FileNo.0 エンディング - 02

「え」


 女の青い瞳が強く鋭く光っている。……俺は目を見開いていた。


 無い。


 女が持っていた水飴の棒が、うごめむし達ごと消え失せている。


「何……何をした?」


「ハッピーエンド」


「何?」


「あたしの答えさ。理由は『あたしがそう信じてるから』。


 こりゃあたしの持論だがな。物語なんてのは大抵、誰かの人生の、ほんの一部分の切り出しだ。神話のスサノオを見ろよ。高天原たかまがはらじゃ只の糞野郎、だが八岐大蛇やまたのおろち退治譚じゃご立派な英雄だ。


 オッサンのはなしも同じさ。どの話にも必ず『続き』がある。だからあたしは信じるね。どれも最後にゃ幸せが待ってる、ってな」


 女の言葉は覇気に満ちていた。まと陰鬱いんうつな空気とは全く対照的だ。だが何故だ? この屋台に来る奴は皆、俺と同類の筈なのに。


「大体な、オッサン。手がせこいぜ。どうせ正解かどうかはあんたのさじ加減、気に入り加減なんだろ? 曖昧あいまいな謎掛けしてくる奴は大抵そんなもんだよ」


 俺は呆けた頭で女を見ていた。爛々らんらんと輝く二つの眼には確固たる自信が満ち満ちている。まぶしい光だ。遥か――遥か昔に目にしたきり見ることの無かった光。俺は今、それに相対している。


「あんた……何者だ?」


 問うと、女は不敵に笑った。


「分からねえか? オッサンの話にも出てきてただろ」


「『霊能力者』? 本当に?」


 俺は高揚していた。本物の霊能力者と出会う。こんな滅多にない出来事と遭遇そうぐうするなんて――。


「話を戻そうぜ、オッサン」


 俺の昂奮こうふんを押しとめるように、女は尋ねた。あたしは正解か、と。


 俺は。


「……ああ、うん。正解だ。正解だよ、お嬢さん」


 言葉の途中で、俺は笑った。ここ最近感じたことの無い、清々しい気分だ。


「そうさ、結論なんてどうだっていいんだ。分かるだろ? 兎角とかく、この世は表層しか見ない馬鹿者が多すぎる。


 例えば……そう、丁度、お嬢さんの後ろの奴ら」


 眼前の彼女は大きく仰け反り、俺に体を向けたまま、器用に後方を見た。言うまでもなく、その視界には、能天気にへらへらと笑いながら石畳いしだたみを行き交う俗人どもが映っていることだろう。


「祭りってのは本来、神に感謝を捧げ、獲物をかえす神聖な儀式だ。それがどうだい。今や只のイベントとしか思ってねえ不届き者ばっかりだ」


「一応言っておくがな、祭の起源ってのは、学者様の間でも揺れてる難問だぜ」


「そうさ、お嬢さん。どれだけ目の前のことに自分の解釈を持てるか。重要なのはそこだ。生者の価値は、そこに凝縮ぎょうしゅくされていると言ってもいい」


「聞けよ」


「俺はな、それを為さない馬鹿者どもが、ただ只管ひたすらに憎いのさ。想いはせるべきものだ。生者は常に考え続け、受け取る中で吟味ぎんみし続けるものだ。それが出来るのは生者の特権だし、その放棄ほうきは生の放棄でもある」


 相手は面倒そうに溜め息をついた。それで俺は我に返った。そうだ、しばらく見ない正解者、正しき享受きょうじゅ者。彼女には贈り物を授けねば。


「じゃあお嬢さん、あんたには――」


「気が済んだか? じゃ、今度はこっちのターンだ」


 仰け反っていた彼女は、そこから「よっと」と声を吐き、俺を真正面から見据え――一瞬で、俺の目の前に右手を掲げた。


「……お守り?」


 そう。彼女の右手に在り、俺の眼前に突きつけられたもの。それは、一つの古いお守りだった。と言っても、決して神聖なものでは無い。酷く陰鬱な気を纏っている。いや。


 呪われて、いる。


「オッサンが只の語り部だったなら、まだ猶予はあったんだけどな。あんたは邪悪だ」


「邪悪? 俺が? 俺はただ、生の価値を伝えてるだけだ」


「よく言うぜ。気分次第で正解は変える、途中退室も許さねえ。決め手は水飴みずあめだな。アレ、あの世の食い物だろ? 黄泉戸喫よもつへぐい――口を付けたら、その時点であの世に連れて行くつもりだったんだろ」


「お嬢さん」


 俺は掲げられたお守りを見つめた。呪われたお守り。彼女が身に纏う陰鬱な気は、これが発生源だったのか。そう言えば昔、聞いたことがある。


 魔を以て魔をはらう――そんな退魔の術法がある、と。


「俺はあんたを祝福したいんだ」


「そりゃ嬉しいね。だがな、オッサン。あたしはあんたの、その高慢で押しつけがましい考え方が嫌いだ。


 祭りだろうが噺だろうが、どう受け取るかなんて他人が強制するもんじゃねえ。厳粛な奴も、気軽に自由に楽しむ奴も居る。居ていいんだよ。……ま、これも所詮はあたしの持論だし、あんたがどう受け取るかは自由だ」


 でもさ、と彼女は笑った。屈託の無い笑顔で。


「オッサンの噺、あたしは嫌いじゃないぜ。……これくらいは素直に受け取れよ?」


「……そうかい」


 彼女の掲げるお守りが、あおく光った。綺麗な光だった。ああ、いや、でも。


 この落ち着いた気分は、きっと光のお蔭では無く――。


「じゃあな、オッサン。往生しろよ」


 どん、と、何かが破裂したような衝撃が、体に響いた。








「売れねえ作家かなにか……ってところか」


 長椅子に座り、彼女は独り呟いた。屋台は消え去り、眼前には長椅子が幾つか置かれた休憩所が広がっている。祭りの喧噪けんそうは背後から絶え間なく続いており、蒸し暑さに彼女は白衣の袖で額を拭った。


 ぽつんと、正面の長椅子に、古ぼけた一冊の本が置かれている。


「豪華プレゼント、ねぇ」


 彼女は本を手に取り、無造作にぺーじめくった。『エンディング』と背表紙に書かれたその本には、先程の男から聞いた、幾つかの物語が記されている。それを目で追って、やがて彼女は本を閉じた。そして、立ち上がる。本を片手に、夜空を見上げながら。


 後に花火が上がる予定の空には、ちらほらと小さな星が瞬いている。風が吹けば涼しいが、吹かないとじんわり肌に汗が滲む、そんな夜だ。


「ま、貰っといてやるか」


 呟いた直後、ほのかに蚊取り線香の香りがした――ような気がした。




【エンディング 完】

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