰』――雷光はそれにいなされるように、大地と平行に空を走る。空気をすべて弾き飛ばすような爆音が草原に木霊し、周囲は稲光で真っ白に染め上り、私は思わず目を瞑る。
『それは天罰とは言わねえ。天は誰の味方もしねえよ』
つい先ほど聞いた女性の言葉が、脳裏を駆け巡った。瞼を閉じても、暴力的な光の奔流が眼を刺激する。それでも、私は眼を閉じ続けた。頭が焼き切れそうな程の爆音が、波が引いていくように消え失せても、尚。
『それはあんたが引き起こしたことだ。天じゃねえ』
私は。
『あんたが何人も殺したんだ』
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